1-1 暗躍英雄
魔神討伐のために呼び出された勇者は、仲間と共に最終決戦の場へと赴いていた。
絶境の樹海と呼ばれる屈指の危険エリアだ。
その奥地にある古びた祭壇で、魔神が復活する。予言によれば、それが今日であった。
暗雲立ち込める深い森の中を進む彼等は、次第に違和感を感じていく。
「……どうしてだ? 全然敵と遭遇しない」
勇者がボソリとこぼした。
彼の言う通り、勇者パーティの四人はここに来るまでほとんど戦闘をしていなかった。
協力してくれた冒険者に見送られ、絶境の樹海に踏み込んでからというものの、両手で数えられるほどしか剣を振っていないのだ。
「こんだけ魔物の棲みやすい環境が整ってて、あれだけしか出会わないって言うのはおかしい話だな」
剣聖が辺りを見渡しながらボヤく。
「嫌になるくらい瘴器が濃いものね。魔王の一体や二体、いない方がおかしいのに」
魔術師は眉を潜めながら言葉を重ねる。
「罠という可能性もありますが、無駄な消耗をしなくて済むのは良い事です。警戒だけは怠らずに進みましょう」
聖女に言葉に、彼等は警戒心を高めて慎重に足を進めていく。
その時だった。
「ようやく現れたね」
目の前で黒い靄が一点に集まり、輪郭を象っていく。それは見る見るうちに巨大化し、やがて人の倍以上ある化物と成った。
異様に発達した筋骨隆々な黒い身体。太い腕は地面に届くほど長い。中身のない眼窩には白い光が宿り、勇者一行を睨みつけている。
魔王――瘴器と呼ばれる負のエネルギーの集合体。
魔神の劣化版と言えば軽々しいが、凶悪な力を持っている危険生物だ。
「戦闘準備」
勇者の掛け声に仲間たちが応じる。
剣聖は両手の長剣を強く握り、魔術師はいつでも魔術を使えるよう備え、聖女は後ろに下がって治癒の準備を。
そして勇者は、鞘に納めた魔を撃つ聖剣に手を掛けた。
次の瞬間。
突如現れた小柄な人物が、魔王を殴りつけた。
「――え?」
勇者が呆然と声を漏らす。
目の前で、人の数倍はある巨体が転がった。撒き散らされた強い衝撃と砂埃に、勇者一行の身体が煽られる。
そこには、魔術師然とした人影があった。
細身で小柄。その身体を、黒が基調のフーデッドコートが包んでいる。顔は狐の面とフードで隠れていて分からない。男にしては長め、女にしては短めな白銀の髪がフードの端からこぼれている。木の葉形の白い尻尾を見る限り、種族は狐人族だろう。
しまった――と、人影は中性的な声でそう呟いた。
勇者はその一言を聞きもらさずに問いかける。
「しまった、ってどういう意味だい? それに、君は一体……」
疑問を浮かべる勇者に、狐面の魔術師は魔神が現れる方角へ親指を指して言った。
「行け」
言うや否や、狐面の両腕を緑色の魔方陣が通過する。
直後、そこには腕を覆いつくすような巨大な籠手が出現していた。
光沢のある黒鋼のような材質のそれは、一目見て分かるほど高位の【法具】だった。
それを、振るう。
力任せに突き出された籠手の先には、黒い巨碗。
激突に伴い衝撃波が撒き散らされた。
小さな身体と大きな身体のぶつかり合いは、小さき者が吹き飛ばされるだけに思われたが、現実は裏切られる。
互いの拳が反動で弾かれたと思えば、一時早く立て直した狐面が懐に潜って魔王を再び殴打。
たたらを踏む巨躯に、狐面は掌を広げた両手を向ける。
「刃よ走れ」
淡く緑色に光る鋭い風の刃が、両の籠手から射出された。
魔王は身を捻って避けようとするが、右肩と左脚を抉られ転倒する。
一連の流れを見ていた勇者一行は、この狐面の実力が相当なものであることを悟った。
「君は……君が、ぼく達を助けてくれていたんだね」
「……、」
確証を持った勇者の言葉に狐面は応じない。
この魔術師が、勇者たちに先んじて魔物や魔王を倒していたのだ。おそらくは、魔神との戦いを控える彼等に、余計な疲労をさせないために。
「ありがとう。この恩は絶対に忘れないよ」
狐面は無言のまま、「いいからさっさと行け」と言わんばかりに右手で追い払う仕草をする。
仮面とフードで徹底的に顔を隠し、言葉も少ない。この人物が、自分が何者なのかを明かすつもりがないのは明白だった。
勇者は魔神を倒せば、その際に手に入る魔力で元の世界に帰る算段となっている。
間違いなく、再会することはできないだろう。
「行こう」
仲間に声を掛け、勇者は狐面の横を通って前へと進む。
魔神が現れるとされる古き祭壇まであと少し。
今も後方で戦っている冒険者たち、そして危険な前線の裏側で援護してくれていた狐面の魔術師のためにも、絶対に負けるわけにはいかない。
決意を新たにした時、狐面をしきりに気にしていた勇者の仲間の魔術師が立ち止まった。
「どうしたの?」
勇者は声を掛けて振り向く。
そして見た。
木々が傾くほどの暴風の中、数多の魔術を駆使して闘う狐面の姿を。
「嵐……」
呟いたのは誰だったか。
その光景に戦意を漲らせた勇者パーティはその後、魔神を討伐し、戦いは人類の勝利に終わった。
勇者は元の世界に戻る直前にこう言ったとされている。
「魔神を倒すことが出来たのは、一緒に戦ってくれた沢山の冒険者たち……そしてあの樹海で陰ながらぼく達を助けてくれていた魔術師――【御嵐王】のおかげだ」
どこの誰かもわからない、正体不明の英雄。
勇者パーティの魔術師すらトップクラスだと認める魔術師。
魔神討伐の"陰"の立役者。
その人物が今、どこで何をしているのか。
それを知る者は、限りなく少ない。
「――などと書かれていますよ、フェンリット」
「随分と御大層な名前をつけられたものだね」
■
とある山の道半場で、一組のキャラバンが休憩を取っていた。
荷を引くのは、浅黒い鱗で全身を覆い、人間の倍以上の巨体を持つ四足歩行の竜だ。彼等は長い間上り坂を行き、疲労した身体を伏せて休息を取っている。
荷台の数は全部で六台。あまり規模の大きくないキャラバンだった。
ギルドを通してキャラバン護衛の依頼を受けた冒険者パーティのリーダー『アマーリエ』は、地竜の足を一撫でして仲間に呼びかける。
「この山を抜ければ目的地のイーレムまでもうすぐです。緊張を切らさず進みましょう」
応じるように声をあげたのは女二人。
「その山が長いんだけどねー。あと少し頑張ろっかぁ」
「リーネは少し歩いた方が良いわよ? ほら、この辺のふともも肉が……」
「いやん、ちょっ! やめてよアリザ触り方がエッチ!!」
アマーリエはアリザとリーネ――仲間の二人が目の前でじゃれ合うのを見て溜息をつく。
三人とも女性のパーティであるため、この程度のスキンシップは割と日常茶飯事ではある。とはいえ、若い女性が外でそのような事をしていれば嫌でも目立つ。
「いい加減やめなさい、二人とも。そろそろ出発です」
「「はーい」」
アマーリエに咎められた二人は、側に置いていたそれぞれの得物を手に取る。
魔術師のリーネは杖を、剣士のアリザは直剣を。
そして、魔術師であり剣士でもあるアマーリエは、片刃の直剣を背に吊るした。
キャラバンの面々は皆揃って出発の準備を始めている。
三人もそれに倣い所定の位置に着こうと動き始める、その直前だった。
「どうも、すいません」
突然掛けられた知らない声に、アマーリエら三人はビクリと震えて振り返る。
果たしてそこにいたのは、二人組の男女だった。
「ほらフェンリット、いきなり声を掛けるから驚かれたじゃないですか」
「いやそれは仕方なくない? 逆にどうしろと?」
「まず視界に入ってから話しかけるとかしないと」
「それだと僕は、急に後ろから前に回り込んできた怪しい人になるよね。結局怪しいよね」
「そこはまあ……気合で」
「まさかの根性論」
声を掛けられたのも理由の一つだが、一番は「何故そんな場所から?」という点だった。
驚くことに彼らは、道でもなんでもない藪の中から現れてきたのだ。
どうやらそれに気が付いていない様子の二人は、くだらない会話を交わしていた。
「あなた方は何者ですか?」
「そんな警戒しないでください。怪しいものではありません」
フェンリットと呼ばれた男は、そう言いながら懐を漁り始める。
突然変な場所から現れた上、"怪しいものではありません"なんて常套句を聞かされ、アマーリエらが必要以上に警戒してしまうのも無理のない話だった。
しかし彼女らの警戒心は、フェンリットの隣に立つ女の茶化す様な言葉で霧散しかける。
「怪しい人ほどそう言うんですよね」
「シア、お前は敵なの? 味方なの?」
やがて彼が取り出したのは、一つの小さなプレートだった。
アマーリエやアリザ、そしてリーネにとっても馴染みの深いもの。つまり、ギルドカードだった。
冒険者としての身分を証明するそれを見せつけ、フェンリットは言った。
「流れの冒険者です。あなた方の目的地はどこですか? もし同じなら、ご一緒願いたいのですが」
多少離れてはいるものの、アマーリエの目はフェンリットの持つプレートが正しくギルドカードであることを捉えている。
彼の血を吸って完成したギルドカードは、その手に触れて淡く光っていた。
「私達の目的地もイーレムの町です。同伴も、依頼主に話を聞いてみない事には分かりません。しかし……」
「???」
「なぜ、そんな所から出てきたんですか?」
しっかりとした道が作られているのにも拘らず、なぜ獣道を進んだのか。
アマーリエはどうしても怪しさを拭いきれずに尋ねた。
フェンリットはバツの悪そうな顔をして、
「魔物が落とす魔結晶を拾っている内に、気付けば獣道を行っていまして……」
「今は金欠だから欠かさず拾おう、ってフェンリットが言うものですから。私は反対したんですけどねー」
シアと呼ばれた女の言葉を認識しつつ、アマーリエはゆるやかに警戒を弱めていく。
落ちた魔結晶を欠かさず拾う、という点に多少の親近感が湧いたのだ。冒険者ならありがちのことである。
「そうでしたか、分かりました。不躾な目を向けてすいませんでした」
元々礼儀の正しい女だった彼女が小さく目礼を返すと、フェンリットは慌てた様子で手を振った。
「いえ、僕らこそいきなり出てきてすいません」
彼も苦笑しながら頭を下げて一先ず落着する。
「フェンリットさん……でよろしいですか? 申し訳ありませんが、ギルドカードの方を見せていただいていいでしょうか」
「どうぞ」
差し出されたフェンリットのギルドカードには、成りたて冒険者の証である【銅級】の紋様が浮かんでいた。
等級はあくまで指標でしかないが、【金級】のアマーリエよりも冒険者としての格は二つも下である。
「確認しました。キャラバンのオーナーに掛け合ってみるので、待っていてもらっていいですか?」
フェンリットはギルドカードを受け取りながら静かに頷く。
アマーリエはこの場をアリザとリーネに任せ、キャラバンのオーナーへと話を付けにいった。
結果は了承、フェンリットとシアは帯同が許された。こうしてアマーリエら三人は、イーレムの町までの数日を共に過ごす事となる。
彼等の正体が、何者なのか知らぬまま。