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黄昏の鎮魂歌

挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)





 人参を千切りにする。

 牛蒡も泥を落としてささがきにして、(いと)蒟蒻(こんにゃく)は熱湯に晒して灰汁を抜く。

 胡麻油を敷いた鍋でこれらを炒め合わせ、砂糖、塩、醤油、みりん、調理用日本酒、そして麺つゆのもとを少々入れて味付けする。この時点でもう、香ばしい匂いがキッチンに立ち込める。炒め終えると器に移し、すり胡麻と細かい鰹節をふんわり、たっぷり、回し掛ける。

 これに大根の皮と油揚げの味噌煮、豆もやしのナムル、豆腐と油揚げの味噌汁を合わせた物が神楽姉弟の本日の晩餐だった。


 正座した菫が興吾に人参と牛蒡のきんぴらが入った器を差し出す。


「よろしくお願いします」

「おう」


 もっしゃもっしゃと咀嚼する興吾。


「味は円やかに整ってる。もう少し醤油と砂糖を抑えて良い」

「はい」


 姉が弟に料理の指導を乞う。これは普通の家庭に照らし合わせれば異例だが、興吾の小学生とは思えないハイスペックを鑑みれば、教えを乞うことに菫は何の迷いも恥じらいもなかった。

 加えてこの献立は、栄養価を考慮しつつ、緊縮財政をも意識した内容だ。実家に戻って改めて金銭的に余裕のある料理というものを賞味して、学生の身分であればもっと引き締めて然るべきだと菫は痛感したのである。


「て、言うかな。これって居酒屋メニューだよな」

「そう言われればそうかもな。私は呑むぞ。どうしてお前が居酒屋メニューを知ってるかは解せないところだが」

「呑兵衛。村崎に連れて行ってもらったことがある」


 けろりとして言った興吾に、菫は額に手を当てた。


「あいつめ……。いつの間に。まさか飲酒してないよな?」

「してない」


 日本酒の瓶を手元に寄せながら、菫は切子硝子の盃に曇りがないか、照明に照らして確認した。青い硝子はきらりと光り、菫の双眸を刺す。興吾が飲酒してないというのは事実だろう。彼は嘘を吐く性格ではないし、駿にしても未成年、しかも小学生に呑ませる程、無分別ではない筈だ。


 姉弟の間に微妙な沈黙が降り、菫は日本酒を盃にとっとっとっと、と注いだ。

 

〝お母様をお大事にね。間違っても、もう、刃を向けたりしちゃ駄目よ?〟


 うそなしのはなしの人外が、言った台詞は二人の内奥に深く根差し、一抹のぎこちなさを彼らの間に残した。

 あの台詞。

 そしてそれを否定した駿の笑顔。


 何かあると、興吾が思わないほうがおかしい。

 大根の皮と油揚げの味噌煮を食べ、日本酒をくい、と呷り、菫は考える。外は薄紫の暮色に沈み、どこからか(ひぐらし)の声が聴こえる。郷愁を誘うその音色にしばし耳を傾ける。

 良い夏の宵だ。

興吾は何も言わない。昔からそうだ。姉思いの彼は、菫を追い詰めるようなことをしない。言わない。だからこそ、そのぶん、内面での懊悩は深いのではあるまいか。しかも姉が母に刃を向けたという内容が内容である。家族思いでもある興吾は、自身の正義と肉親の情との板挟みになっているに違いない。


(済まないな。興吾)


例によって実家から持ち出してきた硝子の盃に出来た小さな湖を眺める。けれど白髪に紫の目の弟は、旺盛な食欲でおかずを平らげ、菫の感傷を吹き飛ばそうとする勢いだった。



日が沈む。

汚濁の時間が幕を開ける。

恨み、嘆き、悲しみ、怒り、諸々の負の要素から生まれ出でた哀れにして醜怪な者たち。

送葬の曲を奏でよ。戦慄ではなくもっと……壮麗なる鎮魂の音を。


憂い帯びた双眸は静やかに輝き、漆黒の髪はさらさらと風に煽られて舞った。

長身痩躯の美麗なる青年はぽつんと忘れられたような公園に佇み。



挿絵(By みてみん)



そこは駿と京史郎が語らった公園だった。すらりとした手が、宙にかざされる。

唇から紡ぎ出される詠唱は悲しく、且つ厳粛で。


「踊れ踊れ、影たる者よ。影なくして光あらず。嘆きの涙を落とせよ黄昏の支配者」


周辺に彷徨っていた、汚濁の形すら成し得なかった負の感情が、固形化する。肥大し、生者にとっての脅威となる。

花梨の樹の横にひっそりと立ち、青年はそれを見ていた。薄い唇には儚い笑み。黒いシャツに黒いスラックス。彼の行いと照らし合わせれば、その姿は死神のようでもあった。


「嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな」


 細い月を仰ぎ見ながら諳んじたのは百人一首の恋歌。


「歌を詠じる風流人とも思えぬ、このような仕儀の理由を問おうか」


 ジャリ……、と砂を踏み鳴らす音と共に現れたのは。


「神楽京史郎……」

「如何にも。これから仕合う相手として、こちらも名を尋ねておこうか」

「僕は(はるか)。中ヶ(なかがやつ)(はるか)

「隠師か」


 遙は小首を傾げた。彼自身、把握し切れていない事実を問われたかのように。


「うん。多分」


 長めの黒髪が艶やかに舞う。汚濁の気配が濃くなる。

 遙が呼んだからだ。京史郎の眉間の皺が深くなった。

 空には烏が一羽二羽とねぐらに向かう姿が見える。いや、汚濁の気配に怯え逃げ惑っているのか。


「冠は捨てられた。羽は(むし)られた。英傑の咆哮に光あれ。(おう)黄院(こういん)


 京史郎の手にしていた竜胆の花が、金色の刃を為す。一切の魔や影といった鬱屈したものを払うような眩さだった。遙もまた応じる。花梨の枝を折り取って。


「命短し恋せよ乙女……、蒼穹(そうきゅう)天女(てんにょ)


 美しい細身の、青い太刀が顕現する。

 京史郎はあたりに満ちた汚濁たちを斬り伏せながら遙に迫る。遙はその斬撃の凄まじさに瞠目する。速く、鋭く、重い。蒼穹天女で対抗出来るかどうか……。だが逡巡と同時に、遙の中で蠢く悦びがある。猛者と仕合うという僥倖。汚濁がさらと塵に化す中、京史郎の王黄院が遙の胴を薙ごうとした。蒼穹天女で受け流す。


「…………っ!」


 受け流したものの、腕の痺れが斬撃の重さを遙に訴える。正面から霊刀同士を打ち合わせる。力では負ける。即座に遙は蒼穹天女を退き、間合いを取った。

 再び呪言を紡ぐ。


「赤き唇褪せぬ間に、火炎(かえん)天女(てんにょ)


 京史郎の目が険しさを増す。遙は、霊刀をもう一振り、顕現させたのだ。しかもその霊刀は、蒼穹天女と対を為すように赤い。焔の赤だ。遙が総身に纏う燐光は赤に青に、一時として定まることなく、見る者を惑乱するようだった。朧に揺らめく赤と青。


「二刀流か」

「火炎は……、余り出したくなかったんだけれど」


 遙が憂いがちな口調で呟く。


「なぜ」

「苛烈だから。僕は苦手だ。本当なら僕は、風のそよぎを受け、鳥の声を聴き、微睡んでいたい。優しさや慈しみというものに囲まれて」

「温いことを言う。汚濁を生み出し、助長させる輩の首魁が」

「僕は首魁じゃないよ。悲しみの見送りは華やいだものにしてやりたい。そう思うことは罪なのか?」

「是。人に害が及ぶ以上、お前のしていることは悪だ。王黄院。陽炎(かげろう)(うず)め」


 京史郎の構える金色の太刀が、輝きを増し、そして刀身が視界から消えた。無に帰したのではない。刀身だけが視認出来なくなったのだ。気配はそれまでより強まっている。これで遙は見えない刃を相手にしなければならない。だが遙は、遊びに興じる子供のように、嬉しそうに笑った。


「霊刀に一癖あるのはお互い様のようだね」


 遙が呟き、二人は再び切り結ぶ。二刀流を、遙は巧みに操った。赤と青の線の残像、そして黄金色の残像が湾曲し、消える。打ち合う音は小さな公園に響き渡る。


 果てしない斬り合いかと思われたが、徐々に王黄院が遙の二刀流を圧し始めた。地力の差が出てきたのだ。遙の柔和な面にやや、焦りの色が滲む。


 割り込んだ刃は突然だった。


 南北朝時代の物のように幅が広く、無骨で分厚い刀身が、京史郎の王黄院と遙の蒼穹天女、火炎天女を分けた。

 細身の遙に比べてしっかりと筋肉のついた身体。


「はい、お二人さん。そこまで」


 風のように現れた男は遙をひょいと抱え上げると、風のように公園から駆け去った。


「鉄、まだ勝負の途中だったのに……」


 荷物のように運ばれながら遙が苦情を言う。


「莫迦か。あれは最強の京と言われた隠師だぞ。お前にはまだ、荷が重い」


 鉄と呼ばれた男は呆れ顔で遙をあしらった。

 遙は黙り込む。不満の空気漂う沈黙だった。



 公園に残った京史郎は王黄院を無に帰した。はらりと竜胆の花が散る。

 残照も既に残り僅か。闇が迫る。




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