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 取り繕っただけの「いつもの二人」のまま、僕らはコハクの家まで歩いた。

 見慣れてしまった女の子らしい部屋で、コハクがマドレーヌの箱を開ける。ベッドの横の小さな机を囲んで、僕とコハクが向き合うようにして座る。


「ささ、どーぞ」

「ありがとう。いただきます」


とは言ったものの、正直こんなときに何かを食べるなんて気が進まなかった。しかもマドレーヌだなんて、口の中が渇いてパサパサになる。


「美味しい!」


 マドレーヌを食べながらコハクが大げさに言った。僕も「うん」と小さくうなずく。

 こうやって忘れたことにしようとしても、告白の傷は拭うことができなかった。それから僕らは何も言うことができず、ただマドレーヌを咀嚼する音だけが響いた。

 もうすぐコハクが眠る時間がやってくる。このまま何もしなければ、彼女はまた眠りについてしまう。

 だけど僕にはいつものように、コハクの手を握って「命を吹き込む」気が湧いてこなかった。

 抜け殻のようになった僕の気持ちと同じように、コハクも抜け殻になってしまえばいいんだ。そう思いさえした。


「私、まただ……」


 するとコハクが独り言のようにこう言って、続けた。


「またこうやって曖昧にして、大切な人を失おうとしている」


 その声は普段のコハクからは想像もできないほど弱く、今にも消えてしまいそうだった。


「コハク?」

「私ね、誰かを深く愛してしまうことが怖いの。そうすることで、別の誰かを傷つけてしまうことになるから」


 雪景色のような瞳は吹雪と言わんばかりに濁っている。


「それは誰だって同じだよ。悔しいけど、恋が実る人もいる一方で、失恋してしまう人もいる。好きだと言われて喜ぶ人もいれば、拒絶したいくらい嫌な思いをする人もいる。恋愛に関しての幸せと不幸せは表裏一体で、誰かが幸せになれば必ず誰かが不幸せになるものなんだ」


「本当にそうなのかな? 私が思うにそれは、好きに順位をつけているから生まれるんじゃない?」

「順位?」

「うん。みんなを平等に愛すことができたら、悲しむ人なんか生まれないよ」


 コハクは俯いたあと、遠目で明るい夜空を見た。口をぼんやりと開けた、少女のような儚げな正面顔だった。


「ねえ、ヒカリくん。お母さんの話してもいい?」

「もちろん、いいよ。ていうか、どうしてそんなこと訊くの?」

「ヒカリくんのお母さんって、もう亡くなっているから。嫌な思いさせないかなって思って」

「めちゃくちゃ小さいときだったから、顔をよく覚えていないくらいだよ。だから最初からいなかったみたいなものだし。父さんがずっと、唯一の家族って感じ」

「そうなんだ。じゃあ、やっぱりお父さんに思いっきり甘えたりした?」

「うーん、どうだろ。でも保育園のころによく遊んでくれたのは覚えているよ」

「優しいお父さんだね」

「うん。何だかんだいって感謝しているよ」


「私のお母さんもね、すっごく優しかった。だからお母さんが大好きだったんだ。もちろん今でも大好きだけど、小さいころは本当にお母さん子だった。何か起こるたびに『ママー』って呼んで、よく泣いて迷惑をかけたっけ……。

 反対にお父さんは少し苦手だった。お仕事でいつも夜遅くにしか帰ってこないし、休みの日は釣りやゴルフに出かけてばかりだった。私の相手もあまりしてくれない。なので自然とお父さんに甘えることはなくなった。

 でもお父さんが嫌いなわけじゃなかった。うるさい私がいて、世話焼きのお母さんがいて、静かなお父さんがいる。それが家族だと思っていた」


 コハクの悲し気な語り口。僕はふと、コハクの家のリビングにある家族写真が右上の父親の部分だけ破れているのを思い出した。


「私がお母さんを愛しすぎたから、お父さんは別の女の人を見つけて家を出て行った。最近知ったんだけど、お父さんはその女の人と結婚して子供もいるらしい。もしも私がお父さんにも同じように甘えていたら、こうはならなかったのかなって思った。家族の幸せのバランスを壊してしまったのは私だ」


「それは違うよ。お父さんだってコハクとの時間を作ってくれなかったんでしょ?」


「そうだけど、それでいいって私は思っていた。私のなかではお母さんが一番、お父さんが二番だって明確に順位が決まっていた。だからこうなっちゃったんだと思う。私はみんなを愛したいし、みんなに愛されたいの」


 大きな瞳に小さな涙粒を浮かべて、コハクは続けた。


「ヒカリくんのことは大好きだよ。でも同じくらいレイくんのことも好き。どちらか一人を選ぶのが恋だとしたら、私の気持ちは恋には当てはまらないかもしれない。だってこんなにも好きなのに、どちらかなんて選べないよ。私の体が二つあれば、私は今すぐにでも二人の『特別』になりたいのに……」


 そこまで言い終えて、コハクは静かに体を前へと沈めた。

 冬眠病の眠りに、僕が起こさなければ永遠に目覚めないかもしれない眠りに、彼女はついたのだった。


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