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毒薬の嘘真

 どうして。

 見間違う筈のない、白髪、薄紫の瞳。黒い単衣の着流しすらそのままで。

 恋しいと想っていた人。

 今でも恋しい人が。


 目の前で、汚濁を生む。


「宗旨替えですか、暁斎さん」


 黒白を構えて尋ねる駿の声は低い。わだかまった黒い凝りの、汚濁が数体、暁斎の呪言によって生まれた。人に害を成そうと、涎垂らさんばかりの気配。


「悟っただけです」

「何を」

「悲嘆の声は解放してやらなあきません。玲音司祭の言うことは正しい」

「嘘だ。他でもないあんたが、それを言う訳がない」

「嘘かほんまか、試してみますか?」


 菫はまだ混乱していた。暁斎は何等かの演技をしているのではないか。敵を欺く為に、まず味方から――――。銀月を握る手の力が鈍る。興吾たちは、汚濁に応戦している。彼らがそこらの汚濁に遅れを取ることはないだろう。問題は牛鬼と、暁斎。

 暁斎が銀滴主を駿に向けるのを、幻のように菫は見ていた。嘘だ。暁斎と駿が闘うなど。


「銀滴主、雨霰」

「黒白、喰らえ」

「おやおや」


 駿に降り注いだ銀滴を、黒白が全て平らげた。毒の、一滴も残さず。直後、二人は切り結ぶ。剣戟の音が鳴る。


「悪食ですねえ、黒白は」

「毒でも喰らうんだよ、孔雀みてえだろ」


 暁斎の突きを駿が上体を逸らしてかわし、体勢を立て直しながら黒白で暁斎の下半身を薙ぐ。退いてこれを避けた暁斎は、銀滴主を袈裟懸けに駿に向けて斬りつけた。盲目とは思えぬ素早い剣捌きに、駿が持前の反射神経でついて行く。菫もいつまでも傍観する余裕はない。牛鬼に、銀月で対峙した。


「銀月。月下銀光」


 早く駿の加勢に行かねばと急く気持ちで、呪言を唱える。構えた銀月が眩く輝く。天から銀の串が数多、飛来し、牛鬼の身体の、主に足を刺し貫いた。上がる悲鳴が耳をつんざく。留めを刺そうとした菫は、次の瞬間、目を疑った。

 泣いていたのだ。牛鬼が。

 大きく飛び出た眼球から、大粒の涙がぼろぼろと。


『喰ライタクナイ。傷ツケタクナイ』


 どういうことだと菫は困惑する。牛鬼は確かに人を害していた。犠牲者が出ていた。興吾がそう言い、特務課からの指令もあった。だが当の牛鬼の言い分はまるでその逆だ。意に沿わぬ行為を、強制されていると言わんばかり。


『人間ヲ助ケルト生キテハユケナイ』


 聴いたことがある。濁流に呑まれた青年を助けた少女は、牛鬼の姿に変じ、人間を助けると生きてはゆけないと言い残してたちまちにして溶け、真っ赤な血となって川の流れに消えていったという。共存が可能であれば人外でも目こぼしするのが霊能特務課の方針だ。しかし、人を助けることが出来ない、すれば死ぬ妖怪に、菫はどう対処すれば良いのか解らなくなった。それに牛鬼は、強制する力により、人を襲っている要素があるように見受けられる。その強制する力の源は。


(玲音か)


 未だ全貌が掴めないその異能。遙たちに汚濁を生む術を享受した張本人。彼、もしくは彼の下にいる者が、牛鬼に人を襲わせているのだ。牛鬼は泣きながら人を害する。人を助けては死んでしまうから。


「菫!」


 駿の声に我に帰った菫は、寸でのところで銀滴主の一撃をかわした。暁斎が銀滴主を振るう。駿の黒白が銀滴を喰らう。何かに操られているかのように駿に突進した牛鬼に対し、暁斎は菫に再び銀滴主を向けた。菫は銀月を構えるだけで動けない。


「菫はん。応戦せな死にますえ」

「暁斎おじ様。なぜ」

「暁斎呼べ、言いましたやろ。敵を敬称で呼ぶ人間はあらしません」


 敵。

 敵なのか。暁斎が。そうと認識した途端、菫の中で気力が委縮する。そうと悟ったように、暁斎が攻撃を仕掛ける。


「銀滴主。雨霰。驟雨」

「銀月。傘下(さんか)対手(たいしゅ)


 銀光が幕となり、菫を包む。銀滴主の驟雨は即効性の毒だ。一滴でも受ければ命はない。暁斎は本気なのだ。震撼する思いと共に、菫はそう悟った。

 暁斎が無形の構えを取る。菫は必然的に、正眼の構えとなった。繰り出した銀月の一撃を、弾き返される。すぐさま、暁斎の脇を目掛けて銀月を振るう。防ぐ刃と攻める刃で打ち合う。高く鳴り響く金属音。互いに離れ、間合いを取る。菫の上段蹴りをかわした暁斎が、彼女の鳩尾に拳をめり込ませる。諸に拳を喰らった菫がくずおれる。暁斎が銀滴主をかざす。


「銀滴主。即毒(そくどく)明王(みょうおう)


 劇薬を飲んだかのような激しい衝撃が、菫の総身を駆け巡る。息が出来ない。身体が火のように熱いのに、氷海に浸かったように寒い。菫は路上に嘔吐した。


 一本、二本。

 駿の黒白はじわじわと牛鬼の足を咀嚼していた。一気には喰わない。それはなぶり殺しに似ていた。


(急げよ、黒白)


 駿は暁斎と菫の対戦に気が気でない。鷹揚として構える自分の霊刀を急かすも、黒白は主の意向を気に掛けもしない。黒白は駿には制御し切れないのだ。だからこそ彼は危険視された。悪食が、暴走したらどうなるかと。視界の端に、蹲る菫が見える。暁斎が銀滴主を振り下ろそうとしている。嘘だろうと思いつつ、駆け寄ろうとするが間に合わない。


 暁斎と菫の間に割って入ったのは、遙の蒼穹天女だった。

 遙は蒼褪めた顔で暁斎を睨んでいた。


「話が違う。菫ちゃんは殺さない約束だ」

「ああ、そうでしたねえ。せやかて、毒、使うてしまいましたわ。苦しんで死ぬより、ここで楽にしたほうが、菫はんの為ですやろ」

「彼女は殺させない」


 ひゅん、と風切音と共に暁斎の腕を射たのは、純白の矢羽をつけた矢だった。華絵が霊弓雪羅を構えている。暁斎が銀滴主を持つ腕を押さえる。


「急ぎ過ぎよ、安野暁斎。精霊が宿る。魔魅は陥る。俗世現世の流れ。煉獄真紅」


 赤いレイピアを構えた樹利亜、赤秀峰を構えた虎鉄が立っていた。


「この場は僕に任せてくれるんやなかったんですか」

「玲音の指示よ。こうなるかもしれないからって」


 汚濁を生み出す側である樹利亜と親しげに口を利く暁斎を、菫は朦朧とした意識の中、見ていた。興吾が駆け寄ってくる。汚濁を滅し切ったのだ。華絵が次々に矢を放つ。樹利亜たちは辛くもこれから逃れるも、狙う獲物を逃さぬ宝具の矢が相手では些か分が悪い。煉獄真紅と赤秀峰が何本か打ち落とすが、矢は途絶えることなく降ってくる。

 攻撃は最大の防御とばかりに、樹利亜が華絵を煉獄真紅で襲撃する。刃を弾いたのは、若草色の霊刀。興吾が華絵の援護に回った。


「八百緑斬。不免罪」


 若草色の帯が緩やかにしかし容赦なく樹利亜を締め付ける。


「煉獄真紅。爆中心」


 興吾の身体の中で、熱が爆ぜた。堪らず地面に伏し、転がる。華絵の矢は攻撃を止めない。今ここで、霊弓雪羅の手を休めれば、敵が総勢で押し寄せる。但し、暁斎を遙が止めるのは計算外だったが。遙がその思いを汲んだかのように華絵を一瞥する。


「ここは一旦、退くよ。安野暁斎。貴方にも反論は許さない。この場の全権は僕に委ねられている」

「……解りました」

「暁斎さん!」

「はい、村崎はん」


 叫び、呼び掛けたものの、駿は次に言う言葉に窮した。暁斎は明確に己の信念を告げたのだ。変節の理由を。だが、菫が苦しんでいる。毒のせいだけでなく。解毒して、身体が快癒したとしても、心に大きな傷が残るだろう。それを察した上で尚、暁斎はあちら側に立つのだ。何も言えない駿に暁斎が笑い掛ける。


「菫はんに、よろしゅう。生き延びはったら」


 その言葉を皮切りに、暁斎たちの姿は牛鬼と共に結界内から消えた。

 菫の背を華絵がさする。一刻の猶予もない。


「おい興吾、あれ出せ」

「解ってる」


 興吾がポーチバッグから取り出したのは、黍団子だった。少し千切り、菫の薄く開いた唇の隙間から無理矢理に押し込み、飲み込ませる。結界はまだ維持されている。救急車だの何だのと、騒ぐ人間がいないのは幸いだった。銀滴主の毒は現代の科学医療では解明出来ないものだ。


「どうして暁斎おじが」


 苦悶の表情を浮かべる姉を見ながら興吾が呟く。裏切ったとまでは言いたくないのだ。しかし暁斎の今夜の行為は、明らかな裏切りだった。興吾だけでなく華絵も駿も、まだ信じられない思いだ。駿が菫の身体を抱え上げる。


「家まで送る。興吾、タクシーに乗るぞ」

「私も行くわ。女手はあったほうが良いでしょ」

「助かります、華絵さん」


 夢現に彼らの声を聴きながら、菫は暁斎の姿と声を、今まで見聞きしたそれらを、早回しのように思い出していた。


 安野暁斎叛逆の報は、その日の内に関係者たち全員の知るところとなった。


                     


挿絵(By みてみん)





  <第七章・完>





本作はこの第七章の終わりをもって、しばらくの休載期間に入ります。

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