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「……公爵閣下は、闇属性をお持ちなんですか」
エンディミオンの出した名前に、シルヴィオは瞠目した。
自分の見た未来のその顔はわからない。
ただ、確かに闇魔法を使う敵が姿を現す未来が見えたのだ。
公爵家が闇魔法を管理していることはもちろん知っていた。
だが、ガラッシア公爵は水魔法を使い、公式にも闇魔法を扱えることにはなっていない。
フェリックスの顔を見ると、微妙な顔をしていた。
もしかすると、スコルピオーネ家は何か情報を持っていたのかも知れないが、少なくともビランチャ家ではそんな話は聞かされていなかったし、もしくは宰相の父は知っていてシルヴィオにはまだ話していない可能性もある。
しかしその事実を知らされた今、シルヴィオが見た未来のその顔が、ガラッシア公爵の顔と重なる。
それが星の力なのか、自分の嫌な想像なのか、区別はつかなかった。
「けれど、公爵様がこのようなことをなさる理由がありませんわ」
これだけは断言できると、ベアトリーチェは強い気持ちで言葉にした。
息子の婚約者というだけで、公爵家では家族に等しい厚遇をしてもらっていた。
母・オルネッラともに、エレオノーラやルクレツィアと公爵家でお茶をすることなど数えきれない。
その中でも公爵は常に溢れんばかりの愛情を家族に注ぎ、絶えることのない温かさですべてを包み込むような人だった。
「それはもちろん、そうだと思う」
エンディミオンも、ベアトリーチェの言葉に賛成だった。
名前は出してしまったものの、敵対する理由は何ひとつない。
今回の計画は、王都を旅立つまでは自分とヴィジネー家の一部の者だけの秘密のつもりだったが、シルヴィオたちの様子からもおそらく黙認されていただけだったのだろう。
公には決して認められないけれど、事が起こるまでは表立って咎めだてすることもない、という雰囲気を国王と王妃が作っていた。
そんなことに今になって気付いたが、それをガラッシア公爵が把握していなかったはずがない。
ルクレツィアにつきっきりで邸からは一切出てこなくなったと聞いていたが、なおのこと外部の、特にスピカの星の動向については探っていたに違いないのだ。
王家にしてもガラッシア公爵にしても、グラーノの存在が知れた、ということはないだろうが、今回新たに手に入れるスピカの力を、ルクレツィアのために使うかどうか。
すべてエンディミオンに託されていた。
王家はもちろん「否」の立場を崩さないが、ガラッシア公爵ならなんとしてもルクレツィアのために使いたいと考えるだろう。
エンディミオンは頑なにシルヴィオにもアンジェロにも「どうするつもりか」は明かさなかったけれど、ガラッシア公爵と気持ちは同じだ。
必ずルクレツィアを助ける。
それしか考えていない。
「万にひとつの可能性ですけどね、公爵閣下が殿下のつもりをご存知なくて、単独でスピカの星を奪い取ろうとしているとしたら、どうでしょう?」
ジョバンニがわずかなすれ違いの可能性を示した。
そのはず、そうだろう、……に違いない。
すべてはエンディミオンの考えだけで、実際にガラッシア公爵に確認したことではない。
「それでも、ですわ。
こんな手法を取る方ではありませんわ」
言葉をなくしているアンジェロに代わり、ベアトリーチェはさらに強く断言した。
その手は、力付けるようにアンジェロの手を握っている。
ガラッシア公爵────ラファエロ・ガラッシア。
ステラフィッサ王国を建国した太陽王・ヴァルダッサーレ一世の妹姫・ルーナを始祖に持つ公爵家の現当主。
名実ともに、王家に順従する貴族の先頭に立っている。
ステラフィッサ王国のすべての闇魔法を持つ者を管理する役割を担い、しかし自らも闇魔法が使えることは公にされていない。
ガラッシア家は『海凪の巫女』の系譜とされて、すべてはサダリ湖の底に沈めるように秘匿されている。
歴代の公爵は水の魔力を豊富に有し、その実では特殊な瞳を持って生まれた闇魔法の使い手こそが真なるガラッシア公爵だった。
特殊な瞳────宙の瞳の存在を知っているのはガラッシア家の当主となる者、そして王家だけ。
その瞳の持つ力のすべてを知ることはできず、その大いなる力の代償は計り知れない。
ラガロの星のように望まれてくる瞳では、ない。
呪われた瞳。
ガラッシア家が持つ最大の秘密を、アンジェロはベアトリーチェにさえ明かすことができない。
そんな忌まわしい所以のあるものを、父が持っていることをアンジェロは知っていた。
学園に入る年、当の本人からそれを教えられ、しかし彼の語るその瞳の持つ性質と、自分が知っている父親の為人が一致しない。
幼い頃に見ていた父は、これほどに優しい人にすべての貴族家の筆頭が務まるのだろうかと不思議に感じるような人だった。
常に穏やかで、温かで、愛に溢れて、特に母と妹に甘い。
公爵家の中で父が怒っているのを見たこともなければ、家人にさえ厳しい態度をとるところを見たことがなかった。
長じるにつれ、一歩外に出ればそればかりではないことも分かるようになっていったが、それでもアンジェロにとって父・ラファエロは常に理想であり、憧れだった。
……けれど時おり、不安を感じることがあった。
その優し過ぎる振る舞いに頼りなさを感じて、というわけではない。
正体はわからない。
ただ、アンジェロの知らないもう一人の人格、そうとしか言いようのない誰かの姿を、その横顔に見ることがあった。
それはいつも瞬きの間に消えて、アンジェロには父の優しい笑顔が向けられる。
きっと、美し過ぎる容貌だから、いつも家族に向けている温かな表情から外れると印象が変わるせいだろうと、そう思ってきた。
…………ルクレツィアが倒れ、アンジェロが王都のガラッシア邸に帰ってきた時、父はどちらの顔をしていただろうか?
「何にせよ、まずは本当に闇魔法が使われているかどうかを確かめなければなりますまい」
ガラッシア公爵家のことをおそらくこの中の誰よりも知っているグラーノは、ドナテッロ・ヴィジネーの顔でそう告げた。
二十年にも満たない時間を公爵の息子として生きてきたアンジェロより、八十年をヴィジネー家の中心としてステラフィッサ王国に関わってきたドナテッロのほうが知れることは多い。
エレオノーラの婚約話が出た時、相手が悪いと、グラーノは強く思った。
なぜ、よりにもよってガラッシア家の嫡男に見初められてしまったのか。
ガラッシア家でなければ、もう少し穏当にエレオノーラの婚約は進んでいたかもしれない。聖国とも、自分が出ていかなければならないほど揉めることもなかったかもしれない。
そして、相手がラファエロだから王家も動いた。
エレオノーラに出会う前のラファエロのことを、グラーノは思い出す。
何も写さない虚ろな瞳と、幼くして才走った振る舞い。
何もかも異質な子供は、それでも王家とガラッシア家に丁重に扱われていた。
その子供が、ヴィジネー家の令嬢、グラーノの孫娘のエレオノーラに出会っただけで、まるで人格が変わったように素直で真っ直ぐな少年になった。
絵本や物語に出てくる理想の王子様とでも言えばいいのか、完璧な人物像の具現化。
出会いひとつで人が変わる瞬間があることは、長い年月を生きていれば理解もできる。
けれどアレは、そういう類のものだっただろうか。
たびたび疑問に思っていた。
それでもエレオノーラが幸せそうにしているなら、ラファエロ・ガラッシアに孫娘を託したことは間違いではなかったはず。
迷うことも多かった当時のことを思い出し、そして今、ラファエロが闇魔法を使えると聞いて、グラーノは腑に落ちた。
アレは、強力な自己暗示だったのだ。
エレオノーラに相応しくあるための、完璧な擬態。
それを偽物だと嫌悪するのか、そこまでエレオノーラを想ってくれているのかと感嘆するのか、今となってはどちらでもいい。
ラファエロ・ガラッシアがエレオノーラを愛し、エレオノーラに愛される自分になりたいと強烈に願った結果なら悪くもない。
……ただそれが、愛娘の死を目前に綻びはじめているなら?
その疑念に答えを出すには、まずメロにかけられたものが本当に闇魔法かどうか、早急に確認しなければならない。
冷静なグラーノの言葉で、全員の目がもう一度メロに集まった。
エンディミオンとアンジェロが頷き合い、エンディミオンが一歩前に出る。
眠っているメロの枕元で身を屈め、閉じた瞼の上に手をかざすと、メダグリエッタを解呪した要領で光の力をそこに凝縮させる。
昨晩の奇行が暗示によるものなら、その魔法自体はラガロが壊している。
メロは今眠っている状態だ。
催眠魔法なら、闇魔法でもまだ使われている。
あるかどうかわからない闇魔法の気配をかき消すように、エンディミオンは手のひらの光輝をより強めた。
「────!」
その場にいる誰もが、眩しさに目を開いてはいられなかった。
それだけ強い光を与えられ、果たしてメロは目覚めるのか。
「…………、」
全員が見守る中、ぴくりと、メロの指が跳ねた。
薄っすらと瞼が持ち上がり、飴を焦がしたような茶色の瞳が現れると、ゆっくりと辺りを見回しはじめる。
「────起きた、か……」
あれほど目を覚まして事情を語って欲しく思っていたのに、自身の光魔法で目覚めてしまったメロに、エンディミオンはどういう顔をすればいいのかわからなかった。