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心は施錠をして

挿絵(By みてみん)

 暁斎の物言いは、菫がここを脱することを前提としていた。気持ちを平らかにして、菫はそう思考分析する。彼はそうなると信じているのだ。信頼と言っても良い。暁斎の助けなくして帰還を果たすこと。

 日が高く下界を照らし、或いは柔和な金の光に染め上げる。玲音が丹精している花壇の花々も陽射しを浴びて輝くようだ。菫は花壇の前に立ち、検分するようにそれらを見る。

 花壇の脇には桜の樹。

 立派に張り出した枝と幹の太さが、樹齢を物語っている。

 菫と最も相性の良い桜の樹があることに、菫は行動を後押しされているように感じた。前へ進めと。暁斎から託された伝言もある。華絵たちの元に戻らなくては。周囲に人影はない。部屋にも鍵は掛けられておらず、この敷地内での行動の自由を菫は保証されていた。裏返せば玲音はそれだけ、己の張った結界に自信があるということになる。菫に巫術の心得は余りない。それゆえに巫術で以てして玲音の結界を解いたり、そこから脱け出すことも適わない。

 そうであれば、解くのではなく、結界そのものを破損、消失させるしかない。

 菫は下方にある桜の枝を掴んだ。


「魂魄の厳粛なる誓約。あるかなしかと命脈に問え」


〝ほんまなら僕が攫うてやりたかった〟


「……銀月」


 想いを振り切るように霊刀の名を呼ぶ。顕現する、銀の光。この場を去るということは、暁斎から離れることを意味する。胸に満ちる切なさはどうしようもなく、菫は銀月の柄を握り、固く目を閉じて、開けた。

 待っている人たちがいる。そこが菫の居場所だ。

 風が柔らかく吹き抜けた。清涼孕む、秋の風だ。ドレスの裾がささやかに揺れる。軽い素材のドレスは身動きしやすく、菫の動作を妨げない。菫は銀月を手に花壇から離れ、教会の前、煉瓦塀の出入り口まで来た。門はなく、目の前には住宅街の景色が開かれている。それがまやかしであることも、菫は知っている。ここから出て闇雲に歩いても、結界の中で果てるだけ。では、結界そのものを斬れば。

 玲音の弱点が銀であるのなら、その結界も銀で斬ることが可能なのではないか。


「どこに行く気? バイオレット」


 小花や紙風船の絵柄が浮かぶ、赤い着物に萌葱色の兵庫帯を締めた真紗女が、彼岸花を手に立っている。

 やはり動向を監視されていたかと、菫は冷静に判じた。虜囚に、完全な自由を許す筈もない。菫は策を弄せず答えた。


「帰らせてもらう」

「それを聴いて、私が見過ごすとでも?」

「無理だろうな」

「話が早いわ。縛瞬の候。千代萌葱」


 現れる春の芽吹きの色。その色を認めると同時に、喉元に迫った刃を、菫は銀月で弾いた。真紗女は菫の肩をとん、と軽く蹴り、くるりと宙で回転して、振り向きざま菫の背に斬りつける。菫はこれをかわし、真紗女に正面から向き直ると銀月で下段から上段へと斬り上げた。赤い着物の袖が切れる。真紗女の顔に険が宿る。


「千代萌葱。小春日和(こはるびより)

「銀月。月下銀光」


 真紗女の紡いだ呪言のあと、押し寄せる草原の波は異様な高さで、菫を埋め尽くす勢いだった。草原に窒息してしまうより前に、銀の光が降り注ぐ。蒼穹から降る銀の串が草原をも切り裂き、真紗女の周囲に突き刺さる。真紗女自身に当たらなかったのは、彼女が素早い身のこなしで避けたからだ。しかし身動きを封じられることは避けられなかった。草の海から跳躍した菫は、真紗女の前に降り立つ。


「銀月。斬」


 銀月が斬ったのは真紗女ではなかった。真紗女の結界術であり、玲音の結界であった。不可視の檻が崩れ落ちる音がする。硝子が割れるように儚い音だ。真紗女は銀の串に囲まれ身動き出来ない。


「千代萌葱。燦々叫喚」


 せめてもと放った熱波の技だったが、それまでもを銀月は斬って捨てた。真紗女はぞっとした。燦々叫喚は灼熱の塊だ。これには防御しか為す術はない。為す術がないものを、菫の銀月は斬った。

 濃い紫のドレスを着て、静かに佇む菫は、真紗女の目に汚濁以上の異形の者と映った。こんなモンスターを、玲音はメシアと崇め、尊んでいるのか。動けぬ屈辱もあり、真紗女は菫に罵声を浴びせた。苦し紛れの声だった。


「化け物」

「言われる筋合いはない」

「殺せ」

「殺さない」

「後悔するわよ」

「それもない」


 消失した結界の、教会を囲む敷地の門前に、複数の気配を感じた菫の意識が、真紗女から逸れる。真紗女は千代萌葱で銀の串の一本を斬り折り、その僅かな隙間から自由を得た。

 門前に並ぶのは鶴、華絵、京史郎、昌三。

 彼らは皆、各々の霊刀を持っていた。京史郎が動き、菫の首筋を狙った千代萌葱を弾き飛ばす。戦闘の気配に、遙たちも駆けつけてきた。

 玲音と駿の姿がない。暁斎も。

 菫はそれを訝しく思った。真っ先に前線に立ちそうな彼らは今、どこにいる?

 鶴が胸元を押さえている。まだ万全ではないのだ。


「村崎はんを飛ばしてしまいました」


 つまりは、鶴の案内でここまで辿り着いた一行だが、巫術の手違いで、駿だけを違う場所に移行させてしまったということか。菫は納得し、遙、虎鉄、樹利亜たちを見た。これでは潰し合いになってしまう。戦闘は畢竟、避けられまい。もっと早く自力で脱出するべきだった。どうすれば良いのかと、菫は思案した。



 私室に突如、現れた駿には、さしもの玲音も驚いた。

 丁度、外に霊力の入り乱れる気配を感じ、向かおうと思っていた矢先だった。

 駿自身も驚いた表情をしている。そして、その手には黒白。

 玲音の眉がひそめられた。銀と並び、いや、或いはそれ以上に注意すべき霊刀が、よりにもよって眼前にある。

 駿は混乱していたが、玲音を敵と定めることに迷いはなかった。汚濁を生む集団の統率者。菫を監禁する者。今ここで討っておけば、後顧の憂いは消える。駿の黒白が襲う前、刹那の間に、玲音は短剣で自らの指を傷つけ、血を舐めた。


「災いの目眩まし。暗愚の慈悲。華には華を」


 玲音の呪言に、駿はぞわ、と背中が粟立つ気配を感じた。汚濁の臭気が、玲音の手、一点を目掛けて押し寄せ、集約されつつある。蠢く内部が透けて見える、おぞましき霊刀が何で出来ているかは明白だった。忍と彼の戦闘中に、感じたのはこの禍々しさだったのか。

 言葉は不要だった。

 駿は玲音の霊刀が顕現するや、間髪入れず黒白で刺突を繰り出した。寸でで身をかわし、間合いを取る玲音。間合いを取った、そこから体勢を立て直し反撃する暇を駿は与えず、猛攻に出た。黒白で首元を狙い、次いで胴を薙ぐ。玲音の霊刀を受け、それを押し戻し、押し戻した勢いでそのまま霊刀と玲音諸共、両断しようとする。

 明確な殺意が駿にはあった。圧倒的な意思の力、そして黒白の性質に、玲音は苦戦を強いられる。


「銀滴主。雨霰」


 襲い来る毒の飛沫を、駿は本能的に避けた。玲音から飛びずさる。

 部屋の入口に佇むのは、銀滴主を構えた暁斎。


「邪魔をするな、暁斎さん」

「玲音司祭を殺されるんは困りますのや」

「だから俺たちを裏切ったのか」

「菫はんは京史郎はんたちと合流してます」

「え、」

「はよう、君も向かいなさい」


 ここで暁斎とも一戦交える覚悟でいた駿は拍子抜けした。幾ら黒白でも、玲音と暁斎の二人を相手取るのは荷が重い。暁斎がここで駿を見逃そうとするのなら、それは願ってもないことではあった。ただ、男としての矜持が若干、傷つきはする。矜持と命を秤に掛け、駿は暁斎の脇をすり抜けて部屋を出て走った。あとに残された玲音に暁斎が声を掛ける。


「大事ありませんか」

「ああ。しかし、バイオレットが」

「そうですねえ」

「――――君が手引きを? なぜ村崎駿を逃した」

「僕は何もしてません。黒白に銀を喰われたら、貴方かて困りますやろ」

「…………」

「僕は貴方の呪言の完成と後押しさえあれば、あとは手足の一本や二本、どうなっても構へんのです」


 玲音が水色の目をぽかんとして瞠り、次いでくっく、と笑った。


「そういう男だと知ってはいたが」

「はい」

「君の心は一体どこにあるのだね」


 玲音の問いに暁斎は微笑む。

 心は預けた。

 紫色の花畑に未だ佇む彼女。誰より強く、誰より脆い、尊い女性に。



 黒白を手に、門まで駆けてきた駿を見て、菫たちは安堵し、虎鉄たちは危機感を抱いた。勢力図が大きく傾く。菫たちに有利に。玲音は、暁斎は何をしているのか。鶴がすい、と前に出る。


「ここで乱戦も無粋ですやろ。わたくしたちは退きます」


 この言葉は虎鉄たちにとっては僥倖の筈だが、真紗女は噛みついた。


「たかが人数の差で、優位に立ったと思うな!」


 鶴の目が真紗女に据えらえる。冷たくも温かくもない、醒めた目だった。


「人数の差やあらしません。実力の差です。貴方も結界術を使わはるようですけど、わたくしから見れば子供騙し」

「何ですって?」


 気色ばむ真紗女を無視して、鶴が宙に線を引く。老いて尚、嫋やかな手で四角を描いた。

 それだけ。

 たったそれだけの仕草で、鶴は真紗女たちを囲む不可視の結界を築いたのだ。不可視であり、頑強で逃れること適わず、無論、菫たちを追うことも出来ない。鶴は更に宙で手を動かす。今度はやや柔らかく、ふんわりと。菫たちを囲う守りの結界。そして鶴の意図するところへと移動出来る結界だった。


「行き先は研究室でよろしいですね」


 巫術士の長の念押しに、反論する者はいなかった。




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