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 礼拝堂の床には傾斜がつけられていて、エンディミオンを先頭に波打ち際を駆けあがるように水に足を取られながら外へ出た。

 柱廊には騎士たちが折り重なるように転がされているが、気遣っている余裕はない。

 柱の間を抜けて中庭に下りると、途端に鼻腔を甘く清涼な薫りが抜けていった。

 美しく見ごたえのある植栽が広がっているが、人に見せるためというより治療に効果や効能がある草木が選ばれて整えられているようで、今はラベンダーが盛りのようだ。

 礼拝堂に入る前は気にも留めていなかったが、あまりにも違う空気にあそこがどれほどの水の気配を湛えていたのかがわかる。重苦しいほどの水気に、肺から全身が浸されていた。

 エンディミオンは知らずに深呼吸を繰り返し、フェリックスが次の行き先を示すのを待つ。

 フェリックスはもう一度、今度は注意深くあたりを確認したが、騎士たちが隠れられそうな場所の検討はつかなかった。


「なあラガロー、これどうにかなんない?」


 貼り付くような水の気配を押しやり無理にでも探知を使おうとしたが、最初に見せられた表向きの簡易な聖堂の案内図ばかりが判を推したように頭に浮かんでくる。

 まずこれをどうにかしないと先が見えないようだ。

 フェリックスはラガロに期待をかけたが、難しい顔で首を振られた。


「さっきから試している」

「ええー……」


 中庭は何もない空白のようにしか見えなかったのに、一歩進めば思ったより入り組んでいた。建物はすぐそこに見えているが、剪定された草木が行く手を阻み、さながら迷路のようになっている。


「ホントにもうどうなってんの?」


 探知をしようとするたび、神経を押さえつけられているような圧迫感が増していく。

 ラガロが壊せないのなら、幻術ではなく遮蔽や隠匿の魔法なのだと思う。

 建物自体に組み込まれた古い魔法で、力づくでどうにかするにはそれそのものを破壊するしか方法はない。

 建物にかけられた高度な魔法は、範囲や空間に属する魔法で、やはり闇魔法の一環だ。

 何を隠すためなのか。

 ヴィジネー邸と繋がる地下通路と合わせて秘密があるのは明白だが……何かを隠す、いや、誰かが隠れるためか?

 ふと思いついた感想だったが、かなりしっくりとフェリックスの中に落ちてきた。

 地下には人がしばらく滞在できる施設が整っていて、その出入り口は、侯爵家の始祖エレットラが導くとその役目を引き継いだ者しか扱えない部屋に隠されていた。

 そして地下から繋がっている聖堂にも、何かを遮断するための魔法がかけられている。

 閉じ込めるためなら、地下の部屋の鍵が内鍵であることの説明がつかない。

 誰かが隠れるための施設だったとして、一人や二人のための規模ではなかった。

 では、そんな大人数が、一体何から隠れなければならなかったのか。

 性懲りもなく探知の魔法を使い、フェリックスは聖堂の秘密を掴もうとする。

 地下に降りた時には洞窟の先を探知できなかったが、聖堂からも地下は探れなかった。

 それでも探知の力を使おうとすれば、厚く大きな手のひらに視界を閉ざされるような気持ち悪さが顔に張りついてきて、フェリックスは無意識で何度も顔を擦っていた。

 拭い去れない気持ち悪さがどんどん降り積もり、濡れた布巾を顔に被せられるように、息が苦しくなっていく。

 だが、この先に何があるのかを知らなければ。

 見ようとしたものが見えなければ見えないほど焦る気持ちになって、フェリックスの魔法は闇雲になっていた。


「フェリックス!やめろ!」


 その場に立ち尽くしたまま、フェリックスは両手で目を覆って動かなくなった。

 これ以上は、駄目だ。

 呼吸が浅くなっているのが傍目にもわかり、咄嗟にラガロが肩に手をかけて止めに入る。


「フェリックス、落ち着いて。深呼吸をして」


 エンディミオンもフェリックスを焦らせるような言動になっていたと自省し、硬直しているようなその手に触れる。

 暴走しかけていた探知の魔法はエンディミオンとラガロの力で少し抑えられたのか、フェリックスの手のひらが弛んだ。

 もともとルビーに近い紅い瞳をしていたが、今はさらに真っ赤に充血して、指の間から顔を覗き込んでいたエンディミオンを虚ろに見返してくる。


「…………なんで」


 けれどその目は、目の前の人物を見てはいなかった。

 何かに気づいて、驚いたようにゆっくりと見開かれていく。


「フェリックス?」


 訝しんでエンディミオンが声をかけた矢先────


「グラーノ様っ、どちらにいらっしゃいますか!?」


 ここにいるはずのない人物の声が、柱廊から響き渡って聞こえてきた。

 まだ苦しそうにしているフェリックスを庇うようクラリーチェとシルヴィオに預けると、声の主が中庭に駆け込んで来た。


「君は……っ」


 エンディミオンが驚きに声をあげると、相手もエンディミオンたちを見つけ驚いた顔をしたが、すぐに安堵の表情に変わった。


「王国の太陽の子、王太子殿下にご挨拶申し上げます。

 突然の無礼は幾重にもお詫びいたしますが……グラーノ様は、どこに?」


 洗練された動作でエンディミオンに駆け寄りひざまづいた青年に、ラガロが前に出て牽制する。


「ラガロ、いい。グラーノ殿の従者だ。確かフォーリアだったね」


 エンディミオンの言葉にすぐには従わず、ラガロはフォーリアと呼ばれた青年の頭のてっぺんから足の爪の先までじっくり見分する。

 ラガロの星は何も反応せず、危険はないと金の眼が判断したのを見て、エンディミオンは一歩前に出る。


「君がどうしてここに?」


 王都を発つ前、何度もグラーノと秘密の会談を行っていた際に、エンディミオンはフォーリアの紹介を受けていた。

 あまり大手を振って活動できないグラーノや幼いオリオンに代わり、彼が予定を調整し、エンディミオンとの時間を作っていたのだ。

 グラーノの正体はもちろん、その目的もすべて知っている。

 甲斐甲斐しいほど主人に仕えていたのは見ていればわかったし、グラーノも彼を頼り、目的のために従者を説得するのがいちばん骨が折れると言っていた。

 ピエタの町にグラーノを連れてくるにあたり、決してその存在も目的もバレてはいけなかったから、王都で最後の別れを告げ、オリオンとともにグラーノが王都にいるよう偽装するのに手を貸してくれていたはずだ。

 王都にいるはずの人物がこの町にいるのは二人目だが、フォーリアの様子は一人目のマテオとはまったく違った。

 

「グラーノ様、並びに王太子殿下からの任を反故にし、こちらへまかり越したるは私の未熟さゆえですが、想定外の魔物に襲われたと聞いていてもたってもいられず……」


 言葉のとおり、一昼夜休みもせずに馬を駆けてきたのだろうとわかる姿だった。

 靴は泥に塗れ、マントはあちこち擦り切れて、目の下に大きな隈を作ってボロボロの有り様だ。

 彼のグラーノへの献身は並大抵のものではない。

 交流をもってまだ間もないが、エンディミオンにもそれがわかるほど、フォーリアの眼差しも言動も、常にグラーノへの愛と忠誠で溢れていた。

 グラーノを追いかけて王都からここまで駆けつけてきたのだろうと、疑う余地はなかった。

 今もフォーリアは、不躾にならない程度にエンディミオンの背後を覗って、それでも目的の人物の姿が見えないことに段々と不安そうな顔になっていた。


「グラーノ様は、ご無事でしょうか?」


 現れてから何度目かのフォーリアの問いに、エンディミオンはいよいよ答えられなかった。

 正直過ぎるエンディミオンに代わり、アンジェロが間に入る。


「フォーリア、君はこの聖堂にははじめて来るのかな」


 穏やかに、だが有無を言わせず話の矛先を変えたアンジェロに、フォーリアは緊張感を露わにする。


「……はい。グラーノ様に付いてこの国に来るまで、私は聖国を出たことがありません」


 アンジェロはグラーノの生家のヴィジネー家の者ではないが、確かにその血を受け継いでいる。

 グラーノと同じ青い瞳に見つめられ、フォーリアは慎重に言葉を返した。


「そうなんだね。では、この聖堂についてグラーノ殿から聞いたことは?」

「聖国で思い出話を何度か。それから、こちらへ来ることになり、どんなに素晴らしい場所か、最後に見ることができてうれしいと、いつか私にも、訪れるようにと……」


 王都で別れる際に交わした約束を言葉にして、フォーリアは暗い表情になる。

 今生の別れになるはずだった。

 自分も、納得したはずだった。

 グラーノがやり遂げたいと思ったことを支えるのが、フォーリアの務めで全てだった。

 けれど、そうではないところで危険な目に遭うのなら、なんとしてでも最後まで付き添うのだった。

 そう思っていることが顔に書いてあるようで、アンジェロは思わず眉尻を下げる。


「……すまないけれど、グラーノ殿はここへ来て何者かに連れ去られてしまった。おそらく管理側の棟にいるはずなのだけれど、助け出すにも私たちはここの構造に詳しくない。君に案内を頼めるかな」


 淡々とアンジェロは事実だけを口にした。

 フォーリアに同情する気持ちはあるけれど、冷静に、今できた微かな縁を掴み、この窮地を脱しなければならない。

 その気持ちを汲み取ったのか、アンジェロの説明に唇を引き結びながら、フォーリアは震える顎で頷いた。


「こちらの聖堂は、聖国のものと同じ造りだとグラーノ様に伺っております」

「それは良かった。君が来てくれたのは渡りに船だったね」


 アンジェロは柔和に振る舞いながら、それでも視線の先でラガロに確認することは怠らなかった。

 フォーリアの言葉に嘘はないか、こんな状況であっさりと信じるには登場が突然だ。

 疑り深いとは自分でも思うが、今は最も慎重に期さなければならない時だ。

 アンジェロの視線に、ラガロは小さく首を振る。

 ラガロが無反応なら、問題はないだろう。

 ようやくそう判断できると、アンジェロはフォーリアを促した。


「廊下に倒れている騎士たちを見ただろう?日没までまだ時間はあるとは言え、状況はかなり深刻なんだ。よろしく頼むよ」


 アンジェロに託されて、フォーリアが先導するためにエンディミオンたちの脇をすり抜ける。

 中庭の迷路は、観光客が奥の施設に入り込めないように仕切られているようで、植え込みに隠されたアーチを抜けなければ先に進めないものだった。

 よどみなく進んで行くフォーリアに続き、ラガロ、エンディミオンが付いて行く中、アンジェロの服の裾をそっと掴み、引き留める手があった。


「……リチェ?」


 強張った顔のベアトリーチェが、アンジェロの目を見てふるふると首を振っていた。


「どうかしたかい?」


 何があったのか、気遣わしげに顔を覗き込み返したアンジェロに、セーラたちも足を止める。


「置いて行かれてしまうよ」


 ベアトリーチェの様子に困惑しながらアンジェロは声をかけたが、何かを言葉にするのをためらう様子を見せながら、ベアトリーチェの足は地に縫い付けられているようだった。


「アンジェロ様……」


 ようやく意を決したように、か細い声がアンジェロを呼ぶ。

 潜めるような声にアンジェロが耳を寄せると、ベアトリーチェはそっと言葉を紡いだ。


「彼は、どのようなお顔をされておりますか?」



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