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日が傾きはじめる頃、手鏡の蝶が光り、通信の開始を知らせました。
「姉上、聞こえますか?」
今度はファウストからの連絡のようです。
「ええ、ファウスト。待っておりましたわ。
今日はよく休めまして?」
魔物の出現の連絡を受けた一昨日以来の会話となります。
無事とはわかっていても、やはり顔を見られるのがいちばん安心できますから、わたくしはニコニコと話しかけますが、ファウストのお顔の表情筋はいつもどおり。
「……兄上のおかげで」
実力行使とは一体なにをされたのか、声には少しだけ苦いものが含まれましたが、思うことがあっても多くを語らないのがファウストですわね。
ファウストはすぐに切り替えて、周囲を映すように映写機を動かすと、現状の説明をしはじめました。
「間もなく一番星の見える時間です。何が起こるか正確なことは分かりませんので、サジッタリオ家の騎士たちが教会の周りを固めております」
言葉のとおり、橙色に熟れはじめた太陽が西の山に下りようとしていて、古びた教会を最後の力で照らしております。
サジッタリオ家の紋章を付けた騎士と、集められた近隣の兵士たちの横をゆっくりと通り過ぎて、ファウストは建物の中に踏み込んでいきました。
「ご覧のとおり狭い建物ですので、奥の洞窟も大勢は入れません。中に入るのはエンディミオン殿下と巫女様、お二人の護衛、それから兄上たちにクラリーチェ様となります」
山間の洞窟を覆うように建てられただけのようですので、入り口からはすぐに主堂が広がり、その正面に小さな星神像が置かれているだけで、椅子も祭壇もないのは魔物討伐の後だからでしょうか。
窓から差す西日だけが頼りで堂内は薄暗いのですが、千年近く前の建物というのに崩れたところもなく、ずっと近隣の村人たちによって清潔に保たれていた様子が窺えます。
映写機越しでも、厳粛な空気感というのは伝わってくるものなのですわね。
「兄上たちはすでに先に行って待機をしておりますが、姉上は教会などの様子もお知りになりたいかと思いましたので、僕がご案内するようにと兄上から仰せつかりました」
「お兄さまたちは国のお役目も担っておりますものね。わたくしのワガママに付き合わせてしまって、ファウストにも申し訳ありませんわ」
「いえ。僕はそもそも兄上のお手伝いをしているだけで、正式に任務の一員というわけではありませんから」
「でも、映写機を作ったのはファウストでしょう?ジョバンニ様がお持ちのほうで、そちらのご様子を国王陛下たちとご覧になると、お父さまも王城に行かれておりますわ」
「もとは姉上と、回収する星の煌めきとやらを見るために作ったものです」
「それはそうなのですけれど……」
すでに任務の一部でものすごく有効活用されておりますけれど、もともとはわたくしのくだらないワガママ発言から出来たものでしたわね。しかも一週間ほどで。
それが当たり前のように王城で国王陛下のお役に立っているというのは、他ならぬファウストの功績でしょうに、そんなことはまったく意にも介していないのがファウストらしい、といえばそうでしょうか。
(わたくしのお願いが最優先なのですもの)
わたくしの奮闘も空しく、重度のシスコンに成長してしまったファウストが心配にもなりますけれど、その能力の高さ故ではなく、その心根の真っ直ぐなところがお父さまにもお兄さまにもガラッシア家の一員として認められている最大の理由なのですもの、改められることはなく、そのままのファウストでいなさい、というのが公爵家の教育方針です。
お父さまたちとしても、ファウストが作ったものはあくまでも副産物というご認識のようですけれど、公爵家の二男の成果として、上手に王家に売り込むことはなさってくださいます。
今では、養子であることや、ファウストが養子として我が家に来ることになった経緯についてとやかく仰る方はほとんど見なくなりました。
石鹸や映写機について、王妃様が後ろ盾についているもの大きいですわね。
王家と公爵家に合わせて目を付けられるような言動をなさる方は、遅かれ早かれ自滅の道を辿ることになるような資質の方だけでしょうし、いなくなっても何の問題もありません。
学園の魔法士コースでは、まだ入学したばかりのファウストを早くも引き入れたい動きがあるとも聞いておりますから、ファウストの存在が正当に評価されているようで、わたくしもうれしく思っております。
「それでは奥に向かいます」
話しているうちにも日はどんどんと落ちていきますから、ファウストは教会の奥に続く、泉があるという洞窟へ向かい進んでいきました。
日の届かない暗がりには、燭台が等間隔に灯されておりました。
本当に、岩肌しかない見るものもない普通の洞窟です。
馬車も通れない幅の一本道で、どうしてこんな洞窟を前の巫女様のエリサ様と建国王のバルダッサーレ様たちが入ることになったのか、エリサ様の日記にはなんと書いてありましたでしょうか。
サジッタリオ家の始祖、カルロ・サジッタリオ様が巫女様の代わりに掬おうとなさった、その前。
「ねえファウスト。エリサ様はどうしてこの場所がお分かりになったのかしら?」
そこそこ深い洞窟のようです。
偶然入り込んでそこで輝く泉を見つけたのか、一番星の煌めきというのが具体的にどんなものかは書いておりませんでしたから、空から落ちて来るのを追いかけてきたですとか、いろいろと考えられますけれど、どちらにしても天文学のような確率ではありません?
「当時、この辺りで小さな小競り合いが続いていた記録がありますから、建国王様たちに同行して付近にいらっしゃったのは偶然かと。
日記には、星を見つけられた記述の少し前に、呼ばれているような気がする、という理由で辺りを散策をしている様子が書いてありましたが、この泉の洞窟を見つけたような記載はありませんでした」
「セーラ様は、そのようなことは仰っていて?」
「いえ。ですが、たぶんここで合っているような気がする、と」
それも巫女様の能力なのでしょうか。
漠然とした感覚で、星神様に導かれているということでしょうか。
「姉上、到着しました」
考え込んでいるうちに、ファウストは目的地に辿り着いたようです。
洞窟の途中で、突然開けた場所が現れ、ポカリと空いた天井から夕闇に暮れていく空が見えました。
その真下いっぱいに泉が広がって、ザワザワと水面が波立っているのが見て取れます。
ほとりに座る殿下とセーラ様、周囲を警戒するようにしている護衛の騎士とお兄さまたちの後ろ姿も見えました。
ファウストに気が付いたお兄さまたちが映写機のわたくしに向けて手を振ってくださいましたが、すぐに空や泉を指して何か話し込むようにしはじめました。
もう東の空から段々と色を深めるように暗くなってきております。
いちばん星が見えてもおかしくはない頃合いです。
声を発するのも憚られるような気がして、息を詰めてわたくしも様子を見守っておりましたが……。
洞窟の天井から覗く空が紺一色に染まり、チラチラといくつもの星が瞬くのを確認できても、何かが起こることはありませんでした。
(まさか何か間違えてしまいましたかしら?
星の集める順番が前回とは違う?
そういうこともなくはないかもしれませんけれど、ここまでで手がかりらしい手がかりはあの日記だけでしたし、セーラ様も何か感じていらっしゃったのですわよね?)
ここへ来て、メインシナリオ攻略がはじめから失敗してしまったのかとドキドキとする胸に、自然と祈る手を組み映される泉に見入っておりました。
映写機の向こうも痛いほどの沈黙が続いて、日の光のない届かない中、何かひとつでも輝くものを見逃さないよう灯りも点けないようにしているのか、あっという間に暗闇に沈んでいきました。
お兄さまの背中がぼんやりと見えなくなりそうで、思わず声をかけそうになった時。
「あ、」
声を上げたのは、どなただったのでしょう。
声に釣られるようにファウストの映す風景が泉から空に代わり、何も見えなくなったと思った次の瞬間、何かが、目の端を走ったような。
「ファウ、スト?」
「はい」
「よくは、見えないのだけれど、星が」
「はい。星が流れております」
淡々と答える声音にも、少しだけ熱がこもっているような気がいたします。
途切れ途切れでよくは見えなかったものが、そのうち雨のように筋を描いて暗闇の中を駆けていくのがわたくしにもわかりました。
(セーラ様がいらっしゃった時に見られたと聞いた同じ流星群ですわ!)
洞窟から見える空いっぱいに星が流れていきます。
遠い空、映写機越しではありますが、わたくしにもその異様さは伝わりました。
泉の水が鳴くように音をたて波立ち、殿下とセーラ様が立ち上がって空を見上げていたのを騎士たちが慌てて引き戻す様子が見えるほど、辺りは明るくなっているのです。
何が光源となっているのかと思えば、泉の水面に、空をそのまま映したように光が走っておりました。
(この中をまさかカルロ様は入っていらっしゃったの?)
擬音の多いエリサ様の日記ではどのように星を得たのかはわかりません。
「私が参ります」
意を決したようなクラリーチェ様の声が聞こえました。
サジッタリオ家の始祖に倣いたい気持ちもわかるのですが、何が起こるかわからないのにあまりに危険では?
「クラリーチェっ」
思わずといったようにフェリックス様が引き留めている間にも、どんどんと光は増えていきます。
「どれがいちばん星の煌めきか、まだわからない」
シルヴィオ様の声も聞こえます。
「まだ早いと思いますよー」
遠くから聞こえるようにジョバンニ様の声も。
国王陛下やお父さまのいらっしゃるほうに、当たり前のように同席できるのがジョバンニ様がジョバンニ様たる所以でしょう。
そうこうしているうちに、泉を走る光はだんだんと一つのかたまりになっていき、水面いっぱいを満たすと、空から、ひと際まぶしい輝きが飛び込むように降ってきました───




