ポエマーと食いしん坊
駿と遙はアパート横の駐車場に立っていた。結界の中である。二人共、駐車場脇に生えていた高砂百合を手にしている。純潔の百合。聖母マリアの象徴。
青い空に白い雲が流れる。
「天の横溢、魔の哄笑、日陰の冷涼、縛された鮮血、黒白」
顕現する、駿の真の霊刀。黒と白の対照的色合いを有する刃。
「命短し恋せよ乙女。蒼穹天女」
遙もまた、それに応じて霊刀を顕現させた。
美麗なる細身の青い太刀。そして遙は少し思案する風に駿を見た。駿の纏う燐光は艶めく黒だった。まるで麗しい女性の黒髪のような艶。強く存在感を発揮する燐光は、そのまま、駿の憤り、激情を反映していた。
「……赤き唇褪せぬ間に。火炎天女」
現れ出でる、赤い刀身。遙は今の駿と、黒白に対して、初めから二刀流で処することに決めた。高砂百合の生気を分裂させ、霊刀をもう一振り顕現させる、その技量は、他の隠師に容易く真似出来るものではない。駿が目を眇める。
刃が打ち合ったのは、その次の瞬間だった。
先に仕掛けたのは駿。遙が青と赤の刃でそれを受ける。ゆらりと、遙の纏う燐光が、蒼く赤く揺らめいた。すぐに二人は離れ、また打ち合う。澄んだ金属音が響き渡る。駿の黒白を遙が受け流し、火炎天女で斬りつければ、それを避けざま、駿が蹴りを放つ。腹部にめり込んだ蹴りの衝撃を、後退することで緩和し、蒼穹天女の刺突を繰り出す。頬を掠めた蒼穹天女に構うことなく、駿が袈裟懸けに刃で急襲する。遙が後退する。後退しつつ、火炎天女で駿の胴を薙ぐ。駿もまた後退し、これを紙一重で避けた。
黒白が、喰わせろと駿に催促している。
二振りの霊刀に、涎を垂らしている様が目に浮かぶようだ。
悪寒を感じて、遙が駿から大きく間合いを取る。虎鉄が言っていた。駿の黒白は、霊刀を喰らうと。ぞっとしない話だ。
めりっ、という嫌な音がして、見ればいつの間にか肉迫した駿の黒白が、蒼穹天女に喰い込んでいた。喰われる。そう察知して遙は、火炎天女を振るい、駿を、正確には黒白を避けた。分が悪いと感じる。
「傷心の稲妻」
「あ?」
「傷心の稲妻が僕の心を駆け巡る。彼女の心は手に入らない。まるでそれは一握の砂。砂上の幻。儚い幻影。これが恋の痛みであるなら、僕は甘受するべきなのだろうか」
「おい、ポエム野郎。とち狂ったか」
するするするり、と。駿の身の回りを、遙の言葉が列を成して取り囲んだ。駿が瞠目する。
「悲し愛しと鳴く鳥の、行方はいずこか知らねども」
遙の紡ぐ詩は、呪言が形を成し、顕現したかのように駿を束縛した。実際、遙の詩は拘束具としての役割を持ってその場に生まれ落ちていた。
「お前の異能かよ……!」
遙の詩は、単なる感傷の産物に留まらなかった。ただのポエム野郎じゃなかったのかと駿は、自らの肉を締め付け、喰い込んでくる言葉の波を苦々しく睨んだ。
「黒白!」
呼べば嬉々として反応する悪食の霊刀は、その身を柔軟に変形させ、駿を縛る呪言を喰らった。駿が、はあ、と大きく息を吐く。まだ総身が痺れている。束縛の打撃は小さくない。黒白の悪食がなければ、今頃どうなっていたか。
「この、ポエム野郎め。煮ても焼いても喰えねえ奴だとはな」
「喰ったじゃないか。その霊刀は、余程に食い意地が張っていると見える。霊能特務課も寛容だね」
「うるせえ」
――――詩が喰われた。あとは蒼穹天女と火炎天女で抗するしかない。だがそれらの霊刀でさえ、駿の黒白には好餌と映るのだ。下手をすれば喰われる。今はまだ、詩の束縛の効果が残っているようだが、体勢を立て直した駿を相手に、果たしてどこまで戦い得るか。
これらの思考を遙は一瞬の内に行い、短期決戦とするべく駿に向かい、二刀を構えて跳躍した。
迎え撃つ駿。黒白が遙に迫る。
(あ――――)
霊刀が、喰われる。遙がそう直感し、覚悟した時。
「銀月。網の目崩し」
清かなる銀の光が、駿の黒白を絡め取った。網の目のように広がり、刀身を包む。
(コレハ喰エナイ)
黒白の声を駿は聴いた。遙の蒼穹天女、火炎天女の動きも止まる。
パジャマ姿に薄手のカーディガンを引っ掻けた菫が立っていた。息を切らしながら。
「何をしている、村崎」
「…………」
「遙君を殺す積りだったのか。黒白で」
「菫。病人がしゃしゃり出る場面じゃねえ」
「黙れ。双方、刃を引け。これ以上の戦闘は、私が許さない」
「菫ちゃん」
「遙君もだ」
そう言い終えた瞬間、ふらりとへたり込む菫に、霊刀を無に帰した駿と遙の二人が慌てて駆け寄る。
「だから無茶だって……」
「菫ちゃん。君は間違ってると僕は思った」
「おい」
「けれど間違っていると言う僕を、村崎駿が間違っていると断じた。互いに、譲れない意志のもとでの立ち合いだったんだ」
「遙君。何の話……」
「君の、」
「止めろ、言うな。病人に鞭打つ真似をするのか、お前は」
駿の低い声に、遙が押し黙る。実際、菫は肩で息をしていて、戦闘した直後の駿たちよりも辛そうだった。額に脂汗が浮き、吐息は熱の為に熱い。
幾何かの逡巡の末、菫の体高に合わせて跪いていた遙は立ち上がった。
「帰るよ。菫ちゃん。そこの狼に気をつけてね。何でも食べるみたいだから」
「余計な言葉を言わねえと済まないのかよ、お前は」
「遙君。遙君は、どうして汚濁を生むの」
真剣な声で菫に問われた遙の脳裏に、駿の言葉が蘇る。
〝正しさって何だよ〟
「悲しみは浄化されるべきだと思うから。でも、僕にも、よく解らなくなってきた……」
「あの、玲音という人から離れて」
「……それは出来ない」
結界は既に消失している。遙は菫に手を伸べて、触れる寸前でそっと引っ込めた。そしてそのまま、その場をあとにした。
戦闘と霊力の気配を感じ、外に出て結界内に侵入し、更に霊刀をも使役した菫は、やはり無茶が祟ったのか熱がまた上がり、再びベッドの住人となった。駿は黙って胡坐を掻き、腕組みしてそんな菫を半ば睨むように見ている。
「村崎。視線が痛い」
「痛いように見てんだよ。何で邪魔した」
「お前に遙君を殺させる訳に行かない。遙君にお前を殺させる訳にも行かない」
「どっちつかずだな。薄利多売かよ」
「……済まない」
罵声に対してしおらしく謝られて、駿はそれ以上、何も言えなくなった。菫の為と思った戦闘を菫本人に止められ、挙句、病状を悪化させた。駿は菫よりも自分自身に憤っていた。
「済まない。お前はきっと、私の為を思って黒白を振るってくれたのだろう。けれど私には、遙君を切り捨てることは出来ない」
「いつかお前の甘さがお前を殺す。俺は、お前の周囲の人たちは、その事態を恐れている」
駿はわざと突き放した声音で告げた。
「そうか。私は甘いか。そうか……」
「興吾のほうがまだ肝が据わってる」
「あの子は、将来有望だからな」
そう言って、眠りに落ちた菫を見る駿の双眸から、伝い落ちるものがあった。最初、彼はそれに気付かなかった。ポタリ、ポタリと床を打つ音を怪訝に思い、それから頬に手をやって驚いた。自分の涙に自覚がなかった。菫が死んでしまうのではないか。駿はそのことを今、最も危惧していた。菫を殺すのは、対峙する敵ではない。菫自身の感傷、優しさだ。桁外れの力を持ち月光姫と呼ばれても。彼女が自ら災禍に身を投じるのであれば、一体誰にそれが止められる?
(頼むよ、暁斎さん)
人頼みになるのは情けないが、彼女を真から守れるのは、恐らくは銀滴主の主たる彼一人だ。
菫の身体も、心も。
駿が顔を伏せるとまたぱらぱらと涙の雨が降る。小さな水溜りは銀滴の凝りを連想させて。駿はぐい、と顔を乱暴に拭った。