エル・香奈子
体育の授業でサッカーをした時の事だった。
サッカー部のイケメンエースが嫌みったらしいロン毛を掻き上げながら、ドリブルでモブ男達の群れを駆け抜けてゆく。
クラスの女子達は、そんなロン毛男に黄色3号の声援を送りまくって大興奮。今にも襲いかからん勢いだ。
「ハゲ祐介! 何やってるのよ! 抜かされたら家売るからね!?」
そんな中、自分に声援?を送ってくれる唯一の女の子が居た。平林香奈子だ。
「ボケ祐介! 右よ! 左よ! 回ってワンよ!!」
「あ……」
あっという間にロン男が俺の横をすり抜けた。
「アンタの家、売却決定!!」
「ご、ごめん……」
「ゴメンで住んだらワシントン条約なんか要らないのよ!! なんだってアンタは勉強もスポーツも何をやってもダメダメの駄目男なのかしら!? 遠い親戚なのが信じられないわ!!」
昼休み、俺のお弁当の唐揚げを引ったくりながら、香奈子が俺のメンタルをショベルカーでえぐってくる。
「悔しくないの!?」
「悔しくないと言えば嘘になるけど……なんていうか、出来が違うよね」
「はぁ!? やる前から白旗!? いいから放課後特訓よ!!」
「ええーっ」
「文句言わない!!」
放課後、空き地で香奈子からサッカーの手ほどきを受けることに……。
「ボールは球体なの。友達じゃないわ! 蹴る場所と角度とエンゲル係数をしっかりと考えなさい!」
「?」
首を傾げながら、ボールを蹴る。
「あ」
「あー……」
ラグビーかな、と言うくらいに、ボールは明後日の方へと綺麗な放物線を描いて消えていった。
──ガシャン
「!?」
「やったわね!?」
嫌な音がした。
「香奈子パーンチ!!」
「うべあッッ……!!」
絶命を許さぬ、そんなパンチをモロに受けた。
「暖簾に腕押し、糠に釘! 祐介に勉強、祐介にスポーツ!!」
「酷いッッ……!! 泣いちゃう!」
怒りを撒き散らしながら、香奈子は去って行った。
自分は痛みで動けず、怒り心頭で現れたお爺ちゃんにツボを壊した罪でボロカスに怒られ、その日夢にまで出た。
翌日、俺は珍しく机に向かって勉強を始めた。
スポーツよりは出来るだろう。そんな気持ちで教科書を開いたのも束の間、既に思考回路はオーバーヒート目前だ。
普段は香奈子にボロクソ言われながら教わっているが、すぐに香奈子がキレてお開きになるのが常だ。
「あーあ、誰か優しく教えてくれないかなぁ」
──ガラッ!
部屋のドアが勢い良く開いた。
「任せなさい!」
腰に手を当てた覆面マスクの女性が現れた。銀行強盗かな?
「私の名前はエル・カナーコ! 貴方に勉強を教えるためにやってきたわ!」
それはどう見ても香奈子だった。
覆面マスクをした香奈子だ。
「何やってるの、香奈子……?」
「ノンノン! エル・カナーコ……だ!」
「いやいや、どう見ても香奈──」
「香奈子パーンチ!!」
「んのっく……!!」
絶命介助の正拳突きを受け、膝を突く。普通に痛い。てか今、必殺技に本名入ってたよね? ね?
「さあ! このエル・カナーコが勉強を教えよう! 何処が分からないのだね!?」
「……ココ」
鳩尾に手を当てながら、教科書を指差した。
「……小学校でやったよね? ココ」
「(笑)」
「仕方ない! この、エル・カナーコが0.1から手解きしようではないか!」
覆面マスクの香奈……エル・カナーコが、そっと机の脇にスタンバイした。どうやら覆面マスクだと沸点が低いようだ。
「ここはこうしてこうで……」
「こう?」
「ノンノン。あーしてこうして」
「こう?」
「ノンノン! こーやってこう!」
「こう?」
「違……!! …………ちがぁぁぁぁぅのだ~……」
一瞬切れかけたエル・カナーコだったが、直ぐに怒りは静まった。奇跡だ。
「すみません、エル・カナーコさん」
「違う! エル・カナ↑ーコ↓だ!」
「エル・カナ↑ーコ↓?」
「ノンノン! エル・カ↑ナ↗ァ→ァ↘ァ↓ァ↙ァ←ァ↖コ↑……だ!!」
見得を切るように、首を回すエル・カナーコ。どうやら少し楽しくなってきているようだ。
「すみません、良く分からないです」
「うむ! とことん付き合ってやろうじゃないか!」
と、窓から黒い物体が飛んできた。
「キャーッ!!」
「なに?」
「スズメバチ!!」
エル・カナーコが怯えてしゃがみ込んだ。
「なんだハチか」
机の傍にあったハエ叩きでスズメバチを撃墜。外へと投げ捨てる。
「アンタ……怖くないの?」
「別に?」
「い、意外ね……」
「香奈子は大丈夫? 刺されてない?」
「う、うん……アンタが咄嗟にやっつけたから」
「やっぱり香奈子じゃないか」
「──!! 香奈子パーンチ!!」
「ぐふぅるッ……!!」
死神も引き取りを拒否する程に魂を酷くぶん殴られた。
高校卒業後、俺はスズメバチハンターになった。
その道四十年の師匠に弟子入りをし、日本各地のスズメバチを狩り続けた。
「この方が今話題のスズメバチハンターです!」
そして、テレビの取材も受ける程のハンターとして活躍するようになった。
「御覧下さい! Tシャツにハエ叩き一つでオオスズメバチの巣に立ち向かっております!」
巣から飛び出したオオスズメバチの群れを全てハエ叩きで撃墜。
「速すぎて動きがカメラでは追えません!!」
「なぁに、妻のパンチの方が速いし痛いさ……」
勉強もスポーツも駄目駄目だったが、天職を見付け今は幸せに暮らしている。