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嘆きのレシピ

挿絵(By みてみん)

『パブーワ』から大学へ帰る道々、華絵が菫たちをレストランに誘った本当の理由を明かした。


「あの店のご家族なんですか。その、重篤の人って」


 華絵が頷く。頷いた拍子に口紅の赤が光を受けて艶めいた。


「シェフの、お祖父さん。(がん)の末期で、最期は家で過ごしたいって、病院から出たそうよ」

「あの店の裏に、そんな切迫した事情があるとはね」


 駿が向かいから走ってきて、ぶつかりそうになる小さな男の子を受け留め、方向を正してやりながら、相槌を打つ。どうもすみません、と顔を下げる若い母親と思しき女性には極めて爽やかな笑顔を振り撒いている。笑顔を節約しろとは言わないが……、と菫は思う。そんな調子だから女性からあらぬ誤解を受けるのだ。

 『パブーワ』の入り口には花水(はなみず)()が植わっていた。春には白い花を咲かせ、秋には赤い実をつけるのだろう。入り口の面は全面硝子張りになっていて、中で歓談しながら食事する客たちの様子がその透明を通してよく窺える。内装は北欧を軽くイメージした雰囲気で、温かな中にも垢抜けた印象があった。一つ一つのテーブルに飾られた小さな野花は、店の人間が摘んであしらったのだろう。和やかな中にも落ち着いた空気が保たれていたあのレストランにも、背負うものがあるのだ。表面からでは解り得ないことが、隠師をやっていると見えることが多い。


「店の二階が住居になっていてね。裏手の庭には桜の樹もあるそうよ、菫」


 華絵が菫を名指ししたのは、菫が霊刀を顕現させるに、桜の樹と相性が良いからである。

 菫は軽く頷く。緊張感を以て。


「バンシ―の手掛かりになるかは解らないけど、あとでそのお祖父さんのお話を伺いに行くことになってるわ。それと、教授がクッキーが全滅したって嘆いてたわよ」


 菫も駿も顔を見合わせる。研究室に戻る足取りが多少、鈍った。

 花水木の緑の濃い葉が、菫の脳裏で風に揺れていた。



 果たして研究室に戻った菫たちは、持永の恨みがましい視線を受けることとなった。自業自得である。

 ガリガリとミルでコーヒーの豆を挽きながら持永は口も動かす。


「あれは儂の旧友がくれた取っておきの菓子でのう……」

「道理で。美味しかったです」

「いや~、ココナッツの風味が絶妙でしたよ、教授!」

「少しは悪びれたらどうかね、全く。食べ物の恨みは怖いんじゃぞ?」


 そう言いながらもコーヒーを華絵の分も含めて室内にいる全員分、淹れるあたり、持永の人の好さが表れている。


「すみません。今回の教授の学会が長引いたので、羽目を外したのは事実です」

「神楽君は素直でよろしい。それに比べてどこかの色男はのう、ほれ、謝罪の言葉すらないんじゃから」

「サンタクロースは気前よくプレゼントしてくれるものですよ、教授」


 持永にウィンクして何を得るというのか。

 菫には駿の愛想の振り撒き方がよく理解出来ない。

 男にウィンクされた持永もげんなりした顔で「もう良いわい……」と力なく呟いた。

 

「今回は学会だけでなく、入院した友人の見舞いにも行ったからの。その分、戻るのが遅くなったんじゃ。末期の癌でな……」


 その言葉に菫たち一同は、コーヒーを飲む手を止める。


「……末期の癌ってそんなにあるものなんですか」


 菫が尋ねると持永はしたり顔で頷いた。


「あるところにはあるものじゃ」

「ご友人は夜に泣き声が聴こえるとか仰っておられましたか?」

「何じゃ、怪談かね。ないよ、そんなことは」

「…………」


 白磁の華奢なコーヒーカップの黒い水面から、菫が菫を見ている。

 波打つことのない黒は、生じた疑惑を菫の中に静かに沈殿させた。


 どこにでもいる訳ではないバンシ―。

 海を渡ってきた靴を喰う妖怪。

 人外が、この町に集約されているような気がするのは、菫だけではないだろう。

 いずれ華絵も駿も気付く。菫の特殊性に。そんな日が来ないことを願いながら、菫はコーヒーを口に含む。



 『パブーワ』の主人は酒田(さかた)(とき)()と名乗った。

 菫たちが訪問すると、すぐに二階の畳が敷かれた一室に通してくれた。窓の上には赤い金魚が描かれた風鈴が吊るされている。残念ながら窓は閉められ、冷房が適度に効いている為、その音色を聴くことは出来ない。


 酒田時雄の祖父・酒田(さかた)(しげ)()は部屋中央のリクライニングベッドに横たわっていた。頭髪はほとんどなく、白い筋が二、三本見える程度だ。抗癌剤の副作用だろう。顔色は悪く土気色で、菫たちにもこれは長くないなと判る外見だった。しかし彼は愛想よく、にこやかに菫たちを迎え入れてくれた。

 ベッドの正面には大きな薄型の液晶テレビが設置してある。無聊を慰める為だろう。


「済まないね。座布団も出せない有り様だが。時雄も気が利かんな。お客様に接する時は常に真心を忘れるなと言っているのに」

「どうぞ、お気遣いなく」


 華絵が淑やかに頭を下げる。菫たちは繁治を囲むようにめいめい、畳に正座した。


「そう、泣き声の話だったな。あれは一週間程前の、湿気の多い晩のことだった。家人が寝静まった頃、私はふと目を覚ました。女の……泣く声が聴こえたんだ。それも若い女ではない。老婆のような。何とも物悲しい声でな。初めは婆さんが迎えに来たかと思ったものだが、どうやらそんな風でもない。その日以来、夜になると泣き声が聴こえるようになった……」


 一区切り話し終えた繁治の額に汗が浮いているのを見て、菫がサイドテーブルに置かれた水差しを咄嗟に繁治にあてがう。繁治は一口、二口、それを飲むと、ふう、と息を吐いた。


「ありがとう、お嬢さん。警察にもお嬢さんたちのような別嬪さんがいるんだな」


 菫たちの立場は飽くまで刑事ということになっている。話を円滑に聴くには、そうすることが手っ取り早いのだ。

 華絵が口を開く。


「他にも何か……。繁治さんのお話を聴かせてください。お身体にご無理のない範囲で」

「私の話と言っても」


 戸惑う繁治に華絵がにこりと笑いかける。


「何でも良いんです。最近、よく思うこと、思い出す記憶……」

「ああ、それなら、あるなあ……」


 繁治は一度目を閉じると、開けた。老人に特有の、薄い膜が張った水気を感じさせる澄んだ瞳だった。

 その目が、菫に向く。


「あんたたちは、福岡大空襲を知ってるかね」

「一九四五年に行われた米軍による空襲ですね」

「六月十九日だ。焼夷弾が投下され、博多も天神も皆焼けた……。私はまだ子供だった。姉が防空頭巾を被らせてくれて、一家揃って防空壕に避難したんだ。あんたがた、兄妹は?」

「弟がいます」

「私はいません」

「俺も」


 繁治が頷き、菫を見る目に郷愁を宿らせた。彼の目には今、菫が姉のように映っているのだ。


「もう爆撃も止んだかと思う頃、外に姉たちと一緒に出た。まだ危ないという声もあったが、防空壕の中はそりゃあ暑くてな。敵わんかった。水が恋しくてなあ……。そんな時、また焼夷弾の投下が始まった。攻撃は終わった訳ではなかったんだ。〝危ない、しげちゃん! 〟、そう言って、姉が覆い被さるようにして私を押し倒した。気付くと、姉の下半身はなかった。最期の言葉も何もなく、姉は私を庇って逝ってしまったんだよ」


 繁治はそれからまた水差しをちらりと見た。見る瞳には、それまでとは異なる水気……、涙がうっすらと光っていた。

 菫が黙って水差しを繁治にあてがう。


「それから終戦の後、焼野原になった近所一帯に、拾い集めたトタン屋根で家らしき物を拵え、生き残った家族とその日暮らしで飢えをしのぎながら過ごした。最近になって、よく思う。姉のくれた命を、私は有意義に使い切れただろうか、と。もしあの泣き声が、姉の声なら堪らんと思ってな」


 繁治の話は戦争を知らない世代である菫たちの心に重く圧し掛かった。

 繁治の部屋の長押(なげし)の上には黒い額が四つ、掛かっている。繁治の妻が写っているのであろう一枚を除き、全てモノクロだ。


「……あれが姉の美津子(みつこ)だ」


 震える指先で指された写真にはおさげ髪の少女が笑顔で映っていた。



 菫たちが研究室に戻ったのは、夏の長い日も終わりに差し掛かろうという夕暮れ時だった。

 銀杏の樹がざわめき、温い風が吹き抜ける。秋になれば金色となるこの樹の葉の代わりとでも言わんばかりに、太陽が金色に地上を照りつけながら沈もうとしていた。


「まずいわね」


 腕を組んだ華絵が、丁寧にマニキュアの施された爪を噛みながら呟く。

 彼女は更に、組んだ美脚を机の上に乗せるという行儀の悪い、乱暴な恰好であった。しかし華絵の言わんとするところは菫たちにも解った。駿が応じる。


「あのじいさんの負の記憶……、慙愧の念。汚濁とも妖怪とも結びつきやすいだろうな。下手をすりゃバンシ―と汚濁、双方が相手になるかもしれない」

「バンシ―は繁治さんの嘆きに呼応して来たのだろうか」

「それは何とも言えないわね……。泣き女は死が近い住人のいる家の側で泣くのが本質なんでしょう?」

「引き金になった可能性は、あると思うんです」

「まあ、否定はしないわ」


 華絵が爪を噛むのをやめてふいと窓の外を見る。

 暮れかかる空に飛びかう烏が一羽、二羽。


「嘆きのレシピにとんだ客が来たってとこね」




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