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空耳

挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)






 暁斎が身を寄せている(りゅう)切寺(せつじ)では、丁度、梵鐘が鳴り響いていた。菫は腕時計を見る。正午だった。

 緑陰が深いこの寺の境内に入ると、暑さも少し遠慮するように思える。境内に立つだけで、線香の香りを感じ取るから不思議だ。枯山水には流れる水と瓢箪の形が露わされている。それを左手に見ながら、菫と興吾は方丈で暁斎を待った。程なくして現れた暁斎はいつもと変わらず涼しげで、黒い単衣にも寸分の乱れもない。


「菫はん、興吾はん、怖いお顔でどないしはりました」


 見える筈のない菫たちの表情を、確かに見えるものかのように、そう尋ねてくる。


「暁斎おじ様にお願いがあって参りました」

「何ですやろ」

「村崎が長老に囚われています」

「ほう」

「暁斎おじ様から霊能特務課長に言って、村崎を解放するよう長老に働きかけてください」

「村崎はんは、何で囚われましてん?」

 

菫の要求にすぐには答えず、暁斎が訊く。


「……霊刀を危険視されたようです」

「見せてしまいましたんかいな。迂闊な子ぉやなあ」


 蝉が鳴く。蝉が鳴く。

 蝉が鳴くのはもうすぐ死ぬのが悲しいからだと、昔、暁斎が言った。

 菫はそんなことを思い出した。


「おじ様は、知っていらしたんですか」

「はあ。あの子の霊刀が異常やゆうことくらいは。長老たち――もとい鶯鳴会(おうめいかい)は潔癖ですさかいなあ。そら見過ごせんかったんですやろ」

「おじ様。お願いします。特務課長に」

「あのお人は前以て別機関に隙を見せることを好みません」


 突き放す口調で暁斎が言い、菫は握り拳を固くする。

 

「前以てならね」


 菫が顔を上げる。暁斎の、見えぬ筈の薄紫の双眸と目が合う。


「それはどういう……」

「京史郎はんが動いてはります」

「父さんが……?」

「京史郎はんは昔、おいたをしはったことがありましてなあ。せやさかい、長老たちの空中浮遊牢の仕組みもよう知ってはりますねん」


 それはつまり。


「父さんが牢破り……?」


 興吾が驚きの顔でそう呟く。濃い紫の瞳が一層、大きくなっている。

 暁斎がにっこり笑って耳を塞ぐ。


「僕は今、何にも聴いてません、言うてません。……せやから言いましたやろ。前以て隙を見せるのは嫌いなお人やて。後々から出てきて、喚く長老たちに居丈高に白を切って最後には事実関係をうやむやにして楽しむ。そういうのが好きなお人ですねん」

「霊能特務課長って良い性格だな」

「おや、また空耳が」


 にこにこと笑う暁斎に、菫は拍子抜けする思いだった。暁斎に断り、確認の為、美津枝に電話する。

 美津枝曰はく、京史郎は島根に出張しているとのことだった。


(まさか父さんが直接動いてくれるだなんて)


 こうなると疑問が湧いてくる。


「危険を押してまで、なぜ……?」

「君の為です、菫はん」

「私の……?」

「子を想う親心ですね。早晩、菫はんには村崎はんの霊刀の力が必要になる。そない判断したさかい、京史郎はんは動きましたのや」

「どういう意味だ? 暁斎おじ」


 暁斎は興吾の問いに黙して答えない。




 島根県出雲市。出雲大社の上空に聳える、常人には見えることのない牢。

 その名を空中浮遊牢。

 年経て尚、盛んな霊力を有する長老たちが霊力を駆使して作り上げた空の牢獄である。

 生かさず殺さず、空の景色を見ながら囚人を擁する牢に、今在るのは村崎駿、ただ一人。食事などの供給は一切ない。そしてここに囚われて一週間以上は軽く経つ。なのに飢えることもないのは、この牢が、中にいる者に食物に代わるエネルギーを注ぎ込んでいるからだろう。

 脱獄を考えないこともなかったが、それをした後、菫たちに危難が襲わないかを恐れ、駿は大人しく、空中の牢屋に囚われていた。脱獄しようにも霊刀を顕現することのできない状態とあっては、最初から無理な話であった。恐らく封じられているのだろう。遅かれ早かれこうなっていただろうなと、駿は半ば諦めの境地だった。食事に限らず生理現象を覚えないこの牢は、ただ駿を外界から隔絶するのが目的のようであるので、暇を持て余すことを除けば、そう悪い居心地でもなかったのである。菫たちの心配や奔走などには思い及ぶべくもない。のんびり、空からの景色を楽しんでいる。朝焼け、夕焼け、夜の星空。優雅な身分だった。


(黒白の正体を悟られないかと、怯えずに済む)


 おかしなことにこうして自らの異常性を告発されて初めて、駿は解放されたような気になっていた。菫たちに奇異の目で見られるよりは、と。


「冠は捨てられた。羽は毟られた。英傑の咆哮に光あれ。王黄院」


 カシャーンと、薄い硝子が割れたような音がした。

 空中浮遊牢が破損した音だった。透明の破片が、煌めいて散る。途端にびょうと冷風が駆け抜ける。

 駿の前には、霊刀・王黄院を携えた京史郎。相変わらず、汗一つ掻かない涼しい顔つきで牢内に立っている。スーツ姿が牢内では異質だ。


「解錠の仕組みを忘れてしまってね。手っ取り早い方法を採った」

「……だからって壊すのもどうかと思いますよ、神楽さん」


 そもそも、高い霊力で練り上げられた空中浮遊牢を、斬ってしまえるとはどれだけ頑強な霊刀なのか。


「しのごの言っている暇はない。このままでは地上に叩きつけられて即死は免れん。掴まりなさい」


 駿が答える間もなく京史郎が駿の左腕を捉えると、王黄院を地に向けてかざした。

 足元直下には小さく出雲大社が見える。京史郎は王黄院の切っ先を、その神域から僅かにずらすようにする。


「王黄院。宙と和せよ」


 空中浮遊牢が端から崩れ落ちて行く。その透明な破片は常人に視認されることなく、また、常人を傷つけることもない。影響があるとすれば長老たちやその部下たち。しかしそれは京史郎が顧みることではない。

 腕を京史郎に取られた駿は、王黄院の刀身がふわりと広がり、まるで双翼を為すような形となったのを見た。双翼は大きく羽ばたき、緩やかに下降する。上空ゆえに吹きつける風は皮膚に痛い程だが、王黄院の下降は、京史郎と駿に極力、負荷を与えないような穏便さだった。


「空中浮遊牢に至る前に迷宮が仕掛けてあったと思うんですけど」

「解いた」

「長老たちがかーなーり、頑張って作った迷宮だったかと……」


 浮遊牢に至ってしまえばそこから直接の脱獄も一つの手だが、至るまでに試練がある。

 

「ああ、頑張っていたな」


 京史郎が答えにならない答えを返す。

 二人は間もなく、出雲大社の神域の、鬱蒼とした松林に着地した。着地すると王黄院は元の刀身の形に戻り、無に帰した。京史郎の手には一輪の白い菊が残るのみ。着地した二人を待ち受けていたかのように、殺到する男たちは長老の手の者だ。各自、霊刀を備えている。


「ゆくぞ。君も霊刀で応戦したまえ。封はもう解かれた筈だ」


 どこまでも実力行使の構えを崩さない京史郎に、駿もついてゆく覚悟をせざるを得ず、松の枝を一本手折った。


「天の横溢、魔の哄笑、日陰の冷涼、縛された鮮血、黒白」


 京史郎は駿の手にある黒白を一瞥したが、それだけで何も言わず、男たちの霊刀と斬り結んだ。




「今頃、京史郎はんは村崎はんを助け出してはりますやろ。後始末はうちの課長がやってくれはります。せやさかい、菫はん。菓子折り持って京都に行きなさい」


 霊能特務課長補佐からの、これは命令だと菫は思った。

 京都に行き、霊能特務課長に会えと。

 霊能特務課長。長老たちとはまた異なる権威を以て隠師たちの上に君臨する。

 その異能は化け物じみている。


〝蝉はなあ、死ぬんが悲しい言うて泣いてますのえ〟


 そうでなくても異形の満ちる京都に行けと。汚濁の他にも霊刀の振るいどころがある土地である。


「怖いことあらしません。僕も一緒に行きますよって」


 暁斎のこの言葉に、菫は少なからず安堵した。


「俺も行く!」

「ああ、興吾はんもご挨拶したがええですやろな。そんなら、おいでなさい」


 蝉が鳴くのもあと僅かだ。

 日照時間、微かな気温の変動。季節は秋へと移行している。


 京都で待つのが神か仏か鬼か蛇か。

 解らぬまま、菫は京都行きを承諾した。

 行く前に、駿の顔が見られれば良いと思いながら。



                  <第四章・完>



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