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死出の旅路に咲く花は

挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)




 美しいな、と、遙は銀滴主に見惚れた。京史郎の王黄院も眩く荘厳な美があったが、こちらにはどこか翳りのある、しかしそれが全くマイナス要素にならない寂びた美のようなものがある。

 人目を憚らないところを見ると、既に簡易結界を張っているのだろう。

 つまりは周到に遙を狩りに来ているのだ。

 蒼穹天女が銀滴主を受け、ギャリギャリと悲鳴を上げる。摺り流し、下段から斬り上げるも防がれる。銀の雫と青が火花のように散った。

 遙は徒手を暁斎に放った。

 あっさりと避けられる。風圧で、暁斎の白髪がふうわりと浮いた。

 盲目の身とは思えない。


「赤き唇褪せぬ間に。火炎天女」

「ああ、青の気配に赤い気配。上手い組み合わせですねえ」


 暁斎は全く動じず、遙の二刀流に応戦した。銀滴主が二振りの剣を過たず防ぎ、ほんの僅かに生じた隙から攻撃に転じる。遙は交差させて防ぐが、下半身が無防備になる。そこに暁斎の下段蹴りが入る。受けて、バランスが崩れる。その身体のぶれを利用して、遙は暁斎の背後に回る。後ろを取れば勝ったも同然だ。

 しかし。


「銀滴主」


 ひっそりと落とされた声に唱和するように、銀の雫が一斉に遙を襲った。


「ぎょうさん振り回しましたさかいなあ、雫が暴れますのや」


 言い様、暁斎が銀滴主で背後の遙に裂帛の一撃を加える。不意を突かれた遙は避けようがない。

 このまま銀滴主の、文字通り刃の露と消えるのかと覚悟した。


唐紅(からくれない)に獅子の闊歩(かっぽ)す。赤峰(せきほう)(しゅう)


 唱えられた呪言は風の速さ。現れた無骨な刃が銀滴主を受けた。刀身の、長さは並みだが分厚く、幅が広く、そして黒に見紛う赤い色。柄の先の、真っ赤なダリアの大輪が霊刀の印象をより鮮烈にした。


「お仲間さんですかいな」

「こいつを斬られちゃ困るのよ。俺は四王寺虎鉄」

「大層な名前ですなあ」


 会話を挟みながら、刃の応酬は続いている。銀滴主は突如として現れた赤峰秀に怖じることもなく、果敢に迎え撃っている。暁斎は今、赤峰秀に加え、遙の二刀流をも相手取っている。それでいてまだ余力を感じさせる戦い振りに、虎鉄は震撼した。首のチェーンが虎鉄の震撼を感じ取ったかのように激しく揺れる。


「赤峰秀。混沌(こんとん)烈火(れっか)

「銀滴主。(あめ)(あられ)


 赤峰秀の攻撃は、銀滴主の一振りで退けられた。虎鉄が目を剥く。

 銀の雫が虎鉄と遙を四方八方から打つ。それだけなら大した痛手ではないが、目にまで銀が飛び込んでくるのには苦慮した。暁斎と違ってこちらは視界の利かない戦いに不慣れだ。そこでようやく思い至る。暁斎の狙いは正にそこにあるのだ、と。自分に有利なフィールドに戦いを持ち込む。その為の銀滴。

 そんな場合でもないのに、虎鉄は敵の周到振りと強靭さに称賛の笑みを贈りたくなった。事実、こんな局面でもなければ哄笑していただろう。さも愉快そうに。

 しかし実際には迫る刃を防ぐので手一杯。遙と背中合わせになり、銀の雨に降り込められながら、必死に霊刀を振るった。

 この状況はまずいな、と思い始めた虎鉄たちを救ったのは、先程、遙が呼び覚ました汚濁の存在だった。濁った暗色の巨大な影が、暁斎たちを襲う。遙諸共にだ。汚濁に明確な意思はない。呼び覚まされたという感謝の念も、当然ない。

 これを好機と捉え、虎鉄と遙は暁斎に息を合わせて一太刀繰り出すと、直後、その場から去った。

 残された暁斎は自然、汚濁と対峙することになる。


「やれやれ。押し付けられてもうたわ。せやけど」


 一太刀で汚濁を滅した暁斎の、薄紫の双眸が酷薄に細まる。


「お二人さん、さいなら」


 その言葉は永訣の別れを意味してのものだった。


「あの二人、生き延びるかのう」


 のんびりとした口調で、歩み出たのはサンタクロースならぬ持永だった。暁斎は特に驚いた様子もなく答える。


「銀滴を受けましたさかいに」

「そうじゃのう」


 難しいだろう、と暗に伝えた暁斎に、持永は首肯した。


「講演はこの近くやったんですか?」

「うむ。何やら激しくやり合う気配がしたから寄ってみたら案の定、という訳じゃ」


 暁斎が微苦笑する。

 一部始終を見ながら、持永は暁斎に加勢するでもなく、ただ傍観していたのだ。


「加勢の必要はなしと?」

「なかったじゃろう?」


 したり顔で持永が答える。暁斎の実力の程を知り抜いているからこその信頼だ。

 潮風に白髪をなぶられながら、暁斎は銀滴主を無に帰した。



 興吾は難しい顔で原稿用紙と向き合っていた。例の読書感想文を書いているのだ。

 夢野久作の『死後の恋』が、果たして少年にどんな感銘をもたらしたのか、菫たちは興味があった。半ば、怖い物見たさである。


「原稿用紙って懐かしいわねえ」

「今じゃほとんどパソコン、ワードですからね」

「ああ、でも教授は時々、原稿用紙で論文の草稿を書くって言ってたぜ。気分が乗るんだと」

「へええ。……ああ、一度、停電で、渾身の論文が一気に飛んで泣くに泣けなかったって言ってたわね、そう言えば」

「そのあたりの事情も関係してるでしょうね」

「おい、興吾。書き上がったら俺たちにも見せろよ」

「必要ない」

「こっちは興味深々なんだよ」

「ちょっと黙ってろ、気が散るから」

「へいへい」


 観衆は呑気なものだ。最中をもぐもぐと食べながらお茶を啜り、真面目に課題に取り組んでいる子供に茶々を入れる。


「死ぬってどんな感じなんだろうな」


 そんな興吾本人が誰にともなく呟いたのは、それから数分後のことだった。原稿用紙を睨みながら、真剣に考え込んでいるようだ。

 菫たちは一瞬、沈黙する。

 考えてみれば隠師の務めというものは常に危険と隣り合わせで、いつ死んでもおかしくはない。そのことを深く思案し、追及しようとしないのは、考え始めたら戦闘中に怯懦の念に陥り、錯乱する可能性さえあるからだった。汚濁や人外と接するとはつまり、そういうことだ。

 沈黙の理由はそれだけでなく、兄を喪った菫と興吾への配慮からでもあった。駿の場合は、両親の死は遠過ぎて、感傷に浸る程ではない。駿はその点、ドライな性分だった。生い立ちも関係しているだろう。菫たちの兄である翔が死んだのは、まだ興吾が物心つかない頃だが、長兄の死が家族に落とす影を感じながら彼は成長した。思うところは多い。


「死んでから考えたらどうだよ」


 身も蓋も情すらないことを駿が言う。本人は至って真面目だ。死後のことは、死後にしか解らないと考えている。生きている間にどうこうと悩むのは時間の無駄だと。


「死んだらその人の温もりは消える。思い出だけが残って……、生きている人間を感傷的にする。死んだ当人のことは解らない。待っていたのは暗闇かもしれない、花畑かもしれない。私は死を間近に見たことがあるが、こうとしか答えられない」


 菫の返答には死者を見送った者ならではの重みがあった。

 興吾は菫に目を向けると、わりい、とだけ詫びて、再び原稿用紙に向かった。

 菫は事実、親しい人の死を眼前にしていたのだ。

 それも二度――――。

 しかし興吾はその事実を知らない。駿は、と思い、菫は駿をちらりと見遣る。

 駿にはもう知られている。だから今の自分の発言の意味を、より深く捉えているだろうと菫は思った。駿は菫の視線に気付かないか、或いは知らない振りか、こちらを向くことはなく、無表情だっだ。



 興吾は恐るべきスピードと集中力で、その日の内に読書感想文を書き上げた。すげなく駿に答えていた彼だが、寛容にもその原稿を披露してくれた。その内容は凡そ小学生が書いたとは思えない程、示唆に富んだものであり、作品の本質とも言えるべきものに迫っている、と菫たちが考える出来栄えだった。興吾は『死後の恋』から死とは他者により生きるものであると述べ、死生観についても論じていた。ちょっとした論文並みの感想文に、菫たちは感嘆すること頻りだった。菫などは姉莫迦も手伝い、興吾に熱心に将来は博士課程まで進むべきだと力説した。その時ばかりは興吾もくすぐったそうな顔で、年相応の笑顔を見せた。


 興吾との帰り道、菫は惣菜屋で興吾の好物であるカニクリームコロッケを買った。姉なりに、健闘した弟へのささやかなご褒美だ。

 菫が先に風呂に入り、興吾が入っている間、晩御飯を作った。メニューは鶏肉の塩麹浸けを蒸したものに、小松菜の煮浸し、蒸し野菜にはマヨネーズとヨーグルトを混ぜたものを添え、カムジャパブ(韓国風じゃがいもご飯)を作った。カムジャパブに垂らす香辛料であるヤンニョンの作り方を忘れたので、パソコンで検索して調べた。

 興吾が風呂から上がり、テーブルに並んだ料理を見て、頭使ったから腹減ったと呻き、笑う菫がさあ食べようかと言おうとした時。

 チャイムの音が鳴った。

 どこか弱々しく、数回。菫と興吾は怪訝な顔を見合わせたが、菫が立ち上がって玄関のドアスコープから外を覗く。そこに知る姿を認めて目を瞠った菫は、ドアのチェーンを外し、急いで開けた。顔面蒼白の遙が倒れ込んできて、菫は危うく押し倒されるところだった。何とか踏ん張り、遙の身体を支える。酷い高熱だと、触れて解る。様子を見に出てきた興吾は警戒した表情だ。


「誰、そいつ」

「昔の同級生。遙君、一体どうしたんだ、」


 ただの風邪ではない。遙は何等かの熱病に侵されたように震えている。菫は思わず彼を抱き締めた。温もりを分け与えようとするかのように。


「多分、遅効性の毒が」


 それだけ言うのもやっとのようだ。


「毒?」

「菫ちゃん。図々しい頼みだけど、――――霊力を分けてくれないか」


 菫は凝固する。なぜ、遙が霊力などと口にするのか。なぜ菫にそれがあると知っているのか。興吾の顔が一層、険しくなる。

 そこまで言って、遙は気絶した。

 今にも死にそうな人間を抱えて、菫は途方に暮れた。

 嵌め殺しの窓硝子の色彩が、遙を抱えて座る菫を照らし、まるでピエタ像のようだ。

 菫は興吾の言葉を思い出していた。


〝死ぬってどんな感じなんだろうな〟




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