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片恋に鳴く鳥の名は

挿絵(By みてみん)

 京史郎が予期した通り、菫を救出に出向いた行為はほぼ徒労と言って良かった。菫であれば真紗女を置き、逃れることが出来ただろう。駿の、玲音との戦闘行為も無駄に等しかった。だが、彼らは結果を尊重した。

 研究室に戻った一行は、菫の帰還を改めて歓迎した。


「無事で良かったわ」


 華絵が菫を柔らかく抱擁する。そんな二人を、昌三と京史郎が見守り、鶴は一歩引いたところに立ち、駿は笑みを湛えていた。


「綺麗だな、菫」


 ドレス姿を褒める駿は、心中、実のところ複雑だった。その姿で暁斎の前にも立ったのだと思うと、落ち着かないざわめきがあった。暁斎には菫が装う姿は見えない。けれど問題はそこではなかった。菫が着飾った自分を、恐らくは暁斎に見られることを望んだだろうという推測が簡単に成り立ってしまい、己の不毛な片想いを思い知るようで遣る瀬無いものがあったのだ。

 駿の称賛に、菫は照れたような、困ったような表情を浮かべた。どう答えて良いやら解らないらしい。

 その表情がまた、駿を刺激した。

 昌三と京史郎は断りを入れてから研究室より去った。鶴もまた、菫の謝辞に首を横に振り、結界を伝い拠点である奈良へと戻って行った。圧のある大人たち三人がいなくなるとあとはお馴染みのメンバーで、所帯じみた雰囲気が一気に漂った。華絵が緑茶を淹れる。

 多忙の持永は例によって不在らしい。いれば菫の無事を喜んだことだろう。


「あちらはどうだった? 嫌なこととか、されなかった?」


 華絵が湯呑を応接セットのソファーに座る菫の前に置きながら、差し出すように尋ねる。何と言っても虜囚だったのだ。玲音が菫を尊重する意向を見せていたとは言え、何があったかは解らない。

 菫は暁斎のことを思い出し、微かに赤面してから首を振った。湯呑に手を伸ばしながら答える。


「お姫様待遇でした。ロシア料理でもてなされました」

「そ。なら良かった。今の菫、本当にお姫様みたいよ」


 お姫様には似つかわしくない塩豆大福がお茶請けとしてテーブルの真ん中にある。その一つを頬張り、駿は菫の顔色の変化を見逃さなかった。何かあったのだろうと考える。暁斎は、大人の男性だ。菫に想いを押しつけるような真似はしないだろうが、少なくとも菫を多少、動揺させる振る舞いはあったらしい。穏やかでない心中の駿の舌には大福の甘味と塩気が程良いバランスで混じり合い、彼が味わう苦い思いを宥めるようだった。緑茶を飲み、息を吐くと、少しだけ心の余裕が生まれた。


「暁斎おじ様から、華絵さんたちに、玲音の異能について伝えるよう言われました」


 菫の発言に、場に緊張感が生まれる。菫帰還の喜びに弛緩していた空気が、一気に引き締まった。暁斎の名前に、再び駿の胸がざわめく。


「暁斎さんが。あの司祭の異能を教えてくれたの?」

「はい」


 菫は少し俯き、間を置いた。

 どんな状況下で暁斎が菫にそれを教えたか、駿が勘繰るに十分な間だった。

 次に顔を上げた時には、菫はもう平生の面持ちだった。


「玲音司祭の異能は先送り」

「先送り?」

「彼に仕掛けた攻撃は、彼の定められた天寿の日まで先送りされ、それまでは一切が無効となるそうです。唯一の例外は、時を繰る銀と、そして、黒白だろうと」

「……そんな異能、聴いたこともないわ」

「あの司祭の霊刀は汚濁から生じる。他にどんな突飛な能力を持っていても、俺は驚かないよ」

「暁斎さんはどうして教えてくれたのかしら。彼が寝返ったのには、やっぱり止むを得ない訳があったということ?」

「華絵さんたちに死なれたくないと。けれど、玲音司祭に死なれるのもまた、困る。おじ様はそう言っていました。玲音司祭の持つ能力ゆえに、おじ様はあちらの陣営に身を置くことを決めたのではないでしょうか」

「希望的観測でないと言えるか?」


 尋ねる駿は、声に棘が感じられないよう、慎重に尋ねた。菫にそう尋ねながら、嫉妬と理性を判じ分けることが自分でも難しい。

 菫は唇を軽く噛み、駿を見た。湯呑を持つ手に力が入っている。


「希望は、混じっているかもしれない。けれど、私なりに客観的に思考してみた結果でもある」

「そうか」


 なぜか菫を苛めてしまったように感じて、駿は気が咎めた。好きな子苛めなど、児童ではあるまいに。


「昌三おじ様がよく来てくださいましたね」


 菫の言葉に華絵も頷く。


「少し前から、神楽さんに会いに行ったりはしてたみたいね。お父様なりに、汚濁を生じる玲音司祭たちの存在を、危ぶんでいるんじゃないかしら」


 そして華絵の身を案じている。

 菫は口には出さずそう思った。美津枝を亡くしたばかりの京史郎までが菫を救出に出向いてくれたように。

 子を想う親の心。昌三は京史郎に劣らず愛妻家であり、華絵を溺愛している。華絵が菫の為に傷つくようなことがあれば、彼の藍玉碧華の切っ先は菫に向かうのではと思わせる程。昌三がそんな行動に出れば華絵は心を痛めるだろう。もっと自衛を心掛けなければならないと菫は強く念じた。

 大きな流れの渦中にあるからと言って、守られるばかりの身に甘んじる訳には行かない。昌三の懸念は杞憂であったと。そう思われるくらいでなくては。

髪に掛かった手の感触に、考え込んでいた菫はびくりと身を揺らして驚いた。華絵の手が優しく触れている。


「要らないこと、考えてる顔してる」

「……いいえ」

「一人で全てを抱え込むことはないのよ」

「そんなこと、」


 反論し掛けて、ここ数週間の内に起きた出来事が怒涛のように思い出された。暁斎が去り、母が逝った。虜となり、敵陣に身を置き。

 不意に張り詰めていたものが緩み、涙腺まで緩みそうで、菫は右手で両目を覆った。涙を見られたいとは思わない。

 華絵は相変わらず、菫を甘やかすようにその髪を撫で、駿はそれを静観していた。何も言わなかったけれど、労わりの空気が室内を満たしていた。



 ドレス姿でアパートまで戻る訳にも行かず、菫は華絵の呼んだ車に乗せられて帰宅した。いつもは固辞する好意を、今日は甘んじて受けた。

 今日は昼を食べていない。久し振りに空腹を感じる。日は傾き、もうすぐ黄昏を迎えようとしていた。忍の容態も気掛かりで、菫は部屋のドアを開けた。


 敏捷な動きで駆けてきた興吾を見て、安堵する。たった一人の弟が、心細い思いをしていたのではないかと思い、その白髪に触れた。


「菫。戻ったのか」

「ああ。心配を掛けたな。華絵さんたちが迎えにきてくれた。……忍さんはどうだ?」

「熱がまだ引かない。お前、何でそんな恰好してんだ?」

「色々あったんだよ」

「風呂、沸かすから、入れよ。お前のドレス姿って、何か落ち着かない」

「それを言うなよ」


 苦笑して、菫はリビングのベッドに向かう。

 横たわる忍は、会話で目を覚ましたのか、顔を動かして菫を凝視していた。解かれた水色の髪が枕元にうねり、清流のようだ。清流の前に立つ菫は些か気後れした。そんな菫の心も知らず、忍は唇を綻ばせた。


「よく似合っている。あの司祭、見立ては確かなようだな」

「ありがとうございます」


 冷静に品評するあたり、忍の心身の余裕を垣間見たようで、菫は僅かに安堵した。菫は玲音の異能について、忍に語った。興吾も菫の横に座り、それを聴いた。

 聴き終わった忍が頷く。


「やはりそうか。あらかたの見当はついていたが」

「ご存じでしたか」

「御師たちが調べ上げた」

「御師が?」

「私は小池静馬の祖父、小池嘉治と縁がある。小池は御師の家系だが、静馬は隠師の能力を持つ。突然変異という奴だな」


 思いも寄らないところで御師と隠師の繋がりを聴き、菫は驚いていた。確かに御師と隠師は表裏。連帯してもおかしくない位置に、互いがある。政治、経済、宗教との関わりは御師のほうが深い。隠師はそこまで政財界中枢に喰い込んではいない。御師と隠師が双方を利用し合えば日本を裏から動かすことも可能かもしれない。大き過ぎる力は、危険性も伴うが。


「神楽菫が戻ったのであれば、私は邪魔にしかならないだろう。静馬を呼べ」

「あいつなら俺、一度、追い払っちまった」

「ほう。あれが引き下がったか。だがもう事情は解っただろう。私も今であれば移送に耐えられる」


 面白そうに唇を歪めたあと、淡々と語る忍を見る興吾の目に、熱を見て取った菫は、弟の恋を知った。初恋だろう。

 だがそのことには触れず、スマートフォンを忍に渡した。静馬の連絡先を菫は知らない。忍は礼を言ってから電話を掛ける。その様子を興吾が視線を逸らさずにずっと見ている。やがて風呂が沸き、入浴を済ませた菫が普段着に着替えて一息吐いたところで、タイミング良く静馬がやって来た。忍の身を慎重に抱え上げる。壊れ物を扱うかのような丁重さだった。菫は丁寧に畳んでおいた忍の着物や帯が入った紙袋も、静馬に渡した。静馬は深く一礼した。


「忍さんを助けてくれたこと、幾重にも礼を言う」

「いいえ」


 忍も、蒼い双眸を煌めかせて菫と興吾を見た。


「借りは必ず返す。神楽菫。神楽興吾」


 ドアが閉まってもまだ、忍がそこにいるかのようにドアの前から動かない興吾を、そっと促して、菫はリビングに戻った。菫にも疲労があり、興吾も看病で疲れただろうから、今日は店屋物でも取ろうと興吾に提案すると、倹約家でいつもなら労を厭わない興吾が、珍しく同意した。

 恋するには困難な相手を好きになるあたり、やはり姉弟だろうかと思いながら、菫は興吾の恋路の行方に幸あるよう祈った。




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