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私が「歩」いている時の「内」心

作者: リベロノア

私は歩いている。

ここは何処かは分から「ない」。

けど、ただ歩いている。

周りには「何もない」。

...嘘をついた、「何か」は「ある」。

でも悲しいな、人間というものは。

都会の景色になれてしまうと田舎の風景は「何もない」と感じるのだな。

田舎には山、畑、自然に生えてる木...

都会にはないものも色々「ある」のに。

私達人間が言う「何もない」というのは、今の自分に必要な便利なものが「ない」ことを指すのだろうか。

そりゃあ都会にはそういうものはたくさん「ある」。

コンビニ、飲食店、服屋、娯楽施設...

私達人間がのぞむものが大量に「ある」。

「ある」のに...

私はどうしてこんな「何もない」場所を歩いているのだろう。

いや、やはり「何かある」からここを歩いているのだ。

「何もない」この場所には、都会にはない「何か」が「ある」。

でもそれは山や畑や自然に生えてる木だとかではなく、

「何か」が確かにそこに「ある」のだ。

形「ある」ものだけに「ある」や「ない」をよく使いがちだけど、

形「ない」ものにも「ある」や「ない」は「ある」。

「何もない」この場所を歩き、こう考えている事そのものが、都会には「ない」、だけど田舎には「ある」ものなのかもしれない。

自分のことにも同じことが言えるかも。

自分には「何もない」、いいところや得意なことが「何もない」。

そう思うことがよく「ある」。

ただ、自分は今、この場所を歩いていてだんだん気付いていることが「ある」。

「何もない」なんてことは「ない」と。

たとえ本当に「何も」置かれて「ない」、一面真っ平らな空間が「あった」としても、地面が「ある」。

空間も「ある」。

こんなことを言い出すときりが「ない」が、確かに「何か」は「ある」。

つまり、どんな人でも「何か」は「ある」。

全く同じ人間なんている訳が「ない」。

その「何か」を見つけ、それを生かせている人間が成功してる人間だ。

だから自分に「何もない」訳ではない。

その「何か」をまだ見つけれて「ない」だけ。

「何もない」ように見えるところから「何か」を見つけることは難しい。

また、得意なことは決して自分の好きなものとは限ら「ない」。

自分はこの「何もない」ようにみえるただの真っ白な四角に文字を少しずつ埋めている間にまたこうして色んなものを見つけている。

まるでここも田舎みたいだ。

ここで言うところの都会と言うのは既に出来上がった、他人の作った作品が大量にならんでいるところのことを言うのだろうか。

そのうちの一つの作品を見て、自分にはこんな才能は「ない」と言っている人達が、自分には「何もない」だとか言っているのだろうか。

「何か」を細かく限定した場合はそれが「ない」ことがある。

例えば

テレビのリモコンが机の上に「ない」

などだ。

だが、「何もない」ということはない。

だから、焦る必要は「ない」。

ゆっくり、自分のペースで自分の中の「何か」を探せばいい。

こうしてこんな考えを得れたのは、私が「何もない」と言った田舎の道を「何も」考えてい「ない」つもりで歩いていたからだ。

ほら、「何もない」と思っているもの、ところにはしっかりと「何かあった」。

私は皆のついでに自分にもこの話を贈り、前を向いてこれからも歩こうと思う。

「何も」いいことが「ない」と思っていたこの人生を、今度はいいことを探しながら歩こうと思う。

視線も人生も、前向きで。


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