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第44話 花見坂上沙耶の気持ち



 おとぎ話みたいだなって、そう思った



◆ ◆ ◆



 二週間前、期末テストが終わった。

 一週間前、夏休みが始まった。

 電車に乗るのは一週間振りで、遠出をするのは半年振り。


「そういえば、麦藁帽子。似合ってるね」

「なあにそれ。今更?」

「ん、今更」


 浜辺の潮風が髪の間を通り抜けて靡かせる。

 桜子はそう言って私を褒めると、両の瞳を柔らかく細めて笑った。

 

夏の日の青空は、私の好きなモノの内の一つ。

茹だる様な暑さと纏わり付く様な湿度は例年の事だし、それはもう中学生の頃に慣れてしまった。照らされる太陽光、セミの鳴き声、甘くて冷たいアイスクリーム。あとは、海。花火。


桜子も夏は好きだという。

それが本心だと私は知っているし、仮に私に合わせていくれているのだとしても、それはそれで嬉しい。


「奧海『桜子』なのにね」

「春も好きだよ?」


 冗談っぽく笑う桜子の笑顔が私は好きだ。


 約束して、計画も立てて、そうやって桜子ときた海の近い温泉旅館。


 旅行にいく準備という事で、桜子と服を買いに行った。お互いで互いの服を選び合おうという彼女の提案。そんな真っ当な高校三年生の女の子みたいな買い物がなんだか可笑しくて。そうして、お出掛けの先で桜子が私に選んでくれたのが、麦藁帽子と白のワンピース。


「……これは流石に、可愛いが過ぎるよ?」

「そう? 私は沙耶にとても似合うと思うけどな」


 真夏の旅行で白いワンピースなんて、入道雲と向日葵畑のシチュエーションが似合う可愛らしい女の子の特権だけれど、桜子にそう言われてしまうと、私がそれを着ない訳にはいかなかった。

 だから、私はお返しだと言わんばかりに桜子へと綺麗なシルエットのロングスカートと薄手の羽織を選ぶ。

 十七歳の高校三年生がするには少しばかり可愛いが過ぎるし、きっと大人びている。それでも、桜子は私に『可愛いね』と言ってくれたし、私は桜子に『綺麗だよ』と言う。


 洋服を選び合うという、言ってしまえば自分の理想を押し付け合うエゴにも似た行いだけれど、それは私達の特権だったし、互いを信頼もしていた。私は桜子の選ぶ服なら何でも受け入れていたと思うし、きっと桜子もそうだろうと思ったから。

 

「沙耶、ほら見て。飛行機雲」


 空と海の境目のその向こう、青い空の中を飛ぶ試行機が雲のしっぽを引いていた。桜子がそれを指差してはしゃぎ、幼い子供の様にも見えるけれど、その仕草が年相応の様にも思えて、何故だかそんなちぐはぐな風に見えてしまった。


「じゃあ明日は雨降りかもね」

「そうなの?」

「飛行機雲は雨降りの予告」

「へぇ、沙耶ってそういうのも知ってるのね」

「当たるか如何かは分からないけどね」


 お互いで選んだ服を着て、二人とも白が基調で、気恥ずかしさとかも隠さなかったし、それが嬉しかった。


 これまで特別なモノを桜子と探してきた。

 特別なモノっていうのは、例えば沢山の流れ星だったり、虹の生まれる場所だったり、太陽の笑顔だったり、そういうモノを特別だと思っていたし、そういうモノを桜子と二人で探していた。


 特別なモノ。

 綺麗なモノ。

 大切なモノ。


「明日旅館の近くにある神社の通りでお祭りがあるんだって」

「知ってるよ。一緒に調べたじゃない」

「沙耶、お祭りの屋台だと何が好き?」

「私は、ベビーカステラかな。だけど、桜子と一緒なら何でも美味しいから」

「うん、私もそう思ってる」


 冷房の効いた電車内。

直射日光。

 塗っても塗っても汗で流れてしまう日焼け止め。

 海はどこまでも穏やかで優しくて、嫌になるくらい空は青くて。

 私は桜子の選んだ服を着て、桜子は私の選んだ服を着ていて。

 この旅行に来る為に期末のテストも頑張って、お父さんとお母さんにも許可を貰って、それで、桜子と靴を脱いで海に入ってみたりして。


 高校一年生。

 高校三年生。

 きっとあの頃より今の方が成長はしただろう。

 だけど、高校三年生が大人だとは思っていない。

 飛行機雲を指差した桜子。

 幼い子供の様にも見えた。

 年相応の様にも見えた。




『ねぇ、沙耶』

『なに?』


 桜子は、少し眉を下げて私の応じに返した。

 テスト明け。

 もうすぐ夏休みに入ろうという、そんななんでもない様な日。

 少しだけ寄り道した帰路。

 本屋さんによって、ライトオレンジに寄って、少しだけお茶をして、テスト明けにケーキを食べて、そんな、桜子と二人の帰り道。

 オレンジ色のアスファルト上を伸びる黒い影は、私達の行く先を示してくれていると思いたかった。

 そう思えれば、気持ちも楽だと思えていたのに……。


『大学、私決めたよ』

『……そっか』

 

それは白海坂ではない大学の名前。

 その大学は知っていた。

 白海坂から進学する子も少なくないから。

 白海坂より少しだけ偏差値が高くて、白海坂より少しだけ大きくて、白海坂より幾つか学部も多くて、そして、白海坂から、凄く遠い……。

 幾つもの街を跨いで、何時間も電車に揺られて、この、二人で来た旅行の道中の倍以上の時間を要して漸く辿り着く街の大学で、それで——。


『先生もね、今の感じなら十分狙える大学だって、そう言ってくれてるの』

『……うん』


 分かっている。

 我儘も弱音も、吐いたらダメな事くらい。

 分かっている。

 引き留める事も、私が白海坂を出るのも、間違いだという事くらい。

 ……私は、分かっている。

 なにも海外に行くって訳じゃないんだ。

 会いたければ、会いに行くなんて事造作も無い。

 ……そんな事、私は分かっているんだ。


 桜子は『ごめんね』とは言わなかったし、私も泣かなかった。

 桜子の進路がハッキリしたのは喜ぶべき事だし、私も『頑張ろうね』と笑んで見せた。

 強いる事は重要だ。

 相手に強いるではなく、自分に強いる事。

 私も、そして桜子も、きっと今色んなものを押し殺している。

 

 寂しい。バカ。嫌だ。行かないで。


 楽な方を選ぶのなんて簡単だ。

 けれど、私も桜子も、それを望んでいない。

 本音を隠すのが得意な訳じゃあないんだ。

 ただ、私も桜子も、互いの欲しい言葉を知っていて、互いに何を押し殺しているのかを分かっているだけ。

 ……ただ、それだけ。




「夕陽が綺麗だよね」

「うん、凄く」

「……ねぇ、沙耶。あのね。……私が」

「……?」

「……いや、やっぱりなんでもない」

「……ん。分かった」


 熱かった砂浜が徐々にその熱を失っていく。

 西日が眩しくなってきて、潮風が温くなってきて、「そろそろ旅館に戻ろうか?」という問いに、私は首肯するだけで応えた。



『私が、白海坂に残るって言ったら、沙耶は嬉しい?』



 桜子が問いたかっただろう事は、なんとなく分かる。

 そして、桜子もまた、私がそれになんと返すか、きっと分かったのだろう。


『私が、白海坂に残るって言ったら、沙耶は嬉しい?』


 私はそれに、なんと答えただろうか……?


 嬉しかった?

 それとも、悲しかった?

 きっと桜子には分かるのに、私は自分がなんと答えたかが分からない……。



『早い遅いって、誰が決めてるのかな……?』


「私、奧海さんの事が好きよ……」

 ハッとして、私は自身の口を手の平で押さえる。

 それを鮮明に思い出す事が出来るから。

 いつの言葉かも、そして誰の言葉かも。

 その時、自分がどんな気持ちだったかも……。

 隣を歩いてくれるのは桜子。

 彼女は、少し驚いたように目を見開くと、直ぐに両の眼を弧の字に歪め、口端を優しく持ち上げた。

「……私も、花見坂上さんが好き」

 桜子は笑む。

 私はその笑みを受けて、なんだか泣き出しそうだった……。




夏の日の青空は、私の好きなモノの内の一つ。

 特別なモノ。

 綺麗なモノ。

 大切なモノ。





『寂しい』

『バカ』

『嫌だ』

『行かないで』





 そんなの、言える訳がない……。










後2話3話程度で終わる気配があります。

もしよろしければもう少しだけお付き合い頂ければ幸いです。

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