02
麻衣は、さっきまで俺と激しく抱き合っていた。それでも、少しだけ余韻を残しベッドを抜け出していく。そして、
「じゃあね。おやすみ」
と、軽くキスをしてドアを閉め、麻衣は自分の部屋に帰っていった。俺は、ふうっとため息を吐く。簡単に身体を許したのに、一切俺になびこうとしない麻衣を見て、どうやったら、俺の所有物に出来るのかと躍起になっている今の姿を、無様だともう一人の自分が笑っていることも知っている。
今まで同居した女でも、この2LDKのマンションの一室は、与えていた。それでも女たちは、別れる日まで、いつも同じベッドの中で眠りにつくのが当たり前だったから、今のようにことが終ると、淡々とあっさり出て行ってしまうことに、俺は戸惑っていた。
麻衣だって、セックスは嫌いじゃないと思う。毎晩ではないが、お互いの時間が許せば、どちらからともなく、身体を求めていた。あの時、もうすぐ麻衣のほうから、声をかけてくると思っていたのに、いつまでたっても声をかけてこないことに、しびれを切らし、俺が声をかけてしまった。『一緒に暮らそう』と言えば、一瞬、驚いていたが、嬉しそうにしていた。はずだった。
ただ、引っ越しの日、運んできたものは、少しの身の回りの物だけだった。
「麻衣、おまえ、どんな生活をしてきたんだよ。家具も無いのか?バッグだけか?」
と、あきれた。麻衣は、ただ黙って笑っていたけど。そして、その荷物は、何時まで経っても増えなかった。
会社の帰りに外食しようと言っても、嫌がった。当然、休日のデートもしたがらなかった。だから、腹いせ半分で、俺は休日に一人で出かけることになってしまう。まあ、友人は多いほうだから遊びには事欠かないから、退屈はしないが、麻衣はどうなんだ?
-これで、恋人と呼ぶのか?-
-いや、俺たちの関係は、身体だけのように、男の俺でさえ感じる-
そうやって、休日夜遅くまで飲んで帰っても、にこっり笑って玄関のドアを開けてくれる。ふーっと、なぜか、俺のほうがため息をついてリビングに入っていくと、キッチンからはいい匂いがしてくる。平日の弁当の総菜を作り置きしているとのこと。当然、晩御飯の総菜も。ハードワークの彼女には、作っておきたいそうだ。だから休日は時間が足りないのよと言って笑う。
だから、俺は、少し意地悪く聞いた。
「俺の弁当は?」
要求すると、麻衣は、悲しそうに首を振る。そして、
「だめよ。あなたは独身よ。会社で、へんな噂が立ってしまうわ」
と、麻衣は答えた。
「………」
「ねえ、お酒飲んで、お腹いっぱい? それとも、お茶漬けでも食べる?」
重い空気を変えるように、明るい声で尋ねてきた。俺は、キッチンだけ明かりをつけて、ひっそりと総菜たちを作っている麻衣の存在が、俺に執着しない麻衣が、いつか俺を置いて消えてしまうようで、俺は黙って手を引いて乱暴にベッドに誘う。身体だけでもつなげておきたいと言う焦燥感を持ったのは、俺だ。
恋人になったはずの女は、存在を一切、主張しない。
荷物だって、一向に増えない。
いつ、別れても良いということか?
漠然とした不安。は、ここから来るのか?
ことを終えて、ベッドから出ていこうとする麻衣の腕をつかんで、無理やり抱き込んで、キスをした。少し驚いた顔をして、困惑している。
―そう、だよな。―
最近の俺は、自分でもおかしいことに気付いてるー
そして、今日、何時ものように、飲んで帰ってきた俺を、にっこり迎えてくれた麻衣の顔が、無理に笑っていることに気付いた。それでも、キッチンの総菜たちに目を止めて、何時ものように、俺は、言った。
「俺の、弁当は?」
麻衣は、何時ものように、苦しい言い訳を口に出す。
「だめよ。あなたは独身よ。会社で、へんな噂が立ってしまうわ」
俺は、じっと麻衣の顔を見たが、ふっと視線をそらしてしまった。
「そうだな………。シャワーを浴びるよ」
そして、パタンとリビングの扉を閉めた。
知っていた。彼が、会社でも会社のそとでも、うまく遊んでいることを。どんなに綺麗な娘でも、あっさりとその関係を終えてしまう。会社の女性たちの間でも、彼のことは有名だ。
『本気にはならないらしい』
『もし、女が本気になったら、その時点でアウトなんだって』
『本気じゃなくても、一度でも付き合ってみたいわね』
そう、言わせてしまうような魅力が彼には有ると、入社してからずっとあこがれていた私も、ただ、目の保養とばかりに諦めていた。
彼に執着心と言うものが無いのか、仕事でも、上司にさえ苦言を呈する。彼の私利私欲のない真摯な姿勢が、上司に信頼され、後輩にも慕われた。私も、同僚として尊敬していた。一緒に仕事をすると面白いから、次も一緒にやりたくなる。自分の中で、これは仕事仲間としてだと割り切っていたはずだった。
あの日、彼は飲みすぎていた。チームのみんなも、確かに飲みすぎていた。楽しい仕事だったから、楽しいメンバーだったから、これで解散になることにセンチメンタルになっていたのかもしれない。結局、最初のお店から二次会へとなり、三次会へなだれ込んで、最終電車に乗れないことになって、同じ路線同士がタクシーに同乗することになり、私と彼が一緒に乗り込んだ。
彼は、私が同乗していることさえも気づかずに、自分の自宅の住所を行ったと思うと、それこそ前後不覚と眠り込んで、その住所に到着しても起きようとせず、困った私は、運転手さんに迷惑になると一緒に降りてしまった。彼は、タクシーを降りると、なぜか私の手をとり、マンションへと歩き出した。玄関で迷うことなく指紋認証で、さっと開いたドアを入って、エレベーターの扉を開けた。
酔いも覚めたのだろうと、ほっとして、
「では、また、明日」
と、手を離そうとすると、強引にエレベーターに引きずり込まれ、当然のように部屋に入れられた。玄関のドアを背にキスをされ、脚に力の入らなくなった私を悠々と抱き上げて、ベッドに連れていかれた。他の女性とも、こんな感じだったのか………。
―もう、これで良い。―
そう、思った。彼に抱かれても、しつこく追いすがらなければ、この先も同僚としてやって行ける。あこがれていると自分を何年騙して来たのか。
―一度だけでも良いじゃない。―
最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第52回 ありふれた恋 ~乾いた心は君を求めた~ と検索してください。
声優 岡部涼音君(おかべすずね♂ )が朗読しています。
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