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忘れじの行方

挿絵(By みてみん)





挿絵(By みてみん)






 近鉄京都で大和(やまと)八木(やぎ)まで行き、乗り換え、桜井で降りて更にJRに乗り換えると三輪駅に着く。所要時間は一時間程。

 朝、宿を出た暁斎たちはその行程を辿り、三輪に至った。本来であれば一時間程の所要時間である筈が、なぜか三時間もかかった。その時点で、巫術士たちの結界術の影響を多分に受けているのだと暁斎は華絵たちに語った。少しずつ、緩やかに、暁斎は目を閉じてその結界術を解きほぐしていた。傍目にはただ、電車の座席に静かに座っているようにしか見えないが、彼の実情を知る面々は、暁斎の集中の邪魔をしないよう、一切の無駄口を利かなかった。

 結局、三輪に着いたのは昼前になった。黒い単衣の暁斎を先頭に、一行は駅を出る。三輪山がその時点で見えた。蒼天を従えて。だが暁斎が呟く。


「遠いなあ」

「田沼さんのご自宅がですか?」


 華絵の問いに、暁斎が曖昧に頷く。


「結界が十重二十重(とえはたえ)に張られてます。僕は鶴はんの家を知ってますけど、順当な行き方ではいつまで経っても辿り着きません」

「じゃあ」

「せやさかい、こちらも結界で応じます」

「結界をぶった切るってのは?」


 興吾の物騒な提案に暁斎は首を振る。


「事はなるべく穏便に済ませたいですし、結界術のスペシャリストが張った結界が、そない簡単に斬られてくれるとも思いません」


 そう言うと暁斎は、路傍に白い小花を咲かせていた龍の髭をぷつりと摘んだ。


「極北の王、清かなる龍影、召しませ夢を。銀滴主」


 結界を斬る為ではなく、その速やかなる創生の為、暁斎は銀滴主を顕現させた。

 観光客や住民に見られる恐れはない。既に結界は作用している。


「僕の後ろをついて来てください。くれぐれも、はぐれんように。異空間で迷子になられたら、僕かてよう拾いに行けしませんからね」


 暁斎が銀滴主で宙に正方形を描くと、透明かつ澄明なる空間がそこに生じた。暁斎がそこに歩み入り、華絵たちも続く。

 暁斎は正方形の空間を生み続けた。無数の結界を繋ぎ合わせ、連結させることによって、菫に至る道筋を作っているのだと、他の人間にも理解出来た。それには莫大な霊力が必要だということも。そしてそれを成す暁斎が汗一つ掻いていないことも。この件一つを取ってみても、暁斎という隠師が破格の存在であるということが判る。そもそもが巫術士の結界に道筋を作ること自体、本来であれば無謀であり不可能なのだ。それを成す方法の糸口さえ解らず、途方に暮れるのが普通であろう。しかし暁斎は普通の枠に収まらない。結界は淡く白銀の光を帯び、一行の行く末を照らす。暁斎の纏う紫色の燐光が、菫のそれとも重なり、華絵たちの胸に菫を取り戻すのだという希求を強く生じさせた。

 時間にしてはそう長くなかったかもしれない。だが、華絵たちには長時間の旅のあとのような疲労感があった。暁斎の張る結界の中にあってさえ、巫術の一族の張った結界による負荷は生じる。


「着きました」


 銀滴主を携えたまま、暁斎が言った時には、もう結界空間は消え、華絵たちはごく普通の民家の門前に立っていた。ここからも三輪山のなだらかな稜線が見える。鶏の鳴き声が聴こえる。あちこちから聴こえるところからして、庭に放しているらしい。

 菫を攫った主の棲家は、余りに牧歌的で長閑だった。

 暁斎が呼び鈴を押す前に、家の中から人が出てくる。

 ピンクのエプロンを着た、そのへんのスーパーで買い物でもしていそうな、平凡な主婦に見える。頬の血色は良く、くるくる働く姿が想像出来るような、快活な雰囲気の女性。

 しかし、彼女の暁斎を見る視線は鋭い。


「安野暁斎さんですね」

「はい」

「この先、通ることまかりなりません」


 女性が素早く宙に線を引く。複雑な動きだった。家を囲む結界が、分厚く、頑強になったのだと暁斎たちの感覚が知る。

 暁斎の薄紫の双眸が冷やかな光を宿す。


「……銀滴主」


「おかあさあん。お客様ぁ?」


 はっ、と女性が後ろを振り返る。五、六歳程と思える女の子が玄関から顔を覗かせていた。


「あかん言うたやろ、(のぞみ)! うちに入ってなさい」


 暁斎の殺気がふと緩む。

 そこに新たな声が聴こえた。おっとりとして、上品な。


雅代(まさよ)はん、お止めなさい。貴方の敵うお人やありません」

「お義母さん」

「おいでやす、暁斎はん」


 鶴は今日も涼しげな絽の着物だった。白金色に、淡く輝くような。帯は黒で、全体を引き締める。白金には青と赤の紅葉が泳いでいた。


「隠師の皆さんもようお越しやす」


 鶴は笑んだ目で、華絵、興吾、駿、と視線を移して行った。興吾を見た時には目の色が和み、駿を見た時には、訝しむような顔つきになった。探るような顔つきは、しかし一瞬で笑顔となり、白い手で暁斎たちを招いた。


「お入りなさい。菫はんは今、寝てはります」


 玄関前に敷かれた砂利の、置き石の上を楚々と歩く鶴の後ろに、暁斎たちも続いた。暁斎はまだ、銀滴主を持ったままで、鶴もそれを咎め立てはしなかった。

 門から内側に入る時、空気が切り替わった感覚を皆が感じた。門内は結界内。暁斎たちは巫術士の長に招き入れられたのだ。

 鶴の家は広かったが、御倉財閥の華絵の豪邸と比較すると、ありふれた普通の民家だった。全体に和風の、木をふんだんに使われた佇まいの造りが、中にいる人間を落ち着かせる。鶏の声や、雀などの声も聴こえ、田舎の安らぎがそこにはあった。この家こそが巫術士一族の頂点に立つ、鶴の家であるということは、納得出来るようでもあり、意外なようでもあった。

 通された部屋は縁側に面した陽当たりの良い一画にあった。中央に敷かれた布団に、菫が横になっている。穏やかな寝顔に、華絵と興吾はひとまず安堵した。だが暁斎と駿は厳しい顔つきになった。皆で菫の寝る布団を中心に車座となって座る。鶴は鷹揚に上座に座してそれを見ていた。駿が鶴を見る。剣呑な視線だった。


「菫に何をしたんですか」

「ほほ……、勘の鋭いお人ですねえ」

「菫はんの意識そのものに働きかけ、結界を施しましたね」


 暁斎が、駿の問いの答えともなる指摘を鶴に突きつける。銀滴主は相変わらず彼の手にある。青い畳の上に、銀色の刀身が陽光を弾き、煌めく銀の雫をこぼしている。

鶴はおっとりと笑む。そこに雅代がお茶を持ってきた。まずは鶴に湯呑を差し出し、それから暁斎たちに配って回る。今では彼女はすっかり落ち着いた風情で、暁斎たちを客としてもてなす気構えが見える。


「あきませんか」

「貴方はご存じの筈や。人の心に術で干渉するんは禁忌」

「あきませんか」

「返してください。菫はんを、元のまんまで」


 鶴が暁斎から菫に視線を移す。慈しむ眼差しに、偽りは感じられない。駿はそう思う。一筋縄で行かない女性だと思うが、菫を思い遣る心は本心だろう。そう。最初から巫術士に敵意や悪意は感じなかった。そうであればこそ、駿も結界の踏破を暁斎に委ねた。もっと事態が差し迫っていたなら、駿は暁斎たちの目を憚らず、手っ取り早く黒白を使っただろう。黒白であれば、一瞬にして結界を無力化することが可能だ。それをしなかったのは、暁斎の力への信頼と、危急の事態ではないという直感からの判断ゆえであった。


「わたくしはね、暁斎はん。菫はんに、怖いことや、辛いことを、忘れて欲しい思うてますのや。今のままではあんまり不憫」

「忘却の巫術ですか」

「……月光姫の二つ名も忘れて。ただこのうちで、幸せに暮らすのが一番やと、そうは思いませんか」

「思いません」


 しみじみとした鶴の声調を、きっぱりと撥ねのけたのは駿だった。


「人の記憶は、その人の生きた証です。どんな過酷なものであっても、本人が望まない限りは、他人が勝手に奪って良いものじゃない」


 暁斎も鶴も黙って、駿の言を聴いていた。興吾の紫の目が強く光っている。華絵がそっと目を伏せた。


「暁斎はんも、非難されてますえ」

「さいですなあ」


 菫に忘却の巫術を施す過程で、鶴はウィスキーボンボンのからくりにも気付いた。お前も同罪だと言う鶴に、暁斎は悪びれず首肯した。駿にはその意味は解らない。


「せやけど僕は、いずれの時までは思うとりました」

「詭弁ですね」

「反論はしません。とにかくこの巫術、終わらせてもらいます」

「どうぞ。出来るものなら。わたくしは見物させていただきます」


 雅代が配った茶器は白地に青く鶴の絵が染めつけられ、茶は玉露のようにとろりと甘露だった。鶴はその甘露をゆっくり味わいながら、暁斎を見る。文字通り、見物する積りなのだ。他の面々もまた、暁斎を見守った。


「銀滴主」


 霊刀を呼んだ瞬間、暁斎の姿はその場から忽然と消えた。



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