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日が長くなっているとは言え、話し込んでいるうちに窓の外は薄闇に包まれていた。
「……今日は来るのかしら……」
話がひと段落したところで、ルチアーノがカーテンの陰から恐々と外を覗く。
何がとは言わずとも、声に絶望と拒絶が表れていた。
「ここからは、推測できた範囲で対抗策を考えようか」
大鷲の魔物が来るのか、鳥の大群が来るのか。
できるだけ町に被害のないように意識合わせをし、襲われたときの対処法を打ち合わせる。
そして、ここにいる誰かが妙な闇魔法をかけられている可能性だけは確実に潰すため、ひとしきりエンディミオンが光魔法で中和を行った。
「目に見えて魔法がかけられているとわかればいいのだけれど」
ルチアーノとメロにも確認したが、真っ暗な目になる前は皆頭を抱え出したというだけで、はっきりとした異変を感じとってはいなかった。メロ自身も、頭の中をこねるような不快感が突然襲ってきたと説明した。
「役に立たないな」
ルチアーノを信用するのをやめたシルヴィオは、言葉にすることを躊躇わなくなった。
「失礼ね!ワタシが居たからここで何が起こっていたか説明できたんじゃない!」
「貴様のおかげというより、偶々光魔法を持っていたおかげだろうが」
「その偶々だってワタシの手柄のようなものじゃない?そうでしょメロ!?」
ルチアーノに睨まれ同意を求められたが、メロはへらりと笑ってごまかすしかない。
「無駄だな。コイツはビランチャの派閥の出だ。私が白と言えばシロ、黒と言えばクロになる」
「なんなのその理屈?
ていうか、そもそもメロだってビランチャどころか王族だかサジッタリオの血筋なんじゃなかった?!」
「……あー、今、その話題をだしちゃうんだ」
ルチアーノが勝手に買った言葉で、まだ本人には確認していなかった事案が引っ張り出される。
タイミング的にどうなの?とフェリックスがエンディミオンを窺うと、エンディミオンは仕方ないと肩をすくめた。
「メロの出自に光属性が連なっている確証がとれれば、属性に関する仮説も信憑性が伴ってくるからね、今でも構わない」
はたしてこの青年が有用な情報を持っているかは未知数だけれど、疑問は早目に解消しておきたい。
エンディミオンの意図を汲んで、今度はクラリーチェとシルヴィオを中心に再びメロの尋問がはじまった。
「さて、メロ・ディ・レテ子爵子息殿。
私はサジッタリオ家が息女、クラリーチェと申します。
貴方がお持ちだったこのメダグリエッタ、当家所縁の、かなり貴重な代物なのですけれど、どこでこれを手に入れたかお聞きしてもよろしくて?」
先ほどまでフェリックスにさりげなくガードされていたので直接の会話ははじめてだが、騎士服を着込んだ美女に話しかけられ、メロはいったん惚けて返答が遅れた。
「おい、聞いてるのか」
シルヴィオが間に入ったのはこのためである。
「……エっ?あ、はい!
ええと、クラリーチェ様……なんてお美しい……」
「ダメだコイツ。一発殴っていい?」
一瞬正気を取り戻したようで、クラリーチェが何を言ったか反芻しようとその顔を見た途端、すぐに脂下がってアホになったメロの後頭部を、すでにフェリックスが鷲掴みにしていた。
「お得意の交渉術とやらはどこに落としてきたんだ」
「こういうポンコツは理屈じゃなくて叩いて直すものだよ」
シルヴィオの皮肉にニッコリ笑って答えたフェリックスだが、アンジェロにやんわり制された。
「ポンコツがさらにポンコツになっては困るよ」
自分はさらにベアトリーチェを隠しながら、やんわりしていたのは声音だけだった。
「緊張感を与えればいいのか」
苛立たしそうに様子を見ていたラガロが、徐に剣の柄に手をかける。
「あ!メダグリエッタ!……メダグリエッタ?えとっ、そのボタンなら、ばあちゃんっ、ばあちゃんにもらいました!!」
ラガロが動いた途端、メロは元気よく記憶を取り戻した。
「お祖母様というと、失礼ですけれど、レテ家ともう一方のどちらの……?」
「えっと、入婿の父方のばあちゃんです!」
ようやく質疑応答が叶いはじめた。
ラガロが柄から手を離さないのを横目に、メロの背筋はこれでもかと伸びている。
「アリエーテ家のほうだったか」
「そうであります!」
レテ家の現子爵はアリエーテ家の派閥から縁組した婿養子であることはシルヴィオも把握していた。
しかしそこにサジッタリオに繋がる線はない。
「そのお祖母様の出自を伺っても?」
「ばあちゃんですか?ばあちゃんもアリエーテ系列ですけど、ええーと、確かばあちゃんの父ちゃんの父ちゃんが、ジェメッリのほうって言ってたかなあ……」
めずらしい四男というところに引っかかっていたが、ここでジェメッリに繋がるのか。子だくさんの家系の血が入っているわけだ。
「木を隠すなら森、人の子ならジェメッリだな。あそこは赤ん坊が一人くらい増えていても誤差だ」
「人一人が誤差ですの?」
「減るでなく増えるのなら誰も気にしない。田舎のほうならなおさら、隣の家の子どもの数を正確に把握している土地ではない」
納得したシルヴィオは、可能性を思案する。
「それにジェメッリなら、王宮に侍女も侍従もいくらでも繋がりがある。王女の側使いに一人や二人いてもおかしくはない」
「よくあるやつだ!」
シルヴィオの言葉に、思わずセーラが声をあげた。
「よくある?」
「あ、ごめんなさい……追手から逃がすために、赤ちゃんをだいたい乳母とか侍女とかに預けて、それで自分はそうと知らないまま育った子が運命に立ち向かっていく、みたいなお話がよくあったなぁって」
エンディミオンに聞き返されて、セーラは恥ずかしそうに説明した。
「それほどあっては困る話だろうとは思うけど、巫女の世界ではよくあることなの?」
「よくあるっていうか、フィクションだよ、創作!」
「巫女様の世界は創作が盛んなのですね。先ほども、私たちの世界のお伽話をご存知のようでした」
「ん?……ああ!チェンジリング!妖精が子どもを入れ替えちゃうやつ!」
セーラは自分の知っている話になり、少しだけ声を弾ませた。
「そんなこと言ったら、白鳥公爵さんが信じて追いかけてたって話も似たようなのどこかで読んだし、そのデネブって鳥も、夏の大三角!って感じだし」
うれしそうに自分の世界の話を続けるセーラだったが、エンディミオンとアンジェロは顔を見合わせる。
「……エリサ様、でしょうか」
「そうだろうね」
前の星の巫女で、ステラフィッサ国の初代国王ヴァルダッサーレ一世の妃となった少女。
その名前を出し、ささやかではあるが、符号を感じずにはいられなかったことをお互いが認識し合った。
王家に残された話の多くは、セーラと同じ世界からやってきたエリサがもたらしたものだろう。
それがどんな意図で語り継がれたかは、まだわからない。
「あひるだ!」
セーラの話をよくわからない顔で聞いていたメロだが、その勢いにつられるように突然大声をあげた。
「なによっ、メロ!?」
鳥の名前をそばで叫ばれて不快そうにしたルチアーノにかまわず、メロはクラリーチェが持っているメダグリエッタを指差した。
「それ!ばあちゃんがくれる時、あひるの話をしてました!」
「あひる……?」
「鳥のアヒルの話か?」
不機嫌なルチアーノ以外、全員が顔に疑問符を浮かべたが、祖母の言葉を思い出したメロの話の先を待つ。
「えーと、ばあちゃん、これを俺にくれる時、俺はみにくいアヒルの子だからって」
「え、すごい悪口」
「そうじゃないんです!ばあちゃんの父ちゃんがそうだったったから、末っ子のお前にコレをやるって」
「話が見えん」
「なーに?侯爵家のお坊ちゃんたちはこんな有名なお話も知らないの?」
一生懸命何かを伝えているらしいメロの話は要領を得ず、哀れなものを見るフェリックスと渋面になったシルヴィオに、今度はルチアーノが勝ち誇った顔になった。
「その鳥の群れで生まれた子が、姿が違うってだけでいじめられて、最終的には別の鳥の子だったっていう昔話、知らないの?」
「だいぶ端折ったね」
ルチアーノの説明にエンディミオンが苦笑いしたが、
「アヒルじゃなくて、白鳥だったんだよね」
相槌を打ったのはセーラだけだった。
「────これもか」
この話を知っていたのはメロを除く三人だけ。
数えるまでもない顔ぶれに、エンディミオンはメロの身元について仮定していたことが確信に変わったことにため息をついた。
「殿下とルチアーノ、そしてなぜか巫女様だけが知っていた話を、メロ、というかメロの祖母君が知っていた、というわけですね」
「線が繋がったな」
エンディミオンの反応にアンジェロたちも事情をすぐ飲み込んだ。
メロの祖母は、この話を誰に聞いたのか。もちろん身内、それも親や祖父母だろう。祖母の祖父がジェメッリにいた。メロの高祖父にあたる人物か、その妻、どちらかが王女とディエゴ・アルナスルの子どもだとして、光魔法の発現がここまで見られていなかったとすれば、妻のほうの可能性が高い。
王女の侍女が、赤ん坊とメダグリエッタを託されただけでなく、王女が赤ん坊に語り聞かせていた昔話も覚えていて代わりに話して聞かせていた、というのもありそうな話ではある。
「元は公爵家とはいえ、伯爵家にまで王家の話が残っているのは違和感があるが」
「白鳥、だからでしょ。最終的に白鳥になるとか白鳥公爵が超好きそうな話。だからこの話がどこかに書き記してあって、知らずにキクノス家でも受け継いじゃったんじゃない?」
エンディミオンたちが納得していくそばで、セーラは別のことを気にしていた。
「メロさんのおばあちゃんのお父さん、だっけ?……がみにくいあひるの子なの?」
「ばあちゃんが言うには、鳶が《《ワシ》》を産んだんだって」
「やだまた鳥!?ていうかそれを言うなら《《タカ》》じゃない?!……ああっ、口がかゆいわ!!」
「ルチアーノ、少し静かにしていていただける?
あひるの群れでみにくいと言われて育ったけれど、本当は白鳥だった、というお話なら、お祖母様のお父上はとてもできた人物だったという比喩、かしら?」
「そのとおりですクラリーチェ様!
ばあちゃんのじいちゃんは、ジェメッリ領の田舎貴族の出だったって聞きました。一番下の妹ができた頃に父親が亡くなって、大勢の兄妹と暮らしていくのに一家でアリエーテ領に移り住んで、そこの農場主と母親が再婚したって。
だからほんとは俺も農民のはずなんですけど、ばあちゃんの父ちゃん……ひいじいちゃんかっ、の魔力が強くて、なんだか田舎にいるにはもったいないすごい出来すぎだったらしくて、アリエーテ系の貴族に養子にもらわれたって聞きました。
それで、家を出る時に、そのボタンをお守りに持たせられて、そのひいじいちゃんも三人兄弟の末っ子だったから、ばあちゃんも俺がヴィジネー家の兵士になるって決まったら、末っ子の俺にくれるって、なくさないように上着に縫い付けてくれました」
怒涛のように思い出話をするメロだが、段々と系図が明らかになってきた。
おそらく、ここまで詳しくメロに話して聞かせた祖母は、単純に出来の悪い末孫を心配し、お前の血筋には立派な人物だっているんだぞ、ということを認識させ、どうにか大成してほしいという願いを込めて渡したのだろう。
「嫡男ではなく、四男のメロ殿に受け継がれた理由はわかりましたわね」
「古いだけの小さなボタンだからね。私たちも一目でそれが何かは分からなかったし、それほど意味のあるものとは思わず、本当にささやかなお守り程度の認識だったのだろう」
まして、これを探し出すはずだった父親が処刑されたニュースは、ジェメッリの田舎にもすぐに届いたことだろう。
赤ん坊を連れて逃げた侍女がずっとそばにいた確証はないが、覚えているほどに物語を話して聞かせるまでは世話をしていたのなら、もう誰も迎えに来ないことは悟ったはずだ。
王女のその後について詳しく書かれていたのはゴシップ紙だけだったが、心を病み、遠い地で療養させられているとあったのをエンディミオンはぼんやり思い出す。
王族の「療養」が本当にそれだけの意味だろうか。
実質幽閉だったり、最悪本当は生きてさえいない可能性もある。恋人が処刑され心を病んだ結果、後を追って……という最悪の結末を隠すために、あえて「療養」という言葉をゴシップ紙に流した、というのは考えすぎか。
篤実な人柄が王家の特性と言えど、為政者として判断できるだけの教育は受けている。
ましてビランチャとスコルピオーネがそれを両側から支援しているのだ。
王女の侍女を務められるほどのジェメッリの人材なら、世情にも明るかったはず。残された子どものためを思い、すべてを飲み込んで、誰にも何も知らせないことを決めただろう。
ただのお守りとして子どもにメダグリエッタを与え、成長した子どもは何も知らないまま、離れて生きていくことになった自分の息子にまたお守りとして渡した──幸いなのか、事情が想像できてしまい、メロの中に光属性の因子が含まれていることはほぼ確定した。
「それで、このボタンって持ってたらそんなに不味いんですか?」
あらゆるヒントが会話の中にあったが、メロはあまり飲み込めていなかったようだ。
ルチアーノが最初に言った「ちょっとおバカなの」という言葉がここで効いてくる。
今回は、ジョバンニも空気を読んで口を閉ざしていた。
言ってはいけない人物、知らなくていいこと、というのはこの世に五万とある。
わからなかったのならそのままでいてもらったほうがいいと、メロの真実は闇に葬られることが暗黙で決まった。
「いや、サジッタリオ家として見過ごせない骨董品が、偶々お前の上着から見つかった、というだけだ。
これはこちらで預からせてもらう」
祖母のつけてくれたお守りだとしても、シルヴィオはそこに斟酌しない。
火種になりかねないものを、野に放ってはおけない。
「えー……、ハイ」
譲ってくれそうな気配の微塵もないシルヴィオの態度に、メロはただ頷くしかない。
ビランチャ家の派閥なので、白はシロ、黒はクロ、ばあちゃんもきっと許してくれる……。
「お前も、余計なことは言うなよ」
何か言いたそうにしたルチアーノに、シルヴィオは先手を打って釘を刺した。
「ルチアーノ、このことは、ね」
シッ、と自分の唇に人差し指を立て、アンジェロも追い討ちをかける。
もちろんルチアーノは、
「ワタシ、何も聞いてませんわ!」
記憶ごとなくした。
「……闇魔法よりタチが悪いんじゃないか?」
ラガロの独り言は、全員が聞こえないフリをした。