1-3 掌握
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――アマーリエらが山賊と衝突していたその裏側。
フェンリットは騒ぎが起こった直後から行動を始めていた。
周囲の警戒を怠らなかった彼は、前方から射撃されるアマーリエの姿を見たのだ。
敵の存在を認識した彼の行動は早かった。
「いってらっしゃーい」
「うん」
呑気なシアの言葉を聞きながら、山賊に見つからずに藪の中へと潜り込む。
刃物と刃物がぶつかり合う音が響く中、脇目も振らずに射撃の主の元へと駆ける。
山賊の親玉が登場したのを確認しながら向かった先には、クロスボウを構えるみすぼらしい一人の男がいた。
フェンリットはそこで立ち止まらず、一気に接近する。
そこで初めて敵の存在に気付いた男は、クロスボウで狙っていた手を止めて声を上げた。
「な、なんだお前は⁉」
「答えません」
山賊の男は慌ててフェンリットに照準を定めるが、遅い。
"魔術の矢"が飛び出る前に男の腕を掴んだフェンリットは、もう片方の手で鳩尾を殴りつける。
掴んだ腕を捻り上げ、足を掛けて地面にたたきつけた。
「ごはァッ⁉」
痛みにもがく男がついに取り落としたクロスボウを拾い上げる。
「さて」
手に取ったクロスボウを眺める。見た目自体は簡素な木製の代物だが、一部分に鋼鉄が使われていた。
そこに刻まれているのは、魔術刻印。
「なるほど、風属性魔術を印刻した【法具】か。特に良質なものってわけでもないけど、山賊が持ってるにしては上等だな……」
賊に成り下がる人間なんて多種多様である。
その中に、もともと冒険者をやっていて得物に【法具】を使っていたという人がいてもおかしくはない。
つまり、先ほど感じた空間の乱れ――魔術を阻害する効果も、おそらくは【法具】によるものと考えられる。
「この程度の魔術なら今の僕でも扱えるけど、どれ」
山賊の男がいた立ち位置から、戦場を眺める。
今まさに、再び両者がぶつかり合おう、という直前だった。
横やりを入れるにはいましかない。
フェンリットはクロスボウを構え――、
「こ、ンのォ!!」
地に這う山賊の男が、フェンリットの足元を掴んだ。
大した妨害ではなかった。だが、気を取られたフェンリットは構えたクロスボウを下ろし、しがみ付く男の腕をつかみ取る。
その腕を踏みつけ、思い切り引き上げた。
ゴギィッ!! と、肘が曲がってはならない方向へと折れる。
「ぎゃァァァああああああああああああ!!⁉⁇」
悲鳴が轟く。
痛みでもがく無防備な男を眺め、フェンリットは煩わしそうにその意識を刈り取った。
今の悲鳴は間違いなくあちらに聞こえている。
何かが起きたということは気が付くはずだ。
「あともう一手」
フェンリットは再びクロスボウを握りしめ、一番無防備に見えた男の背中へと照準を揃える。
そして、クロスボウに魔力を込めた。
【法具】の使用方法は、刻印に魔力を装填するだけ。
自動的に術式が演算され、発動に至る。
クロスボウの形をした魔術媒体から、風魔術の矢が射出された。緑色に淡く輝くそれは、一直線に男の背中へと突き刺さる。
背後からの攻撃に驚き倒れた男を見て、山賊達は浮足立つ。
悲鳴に加えて、仲間のものと思わしき裏切りの攻撃。
冷静に考えれば、仲間が襲撃され、【法具】を奪われたと気付くだろうが、目まぐるしく動く状況がそれをさせない。
戦場を見てみれば、そこでは一瞬の硬直状態の末、アマーリエとアリザが動き出す場面が伺えた。
山賊達の動きが悪くなったところをチャンスと見たようだ。
その判断は正しい。
フェンリットは肘を折られた男を放置し、戦場へと躍り出る。
アマーリエへと襲い掛かろうとする頭領の背中に、威圧という名の魔力――【咆哮】をぶつけて動きを止めた。
「山賊にしてはやたらと用意周到ですが」
言葉を発するのと同時、場の注目が一斉にフェンリットへと向かった。
狙い通りではあったが、アマーリエとアリザの注目まで引いてしまったため下唇を噛む。
「こういうの、どこで手に入れたんですか?」
クロスボウを手で弄びながら、フェンリットは返事を待たずにアマーリエを見る。
驚きを浮かべている彼女に、意趣返しのように以前の会話になぞらえて伝えた。
「必要そうなので僕も戦いますね、アマーリエさん」
ただ伝えるのみ。返事は求めていない。
クロスボウを放り捨てて、フェンリットは一直線に頭領へと突き進む。
「チッ、てめェも護衛か⁉」
「違います」
適当に吐き捨てて、フェンリットは右手の中指に嵌められた指輪に魔力を込めた。術式が展開され、緑色の魔法陣が右腕を通過する。
現れたのは肘までを覆いつくす鋼鉄の籠手。フェンリットの所有する【法具】の一つだ。
慌てるように巨大な戦斧を構える頭領。
両者が激突する。
だが、フェンリットの速度についていけなかった頭領は、まともに力を込める事ができずに得物を弾き飛ばされた。
「こンのォッ⁉」
跳ね上げられた腕をそのまま、頭領がフェンリットへと足を突き出す。
両腕をクロスすることで身を守ったフェンリットは、勢いそのままに後ろへと下がる。
アマーリエ達は新人だと思っていた冒険者の熟練した動きに目を剥いていた。だが、今はそれどころではないと判断したのだろう。冷静に、山賊の雑兵の掃討に移っている。
「クソガキ、邪魔しやがって……!!」
「いいことを教えてあげましょう。見た目で人を侮るな」
底冷えするような声でそう言ってから、籠手型【法具】――【荒風吹】を頭領へと向ける。
込められた魔力に反応するのは、複数印刻された術式のうちの一つ。
もっとも単純かつ、汎用性の高い風属性基本魔術。
「刃よ走れ」
本質的には、先ほど放り捨てたクロスボウの術式と同一のもの。それが連続して放たれる。
「ぐッうゥゥゥ!!!?」
巨大な戦斧を立てて身体を守るが、巨体ゆえに全体をカバーすることはできない。身体に浅い裂傷が刻まれていく。
頭領の顔には苛立ちが浮かんでいた。
すかさずフェンリットが追い詰める。
「【法具】が相手じゃ、用意した策が通用しない、とでも思っているのでしょう?」
「――ッ⁉」
その反応はまさしく図星そのもの。
フェンリットは無表情のままに言葉を重ねる。
じわじわと、崖の淵へと追い詰めるように。
「おそらくは、貴方の懐にあるんですよね? 魔術を阻害する【法具】が」
「てめェ……」
「いえ本当に、どうして山賊ごときがそんなにいくつも【法具】を持っているんだと思っているんですよ。全部あなたのものですか? 見た感じ、もともとは冒険者だったように思いますが」
頭領の格好は薄汚れていたが、もともとは冒険者が身に着ける防具なのが分かる。
上等な戦斧にしろ、冒険者として活動していなければ持ちようがないもの。
あるいは強奪して手に入れた可能性もあるが、彼の身体つきはまさしく戦斧を振るうにふさわしかった。
悠長に話しているのは、この状況に余裕を持っているからに他ならない。
フェンリットは畳みかけるように言う。
「それにしても悪趣味に思いますが。普通の冒険者は、魔術を阻害するなんて力は必要ないはずですからね」
冒険者は基本的には対魔物を想定した存在である。無論物騒な世の中だ、人同士が争うことも起きるが、それが主な存在意義ではない。
「適切に前後関係を考えれば、提供者がいるな?」
「……誰が教えるかよ」
冷や汗を流す頭領は苦し紛れにそう言った。
対してフェンリットは「ああそうですか」と軽々しい口調で返す。聞いて簡単に答えてくれるものとは端から思っていない。
そして、そんな悪辣な【法具】を製作する外道者も、今後関わることがなければ興味も湧かない。
ただの話半分。
こちらはお前たちを掌握しているぞ、という表明に過ぎない。
フェンリットは更に追い打ちをかける。
「ちなみにこの程度の魔術阻害は」
【荒風吹】を付けた腕とは反対の掌を向ける。
「正直、意味がありません」
向けた掌を起点に、緑の魔法陣が浮かび上がる。
再び風の刃が放たれた。
まさかとは思いつつも、すでに回避行動へと移っていた頭領は紙一重で躱していく。
「【法具】による魔術じゃない……⁉」
懐を覗き見る頭領だが、そこには変わらず機能している【法具】があった。
「……、」
「顔の周りを羽虫が飛んでいて鬱陶しいな、程度の些事です」
頭領はついに立ち止まった。
彼の頭の中では今頃、目の前の敵の力量を測定――結果、上位のものという判断が下されていることだろう。
数の利は徐々に減っていっている。アマーリエ達が順調に雑兵たちを無力化していた。
有利だと思っていた状況は、一人の男によって簡単に覆されてしまった。
恐怖。
それが、男の頭の中を支配した。
「逃がしません」
フェンリットが駆ける。
頭領は弾かれたように身体を動かして戦斧を振るった。
しかしその動きは、小柄で素早い動きをするフェンリットに対してあまりにも鈍重だった。
あえて紙一重で避けていくことで、頭領の思考に可能性を見せつつ、フェンリットは着実にジャブを決めていく。
「クソが!!」
戦斧による攻撃は当たらないと判断したのか、彼は腰に差していた短剣を抜き放つ。
夕陽を反射して輝くのと同時に、刀身を雷が帯びた。
「それも【法具】ですか」
戦斧よりも取り回しが楽な短剣を構え、頭領は攻撃を繰り出す。
突き。切り下し。横薙ぎ。
間合いが短いながら、頭領は確実に直撃する距離で短剣を振るった。
しかし、当たらない。
「くそ、くそッ!!」
ヒートアップしていく頭領とは対照に、フェンリットの頭はごく冷静だった。
身を捻り、半身になり、後退してそれらを避けては、拳による一撃を見舞う。
殴られる痛みに顔をしかめる男は、紛らわすようにひたすら攻撃を繰り出した。
脇腹を抉るような軌道の一撃。
脳天をかち割る力任せの振り下ろし。
目玉をくり抜く一突き。
しかし、切っ先一つ掠らない。
刃の一つも触れはしない。
髪の一本斬れやしない。
「雷付与も、当たらなければただの装飾ですね」
フェンリットのその言葉を受けて、ついに頭領は短剣を取り落とした。
「――お願いします、見逃してください!!」
そして、地面に倒れるように膝をつき、頭を下げて懇願する。
強く地面を蹴ることでぐちゃぐちゃになった山道に、額をこすり合わせた土下座だった。
「すいませんでした! もうこんなことはしません!! 渡せるものは少ないですが、あの斧を差し上げます!! それなりの品なので売ればいくらかの金にはなると思います!!」
あまりにも鮮やかな手のひら返し。完全にフェンリットを格上と見て、このままでは殺されると思ったのだろう。
媚びるような声に対し、
「……仕方がありません」
フェンリットはそう言うと、【荒風吹】を解いて指輪の形状へと戻す。
武器を仕舞ったのは無警戒の現れか。
右の肩を回しながらフェンリットは頭領の元へと近づいていく。
そして、
「死ねェェェええええええ‼‼‼」
土下座の態勢で懐のナイフを取り出した男が、両手で柄を握りしめて刺突する。
ゴッ‼ という肉の音が弾けた。
「ッあガァァァあああああああああ‼⁉⁇」
突き出されたはずのナイフは彼方へと吹き飛び、両手首を蹴り飛ばされた男はその場に蹲る。
振り上げた足をゆっくりと下したフェンリットは、冷たい目で見下ろしながら、
「見逃してあげますよ。トドメは魔物にでも任せます」
運が良ければ、目を覚ませるかもしれませんね。
それが男が聞いた最後の言葉で。
次の瞬間に、顎を蹴られて頭領の意識は吹き飛んだ。