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いろいろと考えすぎて、知恵熱を出してしまいましたわ!
……いえこれほど元気よくお知らせすることではありませんわね。
身体のほうはまったく元気とは言い難く、お兄さまたちがお帰りになる前日から寝込んでしまいましたので、お出迎えすることも適いませんでした。
お兄さまがお帰りになった日はファウストも一時的に本邸に帰っており、本当はひさびさに家族水入らずで夕食をとるはずが、わたくしは部屋に引きこもり。
お兄さまとファウストは顔を見にいらしてくださいましたけれど、わたくし熱で朦朧としておりましたのですぐに退室されていきました。
ファウストを前に取り乱すことは避けられましたけれど、良かったことはそのくらい。
お兄さまがお帰りなったということは、きっとファウストの婚約についてお話しが進められたのでしょうし、そのことを考えると胸苦しさと自己嫌悪で余計に具合が悪くなり、わたくしの体調はまったく良くなりません。
幼い頃から特別に健康体というわけでもなく、風邪などで熱を出したことはもちろんありますけれど、これほど長く熱が引かないことははじめてですわ。
最近はとくに食が進まず、体力も落ちておりましたから、そのせいで熱による消耗が激しく、寝台から動くのも一苦労なのです。
何か口に入れようとしても相変わらず受け付けずに胃が痛くなりますから、これはもう、ストレス性の胃炎なのでは?
前世の記憶にある現代病というやつですわね。
これほど甘やかされて日々穏やかに過ごさせていただいておりますのにストレスというのもワガママな気がいたしますけれど、5歳から前世の記憶を持って、破滅回避に奔走しておりましたから、それもあり得ることと、身体を休めることに専念する他ありません。
熱を下げるのは薬湯でどうにか対処できますが、薬を飲むたびに胃が痛むので、時おりお母さまが治癒の力を使って鎮めてくださいます。
ヴィジネー家の治癒の力は病は治せませんけれど、一族でもとりわけ力の強いお母さまですから、痛みを柔らげることができるのは本当に幸いです。
そういえば、ヴィジネー家にもリオーネ家のラガロ様のような、「星持ち」が生まれることがあるそうです。
特別な治癒の力でどんな病も癒せる「スピカ」という星の力を使えるというお話でしたけれど、もしそんな存在がいたらそれこそ聖女や聖人と崇められそうですわね。
(スピカ……前世の世界にもそんな星がありましたかしら……。もしかしてエリサ様が元の世界の知識で名前を付けられたのでしょうか……)
ぼんやりとした頭で、とりとめもないことを考えます。
熱に浮かされた思考力では大したことも思いつきませんけれど、こちらの世界で生まれ育った記憶がふわふわと浮かんできます。
(そう、お母さまが、ヴィジネー家に伝わるスピカのお伽噺をしてくださったんだわ……。
いるかいないかもわからない伝説のスピカ……お母さまも、お話しにしか聞いたことがないって……)
近年のヴィジネー家では飛び抜けて力の強いお母さまでもスピカではないということですから、本当にどんな病も癒せる力があったとしたら、きっとその力の取り合いで大変なことになりますわね。
(あぁ、だからヴィジネー家でも限られた方しか詳細を知らないと……)
今の体調の悪さをどうにかしてほしいあまり、そんなことを思い出しておりました。
早く元気になって学園に行きたいのに、それから十日ほど、わたくしは寝台から動くことができませんでした。
*
「本当に来週から学園に行かれるんですか?」
この三日、どうにか微熱にまで落ち着いてきたので、お母さまのお力を借りつつ消化によく栄養価のあるものを食べて体力回復に努めてきました。
さすがに十日も学園をお休みしていては、あちこちから心配のお手紙とお見舞いの品が引きも切りません。
お忙しいでしょうに、セーラ様や殿下、スカーレット様たちからの心のこもった品々を見ていると、早く学園に戻らなくてはと気持ちが逸ります。
「もう熱はだいぶ下がりましたもの、大丈夫ですわ」
心配そうなドンナに力強く頷いて見せますが、表情は晴れないまま。
「無理をなさっていないか、ドンナは心配です。
旦那様も奥様も、あまり賛成なさってはいないと思いますよ」
わたくしがもう大丈夫と言い張ったのでお父さまも許可を出してくださいましたが、このままだと一生学園に戻れそうにないので、元気になったとアピールする必要がございました。
「来月にはすぐに学園の定期考査がありますし、それが終われば夏季休暇になるのですから、今のうちに取り戻しておきたいの」
「そうは仰いますが、体を労わることも必要です」
「学園でお友だちに会えれば、ますます元気になるだけですわ」
決して折れないわたくしに、ドンナは諦めの溜息をつきました。
「調子が悪そうなら抱えてでもすぐに連れて帰ってくるようにと旦那様がイザイアに強くお命じになってましたから、そうはならないことをお祈りしております」
確かに、公衆の面前でイザイアに抱っこされながらの強制送還劇にでもなったら末代までの恥になりますわね。
「本当に無理はしていないの。
明日と明後日、ゆっくり休んでいれば元通りに学園に通えますわ」
「そうだと良いのですけれど、結局何が原因で体調を崩されたのかもはっきりしませんでしたから、くれぐれも、過信なさいませんように」
過保護な侍女に、よくよく言い含められてしまいました。
(ファウストの婚約のことで知恵熱を出したなんて、口が裂けても言えませんわ)
こっそりと胸に仕舞っている気持ちはいまだにそこで燻り続けておりますが、長年仕えてくれて信頼している侍女にも打ち明けることができませんでした。
セーラ様やベアトリーチェ様たちは察していらっしゃったようですけれど、あの年頃の少女たちだけのお茶会でのノリというか、セーラ様たちの言葉でわたくしがこれほど思い悩んでしまうとは思ってもいないでしょう。
何かのキッカケになれば、というおつもりではあったのでしょうが、思いがけず根深いところに棘が刺さって、わたくしはその棘を抜くのに手間取り傷が広がっているような状態です。
イザイアだけが正確に状況を把握しているのでしょうけれど、あれ以来、影に徹して口を出しては来ないので、わたくしが答えを出すのを見守っているのですわね……。
「ではお嬢様、何かございましたらすぐにお声をかけてくださいませ」
「ええ、おやすみなさい、ドンナ」
わたくしの寝支度を整えて、ドンナが下がっていきました。
しばらくはわたくしの看病でつきっきりでしたから、今日からはゆっくりと休ませてあげたいですわね。
(もう熱はないし、寝台から起き上がっていても苦しくならない。
明日は庭をお散歩してみようかしら)
銀扇草の見頃がそろそろ終わってしまいそうですし、少し疲れたらテラスでお茶をするのがいいかもしれませんわ。
八年前、ルナリアの見える応接間で、来たるお茶会ではじめて会うことになる王子殿下のお話をベアトリーチェ様としてからもうずいぶんと経ちます。
花開いたばかりの恋心を胸に輝かんばかりのベアトリーチェお姉さまと、いかに王子殿下との婚約を避けるかに必死だったわたくし。
そのお姉さまは、アンジェロお兄さまとの結婚式の準備で日々お忙しくしていて、わたくしは思ってもみなかった相手へ発芽しかけている想いに知恵熱を出してしまう有様。
(お姉さまのように恋ができればよかったのですけれど)
素直に、屈託なく、心のままに恋ができればきっと幸せなことですわね。
ルナリアの花言葉のひとつに、「正直」があるそうです。
ドンナが教えてくれたのは、「はかない美しさ」や「魅惑」といった言葉がわたくしのようだ、ということでしたけれど。
(心に正直になるということは、どういうことなのでしょう)
熱の引いた頭で考えはじめても、絡まった糸のように思考は行っては戻り、答えは見出せないまま。
考えれば考えるほどわからなくなって、ふと、王子殿下のことを思い出しました。
(わたくしの知る中で、こちらが困るほど真っ直ぐに素直で正直な心を見せてくださる方ですわね)
この行き詰まってしまった心に何か参考にはならないかと、これまで王子殿下にいただいたお手紙を読み返すべく、寝台から起き出して仕舞っておいた箱を机の引き出しから取り出しました。
さすがに王子殿下にいただいたものを他といっしょにするわけにもいきませんから、きちんと選り分けて大切に保管しておりました。
破滅回避のため、将来的に王子殿下に断罪されそうになったときの何か反撃の足しにしようと思っていたわけではありませんのよ。
(わたくしへの恋文を、別な誰かへの恋心の参考にするのはさすがに気が引けますわね……)
もしかしてわたくしには人の心がないのかしらと自嘲が込み上げますが、藁にもすがる思いとはこういうことなのでしょう。
椅子に腰掛け、最近のお見舞いの手紙から読み進めようと便箋を開いたところ、控えめに部屋の扉をノックする音が聞こえました。
(?)
普通なら侍女がノックとともに声をかけてくれるのですけれど、待ってみても扉の向こうは無言。
聞き違いかしらと首を傾げると、また、微かに扉を叩く音が。
家の中で不審者も考えられませんし、誰何しようかと声を返そうとした間際、
「…………姉上」
わたくしをそう呼ぶ唯一の存在の声が、遠慮がちに扉の向こうから聞こえてきました。




