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「ファウスト君、ファウスト君、ファウスト君!」


 弟の名前を連呼しながら全力疾走してくるのは、見慣れない男の子です。

 そんなに呼ばなくても逃げないでしょうに、と思いファウストのお顔を窺うと、あら、いつもは動かない表情が薄らと曇っております。


「ファウストのお友だちかしら?」

「い、え、ハイ?……いえ」


 どちらなのかしら?

 いつもわたくしの質問には淀みなく辞書のように答えてくれますのに、とても歯切れの悪いお返事です。

 肯定も否定もしたくない葛藤が、その微かな眉間のシワに見て取れました。


「ファウスト君!!!」


 とっても嬉しそうお顔で走り寄ってきた男の子の印象はというと、


(世界観が一人スチームパンクですわね!)


 いろいろと設定を盛られすぎのような気がいたしました。


 薄緑の髪はくるくるでもじゃもじゃの猫っ毛で、その上には大きめのハットを被り、左右非対称のゴテゴテとしたゴーグル?たぶんゴーグルが乗っております。

 詰襟で裾が燕尾型になっている上衣には用途のわからない革製のベルトとポケットがあちこちについていて、規格外の大きな懐中時計がぶら下がっているのはまだ理解いたしますが、なぜそこに?というところに歯車のモチーフや鋲が散りばめられております。 

 足元はこちらの世界ではまだ珍しい膝まであるエンジニアブーツで、乗馬服のような膝上のふくらんだパンツをインしている格好です。

 上から下まで、すべてこの乙女ゲームの世界から逸脱しております。


(お顔立ちは……おそらく攻略対象ではありませんわね)


 人畜無害そうな糸目にそばかすの浮く、いわゆるサブキャラクター顔です。

 その細い目からも、瞳を輝かせてファウストを見ていることがわかります。


「工房に行ったらいないし、お邸を訪ねても家族の行事だと言うから、探してしまったよ!」


 息を荒げて屈託なく笑いかけてくる様子に、決して悪い子ではないのだろうとは思うのですが、ここへ来て許容量を超えてくるキャラクター像なものですから理解が追いついておりません。


「昨日も、今日はいないことはあらかじめお伝えしたと思いますが」


 ファウストが渋いお顔をして応じますが、


「そうだったかい?」


 そんなことははじめて聞いたとばかりに、男の子が動じることはありません。


「でも行き先が王城なら、助手である僕が君のお供をしないわけにいかないじゃないか!

 ピオとロッコも王城の中まではついて来られないし」


 助手?

 双子の名前も出ましたから商会の関係なのだとは思いますけれど、はじめて見るお顔です。

 こんなに全身で個性を発しているのですもの、すれ違っただけでも忘れられないと思うのですが、我が家でも、たまに行く工房のほうでもお会いしたことはありませんわね。


 王城の、しかも招かれざるものは辿り着けないお茶会の第二会場まで来られたということは、この子も高位貴族のご子息、ということかとは思いますが……。


「ねえさま、ご紹介します。

 ジョバンニ・カンクロ伯爵子息です」


 戸惑うわたくしに、ファウストは「仕方ない」と顔に書いて彼を紹介してくれました。


「まあ、カンクロ伯爵の」


 まさか十二貴族の、それもカンクロ家とは思いませんでしたわ。

 カンクロ伯爵にもご一族にもお会いしたことはありませんが、ご高名は存じ上げております。

 カンクロ家なら、いくらか行列を飛び越えてここへ至れるのも頷けますわね。


「ねえさま?ファウスト君には姉がいたのかい?」


 そこでようやく、ジョバンニ様はわたくしの存在に気がついたようです。


「はじめまして、姉君。

 ジョバンニ・カンクロと申す者です。

 かねてよりファウスト君の研究に大変感銘を受けておりまして、浅学ながらそのお手伝いをさせていただいております。

 いやはや彼の才能は素晴らしい!

 僕などにはついぞない発想で次々と新たなものを生み出す手腕はもう神の御業(みわざ)と言っても過言ではないと僕は常々思っているわけで、微力ながらその一端に携われているのは望外の喜びというわけでそれから」

「ジョバンニ、ジョバンニっ」


 立板に水とはこのことかと、こちらに名乗らせる隙も無いジョバンニ様のファウストへの美辞麗句の海で、わたくし溺れそうになっておりました。

 あんなに目立つ登場をしたわけですから、お兄さまがフェリックス様とシルヴィオ様を従えて救出に来てくださらなければ、このままどこの海まで流されていたことでしょう。


「おや、兄君ではないですか、ごきげんよう、どうしてここに?」

「どうしてはこちらのセリフかな。

 今日のお茶会はカンクロ家は欠席と聞いていたけれど」

「お茶会?

 ああ、殿下に誘われたお茶会のことなら、欠席すると家令がお返事したと言っていたような」

「そのお茶会が今なのだけれど、伯爵に連れられてきたわけではなさそうだね」

「我が父はしばらく、東のバン……いやビン……はて西だったかな、ボンなんとかいう領地に行って帰っておりませんから、ここへ来るのは無理でしょうね」


 すごく、すごく安心するほどのサブキャラぶりです。

 会話の噛み合わなさに、お兄さまは頭が痛いようなお顔をしておりますが、ここまでとぼけていると、むしろ楽しくて好感の持てるサブキャラに昇華してしまいます。

 単純に、一人スチームパンク風味なのは製作サイドのどなたかの趣味をサブキャラに詰め込んだ故でしょうか。


「ここへ来た以上、殿下にはきちんとご挨拶をして来たんだろうな」


 シルヴィオ様もたいがいお兄さまと同じ表情で、


「オレひさしぶりに君の顔を王城で見た気がするんだけど、変わらなくて何よりだよ」


 フェリックス様も皮肉なのだか面白がっているのだか、ジョバンニ様の扱いには手を焼いているのがわかります。


「殿下ですか?先ほどお見かけしましたけど、お忙しそうでしたので一言二言くらい声をかけてこちらへ来ましたが」

「お前、今日がいったい何の会だと思って……」


 シルヴィオ様のお顔は、わたくしに向けていたものとは比にならないほど険しくなっており、ジョバンニ様の胸ぐらを今にも掴みそうな勢いです。

 お怒りのときのお顔は、本当はこうなのですわね。


「はて、そういう雑事は家令に任せておりますし、出る必要がないから欠席のご連絡になったのでは」


 聞かれたことに思ったままを伝え、悪気も何もないご様子のジョバンニ様ですが、シルヴィオ様の頭の血管が切れないか心配になります。


(ええと、)


「ジョバンニ様は、ファウストと仲良くしてくださっているのね」


 ここはわたくしも空気を読めない天然キャラでかぶせるしかありませんわね。


「いやあ、そんな、僕がファウスト君の友だちだなんて」


 場の毒気が抜ければ御の字でしたが、思った効果の斜め上に、ジョバンニ様が盛大に照れてしまいました。


「……」


 ファウストは無言ですが、とても何かを言いたいような気配は発しています。

 照れとかではなく、何か素直に肯定し難い、複雑な思いのようです。


「で、姉君、お名前はたしか……」

「ルクレツィアと申しますわ」

「そうだ、ルクレツィア様だ、今日はファウスト君と王城で……んん?ルクレツィア……そのお名前どこかで聞いたような」


 わたくしようやく名乗らせていただけたのですけれど、どうやら早くも次の思考にジョバンニ様は飛んでいらっしゃるよう。


「姉君!ファウスト君の商会にたしか姉君のお名前もありましたね!」

「ええ、ファウストのために、お兄さまといっしょに作っていただいた商会ですの」

「それはなんという先見の明!

 ファウスト君の才能を見い出した本元ということは、僕をファウスト君の元へ導いた恩人ということでもありますね!」


 ジョバンニ様はわたくしの手をとると、それはもう強い感謝を込めて握手をされました。


「!」「……っ」「な!」「わぁ」


 それにはさすがにお兄さまもファウストも声をなくし、シルヴィオ様とフェリックス様も目を見開きました。


 通常、家族以外が異性の手を取るのは、婚約者のみですものね。

 この世界では、キザなキャラクターが女性の手の甲にキスなど気軽にしていい文化ではなく、騎士の忠誠の誓いなど、かなり特別な場面でしか許されません。


 それなのにジョバンニ様は、それはもうしっかりとわたくしの両手をつかみ、ぶんぶんと振り回すような勢いで握手を続けるのです。


「ふふ、うふふ、面白い方っ」


 驚きはしましたけれど、絶対に他意がないとわかっておりますし、ファウストへの敬意故と思うと許せてしまえる振る舞いで、わたくしは思わず笑ってしまいました。


 こんなふうに愉快で笑うのは、今世ではなかなかなかったことです。


「ティアっ、すまなかったね、守りきれなかった」


 いち早く立ち直ったお兄さまが、光の速さでわたくしとジョバンニ様の手を引き剥がしました。


「いえっ、ふふ、ファウストは良いお友だちを持っているのですわね」


 必至で手垢を拭うように、お兄さまがわたくしの手をゴシゴシと清めるマネをして、ファウストは無言でわたくしとジョバンニ様の間に立ちはだかりました。


「はーい、危険人物はガラッシアの妖精に接近禁止でーす」


 フェリックス様がジョバンニ様の首に腕を回して引きずっていき、


「貴様の非常識に他家のご令嬢を巻き込むな!」


 シルヴィオ様のお説教がはじまりました。


 解せぬ、というお顔のジョバンニ様を遠くに見てしまいますと、わたくし可笑しくてなかなか笑いが収まりません。


「まぁ、あんな方に手を握られて喜んでいるなんて、公爵家のご令嬢ともあろう方が、品位にかけるのではなくて」


 そこへ飛んで来たのは夏の虫ではなく、スカーレット・アリエーテ様、ここぞとばかりにわたくしを批判する材料を見つけ、駆けつけてくださったようです。


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