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 ドナテッロ・ヴィジネーがこの世に生を受けたのは、確認されている最後のスピカの、没後二十年を超した頃だった。

 ドナテッロの力にはじめに気がついたのは、母親のヴィジネー侯爵夫人だ。

 産後の肥立が悪かった侯爵夫人は、息子の成長を見届けることができないかもしれないという不安を抱えながら、寝台の上でその小さな体をどうにか抱きしめる毎日だった。

 その身体に異変が起こったのは突然だった。

 抱きしめた息子の温もりを強く感じると、その熱さに比例するように、起き上がるのもやっとだった心身に力が戻ってくる────

 まるで子供を産む前、宿す前にまで戻ったように、痛みも気怠さもすべて掻き消えてしまったのだ。

 その変化に驚くとともに、腕の中の息子が、熱いほどになっていた息子の身体が、どんどんと冷えていくのに気がついた。

 泣きもせず、ぐったりと力を失っていく息子に、侯爵夫人は悲鳴をあげて夫の侯爵に助けを求めた。


 その時は辛うじて命を留めたが、夫人を救った息子の力が、その生命力と引き換えになる「スピカの星」の力だと、侯爵夫妻はすぐに理解した。

 侯爵家の嫡男が「スピカの星」を持って生まれた僥倖を喜ぶべきか、命を削ると分かっている能力に翻弄されるかもしれない運命を哀しむべきか、侯爵夫妻は後者だった。

 この力のことは、秘して誰にも明かさない。

 息子の命を守るために、ヴィジネー侯爵夫妻は「スピカの星」を隠すことにした。


 その後ドナテッロは、健康に育った。

 自らの力について、小さい頃から決して使ってはいけないと両親に言い含められながら、幸運なことに使う機会もないまま、学園を卒業する歳になった。

 その年、それまでかくしゃくとしていた大伯父のヴィジネー大司教が病に倒れた。

 のちの大司教にと、侯爵家の二男、ドナテッロの弟をとりわけ可愛がっていた好好爺だ。

 日に日に弱っていく大伯父に、懐いている弟も心を痛めていた。

 それでもドナテッロは、自分の力を明かさなかった。

 スピカの星のことは、実の弟にも知らされておらず、むしろ年の近い弟は、兄は自分よりも治癒の力が弱いと信じてここまで育ってきていた。

 ヴィジネーの一族で、治癒の力の強いものは教会に入ることが多い。

 時には聖国に渡る者もいた。

 ドナテッロの弟も、近年では優れた治癒の使い手であり、兄が侯爵家を継いだなら、自分は教会をまとめてヴィジネー家に貢献しようと熱く語るような心根の持ち主で、(アステラ)神への信仰は篤かった。

 そんな弟が、寸暇を惜しんで大聖堂(ドゥオモ)の星神像に祈りを捧げていたのを、ドナテッロは黙って見ているしかできなかった。

 弟のために、この力を明かして大伯父を救うのか。

 そう自分へ投げかけた問いに、ドナテッロは最後まで首を縦に振ることはできなかった。


(自らの生命と引き換えに、誰かを救う……)


 きっとそれが、スピカの星に選ばれた者の使命だろうとは分かっていても、ドナテッロは自らの命を投げ出すことができなかったのだ。

 ヴィジネー家にあるすべてのスピカの記録を読んだ。

 ほとんどが、二十歳を超えずにこの世を去っている。

 ドナテッロは、スピカの力を使うことに恐怖さえ感じていた。

 ヴィジネー家ならほとんどの者が持つ怪我を治癒する力さえ、何かの拍子でスピカの力が人に知れることに繋がるのではないかと怯えて、力を入れて能力の低い振りをしていた。

 一度失いかけた息子に、そのまま力を使わずに末長く健康に生きていてほしいと、侯爵夫妻もそんなドナテッロを肯定した。


 誰のためにも、この力は使わない。

 それが例え自身の両親であっても。

 ドナテッロの両親、侯爵夫妻は、ドナテッロが結婚し、その子どもが生まれるのを待たずに亡くなっている。

 二人とも病だったが、それでも息子にその力を使わせることはせず、またドナテッロも、泣きながら彼らを見送ることを選んだ。


 そうして、ずいぶん長く生きた。

 幸いにも、自らの子どもにもその子どもにも、スピカの力を必要とする病は現れず、孫のエレオノーラがとんでもなく可愛らしく、加えて弟の大司教よりも優れた治癒の力を持って生まれたことを心から喜んだりしながら、もうすぐ朽ちていく人生に思いを馳せた。

 両親が亡くなったことで、自分がスピカだと知る者はこの世に誰一人いない。

 このまま、一人の人間としての人生を全うするだけだと信じていた日々は────ある一人の公爵子息によって少しだけ軌道を変えた。


 ドナテッロの孫のエレオノーラ・ヴィジネーは、稀代の治癒能力者だった。

 加えて、誰よりも美しい容貌。

 幼い頃からすでにその力も美貌も群を抜いていて、教会からも、他の貴族家からも、昼夜問わず是非にと請われるほどの特出ぶり。

 これは一国を傾けるほどに育つかもしれないと、危惧されるほどに。

 ドナテッロは、先代の侯爵としても、祖父としても、孫の幸せを望んでいた。

 エレオノーラを中心とした災禍など起きてほしくはない。

 それはエレオノーラの父、ドナテッロの息子も同じことで、彼は、エレオノーラを聖国に預けようと考えていた。

 聖国には、信仰しかない。

 国も家もない。

 その中でならば、エレオノーラも聖女のように大切に扱われ、争いの火種にもならず、穏やかに暮らせるはず……。

 ドナテッロとしてはあまり賛同しかねる案ではあったけれど、とりわけ強く反対することもできず、息子の判断に委ねようと静観することにした。

 そうしてヴィジネー家がエレオノーラの聖国行きを進めようとした矢先。

 エレオノーラを国外に出してはいけない、という王命が下された。

 これまでそんな理不尽を言われたことがなかっただけに、ヴィジネー家には不審が生まれた。

 一体どういうことなのか。

 その裏事情を解き明かすと、王家と、筆頭公爵家の結託があった。

 誰とも言わなくても、一人の少年のために、エレオノーラはステラフィッサ国内に留めるべきという判断が下されたのだ。

 

(ガラッシア家か……)


 相手が悪い。

 ドナテッロは率直にそう思った。


 エレオノーラの父は、王家と公爵家への不信感から、そしてエレオノーラの聖国行きを諦めきれずに、しつこいほどのガラッシア家からの縁談の申し入れを拒否し続けた。

 娘は誰にもやらず、聖国で暮らすのだ。

 その思いで聖国にも働きかけ、エレオノーラは聖国からも望まれるようになった。

 こうして、聖国とステラフィッサ王家──ガラッシア家との間で、エレオノーラは板挟みとなり……結果として、エレオノーラ自身がガラッシア家を、公爵家の子息を選んだ。

 誰よりも全力で、どんなものからもエレオノーラを守り愛し幸せにするという姿勢の美貌の少年に、素直なエレオノーラは早い段階から心を寄せていたのだ。

 その事実に自分自身がなかなか気がつけなかった、というエレオノーラの天性の鈍さが二人の距離を遅々として近づけさせなかったが、公爵子息の親友の伯爵子息の助力により、二人の恋は実ることとなる。

 エレオノーラの父も、娘のたっての願いと、ガラッシア公爵子息のこれまでのエレオノーラへの献身を知っているから、最後は折れた。

 ステラフィッサ国内にいることで何かの火種になることを恐れていたが、自身の頑なさで余計な軋轢を生んでしまっていたし、ガラッシア公爵家で守られるなら、国内であそこ以上に安全な場所もないと思い直したのだ。

 二人の恋は実り、婚約から結婚も秒読みとなった。


 しかし、聖国の問題が残ってしまった。

 聖国とガラッシア家は、エレオノーラのことが起こる前より折り合いが悪い。

 その事実を知る者はあまりいないが、聖国とステラフィッサ国の橋渡し役のヴィジネー侯爵家の当主を何年も務めたのだ、ドナテッロはエレオノーラの幸せに、聖国が無粋な横槍を入れるのではと危ぶんだ。

 ……そうなるのであれば、と、ドナテッロは老いた身体に鞭打つことにした。

 ヴィジネー家の当主まで務めた自分が、エレオノーラの代わりに聖国へ渡ろう。

 もちろん、若く美しく、強い治癒能力を持つエレオノーラとは比べるべくもないが、聖国に有無を言わせないだけの働きを、ドナテッロは今までしてきたという自負がある。

 聖国は、ヴィジネー家に対しては、ステラフィッサ国に対するぞんざいさが嘘のように丁重になる。

 エレオノーラの件は残念だが、ドナテッロ様がいらっしゃるなら、と話はまとまった。


 そうして、ドナテッロは余生を聖国で穏やかに暮らそうと旅立ち────それから。


 月日が経ち、ドナテッロは聖国での暮らしを穏やかに閉じようとしていた。

 エレオノーラがガラッシア家に嫁いで生んだ娘が、もうすぐ二歳になると幸せに語る手紙を胸に、そろそろ人生の終焉に向き合う頃かと覚悟をした翌朝。


 ドナテッロ────グラーノは、老いた身体から解き放たれてしまった。

 生まれてすぐに母に使ってから一度も使うことのなかったスピカの力が、老衰を病と認識したのか、グラーノは生まれたばかりの姿に戻っていた。

 グラーノの従者として後年の世話を一手に引き受けていたフォーリアが、その姿を発見し、そして全てを隠蔽する手筈を整えた。

 ドナテッロは死んだことになり、グラーノは新たにステラフィッサ国から迎えた貴人として、ドナテッロが務めていた副神官の位を受け継ぐことになった。

 ドナテッロの記憶はグラーノの身体からどんどん抜け落ちていき、やがては幼い少年の人格のまま時が止まってしまった。

 時おり、夢遊病のようにドナテッロが現れることがあったが、朧げな記憶をたどたどしく虚空に見つめるだけで、フォーリアは苦い気持ちになりながら、グラーノの秘密を守り続けていた。

 グラーノは成長したり、また若返ったりを繰り返しながら、星の神託がある頃には、見た目は十歳に満たない姿になっていた。

 フォーリアが何を考えてグラーノを故郷に帰したのか、何もかもを思い出したドナテッロにはわからない。

 けれどドナテッロは悟ったのだ。

 これは、自分が自分の人生を全うするために与えられた機会なのだと。

 見ないふりをしてきたスピカの使命を果たすために、星の神が自分をここへ遣わしたのだと。


 懐かしい故郷の街並みを胸に収めて、グラーノは、ドナテッロは、自らの生命と引き換えに、ルクレツィアを救う決意をしたのだ。


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