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 ほのかな間接照明だけのバルコニーは、煌々と照らされている夜会の会場内とは正反対の静けさです。

 目がまだ夜闇に慣れないうちに、その青年はするりと影から現れるようにわたくしの前にいらっしゃいました。


「今晩は」


 軽やかな声は、夜に優しく響く子守唄のように耳心地のいいもので、わたくしはあまり警戒心も持たずに青年と向き合っておりました。


「ごきげんよう」


 軽く礼をとり、わたくしから名乗るべきかしばし考えてしまいました。

 自国の貴族同士であれば、高位のものから声をかけて相手が名乗ることを許すものですけれど、青年は先に声をかけていらっしゃいました。

 男女の出会いでそんな儀礼は無粋かもしれませんが、名乗らずとも相手はわたくしが誰かを知っていると思うのは、自惚が過ぎるでしょうか。

 ですが今日の夜会の招待客で、ガラッシア公爵家の令嬢を知らないという方はいらっしゃらないと思いますし、わたくしが誰かを知っていて声をかけていらっしゃったのだろうなというのが、なんとなく態度から察せられます。


 立ち姿はとても優雅で、高位の貴族と言われても遜色ないように思うのですが、頭の中の貴族名鑑を紐解いてみてもはじめてお会いする方のはずです。


(だって、こんなに似ていらっしゃる方なら、覚えているはずですもの)


 親しげな微笑み方がどうにもレオナルド様を彷彿とさせるのは、その佇まいに加えて、髪の色のせいか、黒の装いのせいか。

 はっきりと目鼻立ちが似ている、というわけではないのです。

 ただ、なんとなく、雰囲気が似ている。

 そんな気にさせる方でした。


「……わたくしから名乗らせていただいたほうがよろしいのでしょうか?」


 相手が何かを待っているようでしたので、わたくしから切り出してみましたが、


「ガラッシア公爵家のルクレツィア様でございましょう?」


 青年はもちろん知っていると少し可笑しそうに笑みを深めました。


(やっぱりこういう場面であまり格式ばってしまうと、かえって野暮ったくなりますわね)


 前世の小説でたくさんこういうシチュエーションを読みましたわ。

 夜会を抜け出したバルコニーで見目麗しい男女が出会うなんて、王道中の王道ではございませんこと?

 それなの生真面目にマナーについて頭の中で必死に考えているのですもの、わたくしの恋愛音痴ぶりはもうフリではなく天然ですわね。

 そもそも前世を含めて記憶にある恋心はレオナルド様から更新されておりませんから、スマートに振る舞うなんてとてもムリですわ。

 乙女ゲームや小説のシチュエーションを参考に真似ようと、咄嗟に気の利いたセリフも出てきません。


 新たな気づきを得て恥じ入るわたくしに、青年は一歩近づいて正式なボウアンドスクレープを見せてくれました。


「このような素晴らしい夜にルクレツィア様にはじめてお目にかかれましたことを(アステラ)神様に感謝いたします。

 私、フォーリアと申します」

「フォーリア様」


 やはり覚えのない方。

 姿形ではなく、そのお名前もあまりステラフィッサ国では一般的ではなく、家名でもありません。


「もしかして、聖国からのお客さまでいらっしゃいますかしら?」

「ご明察のとおり、つい先日聖国から主人に従いステラフィッサ王国に参りました」


 聖国からお客さまがいらしていることは、お父さまから伺っておりました。

 (アステラ)神様の神託があり、神託どおり巫女様も現れましたので、聖国から使者がやって来ることは避けられない事態だと苦々しげに仰っていたのです。

 そうして確か歓迎の式典も催されたはずですが、お父さまの聖国に対するアレルギー反応が顕著過ぎて、ほんの数分間お父さまだけが顔を出して、お母さまもお兄さまも、もちろんわたくしもファウストも公爵家は欠席しておりました。

 そもそも、式典があったこと自体、わたくしは後で知らされたのですけれど。


「遠路はるばるお越しいただきましたのに、ごあいさつが遅れ申し訳ございません」


 お父さまが聖国嫌いなのは承知しておりますが、こうして顔を合わせてしまったのですから、式典を欠席した失礼はお詫びしなければなりません。

 ガラッシア公爵家はステラフィッサ王国の筆頭貴族ですし、相手がわたくしをご存知ならなおさら、ご気分を害してなければ良いのですけれど。


「いえ、私はルクレツィア様にそのように仰っていただくような身分ではありませんから、どうぞ気になさらないでください。

 本当は、私から声をかけさせていただくのも烏滸がましいことでしたが、偶然にも星の聖霊が手の届くところにいらっしゃった幸運に、その目に触れたいとつい欲が出てしまいました」


 フォーリア様の歌うような美辞麗句は、やはり耳心地がよくてわたくしの中にすんなりと入ってきました。

 そうして困ったような気恥ずかしいようなお顔で見つめられると、ふと、かつて思い描いた初恋の夢が蘇って、甘くて苦しい感傷まで呼び起こされるようでした。


(レオナルド様を重ねてしまうのは、失礼ですわね)


 心の中の揺らぎをどうにか表に出さないよう、さんざん聞き続けてきたお世辞と同じような顔で受け取ると、少しだけ傷ついたお顔をされたような気がしたのはきっとわたくしの思い過ごしでございましょう。


「フォーリア様が従っていらっしゃったというのは、」

「主人は、(アステラ)神様にお仕えする神官を束ねている神官長様の補佐を務めております、副神官長の一人、グラーノ様でございます」


 話題を無理矢理に変えたわたくしに、フォーリア様はいやな顔もせずに答えてくださいました。


「ステラフィッサ国にいらっしゃった使者様の代表ですわね」

「我が主はこちらの国の出身ですから、彼以外に使節の任に適している人材もおりませんでしょう」

「使者様は、ステラフィッサ王国のご出身ですの?」


 それははじめて聞く情報でした。

 お父さまがあまり話題にされないことは、わたくし知らないままのことが多いようですわ。


「はい。

 聖国に入る者は家名を捨てますから、どちらのご出身かまでは訊いたことはないのですが……」


「こら、フォーリア!

 大人しく見張りをしていろと言ったのに、私の話題をダシに公爵家のご令嬢を口説いているとはナニゴトだっ」


 フォーリア様のお話を伺っておりましたら、バルコニーの外から幼い声が割って入って聞こえてきました。


(バルコニーの外?)


 ここはペイシ家のお屋敷の二階ですから、外側から声が聞こえるのは不思議なことです。


 思わず声のほうを向くと、バルコニーにその枝を伸ばすように聳えている樹の上、太い幹に座って怒り顔をしている男の子と、もう一人、男の子の隣で青い顔をしている、よく見知った少年が樹にしがみついているのが目に入りました。


「まぁ、オリオン殿下!」


 エンディミオン殿下の弟、第二王子のオリオン様が、おそらくフォーリア様の主人のグラーノ様と一緒にいらっしゃいました。


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