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 セーラ様たちが王都を出立されてから数日後、学園にわたくしを訪ねてお客様がいらっしゃいました。


「グラーノ様、オリオン殿下、わざわざ学園まで足をお運びいただき申し訳ございません」


 フォーリア様をはじめ、今回は護衛も従者も多勢引き連れて、グラーノ様がわたくしに会いに学園にいらっしゃいました。

 よく晴れた初夏の青空の下、いつもの温室のテラスで元気いっぱいという様子のグラーノ様が迎えてくださいました。


 どうやら先日、夕暮れ時に一人でいらっしゃったグラーノ様を保護したお礼がしたい、ということなのですけれど、わたくしすっかりその件について忘れておりましたの。

 どう見ても普通の様子ではいらっしゃらなかったグラーノ様を、探しに来たフォーリア様が連れ去るようにして行かれたあの日、ごまかすように「後日改めてお礼を」というようなことを仰っていたとは思うのですけれど、思いきり社交辞令として受け取っておりました。

 とても気になる様子でいらっしゃったことは確かですけれど、むやみやたらとひと様の事情に首を突っ込むのは乙女ゲーヒロインの専売特許でしょうし、そもそもわたくしはこれ以上胃を痛めそうな問題事に増えてほしくはありません。

 ですから、気にすることすらやめて忘れ去っていたくらいですし、本当にグラーノ様がわたくしに会いに来てくださるとは思ってもおりませんでした。


 本来であれば、グラーノ様は聖国の使節代表ですから、その身を寄せている大聖堂(ドゥオモ)や王城に一席設けてわたくしが招かれるところなのですけれど、わたくしは体調を崩して回復したばかりですし、かといってガラッシア公爵家のお邸に聖国の人間がお見舞いに訪問する、ということは、ヴィジネー大司教のマテオ様もおすすめされなかったそうで、あらゆる忖度が走って実現しなかったとのこと。


 そうして間をとって、巫女様たちが旅立って落ち着きを取り戻した学園で面会することになったのです。


「体調を崩していたと聞いた。

 ルクレツィア嬢は体が弱いのか?」

「いいえ、少し疲れが出ただけですの。

 グラーノ様も遠い聖国からいらっしゃって、変調を来してなどいらっしゃいませんか?」

「我はいつでも元気いっぱいだ!」

「グラーノ殿は、もう少し落ち着かれてもいいと思いますけど……」


 木登りだけではなく、ありとあらゆることに引っ張り回されている様子がオリオン殿下の疲れた呟きから窺い知れます。


「オリオン殿はもっと冒険心を持つと良いぞ!

 まだ十代だ。そのように小さくまとまっていてはもったいない。若さを無駄にしてはいけないぞ!」

「グラーノ殿はわたしよりも年が下なのに、いつもそうやってまるでお父さまやお祖父さまのようなことをおっしゃるんですから」


 まだ幼く背も小さいグラーノ様が、若人を導く先達のような口ぶりでオリオン殿下を諭している様子は微笑ましく、幼いながらも聖国の副神官長として使節の代表を務めているなりの虚勢の張り方なのかしらと、いつもの偉そうな口調と相俟ってどこか堂に入っているような気もいたします。

 拗ねたように見せるオリオン殿下はきっとそれに付き合って差し上げているのでしょうけれど、夜会でお会いした時よりもお二人がとても良い関係を築かれているのがわかり、なんだかわたくしもうれしくなってしまいますわ。


(こうしていると、あの日の様子は見間違いだったのではとすら思いますけれど……)


 焦点が定まらず、ここではないどこかを見ていたようなグラーノ様のお姿は、今の溌剌とした様子からは少しも繋がりません。


 こっそりとフォーリア様を窺いますが、黒髪に隠れた横顔は、グラーノ様だけを見てこちらを見ようともしません。


(本当に、いろいろと、キツネにつままれたような気分……)


 出会った時のフォーリア様もまた幻のような面影で、これほどに晴れた青空の下で見る彼はまた別人のように見えます。

 オリオン殿下とじゃれ合うグラーノ様を、とても温かく和やかに見守っていらっしゃり、グラーノ様を大事に思うそのお気持ちだけは確かなものだと伝わってきます。


「今度こそオリオン殿も城下町の探検につきあってもらわねばな」

「それで道に迷われて、ルクレツィア嬢に助けていただいたのではないのですか?」

「我は迷子になどならぬから、安心して案内されるがよい!」


 耳に痛いことはしっかりスルーするスキルを身につけているようで、グラーノ様のお耳にはオリオン殿下のお小言はまったく入らないようです。


「フォーリア、グラーノ殿がこんなことを言ってますから、決して目を離さないでくださいね。

 ……わたしも巻き込まれるんですから」


 すでに話を聞いてもらうことは諦めているのか、オリオン殿下がフォーリア様に釘を刺します。

 やはり手綱を握っているのは従者のフォーリア様だと、オリオン殿下も認識しているのですわね。


「善処いたします」


 恭しく答えるフォーリア様ですけれど、それはビジネス用語的に「行けたら行く(行かない)」と同じ、「がんばってはみる(やるとは言っていない)」という意味だと前世の記憶で知っております。


(やはりフォーリア様はグラーノ様に甘々なのはわかりましたわ……でも、それも仕方のないこととも今ではわかりますわね……)


 グラーノ様がステラフィッサ王国へ使節としてやってきてからそろそろ二ヶ月が経とうとしております。

 その間、グラーノ様が何をしているかというと、「何もしてはいけない」というのが実際のところなのです。


 王国としては、星の巫女を聖国に取り込まれては困りますから、グラーノ様や使節団の行動は、教会から王城を通してかなり面倒な手続きが設けられ、実質かなりの制限が設けられております。

 

 災厄について万が一が起こった時の対策は、ステラフィッサ王国宰相を中心に、周辺国との交渉に口は出さずに参加だけを強いられるのは幼いグラーノ様の役目ではありません。

 そうしてエンディミオン殿下を中心とした災厄に抗する星探しの進捗報告も、使節団の別の方々の任務であり、グラーノ様はお飾りとして夜会やお茶会に顔を出しながら第二王子オリオン殿下と親交を深めておりますが、それしか許されていない、とも言えるのです。


 あと一年、星を集めきったその先で、ようやく聖国に帰れるとは思うのですけれど。


(そういえば、ご出身はステラフィッサと仰っていたような……)


 けれど、聖国に入る際には家名を捨てる必要があるということですし、そもそも、いくつの頃に聖国へ入られたのか、ステラフィッサで過ごされていた記憶はあるのでしょうか。

 グラーノ様が生家を訪れたというお話は少しも聞きませんから、何某かのご事情で疎遠になっているということもありえます。


 そんなことを考えると、やはりフォーリア様がグラーノ様を甘やかしてしまう気持ちはわかるのです。

 どんなご事情でステラフィッサから聖国へ入られたのかも存じ上げませんし、無遠慮に訊ねることも憚られますが、幼いうちから国を出て、例え儀礼上のことだとしても家を捨てるようなところへ行かされるのですから、それなりのご事情であろうことは推し量れてしまいます。


(せめてステラフィッサで楽しい思い出を作られると良いのですけれど)


 幼いうちから理不尽な境遇に陥っているであろうグラーノ様を見ていると、無性に泣きたい気持ちになってきました。


 勝手に誰の姿と重ねているのか、はじめて出会ったときの痩せ細った小さな体が、幸福に満たされていけばと精いっぱい家族としての愛情を注いできて、どうして、それを思い出してこんなにも胸が締め付けられるのでしょう。


(……ファウストに、邪険にしてもらえるような姉になりたかったのではなくて?)


 きっと、それがカタチは違えども叶ったはずですのに、思い描いていた家族としての揺るぎない関係を築けたはずですのに、そうやって過ごしてきた幸せな記憶とともに、あの瞬間、エンディミオン殿下とのことを応援するだろうとお兄さまに同意を求められた時のファウストの少しの言葉とわずかな挙動を思い出して、こんなにも心が引き裂かれている……。


(また、不毛なことを考えておりますわね)


 わたくしは、あの日から繰り返し繰り返し不意に湧き上がるこのどうにもできない苦しさを、その度に形がわからなくなるように丸めてもう出てこないように胸の奥の奥に押し込めております。


(考えないようにすることは得意ですもの……。

 大丈夫、大丈夫……)

 

 グラーノ様の境遇に思いを馳せていたはずが、自分のことばかり考えてしまっていたことを自戒して、仲良くじゃれ合っているグラーノ様とオリオン殿下に意識を戻すと、不意にグラーノ様と目が合ってしまいました。

 楽しいお茶会のはずですのに、まったく別のことに心を囚われていたことに気がつかれてはいけないと取り繕うとしたわたくしのことはお構いなしに、ぱちくりと瞬いた丸い目が、それからすぐに嬉しそうに煌めきました。

 何かとてつもなくイイモノを見つけた、と言わんばかりに破顔して、そのお顔を遠慮なくずいっとわたくしに近づけてきます。


「ルクレツィア嬢の瞳は、我とお揃いなのだな!」


 そう言って見開いたグラーノ様の瞳を見返すと、確かにわたくしとおなじ真っ青で深いサファイア・ブルー。


「まあ、本当ですわね」


 唐突な、思いもかけない言葉でしたが、わたくしを引き込むようなその強引さに救われたのは確かです。

 わたくしとアンジェロお兄さまの、お母さま譲りの青い瞳に、グラーノ様の瞳も負けない美しさで輝いております。


「この夏空のような瞳の色を我はとても気に入っていてな!

 ルクレツィア嬢とお揃いなら、なおさら悪い気はしない。

 うむ!我はとても良い気分だ!」




 ────そう言ってキラキラと輝いていた瞳がある時虚ろに変わってしまう理由。

 それを知れたのは、わたくしの体を免れえない影が蝕んでいたから。

 ひっそりと、わたくしの知らないところで育っていたその影が現れたとき、グラーノ様のサファイアの瞳は何を思い出したのでしょう。



 あっという間に予定していた時間が過ぎ去り、グラーノ様とオリオン様との楽しいお茶会を終えようと、お別れのために席を立った瞬間。

 わたくしの胸の奥から、何かが突き破って出てくるような凄絶な痛みが駆け上がってきました。




「…………っ、ッ!!」




 言葉にならない呻きとともに鉄の味が食道を焼くように込み上げ、咽せるように吐き出した手の平を赤黒い染みが汚したのを見たのが最後。

 あまりの痛みに、わたくしはそのまま意識を失ってしまいました────。

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