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 侍女からお父さまがお帰りになったようだと伝えられると、わたくしは玄関ホールまで駆け出しました。


「おかえりなさいませっ、お父さま!」


 馬車が帰ったらすぐに知らせてとお願いしていたとおり、ラファエロお父さまは執事に外套のマントを預けているところで、駆けてきた勢いのまま、わたくしはお父さまに飛びつきました。


「やぁっ、ティア、ずいぶん熱烈なお出迎えだね」


 驚いてみせるお父さまですが、7歳の女児ひとりに飛びつかれたくらいでは揺らぎません。

 しっかりと抱きとめて、さらには腕に座れるような形で抱きあげてくれました。

 首に腕を回して、近くなったその頬にお帰りなさいのキスをすると、相好をくずしてお父さまも返してくださいます。

 

 その笑顔の甘さと言ったらなく、お父さま、本当に、もう永遠に見ていられるほどお顔が良いですわ!!


 お父さまの異名、ガラッシアの月の貴公子なんてちょっぴり恥ずかしいほどかと思われるかもしれませんが、何ひとつ言い過ぎてはおりませんのよ。

 嬉しそうに頬ずりをしてくる父の、月光のようなプラチナブロンドが、柔らかくわたくしの頬をくすぐります。

 この髪は、朝日を反射して煌めくサダリ湖の水面のような黄金色のお母さまとは違って、わたくしもアンジェロもお父さま譲りです。

 そして瞳は、たくさんの星が瞬く夜空を映し込んだような宙色、光によっては紫がかって見えますから、血のつながりのないファウストとともそこだけ似通っております。

 男性に使う形容とも思えませんが、精巧な人形のような肌は陶器のようですらあり、この世界にはお髭という概念がないのではと思うほど。

 おそらく表情をなくしてしまえばとてつもなく怜悧で、人類みなその腕に抱いて囲う夜のような清艶とした美貌でしょうに、わたくしに見せるお顔はとにかく甘く、蜂蜜色の満月を思い起こさせます。

 そうしてこんなとんでもない容貌を持ちながら、どうしてこんなふうに育てるのかと思わざるを得ない純心さも持ち合わせているのですから驚きです。

 もちろん、筆頭公爵家の当主たり得る資質と品格を、その役割を全うする責任感と、一筋縄では行かない貴族たちを制する立ち回りを自然とこなす圧倒的な存在感とを持っておりますのに、ファウストを引き取った経緯からもわかるように、お人好しで情の深いところがお父さまの本質なのです。

 この世のすべての女性を魅了してやまないお顔でしょうに、学生時代は初恋のお母さまひとりを想い続けて、その他大勢から向けられる自分への好意には気づいてもいなかったと、以前ご友人の伯爵様がいらっしゃった折りに話していたのを、お父さまに抱かれて寝たふりをしながら聞いておりました。

 ジリジリと進まない両片思いの純愛を成就させるべく伯爵様がご活躍なさったとかで、結果、アンジェロお兄さまとわたくしが生まれたのですから感謝しなければなりませんわね。


 こんな奇跡のような両親を持って生まれたのですもの。

 わたくしだって今世は謳歌したいです。


(やはりお友だちと、素敵な恋は必須ですわ!)


 恋人がお父さまのような方ならなお理想です!


 わたくしが7歳の幼女で、血を分つ愛娘だというルクレツィアとしての確固たる認識がなければ、この顔に頬ずりをされて正気なんて保てませんわ。

 殺伐とした三十路女の記憶からくる羞恥は、天真爛漫な愛され幼女のフリを全力でしている時点でかなぐり捨てております。


 けれど前世の記憶本来の趣味嗜好が訴えるのは、お父さまはかなり理想的だということ。

 地位も名誉も権力もあって、類稀なほどの美貌な上に人格者。

 歩くお伽噺ですわね。

 それでも今世のわたくしにはぴったりの条件でもあります。


「わたくしもお父さまと結婚できたらいいのに」


 首に抱きついたまま、思わず声に出して呟いてしまいました。


(……は!

「大きくなったらパパのお嫁さんになるの」はもっと効果的なタイミングで使うはずでしたのに!)


 わたくしは自分の過ちにすぐに気がつきました。

 ベアトリーチェ様のことをお願いするはずで急いで来ましたのに、言うタイミングをはずしているのはもちろんのこと、言い方もすでに諦めている風ではありませんの。

 まして自分から結婚の話題を振るだなんて!


 案の定お父さまは、わたくしの言葉に美しい眉を悲しそうにハの字に歪めています。


「どうしたんだい、ティア?

 前はお父さまと結婚すると言ってくれていたじゃないか」


 あら?あらあら?

 もしかして「大きくなったらパパのお嫁さんになる」はわたくしすでに言っておりましたの?

 それこそ前世の記憶を思い出す前、ルクレツィアが幼すぎて記憶にも残っていない時期ですわね?

 これは、ピンチはチャンス、ではなくて?!


「だってお父さま、お兄さまはベアトリーチェ様と婚約なさったでしょう?そうしたらティアもどこかへお嫁に行かされてしまうのではなくて?」


 至極当たり前のことを、この世の終わりのような顔で訴えました。

 お父さま以外と結婚なんてあり得ないと言う体です。


(お父さまにはやり過ぎなくらいがちょうどいいですわね。

 何せちょっと天然さんですもの。ハッキリ伝えておくのがベストですわ)


「わたくし、お父さまのような方でなければイヤです。

 お嫁に行って、お父さまと離れ離れに暮らさなければいけないと考えるだけで悲しくなりますのに……」


 目に涙を溜めるくらいは、公爵令嬢の嗜みですわね!


 さめざめと悲しみにくれる愛娘に、お父さまのわたくしを抱きしめる手の力が強くなりました。


「こんなに可愛いティアをどこかにやってしまうわけがないだろう!」


 玄関ホールでヒシっと抱き合う美しい親子です。

 周りを囲む執事や侍女は微笑ましそうに見守っておりますが、俯瞰で見ている三十路女が、ツッコミ不在を嘆いております。


 ですがこれくらい言っておけば、余程の縁談でもないかぎり、お父さまは受け付けなくなるかもしれませんわね。

 それこそ王族からの打診でもないかぎり、婚約者を見極めるお父さまの目は相当厳しいものになるはず。

 その王族との婚約をいちばん避けたいのですが、わたくしがイヤがるものを無理に押し進めることはしないくらいには、手放しがたく思っていただかないと。


「父上、おかえりなさ……い、ませ」


 ようやく、ファウストを連れて遅れてやってきたツッコミ、もといアンジェロお兄さまの登場です。

 ちょっとだけ異様な光景に(それが正しい感性のように思いますわ)戸惑いながら、最後まで言い切ったのはさすがお兄さまが優秀だからですわ。


「ただいま、二人とも」


 わたくしを抱く力を緩めることなく、お父さまがアンジェロとファウストにも絶世の笑顔を向けます。

 愛情深いその笑顔を間近で見る破壊力……やっぱりお父さまがいちばん素敵です!


 娘という立場を遺憾なく発揮してぎゅうっと抱きついておりますと、もの問いたげなアンジェロの視線に気がつきました。


「ティア、もう父上にはお願いしたのかい?」

「??」

 

 さて、なんの話でしたかしら??

 首を傾げるわたくしに、お父さまもいっしょに首を傾げます。

 そんな仕草だって、絵に描いてずうっと見ておきたいくらい魅力的なんです。

 

 お父さまの顔をじっと見つめ、パチパチと目を瞬いておりますと、アンジェロは父とも母ともよく似た、愛にあふれた美しい苦笑を見せました。

 ファウストも不思議そうな顔でこちらを見上げていて、まあるく幼い瞳がまた小動物のようで、とにかく可愛らしい。

 顔面偏差値がこの世界でいちばん高い空間。

 それがガラッシア公爵家なのは間違いありません。


「父上、ベアトリーチェ嬢を、また我が家にご招待したいのですが」


 お父さまのお顔が良すぎるせいですっかり頭から抜けてしまっていた「お願いごと」を、アンジェロの言葉でようやく思い出しました。


「そうでしたわ!ベアトリーチェお姉さまとわたくしもっとお話しがしたいって、お父さまにお願いをしたくて待っていましたの!」

「なるほど、おねだりのための歓迎ぶりだったわけだね」

「でもお父さまのお顔を見たら、すっかり忘れてしまいましたわ」


 お父さまが残念そうに眉尻を下げるものですから、わたくしは慌てて弁解いたしました。


「あれだけ父上の帰りを待ちわびて飛び出して行ったのに、どうして忘れられるんだい?」


 今度はアンジェロにはっきりと呆れられてしまいました。

 さんざん拗ねてお兄さまを振り回していた自覚はありますから、そう思われても当然とは思いますが、幼い子供が支離滅裂なんてことは往々にしてありますわよね?

 本当は三十路女が常に頭をフル回転させながら幼女のフリまでしているせいで言動が突飛になりがちなのですけど、それは誰も知り得ぬこと。

 子供の気ままさで貫かせていただきます!


「だって、お父さま以外の方と結婚しなくてはいけないのかしらと思ったら悲しくって……」

 

 わたくしが再び悲しげな顔をすると、お父さまも、そしてつられてファウストまで悲しそうな顔になりました。

 素直で共感性の高い家族です。


「ティアは娘なのだから、そもそも父上とは結婚できないだろう?」

「そうですけど!そうなのですけど!」


 お兄さまはこういう時にひどく常識的で困ります!

 ファウストのほうが余程本当の血縁のようですわ。

 たしなめるというよりは不思議なことを言う妹にモノの道理を説いているという風ですけれど、今はそういう話をしているのではないのです!


「お兄さまのそういうところ、気をつけませんとベアトリーチェお姉さまに嫌われますわよっ」


 思えばお兄さまは周囲から好かれて当然の環境でここまで育ってきておりますわね。

 このままでは自分が周りに愛されていることを疑わない頭のゆるふわな残念な方になってしまうかも。

 もちろん残念系の攻略キャラクターが売りの乙女ゲームも大好きでしたけれど、そんなのが許されるのは二次元まで。

 それが身内にいるなんてとんでもないことですわ。

 まして残念なだけに止まらず、愛されている自身の言動はすべて正しいと信じてそれを振りかざし、それによって他人に嫌われることがあるということにも考えが及ばない人間になってしまっては取り返しがつきません。

 ここは釘を刺しておいて、行く道を正しておく必要がありますわね。


「わたくし、本当に心配になって参りました。

 お兄さまがベアトリーチェお姉さまに嫌われて、わたくしたちのお姉さまになっていただけなかったらどうしましょう!」

「どうして僕が婚約者に嫌われる話になるのっ」


 深刻そうに言うとお兄さまは思ったより動揺したようで、いつも気を遣っているはずの言葉遣いが素に戻っております。


「婚約者だから好きになってもらえると思っていたら大間違いですのよ。お兄さまは乙女心をちっともご存じないようですから、今からベアトリーチェお姉さまに嫌われないようお勉強したらよろしいのですわ」


 その顔で成長すればもちろんさぞかしおモテになるでしょうけど、顔に釣られるのではない方に愛していただけるよう努力はするべきですわね。

 そんなことはまだ言っては差し上げられませんが、アンジェロは突然矢で射抜かれたような釈然としない顔をしたまま、「おとめごころ……?」と口の中でつぶやいておりました。


「ティアも乙女心を語るようになってしまったんだね……。でもまだお父さまのティアでいてくれるかい?」

「もちろん、ティアはいつまでもお父さまのティアでいますわ」


 娘の成長を喜ぶのと、手放す日がほんのわずか近付いた些細な気配を敏感に察して複雑な思いでいるお父さまの心境に、わたくしは全力で後者に訴えかけました。


「さあ、そろそろお母さまにただいまのあいさつをしに行かせてくれるかい」


 離れがたい抱擁のまま、わたくしの素直な返事に安堵したお父さまは、そろそろ待っているお母さまのことも気になり出したよう。

 わたくしを抱き上げたまま歩き出したお父さまに続いて、お兄さまがファウストの手を引いて歩き出そうとすると、


「……ベアトリーチェさまは、いついらっしゃるの?」


 これ以上ない素朴な質問がファウストから発せられました。

 何のためにそろって玄関ホールまで来たのか、結局忘れ去られそうな気配を察しましたのね。さすがは天才枠の攻略キャラクター、というところかしら。


「ああ、ベアトリーチェ嬢をまた招待したいという話だったね。

 エレオノーラとも相談しないと」


 お父さまがファウストの頭を優しく撫でると、ファウストは猫が喉を鳴らす時のような顔をします。

 順調に家族の一員らしくなってきておりますわ。


「お母さまにももうお願いしておりますのよ」

「なるほど、ではなおさらエレオノーラに話を聞かないと」



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