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あなたがほしい

挿絵(By みてみん)





挿絵(By みてみん)





 翌日の持永研究室には、怠惰な空気が漂っていた。

 部屋にいる全員が、そこはかとなく気怠く動き、または静止している。唯一の例外は興吾くらいだろう。黒い革張りのソファーに座り、ルービックキューブを弄っている。夏休みの宿題を終え、読書感想文も自由研究も書き上げた小学生は、元気と暇を持て余していた。うっかり、「汚濁、出ねえの?」と失言して、姉に拳骨を見舞われた。そうそう出て堪るものかというのが菫を始めとする研究室に集う隠師一同の思いである。やがてルービックキューブに飽きた興吾は、今度は菫のパソコンを使って全国津々浦々の妖怪について調べ始めた。机とパソコンを奪われた菫はそんな興吾をげんなりした表情で見ていた。今、彼女は華絵と駿と共に、応接セットのテーブルを囲んでお茶を飲んでいた。特に話すことがある訳ではない。京都行き、奈良行きによる疲労を引き摺る若者たちが、まるで退職後の老人たちのように寄り集まって世間話をぽつぽつ喋っているだけである。


「この間、健康器具買ったのよ」

「またですか。華絵さん、前にもウォーキングマシーン買ってましたよね」

「てかさ、華絵さん、ウォーキングマシーンとか買う必要ある? お屋敷一周すりゃ結構な運動になるでしょうに」

「それじゃ気分が出ないから買うの。それで新しい健康器具なんだけど。ウェストを引き締めるって奴ね、使ってもあんまり変わんないのよ」

「無駄な出費じゃないですか。華絵さん、十分にくびれてるじゃないですか」

「菫くらいに細くなりたいのよ」

「私は単に痩せぎすなだけでして。出るとこ出てませんし」

「俺はそれでも十分に菫は魅力的だと思うぜ」


 ウィンクする駿を、白けた目で菫が眺め遣る。ああそう、とおざなりに答えてお茶を啜る。


「たるんどるのう……」


 研究室に顔を出した持永の第一声がそれであったのも無理はない。

 華絵がはあい、とばかりに手をひらひらさせて持永を招く。


「教授もご一緒しません? 京都土産の抹茶ロール、切りましょうよ」

「残念じゃが儂は神楽君を呼びに来たのでな」

「はい? 何でしょう」

「儂の部屋に来なさい。(みや)()長老がお越しじゃ」


 その言葉に菫を始めとして華絵、駿、そして興吾の顔つきが変わった。立ち上がった駿が慎重に言葉を紡ぐ。


「俺に用じゃないんですか」


 持永の白い眉の下の目が、駿を見上げる。


「京史郎君が動いたからの。現時点で村崎君に話はないそうじゃ。神楽君、来なさい」

「はい」


 宮部(みやべ)喜一(きいち)。隠師を束ねる長老たちの集団・鶯鳴会(おうめいかい)の中でも最高齢にして最高の霊力を保持すると目される人物。全国の妖怪にもその名は知られ、寿命で逝く日を待望されているというまことしやかな噂がある。

 持永の私室の椅子に腰掛けた宮部は、一見すると洋装の似合う小粋な老人だった。茶色いストライプの入ったスーツに身を包み、黒に白の水玉の蝶ネクタイを締め、持ち手が垂れ耳の洋犬の頭部である杖を軽く握っている。頭にはパナマ帽。


「久方振りだね。神楽菫君」

「はい。宮部長老には、お元気なようで何よりです」


 宮部が笑う。

 如何にも好々爺然とした老人を前に、菫は固くなっていた。


「そう、緊張することはない。今日は村崎駿君とは別件で来たのだからね」

「村崎はこのまま、放免。そう受け取ってよろしいでしょうか」

「君の父上。神楽京史郎君が動いた。そして霊能特務課長からの要望もあった。御倉まで圧力を掛けてきおった。であれば、これ以上、僕たちにとやかく物申すことはないよ。村崎君は大層、人気者なようだね」


 ひょい、と宮部のパナマ帽を取る手があった。小さくて白い。何重にも重ねられた着物の袖がその腕を覆い、袖の先は持永の机上の電話口に繋がっている。


「これ、百瀬殿。おいたはしないでおくれ。僕が話す間は邪魔をしない約束だよ?」


 ふん、と不遜な鼻息が菫の耳に届く。


「わらわを無視してバナナと遊ぶからじゃ」

「バイオレットとの三者会談だろう。無視してなどいないよ」


 やんわりと宮部が菫の呼び名を訂正しながら百瀬を宥める。聴いていない、と菫は思った。

 つまり自分は今、霊能特務課長と長老のリーダー格、隠師の元締め二大勢力のトップとの対談に加えられているのだ。二人だけでやってくれ、と菫は胸中で切実な悲鳴を上げた。今、菫が同席している場は、お化けとお化けの話し合いであり、常識をはるか彼方に置き去りにした次元にある。常識人を自負する菫には心臓に悪いことこの上ない場であった。持永に助けを求めたくても、彼は我関せずと一人お茶を飲んでいる。よく見れば宮部と菫が向かい合う間に置かれたテーブル上には京都土産の抹茶ロールケーキがご丁寧にも等分に切って置かれてあり、フォークは四本、湯呑も持永の物と合わせて四つあった。最初から、百瀬をも頭数に入れての接待なのである。パナマ帽をぽーいと放り投げた手はその次にフォークを無視して抹茶ロールケーキをむんずと鷲掴みし、それは受話器の向こうに消えた。もぐもぐと咀嚼する気配がする。


「うむ。美味」

「ああ、僕のパナマ帽が。あれで高価なのだよ、百瀬殿」

「知らぬ。バナ、バイオレットは渡さぬぞ。宮部」


 部屋の空気が張り詰めた。菫にはそう感じられた。

 好々爺の纏う空気が、ふんわりと、戦意を纏う。ゆるゆると。


「機先を制した積りかな。ちょっと、礼儀がなってないんじゃないかな、それは」

「戦略の前に何が礼儀ぞ」


 答える百瀬の声もまた、冷やかだった。


「僕たちは村崎君を放免した。京史郎君の暴挙も不問とした。これを寛大な処置と思ってはくれないかな」

「花一匁じゃな。さしずめそなたが欲しい花は菫の花か。ここに来て、欲が出たか」

「いけないことかな。神楽菫君はそもそも、特務課と僕たち長老の二重機構に属していた。そして今回は三輪の巫術士に危うく攫われるところだった。僕たちはね、百瀬殿。怖くなったんだよ。このままではまたいつ、誰が、菫君を手中にしようと画策するか知れない。それでは困るんだ。特務課に彼女を完全保護下に置く積りがないのなら、僕たちで菫君を保護する」

「島根にか」

「そうだよ」

「くだらぬ。それでは空中浮遊牢に囚われるのと何の違いがある」

「心外だな。島根に菫君を招いた暁には、下にも置かぬ歓待をするよ。お姫様待遇だ。約束しよう」

「哀れなるかな。して、バイオレットは体よく籠の鳥と言う訳か」


 菫は混乱の極致にあった。京都に行ったのは、村崎を救うのに一役買ってくれた霊能特務課へのお礼参りの為だった。それが、奈良に連れ去られ、危うく巫術士の一族に取り込まれるところだった。ようやく全てが片付き博多に戻ったかと思うと、今度は長老たちが島根に自分を招くと言う。混乱だけではない。憤りもあった。自分の存在があっちこっちにボール遊びのように軽んじられていると感じた。


「私はどこにも行きません」

「ほれ、バイオレットもかように申しておる」

「菫君。君自身は知らないだろうが、君の価値は如何なる玉石にも勝る。それでいて、恐ろしい災厄を招き得るもする可能性をも秘めている。汚濁生む、悪しき心を持つ輩から君を守る為にも、僕と出雲に来るのが最善なんだよ」


 菫は自分の足元が急に砂上の楼閣のように心許ないものであるように思えてきた。


「……私は、一体、何なんですか」


 答える声はどこからもない。


「村崎君を、この先も自由にしてやりたいだろう?」

「しくじったな、宮部」


 せせら笑う百瀬の言う通りだった。宮部は菫の懐柔の仕方を間違えた。


「そういうお話でしたら、お断りします。強迫紛いの誘いに乗る気はありません」

「菫君――――」


 カチャ、と持永の部屋のドアノブが音を立てた。結界が張られた室内に踏み込んだ長身の人影は、室内を一望した。菫が息を呑む。


「父さん」


 京史郎は菫に一瞥だけくれると、慇懃に宮部に会釈した。


「失礼する。私の娘の行く末について、何やら話し合っておられるようなので、無粋ではあるが親の立場としてこの場に同席させて頂く」


 京史郎の宣言に、反論の声は上がらなかった。ただ、持永と宮部が京史郎を歓迎していないことは明らかだった。


「僭越だね」

「元はと言えば」


 宮部の非難を意に介さず京史郎は続ける。


「私が無断で村崎駿を空中浮遊牢より連れ出したことが話の発端。ゆえにその結末を菫に求めるは筋違い。既に成人を済ませた身ではあるが娘は娘。私の承諾を得ずしてその居住を動かすことは止めてもらおう」


 朗々とした声で語る京史郎の言い分に、口を挟む隙を見出せず、宮部はお茶を飲んだ。湾曲した目元は、笑っているようでいて、瞳孔までを覗けば不快極まりない色が見て取れる。

 ほほ、と百瀬の高らかな笑い。


「退くしかあるまいの、宮部? 娘を想う親心に勝るものなしじゃ」

「後悔することになっても知らないよ。京史郎君」

「自分の決断に責任は持ちます」

「人死にが出てからでは遅いと言っている!!」


 杖で床をドンと突きついに激昂した宮部を、動じない瞳で京史郎は見た。


「私の息子は死んだ。次に人が死ぬと言うのなら、その最初の一人には私がなろう」



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