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人間、驚き過ぎると声が出ないものと聞いておりましたけれど。
「..................」
「...........................」
お互いに顔を見合って、とてもとても長い沈黙。
わたくしも思考が停止しているものですから、こういう場合、どんな言葉をかけるのが正解かしら......?
「............おかえり、なさい?」
ようやく絞りだせた言葉は、わたくしとファウストの間にぽてりと落っこちたような間の抜けた響きとなりました。
「..................ただいま、もどりました」
条件反射よりはだいぶ遅れてファウストが答えてくれましたけれど、何が起こっているのかはわたくしにもファウストにも未だ理解できておりません。
現実感のないふわふわとした状況の中、ようやく時が動き出したような合図をくれたのは、そばに控えていたドンナでした。
「......ふぁ、ふぁ、ファウスト様!!!??」
数日前、王都から遠く離れたサジッタリオ領に旅立ったのを一緒に見送っておりますし、たった今も、教会に入る前から映写機越しに会話をしていたのをすぐ横で聞いておりましたから、ファウストがほんの一瞬でここに現れることができるはずがないという思いはドンナもわたくしと一緒です。
それが瞬きの間に目の前に現れ、理解の追いつかない事態に声を失くしていたのが、ファウストが言葉を発したことにより、幻でもなんでもないと一気に頭が働きだしたのか、とてもすばらしい声量の叫び声でしたわ。
人間、自分より取り乱している人がそばにいると、かえって冷静になることがあるということも聞いておりましたけれど。
「ドンナ、セルジオに言って、王城にいらっしゃるお父さまにご連絡を」
淡々と、今するべきことが口から滑り出てきたのが、自分でも不思議なくらいです。
「でもっ、おじょ、お嬢様、ふぁす、ファウスト様がっ」
ドンナの驚き方がきっと普通なのでしょうけれど、喉元を過ぎてしまえば、この程度の衝撃くらいでしたら、前世の記憶を持った転生者であるわたくしにはなくもない展開と思える範囲の、はず。
「きっと、ファウストが突然いなくなってしまって、あの場にいらっしゃったお兄さまも、 様子をご覧になっていたお父さまも心配していらっしゃるはずですから、まずは、お父さまにお知らせして、そうして帰ってきていただきましょう?」
気持ちを落ち着けるようゆっくりお願いすると、わたくしの優秀な侍女頭は慌てたように何度も頷くと、転がるように部屋を出ていきました。
(ふう......ひとまず、これであとはお父さまが帰ってくれば大抵のことはお任せできるはずですけれど……)
目の前でまだ動揺の底から這い出てこられていない可愛い義弟を、正気付けなくてはいけませんわね。
「ファウスト」
今度はしっかりとした響きで名前を呼んであげることができました。
ピクリと肩を揺らして、ファウストは恐る恐るわたくしに焦点を合わせます。
「どこか怪我はしておりません?具合が悪いですとか、おかしなところは?」
十中八九、星の力を得てあの場所からこちらへ「転移」してきたのでしょうけれど、まだ転移魔法での人の移動が不可能なこの世界で、その第一号になってしまったファウストの体に異変がないかが心配です。
「…………」
首を振って答えてくれたファウストですが、わたくしの心配顔を見て、真っ白になっていた顔色に少しずつ色が戻ってきました。
「それならよかったですわ。
あらためて、おかりなさい、ファウスト」
安心させるようにいつもの笑顔で告げると、力が入っていたような肩がゆっくり弛んでいくのがわかりました。
「あね、うえ」
「はい」
「ここは、あねうえのへやですか」
「そうですわ」
「僕、転移を」
「ええ」
「星の光が、いきなりこちらへ向かってきて」
「あの時、何を考えていたの?」
「……姉上が、早く帰ってきてとおっしゃったので、どうすれば転移魔法で人が移動できるようになるか、その構築について、帰ったら試そうと」
(あの場で?)
とは言わずに心の声で留めておけたのは良い判断でしたわ。
ぽつりぽつりと話し出したファウストの言葉を聞いているうちに確信しました。
(やはりわたくしの所為ですわね……)
その様子から見て、ファウストが自ら望んだことではなく星が勝手にしたこととは言え、わたくしの不用意な発言が原因で、はじめの星の力がファウストに宿ってしまいました。
(これはまずいコトになるのかしら……?)
そのあたりは帰ってきたお父さまの判断に委ねることになりますが、安易に喜ぶことなく、消沈しているファウストの様子を見ても、あまり望ましい事態ではなさそうです。
結果だけ見ると、国益になるかもしれない大きな力を、ほとんど私事で横取りしたような形ですから、お咎めがないとも言い切れません。
「……姉上は、驚かれないのですか?」
自分の身に何が起こったのか整理のつきはじめたらしいファウストが、普段と変わらないどころか、普段よりも冷静になってしまっているわたくしに気がついて、首を傾げて訊いてきました。
「とても驚きましたわ」
「でも、落ち着いていらっしゃいます」
「だって、いつもファウストはわたくしのお願いを叶えてくれますもの、こういうこともあるのかしらと」
「それでご納得されたんですか」
「ええ。
星の神さまのお力の一部に、ファウストの真っ直ぐな気持ちが認めていただけたのだわ、と。それって素晴らしいことではなくて?」
多少強引な理屈ではありますが、わたくしのせいでこうなっていることは間違いがありませんから、ファウストにはあまり落ち込んでほしくはありません。
結果としてわたくしが喜んでいれば、ファウストも気にせずに事態を受け止められるだろうと思いましたけれど、どうかしら?
「……そうで、しょうか」
「そうですわ!
これからその力をどのように使うか、それを考えると楽しみですわね?」
手に入れてしまったものは仕方ありませんし、その経緯についてとやかく考え込むより、どうやって有効利用するべきか考えるほうが断然建設的ですもの。
わたくしの前向きさに釣られて、ファウストの重たかった雰囲気が晴れてきました。
「ファウストにしかその魔法は使えないのかしら?
わたくしも一緒に転移したりできると、いろんなところに行けますわね!
お祖父様のお顔を見にいつでもガラッシア領に帰れますし、それに行ったことのないところにも行けるのかしら?
海の向こうの国に一度は行ってみたいと思っておりましたのよ、それから」
「姉上、姉上」
畳みかけるように楽しい計画を立てるわたくしに、ようやくファウストは表情を和らげて、その暴走を止めようと遮ってくれました。
「ファウストはどこか行きたいところはあるかしら?」
「姉上、使い方もよくわかっておりませんから、いろいろと試してみる必要があります。
それから、姉上も使えるようになるのか、それとも僕と一緒ならどこへでも行けるのか、誰でも移動できる装置を作るか、できることを考えます」
「そう?
ならそれを楽しみにしておりますわ」
そうやって、これからしなくてはならないこととしたいこと、そのためにできることを考えていたほうが、ファウストらしくてよろしいわね。
そのままわたくしの部屋で、転移が自由にできるようになったらどうしたいかなど、他愛ないやり取りを続けていると、セルジオとドンナがやってきました。
「旦那様と、ビランチャ宰相様が間もなくいらっしゃいますので、ご準備と、それから応接間にお越しください」
お父さまだけでなく、ご一緒にいらっしゃった宰相様も我が家にお越しくださるようです。
(それはそうですわね。
ことはガラッシア公爵家内だけで済むことではありませんものね)
あまりお叱りを受けないといいのだけどと心配しながら、お父さまと宰相様を迎え、ファウストと二人でことの経緯を説明しますと……。
「あはははっ、ティアのために、あの状況で転移魔法について、考えてたって……!」
見たこともないほど、お父さま大爆笑。
お隣で宰相様は、頭が痛いような呆れた顔をしておりました。
「力は、それだけか?
転移のほかに使えそうなものは?」
「特に感じるものはありません。
この力についてもこれからわかったことはすべて、それから他にも何かあればすぐにご報告いたします」
「無論だ。
……はぁ、まさか転移魔法とは、はじめの力がそれとは幸か不幸か、有用ではあるが、それだけ、とも言えるし、あとの十一の力も慎重に考えなくてはな」
笑い過ぎて死にそうなお父さまを尻目に、宰相様は難しいお顔です。
何にでもなりそうな力を転移魔法だけにしてしまったというのは、たしかに国益を思えばもったいない使い方だとも言えます。
ただ、人の転移などとまだ誰も成功していない魔法であることはひとつの成果ですし、偶発的に定まってしまった力が人に害なすものでなかったことも幸いと言えましょう。
咎めるべきか、讃えるべきか。
笑い転げているお父さまは頼りにならず、宰相様は頭を悩ませているようです。
「このまま、何もなしという訳にも行かないが……」
どういう罰が妥当かと言えば、それも難しい判断になりますわね。
本人が意図しない状況下で国益を損ねたケース、という扱いになるとして、この場合の刑罰は程度によって裁量が大きく変わります。
そのすべては国王陛下、今回は宰相様に委ねられることになりますから、わたくしは何としてもファウストをかばわなくてはなりません。
「宰相様、義弟がわたくしのためにしてしまったことですから、咎はわたくしに」
「姉上!」
深く礼をとって懇願するわたくしに、ファウストは驚いて声をあげました。
「姉上のせいではありません!
あのタイミングで、魔法の新しい使い方について考えていればこうなることも想定できたはずです。
それを考えもせず、自分の興味に夢中になっていた私の落ち度です」
早口で言い募るファウストは、どうあってもわたくしが責を負うことは避けたいようで、礼をとるわたくしの前に出て宰相様に訴えました。
「……う、うむ。
ラファエロ、いつまでも笑っているな。
お前の子どもたちの問題だぞ」
「……ハハっ、はぁ、ひさびさにこんなに笑いましたよ、宰相閣下」
「何がそんなに可笑しいものか。
公爵家として、どうやって責任をとる」
「公爵家としてなら、いくらでも過料を課していただいても構いませんが。
それとも映写機の権利を国に差し上げるくらいが妥当でしょうか。作ったのは当事者の我が二男でもありますし」
「権利を召し上げても作れるのは公爵家の商会しかないだろうが、権利料として、半永久的に国に売り上げを還元していく、というつもりなら、誰からも反論は出ない、か」
「おそらく」
「そこが落とし所か」
ファウストが掠めとってしまった形の国の利益を、金銭として返し、さらに一時的ではなく継続して発生するようにしたうえ、わたくしたちの商会にもさほどダメージはない、というきれいな収め方を咄嗟に提案できるお父さま、先程まで笑い転げていただけかと思いましたのに、流石すぎて尊敬してしまいます。
「君たちも、それで異論はないか」
二人そろって頷くと、宰相様は国王陛下へ報告するために、急いで王城へ戻って行かれました。
諸々の手続きのため、お父さまもまた戻ることになっておりましたが、お出掛けになる前に、わたくしとファウストに公爵家の当主としてのお顔を見せて、今回のことになるに至った原因を問うことになさったようです。
「ファウストが、ティアのためにこれまで沢山の実績を残してきてくれたのは確かだけれど、今回は、そのせいで自分たちの権利をひとつ失くす結果になったね」
優しい表情のままではありますが、言葉には厳しさが溢れています。
「ファウストにもティアにも、そのままでいていいと私も言ってはきたけれど、今後、同じようなことがあっては自分たちが困るということが分かったと思う。
だから、これは私たち家族が乗り越えなければならない課題だと捉えて、二人にも努力してほしいことがある」
お父さまが仰っているのは、わたくしたち家族の在り方を、今までの甘やかすばかりの方針から変えていかなければならない、ということ。
「二人には、お互いに少し距離をとるようにしてもらうよ。
姉離れ、弟離れ、それぞれができたと私が判断できるまで、ファウストには別邸に移って生活してもらおう」
お父さまがわたくしたちに課した試練は、思ってもみないものでした。




