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(あら?あらあらあらあら?)
心臓の奥がぎゅうぎゅうと痛んで身動きがとれなくなりました。
震えるほどに高鳴る感情に戸惑うしかなく、わたくし、どうやって呼吸をしていましたかしら?
心のお友だちのチベスナさんは、倒れ伏したまま再起不能のようにピクリともいたしません。
衛生兵!衛生兵!!
いやですっ、チベスナさん、生きて!
わたくしを置いていかないで!
三十路女に期待しようにも、友だちすらいなかった方に何ができるというのでしょう、まったくの恋愛初心者は息をしておりません。
(援軍……援軍はいないのですか……)
脳内は、敵地で孤軍奮闘している兵士が今にも力尽きそうに膝をついているところで、わたくし、もう素直に降伏するしかあとがなくなってしまいました。
(はじめはアリよりと確かに思いましたわ、でも隠れ攻略対象かと思いナシにして、それもラガロ様が現れましたからなくなりましたし、養子を迎えられたということはもう本当にご結婚されるつもりがないということで、クソヤローどころか亡くなった婚約者様に最期まで添い遂げるおつもりかしらなんて潔い方なの、でもそうなるとわたくしの入る余地などどこにもなく、そもそもお父さまのご友人で、わたくし中身は三十路を超えておりますけれどルクレツィアは子どもほど年が離れて実際まだ子どもなのですいくら妖精のごとく可愛らしくてもそんな潔い方が子どもに手を出すとも考えにくいですしそれから)
「ねえさま、ねえさまっ」
あら、誰かわたくしを呼んでおりますわ。
どなかわたくしを助けにいらしてくださったのでしょうか。
もう降伏したところで助からない気がしておりましたの。
決して叶うことのないイバラの恋路に突入し、早くも満身創痍、誰かあの方に最後の言葉を伝えてくださらないかしら?
「ねえさま!」
「あら、ファウスト、どうかして?」
「ティア、家に着いたよ」
(まあっ、いつの間にか馬車に乗って、いつの間に我が家にも帰りついておりますわ)
心配そうにお兄さまとファウストがわたくしの顔を覗きこんでおりますが、あれからの記憶がございませんの。
どうやって馬車に乗ったのか、レオナルド様にはきちんとご挨拶してお別れしてきたのか、それだけはせめて覚えておきたかったですわ。
「はじめてのお城で、ティアもだいぶ疲れんただろう、おいで」
お父さまが、馬車から降りるのに抱き上げてくださいました。
セルジオやドンナが出迎えてくれる中、無言でお父さまに抱かれたまま、その肩に顔を押し付けて眠たいフリをします。
(今は何より、考える時間がほしいですわ)
はじめての感情に、どうにも先ほどから支離滅裂なのです。
お父さまにお部屋まで運んでもらいますと、あとのことはすべてドンナに任せます。
妖精のようなドレスを脱がせてもらうと、もっとレオナルド様に相応しい大人っぽいものが良かったのにと思えてしまいます。
猫足の湯船はふわふわの泡風呂で、いつもならバラや柑橘の香りが柔らかくわたくしを包むのに、なんだか胸がいっぱいで、本日は何の香りか、匂いも何もよくわかりません。
ドンナが髪を洗い、何か話しかけてくれているような気もいたしますが、わたくしの心はココニアラズ、レオナルド様と結ばれる夢のような可能性を考えては、すぐさま否定してを繰り返しておりました。
そう、どう考えても無理ゲーなのです。
攻略対象ではないどころか、親友の娘に手を出すレオナルド様というのがどうにも想像できません。
実はいちばん難易度の高い相手を選んでしまったのです。
今なら引き返せますかしら?
たったのウインクひとつと言えばそれだけですもの、推しアイドルにファンサを受けたと思えば乗り切れ、乗り切れ……そうにありません!
それにしてもわたくし、チョロすぎるのではありません?
ちょっと良い顔をされたからといってすぐに落ちてしまうなんて。
例え各々がご自身の都合でわたくしの婚約を決めようとされている中、王子殿下とも深い関わりをお持ちなのに、なんの忖度もなくわたくしの意思を守ろうとしてくださったからと言って……レオナルド様やはり素敵すぎません???
常々お父さまのような方が理想と公言して参りましたし、お父さまのようにわたくしのためを思って行動してくださる方で、ご自身が王国五指に入る武勇をお持ちなのでセキュリティーはばっちり、妙齢の大人ですから三十路の感覚的にも当然守備範囲内、気さくなお人柄ですのに伯爵家当主としても騎士団長としても有能で、どこをとっても理想でしかありません。
それに軍服をお召しになったあのお姿、普段の砕けたご様子からの百八十度のギャップ!
わたくしがチョロいわけではないのです!
これは必然、落ちる要素しかないのです!
今までどうして好きにならなかったのか不思議なほど、こんなにそばに理想の方がいらっしゃったのだわ。
「まあっ!お嬢さま!お顔が真っ赤になって!逆上せてしまいましたかしら?!」
ブクブクと鼻まで沈んでいると、公爵令嬢らしからぬ姿にドンナが驚いた声をあげました。
すぐさま湯船から引き上げられ、ぬるいシャワーを頭からゆっくりかけられます。
このシャワーも、わたくしのワガママでファウストが商会で作ってくれたものです。
手桶でお湯や水を汲んではかけて、というのがどうにも手間に思えて、バスタブに水を張るためだけだった蛇口を、温度を変えてお湯が出るようにし、さらにシャワーへと進化させたのです。
「ねえ、ドンナ」
細い水流がサラサラと肌に触れる感覚にまかせて、わたくしはポロリとこぼしました。
「わたくし、恋をしたみたいですわ」
「まあっ」
ドンナはとても出来た侍女ですから、驚きはしたものの、騒がず、はしゃがず、「そうでございましたか」と穏やかに返してくれました。
それだけで、わたくしも少しずつ自分の気持ちと向き合え、落ち着くことができました。
部屋着のドレスに腕を通し、ガウンを羽織ると、これもまたファウストが商会で作ってくれたドライヤーでドンナが髪を乾かしてくれます。
わたくしのお風呂事情はこの上なく進歩しており、前世の記憶にもだいぶ近付いております。
乾いた髪に艶出しのためのミルクを塗り込んでいる間に、わたくしは今日あった出来事をポツポツとドンナにお話ししました。
王子殿下のこと。
お兄さまのお友だちのこと。
ファウストのお友だちがとても可笑しかったこと。
お友だちになれそうなご令嬢にたくさん会えたこと。
それから、レオナルド様をとても素敵だと思ったこと。
「お相手は、リオーネ伯爵様でいらっしゃいましたか」
「お父さまには内緒にしていてね。知られてしまったら、泣かれてしまうのではないかしら」
「そうでございますね。
公爵様に知られた日には、リオーネ伯爵様はガラッシア家に出入り禁止になりますよ」
「それは困りますわ」
そうやって少しずつ幸せな笑いに変えて、少しずつ、少しずつ、レオナルド様への想いは不安定で大きな塊から、温かくて少しだけ苦しい確かな形になり、この胸に収まりました。
そもそも相手にされるはずもない片思いですものと、そう、諦めるようなことを言ったら、
「諦めるにはお早くありませんか?
ドンナはお嬢さまのためなら何だってしますからね、いつでも頼りにしてください」
そんなふうに笑って胸を叩いてくれるので、例えどうがんばっても叶いそうにない恋でも、いくらか報われたような気がいたしました。
* *
結果から申し上げますと、お父さまには内緒にしたいと思っていたあれは、無理でございましたわ。
だってわたくし、次にレオナルド様が我が家にいらっしゃった時、わかりやす過ぎるほどわかりやすく、顔に出てしまったのですもの!
レオナルド様は気軽に我が家にいらっしゃるのですけど、いつものようにお迎えした瞬間、顔が赤くなるのが自分でもわかりましたわ。
あまりに恥ずかしくて逃げるようにその場を立ち去ってしまったあと、お父さまが射殺すような目でレオナルド様を見て、あわや決闘でも申し込みそうなところをお母さまが宥めてくださったのだと、セルジオに聞きました。
「レオナルド様にひどいことをなさったら、お父さまでもきらいになってしまいますわ」
と涙目で釘を差しておきましたので、お父さまはしばらく大変落ち込んでしまわれました。
わたくしの恋は、お兄さまを通して殿下やシルヴィオ様、フェリックス様にも広まりました。
ラガロ様が、お兄さまたちと同じく殿下の側近候補として王城に上がるようになって、そんな話題になったようでした。
「公爵のようなって、そういう……」
ものすごく年上趣味、というような意味で捉えられたようですが、相手がレオナルド様ですから、この恋が叶う可能性が低いと思ったのか、王子殿下はまだすっかりわたくしを諦めたようではない、とのことです。
王子殿下の婚約については、レオナルド様のお話を聞いたビランチャ宰相様も賛同してくださる形となり、「王妃様のマナー教室」という名目で、婚約者候補として目ぼしいご令嬢を王城に定期的に集め、全員に王妃教育をすることで、とりあえずの収拾を図る運びとなりました。
もちろん、わたくしは集められたご令嬢と仲良くするのが目的ですが、婚約者候補筆頭という立場からは逃げ出せませんでした。
マナー教室には、王子殿下の婚約者選びという裏の目的がございましたが、名目はあくまで「マナー教室」ですので、ベアトリーチェ様も参加してくださっております。
マナー教室のあとには、王子殿下、そしてお兄さまたち側近候補四名とお茶会をするのが通例となりましたので、クラリーチェ様とマリレーナ様もいらっしゃいます。
お二人は、どちらがフェリックス様の婚約者に選ばれるかライバル関係のようで、さすが泣きぼ……軟派キャラはオモテになりますのね。
わたくしいつかフェリックス様のことを「泣きぼくろ」と呼びかけないように、注意しなければなりませんわね。
シルヴィオ様ははじめてお会いした時から、わたくしとはまったく目を合わせてくださいません。
そっぽを向いて、メガネのブリッジをずっと押さえたままならお喋りをしてくださいます。
首が痛くならないのかしらと心配になりましたが、わたくしを直視するのが難しいらしいので、そのまま気にしないことにいたしました。
ラガロ様は、王子殿下の護衛のような立ち位置にいらっしゃり、お茶会でもあまり多くはお話しになりません。
レオナルド様のお身内ということもあり、わたくしぜひ仲良くしたいのですけれど、だいたい王子殿下が間に入って、なかなか親交を深めることができません。
そして、王子殿下とお話ししていると、もれなくスカーレット様が割って入ってきます。
わたくしはファザコンの第二形態として、慎ましくも年上の男性に思い焦がれる妖精を演じることで、どうにか王子殿下の想いをかわし、スカーレット様からの敵意をかわし、つつがなくお茶会を楽しむようにしております。
自分の初恋すら破滅回避のために利用しようというくらい開き直れると、レオナルド様への恋心も、またひとつ報われた形となりました。
当のレオナルド様ですけれど、わたくしの恋心はもちろん知っていらっしゃいますが、これまでと何ら変わりなく接してくださいます。
親友の娘、として。
無性に切なくなる時もございますが、お隣で笑ってくださり、大切に扱っていただけてますから、それだけで十分と、わたくしは自分を納得させております。
……そういえば、ジョバンニ様とはなぜだかあれからなかなかお会いできませんでした。
商会にも、我が家にも顔を出しているそうなのですけど、いつもすれ違いで、「楽しい方でしたのに残念だわ」と言えば、お兄さまもファウストも、ピオとロッコも、とても微妙な顔をするのです。
半径1メートル以上近づかないなら会ってもいいとのことで、ある日、お邸の厳重な警戒の中、椅子に縛り付けられたジョバンニ様と再会できました。
その日も絶好調なほど一人スチームパンクの世界観のジョバンニ様なのですけれど、なぜ、椅子に。
わたくしの困惑した表情に、お兄さまたちは何食わぬ顔をしており、当のジョバンニ様もあの調子のまま、
「姉君!おひさしぶりですな!」
とにこやかに笑っているのです。
喜びを表すように、縛り付けられたままピョンピョンと体を跳ねさせているので、そばにいたイザイアが「失礼いたします」と声をかけ、そっと首の付け根に触れただけに見えましたのに、ジョバンニ様は親猫に首をくわえられた子猫のようにおとなしくなっておりました。




