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ピエロはトリガー

挿絵(By みてみん)





挿絵(By みてみん)





 ハリネズミの付喪神によって窮地を救われた駿たちと、暁斎によって窮地を救われた菫たちは合流した。白髪、薄紫の瞳の暁斎の存在に、駿たちは不審感を露わにしたが、菫は暁斎を信頼し切った様子で紹介した。


「うちの母方の親戚筋の、安野(あんの)(ぎょう)(さい)おじ様だ。盲目でおられるが、隠師としての腕は確かだ」

「ま、そこは話半分で。よろしゅうおたのもうします。日頃から菫はんがお世話になってるようで」

「止めてください、おじ様。子供じゃないんだ」

「僕から見たらまだまだ子供のお嬢さんや」


 菫の紅潮した頬を見る駿は不機嫌そうに腕を組んでいる。


「気に喰わない……」

「あら、良い男じゃない」

「うちに相談するよう、板倉さんに電話で言ったのもあんただろ」

「適任やと思いましてん」


 暁斎は悪びれずに肯定した。

 渋面の駿とは反対に、華絵ははしゃいでいた。興吾は暁斎とは初対面に等しく、若干、緊張している。

 ハリネズミも板倉家に戻り、汚濁も消え、当面の脅威は去ったと判断した面々は、ひとまず大学の研究室に向かうことになった。曇天の下、星は一つも見えず、ただ雲がわだかまる様を見上げるばかりだった。



「改めて。僕は安野暁斎。普段は文筆業と憑き物落としなんかで生計を立ててます」

「胡散臭い」

「ああ、副業、霊能特務課課長補佐でしてん」

「いや、そっちが本業だろ! てかあの魔窟がよくあんたみたいな自由人、野放しにしてるな、しかも課長補佐!?」

「村崎はん、課長の呼び出しすっぽかしはったんですて? 課長が電話で笑いながら怒ってはりましたえ。あははは」


 駿の率直な感想と突っ込みに、暁斎が上げた笑い声が研究室に響く。


「村崎、失礼だぞ。おじ様、いつ京都からこちらに?お知らせいただければ良かったのに」

「この春からです」

「どうして?」


 この菫の問いには暁斎はにっこり笑むばかりで答えをはぐらかした。興吾は自分と同じ異相の暁斎に興味があるらしく、親戚ながらほぼ初対面とは思えない積極的な態度で暁斎に隠師としてのあれこれを尋ねた。


 そこに熱い焙じ茶とレンジで温めた今川焼きを華絵が運んできた。

 一同は話しやすいよう、応接セットのソファーにめいめい座っていて、その中心のテーブルにお茶と菓子が置かれた。それぞれ、霊力のみならずカロリーも消費したあとである。今川焼きに複数の手が素早く伸びた。


「回転焼きか。久し振りだな」


 菫が頬張りながら言えば。手で感触を確かめた暁斎は。


「菫はん。これは大判焼きですやろ」

「え、今川焼きじゃないの?」


 次々と異論が上がる。地域差による呼び方の違いだ。


「美味けりゃ何でも良いよ」

「右に同じ」


 駿に興吾が唱和する。こういう意見もある。


「これ、マーガリン塗って食べたいな」

「うわ。出たわ、菫の食べ物弄り」

「探究心と言ってください。熱々の生地にカリッとじゅわっと。試してみる価値はあります」


 菫が焙じ茶を飲みながら華絵に物申す。


「しかしとんだ銃撃戦になったな。まあ、こっちは防戦一方だったけど」

「あとのフォローは霊能特務課がするでしょ」

「なあ、暁斎おじ。暁斎おじの霊刀は何て言うんだ?」

「銀滴主」

「かっけえ……」


 駿と華絵は事後処理の話をして、興吾は暁斎をまた質問攻めにしている。暁斎は温和に興吾に接していた。纏わりつく仔犬を構ってやる大人の構図にも似ている。


「ハリネズミが戻って良かったな」

「強奪された連中から自力で家に戻るなんて、流石は付喪神よね」


 本題に入った菫に華絵が応じる。


「これで板倉家の怪異も収まるでしょ」

「でも、誰が何の目的でハリネズミを板倉家から持ち出したかは定かになっていない」

「そういう連中がおりますのや」


 皆の視線が一斉に暁斎に集中する。


「汚濁を広めたい。その為には手段を選ばん物騒なお人らがな……」

「なぜ、汚濁を広めたいんですか?」


 理解出来ない、といった顔で菫が尋ねる。


「僕にも全容は解らしません。けど日本に汚濁が満ちれば国が混沌の渦に叩き込まれる。それを望む輩がおるんですやろ。警察権力をも行使出来るような」


 霊能特務課は警視庁の外郭団体であるが、警察も一枚岩ではない。


「そいつらはこの町に集中してるんですか?」

「恐らくは」


 なぜ、とは駿は訊かなかった。暁斎の見えない筈の紫の視線と駿の視線が交錯する。物言わぬ視線に、二人は幾つもの思惑を乗せていた。

 

「菫はん」


 張り詰めた空気を破ったのは、暁斎の一言だった。


「はい」

「銃弾が頬を掠りましたやろ。ちゃんと消毒して手当するんですえ」


 暁斎はいつから見ていたのか、いや、視ていたのか、菫にあの乱戦で負った傷の手当を促した。駿と暁斎との会話はそこで途絶え、あとはまた興吾が暁斎を独占した。姉たちから聴いた暁斎の活躍と、音に名高い〝見えずの暁斎、されど視えたる〟と謳われる暁斎との初めての邂逅は、興吾をいつになく興奮させていた。そうしたところはまだ子供だ、と菫にはこんな状況だが安堵するものがあった。


 電灯が点々と点る文学部棟の廊下。その端で、駿はスマホを耳に当てていた。


「やはり汚濁はこの町に集中している。引き寄せられるように。……定時連絡を欠かすなと言ったのはそっちだろ?何、驚いてる。……ああ。イレギュラーならあった。安野暁斎……。とうに戦線を離れたかと思っていたけどな。霊能特務課課長補佐だと。神楽京史郎といい、隠師はやはり隠師。動向を隠すのが性らしい。……解っている。バイオレットと神楽翔。この二人の謎は突き止める。バイオレットにはまだ隠し事がありそうだしな」


 ふ、と駿は息を吐いた。短い呼気だ。


「俺たちは泡沫の夢に微睡んでいるようなものだ」


 らしくないな、詩人のようだと相手が返す。


「うるせえ。俺だってこのくらいは言うんだよ。じゃあな」


「お話はお済みですか」


 瞬時に、跳ね上がる駿の心拍数。

 駿は動揺を押し隠して、暁斎を見た。暁斎は静かな佇まいを乱さず、一定の距離を保って駿を視ている。薄暗い廊下。白髪に黒い単衣の暁斎は、一層浮世離れして幽玄の趣を漂わせて見えた。


「盗み聞きとは悪趣味ですよ」

「ご不浄に行こう、おもただけです」


 暁斎は涼しげな顔だ。常にこの冷涼を維持しているのだから、見習いたいものだなと駿は思った。駿も暁斎も互いにそれ以上を追求せず、すれ違った。


 すれ違う瞬間。


「バイオレットに深入りすると死にますえ」


 今度こそ切迫した表情で駿が振り返る。


「そう、御師のお仲間にもお伝えください」


 白髪の向こうの、暁斎の顔は見えない。だが駿はその顔は殺気を秘めているものに違いないと信じて疑わなかった。暁斎は自分の正体を見抜いている。彼の背中が見えなくなったあとも、駿はその場に立ち尽くしていた。握り締めたスマホが熱い。蝉が鳴いていたのだと、今になって気付いた。




挿絵(By みてみん)







 菫は自室のベッドで闇を見つめていた。興吾は既に健やかな寝息を立てている。

 汚濁を望む存在。今になって現れた暁斎。暁斎は菫の初恋の相手だった。彼と同じ白髪、紫の目の弟に、暁斎を重ねて見ることもあった。今夜のように今後も加勢してくれるのだとしたら、これ程、力強い存在もない。汚濁が町に集中する理由を、暁斎は明かさなかった。知らない――――からのようには見えない。知っていて、隠している。そうすべき理由があるのだ。同じく駿も、知っているのかもしれない。誰も彼も、秘密という名の石を心中に秘匿、隠匿しているようだ。菫は考えている内に自分が滑稽なピエロのような気がしてきた。腹立ち紛れに、枕元に置いていた紫水晶を握る。冷やかな感触が、昂ぶる感情を鎮めるようで、菫はほっと息を吐いた。何が起ころうと、自分は隠師としての務めを全うするしかないのだ。揺れる、レースのカーテン。湿気を含む風は、海風ということもあり、蒸し暑さではなく涼しさを運ぶ。目を閉じて、その風を感じる。束の間の涼を得る間に、菫は眠りに就いた。疲れも手伝い、夢も見ない、深い眠りだった。



 その後どうなったか気になって、と板倉家を訪れた翌日。

 空は久し振りに晴れていた。爽やかな快晴は、気紛れな空の機嫌の良さを窺わせた。

 美紀子はにこやかに菫をリビングに通した。シーリングファンが今日も天井で回っている。


「誰も知らない間にハリネズミのクリスタル硝子が戻って参りましたの」

「それは良かったですね」


 誰も知らない筈である。ハリネズミは自分の足で板倉家に戻ったのだから。


「きっと義母が、仏壇の掃除か何かで場所を移していたのを忘れていたんですわ。父も義母もあれから、智恵子の声が聴こえるとも姿を見たとも言わなくなりまして」


 人の推測は自分に都合の良いようになされる。無理のある辻褄合わせのような美紀子の言葉に菫は反論せず、大人しく出されたコーヒーを飲んだ。


「私もほっとしました。お線香を上げさせてもらっても良いですか?」

「どうぞ。ハリネズミも置いてあります」


 仏間に踏み入った菫は、仏壇に置かれたクリスタル硝子のハリネズミを見た。唇に淡い微笑を刷く。線香を上げて瞑目し、手を合わせてから目を開けると、そこには半透明に透けた智恵子の立ち姿があった。


「……智恵子さん」


〝お姉さん、ハリネズミを捜してくれてありがとう〟


 菫はかぶりを振る。


「私には何も出来なかったよ。ハリネズミは自力で戻ったんだ」


〝でも家族を守ろうとしてくれたでしょう?〟


「それが役割だから」


〝あのね、お姉さん〟


 半透明の智恵子は躊躇いがちに口を開く。


〝お姉さんがいなかったら、あの、黒い影たちも、怖い人たちも、そして私も、ここに現れなかったの〟


「え?」


〝お姉さんは始まりであり、終わり。生み出し、尚且つ終わらせるトリガー〟


 智恵子は少し悲しそうに笑むと、半透明から透明になって消えた。微細な光の塵が舞い、菫の視界をほんの僅かに明るくした。だが菫の中でぞわりと膨らんだ自らへの疑惑は暗いものだった。


 始まりであり、終わり。トリガー。

 兄が死ななければならなかった理由も、その謎の言葉にあるとしたら。


 自分はピエロなどという可愛らしいものではないのかもしれない。





素敵なロゴは美風慶伍さんより頂きました。ありがとうございます。

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