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 お昼になると、言葉通りお兄さまがお迎えにいらして、ベアトリーチェ様たちとお茶会を開いた温室のテラスへわたくしとセーラ様、スカーレット様をエスコートしてくださいました。

 その際、とても同行したそうな殿下をお兄さまは視線だけで制したようにも見えました。

 

(お兄さまのほうが臣下のはずですのに)


 ご主人様に叱られた犬のような殿下のお顔が少しだけ可笑しくて、去り際に微笑みながら会釈して行ったら、殿下は表情を一変させて、多幸感に溢れ、眩しいものを見る目でわたくしたちを見送ってくださいました。

 相変わらず笑顔ひとつでちょろ……いえ、素直な反応をなさる殿下に、安売りしてはいけませんでしたわね。

 病み上がりのせいかいろいろとガードが緩くなってしまっているようですわ。気を引き締めませんと。


 

 さて、お兄さまとベアトリーチェ様を中心としたランチ会は和やかに終わろうとしておりました。

 女性五人に対し男性はお兄さま一人という比率は、お兄さまだからこそ違和感なく成立させてしまえる構図です。

 まるでハーレムの主人のようでありながら、傍らのお姉さまを「最愛」として会話の中心にして立て、決していやらしくしないのは最早特殊能力。


(お兄さまというか、ガラッシア家の男性に許された能力?さすがですわ!)


 お父さまとお母さまの在り様がそのままお兄さまとベアトリーチェ様に継承されていて、ヒロインのセーラ様がいらっしゃっても何の不安も感じません。

 ランチの間に少しお伺いしたら、セーラ様の気になっていた先輩というのがサッカー部の爽やかスポーツタイプということでしから、お兄さまへの興味は「わたくしの兄である」という一点に尽きるよう。

 そもそも婚約者がいる時点でありえないという、ひどく常識的な感覚をセーラ様はお持ちで、完全に「貴公子タイプ公爵令息ルート」のフラグは消失。

 お兄さまをクソヤローにしないといういうミッションはすでに完遂されたと言ってもよろしいですわよね?

 ようやくひとつ懸念事項が片付いたことに胸を撫でおろしてランチを終えようとしていると、静かな足取りで温室を抜けてきた人影が、物言わぬままテラスの入り口に佇んでいるのに全員が気が付きました。


「ファウスト、ようやく来たのかい」


 お兄さまがまず声をかけ、どうやらファウストもこのランチに招かれていたことがわかりました。

 ランチの間には何も仰ってはおりませんでしたが、時間になってもなかなか現れないファウストにわたくしが気を揉んでしまうとお考えだったのでしょう。

 確かにファウストが来るとわかっていたら、わたくしこんなにランチを楽しめたかどうかわかりません。

 気もそぞろでまた食の進まないことになってしまっていたでしょうから、お兄さまの判断は正しいですわね。

 もちろん、そう判断した理由に決定的な違いはありますけれど。


「……遅くなりました」


 急なファウストの登場に不整脈を起こしかけておりましたが、ひどく疲れているようなその様子にわたくしは首を傾げます。

 

「珍しいね、ファウストが遅刻するなんて」


 研究に没頭して時間の感覚がマヒしていようと、あらかじめ決まっている約束であれば遅れたり忘れたりすることのないのがファウストです。


「申し訳ありません。……その、……急に来客があったものですから」


 歯切れ悪く、まるで取ってつけた言い訳を言い足して、ファウストは居心地が悪そうにしております。

 なぜか、わたくしを見ようにも躊躇うように視線をずらし、結局お兄さまばかり見ております。


(この間は意地でも見ようとしていましたのに)


 悪戯気だったあの夜を思い出して急に頬が赤らむような気がしましたけれど、気合で抑えました。

 ここには大勢いるのですもの、迂闊な態度はとれません!

 けれどもあれから三日も空けないうちに、あまりの態度の変わりよう、わたくし何かしてしまったかしらと妙に不安が沸き起こります。


「来客?それも珍しいね」

「えぇ、まぁ……」


 お兄さまの問いに、わたくしから視線を逸らしたままファウストは曖昧に頷きました。

 ファウストを急に訪う人物なんて、とても限られております。

 ジョバンニ様はランチには一緒にいらっしゃいませんでしたけれど、ジョバンニ様はファウストと一緒に研究を進めているはずですし、ピオとロッコ、商会や公爵家の身内に来客とは使いません。

 であれば政に関わる何某かもしれませんけれど、そうではなさそう、というのはただの直感です。


「どなたでしたの?」


 どうしてか、訊かずにはおれませんでした。

 わたくしからの問いかけに、ファウストの表情が一瞬揺らいだのは気のせいではございません。

 ファウストの表情検定一級ですもの、例えそれが一ミリにも満たない誤差の範囲だとしてもわたくにしはわかりますわ。


「その、……」


 困った様子で答えかねているファウストの様子に、お兄さまも首を傾げます。


「言い難い相手だったのかい?」


 お兄さまは好奇心で聞いているようですが、お姉さまたちがいるせいで答えにくいなら場所を改めるし、わたくしたちにも隠し立てしなければいけないような相手ならこれ以上は訊かない、という意思がその表情からは読み取れます。


「そういうわけでは」


 予想に反して、ファウストはお兄さまの質問には淡々と首を振り、言い難いというより、「なぜ?」という困惑のほうが大きい様子で訪問者が誰だったのかを教えてくれました。


「サジッタリオ家のご令嬢がいらっしゃいました」


(…………っ)


 一瞬、立ち眩みがしたような気がしましたけれど、それもなんとか気合で乗り越えました。


(クラリーチェ様では、ありませんわね……)


 面識のあるクラリーチェ様の訪問でしたら、理由がわかればファウストもこれほど困惑はしないでしょう。

 今年八歳になられるという、クラリーチェ様の姪にあたるご令嬢は何という名前でしたかしら、あまり耳に入れたい話題ではなさ過ぎて、記憶に残っておりません。

 わたくしからはまだ何もファウストには伝えておりませんし、お兄さまも同じと思っておりましたけれど。

 お兄さまの様子を窺うと、お兄さまも少し驚いているようでした。


「クラリーチェ様が?」


 スカーレット様が不思議そうに尋ね、ファウストはこれにも首を振りました。


(やっぱり……。

 なぜ?どうして?お見合いの話はまだ先だったのでは?)


 わたくしは出かかった言葉を飲み込み、お兄さまが何か仰ってくださるのを待っておりましたら、

 

「あぁ、ビビアナ様ですわね。

 今度ご婚約なさるのでしょう?」


 とんでもない一言を放ったのはマリレーナ様でした。


「ええ!?そうなの!!?」


 セーラ様が驚きの声をあげ、一瞬わたくしを見たようでした。

 わたくしは表情が強張らないよう細心の注意を払っておりましたけれど、どこまで成功していましたかしら?


「……婚約?」


 唐突なマリレーナ様の言葉に、何の話かわからないとファウストの視線はお兄さま、それからわたくしへと向かい、今日はじめて視線が合ったかもしれません。


「あら?……まだご存知ではなかったのかしら?」


 ファウストとわたくしたち兄妹の様子に、マリレーナ様は言ってはいけないことだったのかしらと口を押さえますが、口から出た言葉はもう取り消せません。

 そうしてわたくしもお兄さまもまさかマリレーナ様が知っていると思ってもおりませんでしたから、驚きに対応を間違えてしまいました。

 交易を主軸に商いを手広く営んでいるペイシ家の情報網が、今回の件では上手だったということでしょう。

 すでに決定事項のように話が広まっていることに少なくない衝撃を受けているうちに、ファウストはマリレーナ様の言葉が事実であることを悟ったようです。


「……どうりで、不思議なことを仰っているとは思いました」


 いつもの無表情からさらに表情を失くし、ファウストは嘆息するように呟きました。


「突然いらっしゃって、私が恋を語るに相応しいか見定めるというようなことを仰り、好きな食べ物や何が趣味か、どんな魔法が使えてどんな家庭を築きたいか、たくさん質問をされました。

 私はご令嬢を楽しませるような会話が不得手ですから、ほとんどジョバンニが質問に答え、兄上との約束がありましたからあとを任せてこちらへ来ましたが、そういうことだったのですね」


 怒っているのか、納得しているのか、それもわからないほど淡々とビビアナ様の様子を報告してくれました。

 そのお話から察するに、ご自身のお見合いの話を聞きつけ、自ら相手の品定めにいらっしゃったのでしょうか。

 さすがサジッタリオ家というのか、八歳といえど行動力は並みのご令嬢ではないようです。


「まだ本決まりというわけではないんだよ。

 そういう話が出ているというだけで、ファウストにどう話そうかとティアと相談している段階だったんだ」


 ファウストの様子にお兄さまも困ったように説明をしましたけれど、ファウストの表情はさらに硬くなりました。


「……姉上もこの話を一緒に進めておられたのですか」


 小さな囁きは、まるでそのことにいちばん傷ついているかのように聞こえたのはわたくしだけ?

 表情も、声も、わたくしだけが察せる範囲でしか動かないファウストに、急な話で驚いているだけと皆さまは受け取ったようです。


「さすがはサジッタリオ家ですわね。

 八歳で単身お見合い相手に会いに行かれるなんて、ファウスト様もさぞ驚かれましたでしょう?」


 呆れるようにスカーレット様が仰り、ベアトリーチェお姉さまが後を引き継ぎました。


「まだ公爵家でもお決まりではないということでしたら、(わたくし)たちが伺っていてもいいお話ではありませんわね。

 アンジェロ様、(わたくし)たちは席を外しますから、どうぞゆっくりしていらしてくださいませ」


 さすがの引き際で、ベアトリーチェ様がセーラ様たちを伴ってテラスから出ていかれました。

 兄妹でよく話すように、という心遣いなのでしょうけれど、人数が減った分、わたくしの居た堪れなさは倍増しております。

 何をどう説明しようと、ファウストはいつものように淡々と受け入れてしまいそうで、わたくしがこの話を避けたい気持ちは置き去りにされ、婚約の話は流れるように進んでしまいそうです。


(止める権利は、わたくしにはなくて……。

 ファウストが今どう思っているのか、なぜだか今は何もわからなくて、こんな形で婚約の話が出てしまって怒っているのか、何も感じていないのか、何もわかりませんわ……)


 心を閉じてしまったように、ファウストの心情がひとつも読み取れません。

 わたくしが知りたくなくて無意識に読み取れないつもりになっているのか、それもわかりません。


「もう少し落ち着いてからファウストに考えてもらうつもりでいたんだよ。

 今週末にはすぐにビランチャ領だし、お見合いする時間も作れそうにないだろう?

 まさかご令嬢本人が突撃してくるとは私もティアも、父上だって想定外だ」


 知ってしまったからには説明するけど、と前置きして、お兄さまが今回の婚約話が出た経緯をファウストに聞かせました。


 結局はサジッタリオ領で星を得たことに起因すると言われてしまえば、ファウストに考える余地はないように思います。


「無理にそうしろとは、父上も私も思ってはいないよ。

 ファウストの気持ちを優先したいからね。

 ただ、事情が特殊だから、ファウストに話すにしても慎重を期していたわけなんだけど、マリレーナ嬢に先を越されるとは……」


 素直に自分たちの失態であるとお兄さまはファウストに頭を下げましたが、ファウストは表情を変えないままそれを止めました。


「もとは私の迂闊さが原因ですから、兄上が謝られることではありません。

 かえって煩わせてしまい、申し訳ありません」


 読み取れない表情のまま、お兄さまより深く頭を下げます。


「うーん、そう言うと思ったからティアに先に本音を訊いてもらおうと思ってたんだけどなぁ」


 段取りがすべて台無しになって、お兄さまは参ったというように天を仰いでしまいました。


 話を振られたわたくしは……、わたくしは……。


「…………」


 かける言葉は、決まっております。

 姉として、ファウストに真剣に考えてもらうことを促すだけ。

 それがなかなか口を出たがらなくて、わたくしはほかの言葉を探しました。

 頭を下げたままのファウストに弱りきって考える素振りをしながら、どうしたらこの言葉を言わないで済むのか往生際悪く考えて、……けれど思考は空転するだけ、なんの答えも出ませんでした。


「ファウスト……」


 意を決し、それでも震えて弱った声で呼びかけると、頭を上げないままファウストの肩がピクリと揺れました。

 わたくしに何を言われるのか恐れているような、そんな気がしたのは一瞬のこと。


「姉上」


 急に体を起こしたファウストは、わたくしが何かを言うのを遮るように強くわたくしに呼びかけました。


「姉上がエンディミオン殿下を選ばれたから、僕にも婚約を勧めるのですか」


(え……?)


 思いもかけない問いかけに、わたくしは何を言われたのか咄嗟には理解が追いつきませんでした。


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