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よろずの想いを星が知る

挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)





 教会にパイプオルガンの音が鳴り響く。荘厳にして、厳粛に。

 その音が、教会内の一室にいる遙たちの耳にも聴こえた。室内全体が赤い部屋だ。虎鉄は気にしないようだが、遙の好むところではない。今日の夕食はフランスパンとミートシチュー、蒸し野菜と果物盛り合わせで、味は良かった。ここにいる限りは寝食の心配はない。玲音(れおん)司祭は余り好きになれないが。食卓を共にするのも、遙には気鬱だった。白く一点の染みもないテーブルクロスの掛かった長方形のテーブルには銀の燭台の炎が揺らめき、煉瓦の壁に陰影と趣を映していた。


「何拗ねてんだよ」


 清潔な麻のシーツの敷かれたベッドに横になり、壁を向く遙に虎鉄が声を掛ける。剥いた先にある壁も赤で、遙はそれを見たくない為に目を閉じる。


「菫ちゃんは村崎駿や安野暁斎と京都に行った」

「ああ、奈良にも行ったらしいぞ」

「……聴いてない」

「報せが入った」

「……僕は聴いていない」


 駄々っ子のように言う遙を虎鉄が宥める。


「バイオレットが恋しけりゃまたポエムでも書けよ」

「そんな気分じゃない」


 虎鉄はこの扱いの難しい幼馴染が、何に機嫌を損ねているのか察しがついた。


「ははあん。焼き餅か」

「煩いよ」


 ごろん、と遙が寝返りを打ち、虎鉄の双眸とがっちり目が合ってから、再びごろりと身体の向きを戻す。虎鉄の目は面白がるようなからかうような、――――そして哀れむような色を宿していた。首に巻いた銀色のチェーンが彼の心情を表わすように慎ましく光を反射していて、それで遙は何だか気詰まりになってしまった。

 ちらりと、部屋の電気に視線を遣る。マッシュルームのような形をした、チェックのカットが入ったころりとしたランプシェード。白熱灯の暖色が遙の身を包む。


「住む世界の違う女だ。好いてどうにもなるものでもない」

「住む世界を異にしながら、彼女は誰よりも僕たちに近い。知っているだろう、鉄」

「お前まで玲音司祭に毒されるのか。ここは仮の住まい。俺たちが彼と暮らす生活も仮初めのものだぞ」

「……ほんの一枚だ。ほんの一枚の壁を隔てたところに菫ちゃんはいるんだ」

「だがその壁は厚く頑強だ。例え一見、薄く透明に見えたとしてもな」


 遙が起き上がり、虎鉄に向き直る。ひたむきな瞳が虎鉄に問い掛ける。


「その壁の為だけに僕は彼女を諦めなければならないのか」

「そうだ」


 パイプオルガンの音が響く。

 バン、と虎鉄が遙の顔の横に手を突く。真紅の壁に。


「そうだ。何度でも、問われる度に俺はそう答える。遙。忘れるな」

「…………」

「バイオレットは、お前の手には入らない」




 菫たち一行が博多駅に帰着したのは、日が落ち始める頃だった。博多駅の雑踏は関西弁が行き交う京都駅とはまた異なる賑わいで、慣れ親しんだ博多弁のイントネーションに、菫はほっとした。華絵は迎えに来た自宅の車に乗り、住まいが近隣である菫と興吾、暁斎は同じタクシーに乗り、駿はバスに乗った。駿の家も比較的近いことから、菫は駿もタクシーに同乗するよう誘ったのだが、興吾が子供とは言え、一台のタクシーに四人が乗り込んでは手狭だろうと言って、駿が遠慮した。かくして暁斎がタクシー運転手の横に座り、菫と興吾がその後ろに座る構図で博多駅をあとにしたのだった。タクシーの車窓からは博多の町並みと藍色に染まった空、ぽつりぽつりと小さな星の点が見え、帰ってきたのだという意識を菫に緩やかにもたらした。うつらうつらと舟を漕ぎ出した興吾の白い頭を肩にもたれさせて、菫がルームミラーで暁斎の様子を窺うと、彼は薄紫の瞳をいつものように開いたまま、泰然と構えていた。その視線がちらりとこちらを向いたようで、菫は慌てて視線を逸らした。逸らしたあとで、暁斎に菫の目線を捉えることが出来ないことに思い至った。ましてルームミラー越しである。このように時折、暁斎は盲目とは思えない行動で、菫を動揺させるのだ。


 タクシーがアパートに着く頃には興吾も目を覚まし、寝起きのすっきりした顔で、菫のボストンバッグまで引き受けてタクシーを降りた。

 菫が車中の暁斎に声を掛ける。


「タクシー代の半額はあとで請求してください」

「構しません。それよりよう休んでくださいね」


 菫の反論を封じるように、暁斎は運転手に車を出すよう促し、菫は遠ざかるタクシーを手持無沙汰に見送った。空の藍は濃くなり、もうすぐ紫紺となりそうだ。見上げると白い月が出て素知らぬ顔で下界を照らしていた。

 家にはどこでも特有の空気というものがあり、旅路から戻った住人はその空気に気持ちを和ませる。菫もまたそうだった。

 風呂の浴槽にお湯を溜めている間に、興吾が薬缶でお湯を沸かして梅昆布茶を淹れた。リビング中央に出した折り畳み式テーブルに湯呑が置かれ、菫は礼を言ってからお茶を飲んだ。ゆるゆると張り詰めていたものがほぐれていく。


「よく出来た弟だ」

「だろ?」


 興吾は車中での仮眠が効いたのか、疲れも見せず得意げに頷く。興吾がいてくれて良かった。いなければ一人で風呂を沸かし、お茶を淹れて淡々と過ごしていたのだろう。寂しさをそれとも気付かずに。


「今日はもうお茶漬けで良いな」

「菫。お前、奈良でぐうたら寝こけてた癖に無精じゃないか」

「寝てても疲れたんだよ……」

「年寄りみてえ」

「白髪のお前に言われたくないよ」


 その後、二人は交代で入浴を済ませ、お茶漬けで空腹を満たした。尤も興吾はお茶漬けに加え、駅で買った菓子パンも食べていた。日頃であれば菓子パンを夕食代わりにするなど栄養が偏ると小言を言うところである菫も、今日ばかりは大目に見て知らぬ顔をした。

 身体が外側からと胃袋の内側からとで温もると、二人共に睡魔の緩やかな襲撃に遭い、荷物の整理もそこそこに、寝床の住人となった。何の力の干渉も受けない安らかな眠りを、菫は子供のように貪った。



 吹き荒れ荘の前に立つ人影を見て、駿はげんなりした。いつもいつも、相変わらずの美丈夫振りで、見慣れると食傷気味にもなるというものだ。女ならまだしも、と心中で軽口を呟きつつ駿は口を開く。


「何だよ、静馬。今、お前の相手する余力ないんだよ」

「霊能特務課へのお礼参り、それから巫術士の本拠地くんだりと忙しかったようだね」

「解ってんなら帰れ。一応、報告も入れただろうが」

「帰るよ。駿。君が空中浮遊牢から出たと聴いた時、僕らがどれだけ安堵したか、君は知らないだろうね」

「――――俺が使える、駒だからだろうが。いや、ジョーカーか?」

「それだけじゃない。少なくとも僕にとっては」


 車が吹き荒れ荘の前を静かな走行音を響かせながら通り過ぎて行く。車のライトで、一瞬だけあたりが明るくなり、駿と静馬の姿を浮かび上がらせた。

 宵の影に縁取られた、静馬の面差しは憂いを帯びているように見える。


「君が無事に戻って良かった」




 どうしてこいつはこんな、子供みてえに泣きそうな顔をしやがるんだと虎鉄は思った。

 赤い色に支配された空間で、まるで自分たち二人共、迷子になったかのように。


「おい、遙」

「手に入らないなら」

「…………」

「どうして僕は彼女と出逢った?」


 遙の瞳の白目は澄んで、黒い目の潤沢を清かに見せる。


「世の中の男と女なんざ、そんなもんだ。好き合う同士、満たされ合う同士で溢れてたら、逆に喜色悪いだろうが」


 遙は名前のことでもよくからかわれた。女みたいだと、無神経な男子たちは囃し立てた。遙の顔立ちが、中性的に整っていたのもからかいの一因だったのかもしれない。幼い嫉妬。子供である程、自らの負の感情にさえ素直で。迫害される身の、気持ちも知らず。


〝遙君。素敵な名前ね〟


 至極、単純な言葉ではある。けれど、その単純さに人が救われることがあるのも事実。遙は菫に救われた。まだ隠師の家の娘とも知らなかった頃。靡く長い髪、白い頬。桃色の唇が自分を肯定する言葉を紡いだ。それだけで。

 遙の毎日は彩り豊かになり、楚々とした菫の花を見ると、自然に口元が綻んだ。菫の花は、遙にとって特別な花になった。

 特別な花に、なった。


 虎鉄の肩に額を押しつける。微かに香る、煙草の匂い。


「欲しいよ、鉄……」

「…………」

「彼女が欲しい」


 鮮烈に赤い空間の中、遙はバイオレットに恋い焦がれる。




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