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「マテオ!」


 フェリックスの呼びかけにぴくりともせず、まるで棺に眠るように小舟に横たわっているヴィジネー大司教──マテオ・ヴィジネーの姿に、ぞわりと最悪の事態を思い浮かべてグラーノは声を張り上げた。


 マテオは、エレオノーラと同じくグラーノにとって孫にあたる。

 グラーノ──ドナテッロには姉と弟の二人の子供が居り、エレオノーラは嫡男の下の息子の子供で、マテオは上の娘の子供だ。

 ドナテッロの弟で先代の大司教は生涯独り身で、ドナテッロの子供を自分の子供のように可愛がっていたが、特にその姉のほうをよく可愛がった。

 姉は敬虔といえば聞こえはいいが、昔から星神(アステラ)信仰に熱心で、誰に似たのか厳格な信徒そのものという少々扱いづらい娘だった。

 小さい頃は叔父の大司教のあとを付いて回り、長じれば秘書のような役目まで買って出て大聖堂での仕事を取り仕切るようになった。

 おかげで決まっていた結婚も遅れに遅れ、ようやく授かった一人息子がマテオであり、叔父の大司教はドナテッロの出る幕もないほど喜んだ。

 そうしてマテオ自身も母に似て小さい頃から信心深く、大司教はそんなマテオを自分の後継と定め、本当の孫のように教育を施していたが、ドナテッロが聖国に旅立つ前、マテオがまだ幼いうちに亡くなってしまった。

 空位になったヴィジネー大司教には、長年マテオの母が代理としてその任についていたが、三年前、ようやく前大司教の遺言どおり、マテオが後継として収まったのだ。


 ステラフィッサへ遣って来て、ドナテッロの記憶をはっきりと思い出し、ピエタの町に来るまでにグラーノはヴィジネー家の状況を改めて整理した。

 聖国へ渡ってから十年、それからドナテッロとして死んでからの合わせて二十余年の空白(ブランク)がある。

 ドナテッロとして再会できたのは息子とイヴァーノ、ジャンルカの三人だけだったが、グラーノとしては教会にはずいぶん世話になった。

 大聖堂(ドゥオモ)をステラフィッサでの拠点として、聖国の使節として丁重にもてなされた。

 もちろん王族や星の巫女との面会などはおいそれと叶わず自由はそれほどなかったが、グラーノも自分の立場はよく弁えて無理もワガママも言わずにいたおかげか、見た目は幼い自分にも、マテオは最大限尽くしてくれていたように思う。


 まだ壮健で、大司教になった我が子の補佐をしている娘にも自分がドナテッロ・ヴィジネーであることはついに明かせなかったが、二人が心から(アステラ)神に仕え、ステラフィッサ国内の教会をまとめ、聖国にも心を砕いているのはこの数ヶ月でよくわかった。

 マテオが少し異常なほど星の巫女に尽くしているような言動も垣間見たが、二人が恙なく弟の意志を継いでくれているのは何よりも嬉しかった。

 せめてヴィジネー家の星に際しては巫女様に同行してそのお力を拝見したいものだとマテオがさんざんぼやいていたが、大司教の身を弁えなさいと母親に諭されていたのも微笑ましかった。


 スピカの力を使い、自身の命が尽きたとして、聖国の使節の代表が居なくなったとなれば聖国側が黙ってはいないだろう。

 その時のため、すべてのことが終われば、娘とマテオ宛、それから聖国の代表(トップ)である神官長に宛てた遺書のようなものを、フォーリアに預けて届けてもらうようにしてきた。


 だからそのマテオが、なぜこんなところで、あんな風に横たわっているのか、グラーノにはまったく見当がつかない。

 今頃は王都の大聖堂(ドゥオモ)で、巫女の無事と目的の達成を祈っているはずなのに。


「グラーノ様、いけません!」


 今にも地底湖に飛び込んで行きそうなグラーノを、クラリーチェが咄嗟に後ろから抱き込んで押さえた。


「どれほどの深さかもわかりませんし、御身に何かあっては殿下に顔向けできませんっ」


 必死に抵抗しても、幼い体では武門の名門のその直系として鍛え上げられたクラリーチェには敵わない。

 いくら力を込めてもびくともしない女性の体に、グラーノはようやく我に返った。


「…………すまぬ、クラリーチェ嬢」


 抵抗を止めたグラーノの体をそっと放し、目線を合わせて屈んだクラリーチェは、首を振ってグラーノの謝罪を受け流した。


「んー。例え外見は子供でも中身はおじいちゃん……。

 オレは婚約者候補と抱き合ったことに抗議すべき?」

「馬鹿者。ふざけている場合か」

「いやー、なんだかこう、胸のあたりがざわつくというか」

「二人を天秤にかけている張本人が今さらヤキモチもないだろうに……。フェリックス、やはり疲れているな」


 シルヴィオに強めに呆れられ、フェリックスは頭を掻いた。

 確かに疲れている。

 調子が出ない。

 そうして、探索の魔法が使えるようになる毎に、心が定まらなくなっていく。


「ふむ。無風というわけでもなく、水面は波打っているけれどこちら岸に打ち寄せるほどでもない。

 ここはシルヴィオ殿とボクとで舟を引き寄せましょう」


 フェリックスがふざけたことを言っている間に、ジョバンニが淡々と状況を読んでシルヴィオに提案した。

 シルヴィオが風魔法で波を立てるのと同時に、ジョバンニが水魔法で水流を制御すれば瞬く間に小舟は湖の中心からマテオを運んできた。


「マテオ、マテオっ」


 波の勢いを借りて、石の多い岸辺まで打ち上げられた舟に、グラーノは今度は止められずに乗り込んだ。

 マテオの顔を覗き込むと、意識を失っているようで、弱いながらも息はしていた。

 青白い顔をしているし、脈も弱いが、生きている!

 グラーノは安堵したが、なぜこんなことに、という疑問は増す一方だ。


 王都にいるはずのマテオがピエタの町にいる。

 しかもグラーノですら記憶を封じられていた隠し通路の先の、ピエタ聖堂の下にあると思われる地底湖の舟に横たえられて、意識を失っている。

 どうしてこんな状況になったのか、ひとつも経緯が分からない。

 王都を発つ時、マテオは大聖堂(ドゥオモ)で巫女を見送っていた。グラーノたちに追いつく、あるいは追い越してピエタの町に入るには、夜通し馬を走らせる必要があるし、山奥の町に繋がる道は一本で、エンディミオンが率いる騎士たちに気付かれずに先を行くには、山道を分け入るしか手段はない。

 果たしてステラフィッサの教会の長になるべく育てられたマテオにそれだけのことをする力があるのか、弱々しく横たわっている細い体を見るに、その説は到底無理がある。

 では、どうやって?

 何があってマテオはここに居るのか?

 そうして居なくなったイヴァーノとジャンルカの行方は?

 いくら考えても、答えは出ない。

 マテオを保護して、目を覚ますのを待ち、その身に何が起こったかを聞かなければならない。


 グラーノはぐるりと辺りを見回した。

 おそらく、上に行く道がどこかにあるはず。

 隠し通路のその先のことは、取り戻した記憶にもない。

 天然の洞窟に、大きな湖。真ん中には(やしろ)の建つ小島。

 (やしろ)と言っても、祭壇があるからそうなのだろうと思っただけで、ステラフィッサ国内ではあまり見かけないタイプのものだ。

 神を祭るためにあるのだろうとは察せられるが、聖国でも見ない形だ。

 何を祭るためのものだろうか。

 スピカ、にしては、ヴィジネー家のどんな記録にも残っていないのはおかしい。

 この真上にあるであろう聖堂こそが、おそらくスピカの星を祀るためのものだ。

 まるで二重底の仕掛けのように、水に囲われた聖域が地上と地下に存在している。


(────何を、見落としているのか)


 グラーノが思考の中で何かをつかみそうになった。

 その時。


「ねえ……なんか、ヘンじゃない?」


 ルチアーノの声が、おそるおそる響いた。


「そりゃー、何もかもおかしいことだらけだけど」


 フェリックスが答える、ルチアーノは必死で首を振った。


「そうだけど、そうじゃなくて!

 ……私、水に入らなかったのに」


 舟を移動させ、岸に上げた時、ルチアーノ以外は舟に駆け寄って水の中に入って行った。

 だから、気付かなかった。


「濡れるのイヤだし、どんな水質かもわかんないんだから、躊躇なく入るのってどうなのとか思ってただけなんだけど」


 そう言うルチアーノの足元は、ブーツの踵がヒールの高さで辛うじて水に浸かっていないだけだった。


「……まったく(・・・・)入らなかったのか」


 ルチアーノが言わんとしていることが分かって、シルヴィオは静かに問い返した。


まったく(・・・・)よ!」


 ルチアーノの叫ぶような答えに、シルヴィオは踵を返し、気を失っているマテオを強引に担いだ。


「戻るぞ!」


 猶予がどれくらいあるかは分からない。

 ここで上に出る道を探すのは悪手だ。

 探している間に、ここが水に沈む(・・・・)未来しか見えない。


「え、なに────」


 呆気に取られているフェリックスとクラリーチェに、シルヴィオは怒鳴った。


「水位が上がっている!」


 察したグラーノは、すでに扉が閉まらないように駆け出していた。

 ジョバンニもそれに続いていて、ルチアーノも水辺から慌てて後ずさった。


 何かを遮る(・・・・・)魔法のかかった扉は、溢れる水が、居住区まで流れ出さないためにあるものだ。

 どれほどの水位になるかはわからないが、洞窟の削れ方を見るに、舟で浮かんでいれば助かるだろうというような楽観はできない。

 広大とはいえ、限られた空間。

 そうして、年に一度地上で溢れる泉。

 考えれば見当はつく。


 シルヴィオはフェリックスたちを急かし、元来た隠し通路へ引き返した。


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