番外編 タミヤ先輩と僕と夏休み
ジメジメとした空気が身体に纏わりつく。
東京の夏は息苦しいほどで、JR秋葉原駅に降りた僕をげんなりとさせた。
「……暑い」
八月某日。
僕は秋葉原に訪れていた。
電気街からオタクの街、そして今や観光地となっているこの街は常に人の往来が途切れることなく賑わっている。それはもう、湿度とは別の息苦しさを感じるほどだ。
平日であれば土日よりも空いていると予想していたけれど、夏休みを謳歌する学生の姿がちらほらと見える。
僕をふくめ、オタクはこの街に吸い寄せられる習性があるらしい。
「……あ、いた」
電気街口近くでつらつらといろいろと考えていた僕の視界に見覚えのある顔と見慣れない服装が映った。タミヤ先輩だ。
涼し気なワンピースと日光を阻む大きく丸い帽子。まるで避暑地に居るお嬢様のような装いで、タミヤ先輩が僕を待っていた。
「十分の遅刻よ」
「集合時間の十分前なんですけど」
「先輩が来る前に待つのが後輩というものでしょう?」
どうやら先輩はニ十分前に来ていたらしい。
「まあいいわ。今日は足りなくなった消耗品を色々と揃えるからよろしく」
にこりと笑う先輩の表情はとても綺麗なものだったけれど「よろしくね」の意味を考えるとどうにも心躍らない。この暑さの中での荷物持ちは中々にシンドイだろうと容易に想像出来るからだ。
「ところでバンダイくんは秋葉原にはよく来るの?」
「たまに、ですかね。先輩はどうですか」
駅から出るとSEGAが見えてくると同時に直射日光が身体に突き刺さる。
「私もたまに、ね。人混みってあまり得意じゃないの。今日は平日の午前中だから人の数が控えめだけれど、土日に来たらきっと死んでしまうわ」
そう冗談を口にする先輩だが、その目は僅かに濁っている。おそらく人ごみに流される自分を想像したのだろう。
「人混み程度で死なないで下さいよ」
「ふふ。それじゃあ、人が増える前に色々と回りましょうか」
微笑した先輩はそう言うとラジオ会館へと足を向けた。
「ラジ館って、プラモ関係ってありましたっけ」
「もちろん」
「へえ。カードゲームとか、フィギュア、同人誌のイメージでした」
基本的にヨドバシに行くと満足する僕は、思えばあまりこの街を楽しめていないのかもしれない。
「それも間違いではないけどね。実際、大抵のものはヨドバシに行けば揃うし、それに安いし。でも。私はこのラジオ会館はプラモを作る人なら来て損は無いと思うわ」
エスカレーターに乗り、僕らは上層へと運ばれていく。
「四階から八階までの階の殆どはフィギュアや模型関連のお店があるから、まずは八階まで行って下って行きましょうか。それなりに楽しめるはずよ」
合理的な移動方法を提示され、僕は大人しく従う事にする。
そして、エスカレーターの途切れ目にみえるフロアガイドを一瞥。
「八階は、ボークス、ですか」
「あんまりピンと来てない顔ね」
「なんというか、ライトなプラモ好きからするとあまり縁が無いなという印象です」
名前を知らないわけではないけれど、といった具合だ。
「分からなくもないわね。でも、私、このラジオ会館で一番好きなお店がボークスなの」
にこりと好奇心を浮かべたタミヤ先輩の足取りは軽く、人の居ないエスカレーターをトントンと進んでいく。
置いて行かれないようについて行くと、ほどなくして八階までたどり着いた。
すると、なんとなく、タミヤ先輩がここを好む理由が分かった気がした。
バリエーション豊かなラインナップと丁寧に作られた展示物。家電量販店ではあまり見かけない商品もちらほらとあり、目新しく楽しい。
「エアガンにも興味があればもっと楽しいのでしょうけど。私の柔肌に弾痕が残ったら大きな損失だもの。残念だわ」
白い二の腕をさするタミヤ先輩に、僕は何も言うまい。
ああ、ここで『確かに先輩の綺麗な肌に傷がついたら大変だぜ』と言えるような男に僕はなりたいものだ。
「戦車かぁ。何となく敷居が高いイメージなんですよねぇ」
ひよった僕はショーケースの中にジオラマと共に飾られたキットを眺める。
「気持ちはわかるわ。基本的に接着剤を使う上に戦車や戦闘機というジャンル自体、普通に生活していたら親近感が沸きにくいものね。確かに、私達の世代だと入り口は狭いかも」
先輩は同意しながら、ジオラマの細かさに感心していた。
「まあ、艦これとかガルパンとかのお陰で興味自体はあるんですけど。なんでしょうね、この微妙に手を出しにくい感じ」
二人ならんで多くの作品を見ながら、そんな雑談を続ける。
「私のイメージだと、スナップフィットのプラモデルが『プラモ』でスケールモデルは『模型』という感じなの。はじめから別物と思う方がとっつきやすい印象だわ。完成までのプロセスが違うというか。楽しみ方も、共通するところもあれば、違うところもあるというか」
「……?」
わかるようで分からない事を先輩が口にする。
それは先輩自身もそうだったようで、小さく息を漏らすと『今の無し』といったアイコンタクトを飛ばす。
「まあ。理由は色々とつける事が出来るけれど、とにかく一度作ってみる事をお勧めするわ。色々とプラモを作って来た貴方なら作れない事は無いでしょうし。大丈夫よ、なんと言っても私が付いているのだから。後はキット買うだけよ?」
先輩は、頼もしい先輩のような事を言いながらいつの間にかカゴを僕に持たせ、そこに『鬼太郎』のプラモを入れた。どうやらスケールモデルから興味が逸れたらしい。
「これ、欲しかったのよね。ねずみ男も買わないと」
「パーツ、少ないですね、これ」
「塗るプラ。名前の通りね。ファレホという塗料は知っている?」
先輩の手には細長いプラスチック製のケースに入った塗料が握られている。
「たしか、筆塗りに向いてる使いやすい塗料、みたいなことを何かで見た様な気がします」
「これはね、そのファレホを揃えたくなる中々に金食い虫なキットなのよ」
鬼太郎。千円ほどという値段は、そのデティールの細かさを見ると高くは無いように見えるけれど。
僕はファレホの塗料の値段を見つめる。約三百円。
鬼太郎を作り上げる上での推奨塗料の数を見つめる。十色以上はあるだろうか。
「これは。中々ですね」
本体を完成させるための塗料の方が高くついている。
「ね。とはいえ、全部買う必要は無いのだけど。揃えたくなってしまうのが収集癖のある人間の欠点なのよ」
などと言いながら先輩は塗料もカゴに入れていく。風貌を裏切らない資金力を垣間見た気がする。
薄々と感じては居たがこの人、お嬢様なのだ。
「マスターグレードのガンプラが誰もがハイクオリティの作品を作れるキットだとすれば、これは誰もが微妙に違うオリジナルを作れるキットよね。筆塗りって個性が出るもの」
「確かに、このサンプルをみても製作者独自のものを感じますね」
「鬼太郎はいくつかテレビシリーズがあるからそのシリーズ風な塗装にするのも楽しそうだわ。ぬりかべとかが出たら、サフを吹くだけで終わせる可能性があるけれど」
もはやそれはただのプラバンで良いのではなかろうか。
先輩の冗談に苦笑しながら店内を巡る。
「こっちは工具とか塗料のコーナーですね」
「ここがまた良いのよね。タミヤみたいなメジャーな所から出ている工具から、量販店では中々見かけない工具があったりで」
先輩はカゴの中に見慣れないヤスリを入れた。二代目鬼斬。まるで妖刀のような名前だ。
「あと、筆。ゴッドハンドから出ている筆も意外と見かけないのよね。試しに買ってみようかしら。筆って高いものを買うよりも、安くてそこそこのモノを大量に購入する方が合理的な気がするのよねー」
僕に話しかけているのか独り言なのか微妙に判断しかねるトーンで先輩が口を開く。
「ほら。筆ってメンテナンスしても使う塗料の種類によってすぐに痛むし。……どう思う?」
「いや、先輩の方が詳しいでしょ」
「これは中々に検討する価値のある議題だと思うの。プラモに関する消耗品、高価なものと安価なものどちらがいいかって。綿棒とかも百円均一で買った方が安くて大量だけれど、プラモ用の方が硬くて使いやすかったりするでしょう?」
「まあ、そうですね。でも先輩はどうせ両方買うんでしょう」
「そうなのよね。結局、両方買えば良いだけなのよ」
議題は『資金力』という最強のカードによってあっさりと消化された。
ついでに、プラモ用の綿棒がカゴに追加された。
「さてと。あんまりここで買い過ぎても移動に不便だから、薄め液とキムワイプはあとでヨドバシでまとめて買いましょうか」
「お気遣いありがとうございます。ついでに、先輩が荷物を持ってくれたら嬉しいんですけど」
「ーーあら。ネロブースが売っているわ」
華麗に後輩からの進言を無視した先輩は、大きな塗装ブースに引き寄せられていった。
ネロブース。簡単にいえば、非常に高性能な塗装ブースで缶スプレーを使っても匂いを残さず吸い込む優れモノだ。
ただし、下手なゲームハードよりも高い。
ニッパーでいうところのアルティメットニッパーのような高級品と言ったところだろうか。その銀色の武骨な見た目は中々に心惹かれる。
「さすがに、値段と大きさの二つが重なると気軽には買えないわね。学校にも一つ欲しいのだけれど……」
先輩がチラリと僕を見る。
「もしかして、これを持たせようとしてます?」
「ダメかしら」
「ダメですよ!」
「頼りない後輩だこと……」
わざとらしいため息を吐く先輩はなんとも機嫌が良さそうだ。
「ちなみに特注すれば二人並んで塗装もできるらしいの。それには興味ない?」
先輩はエアブラシ関連商品を眺めながら、少しだけ、先ほどとは違うトーンの声で呟いた。
「それは」
……それは、なんとも楽しそうな光景だと思った。
「ふふ。ま、あの教室に置くのは難しいかしらね」
クスリと笑うと、先輩はブレイドホースなるものをカゴに入れて再び歩きはじめた。
どこまでが冗談なのかは分からないけれど。
そんな塗装ブースを自作することくらいは、もしかしたら、出来るのかもしれないなどと考え始めた自分がいる事に気が付く。我ながら単純なことだ。
プラモデルコーナーを一通り見た僕達はショーケースを眺めながらレジへと向かう。
大きなショーケースの中には数々の力作が並べられている。戦闘機に詳しくない僕が見ても凄いと思うのだから、興味のある人であれば小一時間はこの前で楽しめるだろう。
「こういうショーケースって憧れますね」
「そうね。ただ。この大きさのショーケースに見合う作品を飾ろうと思えば、中々にハードルが上がりそうだわ」
「確かに」
「でも。良いわねこの大きのショーケース。ねえ、地学準備室の備品、いっそ全部捨ててショーケースを導入するのはどうかしら」
「そんなことしたら僕らの方が学校から捨てられますよ」
「それは残念」
「まあ、少しくらいならバレないかもしれませんけど」
「ふふっ」
――そんなこんなで。
レジでの清算を終えた商品を僕は再び手に持ちエスカレーターで降りていく。
イエロ―サブマリン、あみあみを通過するたびに荷物は倍増し、そんな僕を見かねたタミヤ先輩に、タミヤピットインバックパックを買い与えられた。
大容量のリュックの登場で、多少は楽になったが。
「いや、更に荷物を持てるようにしてどうする」
「リュックは前後二つ買った方が良かったかしら」
「はい?」
「だってほら。これからホビー天国に行って、コトブキヤに行って、一応ソフマップを巡回して、駿河屋に寄って、最後にヨドバシに行くのだから。荷物入れは多い方がいいでしょう?」
「…………」
「やっぱり、荷物持ちが居ると買い物が捗るわ」
これは、修行か?
真夏の暑さの中でそんな事を思いながらも、楽し気に前を歩き、たまにこちらに振り向くタミヤ先輩の後を追う。
――ああ、そして。
なんとも悔しい事に。この日が夏休みで一番楽しい一日だった。
夏休みの人に読んでもらいたいなぁと思い付き二か月。どうやら夏はおわったらしい。