序章 夏の始まり 始まりの夏 2
今日から夏休み。昨日返ってきた成績については無視をして、どっかで遊んだりして心のもやもやを吹き飛ばそう。
実は、とあるバンドのライブのチケットを章太郎は持っているのだ。複数枚あったら村川でも誘おうと思っていたけど、一枚しか当たらなかったから仕方ない。
ただ、一人で行くとしても、章太郎はそのライブがとてつもなく楽しみなのであった。それも、章太郎がそのバンドがすごく好きだからだ。
その名はMusicMyselves。一人一人の個性がぶつかり合った音楽、という意味だ。
章太郎は彼らの音楽に惚れたのだ。楽典などがわかるわけではないが、その何かに引き込まれるような感覚に、ついつい聞き入ってしまうのだ。
このライブを観に行けば、きっとこの気持ちも晴れる。
そんな思いでライブの日を楽しみにしていた。
しかし、当日。
「はぁー、こんなに混んでんのかぁ」
思わずため息。
そう、ここはとあるライブハウス。家から電車とバスに約一時間揺られ、そのあと十五分ほど歩き、これでもかと詰めてきた観客に押し流されながら、なんとか会場内にたどり着くことができた。
ものすごく混んでいるとは聞いていたけど、想像をはるかに超えていた。
「これがライブか」
と、なにか裏切られたような気持ちで呟いた。
少し気落ちしながらも、ライブが始まるのを待つのだった。
「はぁ」
章太郎の腑抜けた声がトイレの個室に響く。
会場に着いた時から何となく勘付いてはいたが、会場の気温も客の熱気も、章太郎には全てが暑過ぎた。
ライブに初めて来た章太郎はそれに全く慣れることができなかった。
でも、なんとしてもこの心の疼きを鎮めたいと思ってきたのだ。ここで悔いを残すことはできない。なんとかせねば、という気持ちを胸に章太郎は個室を出た。
その時、考え事をしていた章太郎は全く前を見てなかったため、目の前の人に気が付かなかった。
「うわっ!」
「おっとっと」
ぶつかった衝撃と驚きで後ろに吹っ飛んだ章太郎に対して、その人は信じられないくらい冷静な顔でこちらを見ていた。
柔道でもやっていたかのような、分厚い防壁みたいな体格に、柔和な性格がにじみ出ている、柔らかな雰囲気を醸し出す優しい顔に細い垂れ目。落ち着いて見ればとても優しそうな人に見えるが、突然のことに頭がついていっていない章太郎は危機感を覚えた。
「す、すみません、か、考え事をしていたもので」必死に弁解する章太郎に対して
「おっと、これは失礼しました」なんて冷静なもんだ。
章太郎は気まずくなって、その場から立ち去ろうとすると、
「あのー、考え事をしてた、と言いましたよね?」
不意に声をかけられた。
「は、はい」
「もしかして、ライブ初めてだからその雰囲気に慣れなかった、とか?」
「よ、よくわかりましたね。あ、もしかしてもうライブとかに何回も行ってるからわかる、みたいな……」
「いやいや、その逆。僕も初めてです。だから同志が欲しくて」
「なるほど」
「……」
「……」
「ど、どうも」
気まずくなってその場から離れようとしたが、「ちょっと待って」
と、止められた。
「あの、もしよかったら一緒にライブ見ません?」
章太郎は一瞬迷ったが、やっと落ち着きを取り戻し、優しい人だと認識できたため、笑顔で「はい!」と答えた。
今思えば、これはかなり奇跡の出会いだった。学校では明るく振る舞ってはいるものの、まともに友達と言えるのは村川ぐらいしかいなかった。
こんなに気の合う人に出会うのは久しぶりだ、と思った。思ってしまった。
そう、出会ってしまったのだ。この人から始まる、章太郎が今まで全く考えもしなかった、新しい世界に。