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第37話 宴町雉鶴の悩み

早く大人になりたい……。



◆ ◆ ◆



私は、今自分がどれだけ志穂さんに近付けたかが気になっている。

例えば、志穂さんは綺麗だ。

そして、志穂さんは可愛い。

別に、私は綺麗になりたいとか可愛くなりたいとかではなく、隣を歩く志穂さんと相応しくなりたいだけなのだ。

……いや、でも確かに、厳密に言えば綺麗にはなりたいし可愛くもなりたい。

大人しくてパッとしないと言われても、私だって女の子だ。

ファッション誌なんかは高等部になってから少しだけページを捲る様にもなったし、服や靴もほんの少し趣味は変わった。

『雉鶴は可愛いよ』

そう言ってくれる志穂さんはいつも私に笑みを向けてくれるし、そうやって言われるのは凄く嬉しい。

だから、最低限。

私は貴女の横に並んで、歩くのに恥じないだけの身形はしたい。



『何であの子が星波さんと?』



体育祭以降、そういう噂や陰口は嫌になる程耳にした。

『あの子が』と言われている内はまだ大丈夫だったけれど、『あんな子が』と言われているのを耳にした時には流石に少しだけ悲しかった。

何処からか奇異の視線を感じた事も少なからずあった。

『気にする事ないよ』と、志穂さんはそう言ってくれる。

いつも。


ーーでも……。

…………気には、しますよ。

流石に。


私は、志穂さんの隣を歩く時に、野暮ったい子だと思われたくない。

私がそうして当然の様に志穂さんの隣を歩く時、私が幾ら志穂さんの価値を下げたところで、私の価値が上がる訳ではないのだから。


仮に、私が志穂さんの事を好きだという前提で、志穂さんが他の子と手を繋いで歩いていたら、私はその子の事をどう思っていただろうか?


やはり、私は志穂さんの隣にいる『彼女』に対して、『何であの子が?』という疑問を抱いていただろうか?


……それは、結局思い上がりだ。

どんなに志穂さんが素敵で綺麗でも、私が彼女に見合う様自身をどうにかするしかない。


眼鏡をコンタクトにしようか。

髪を染めてみようか。

リップを色付きにしようか。


そのどれかを実践したら、志穂さんはそれをどう思うだろうか……。


縛られているとは微塵にも思っていない。

それは私が自分勝手にそれを良しとした時の妄想の様なものだから。

どれだけ素敵に、どれだけ綺麗に、どれだけ可愛く、そうやってファッション誌やアイドルを参考にしたところで、それは私が志穂さんの隣を歩く権利になるのか?


思考とは、加速も停滞も後退もさせる。

進むべきは前だ。

……けれど、それは私が前に進んでいると錯覚しているだけなのかも知れない。

もしかしたら、私は気付かない内にトラックを逆走してしまっているのかも知れない。


だからーー。



「……志穂さん」


「なぁに?」


「次のお休みに、一緒にお買い物に行って欲しいんですけど、どうですか……?」


「うん。良いよ。何を買うの?」


「…………服をーー」


「服?」


「……志穂さんに、服を、選んで欲しいんです……」




この一言を言うのに、どれだけの勇気を使ったかが、私には見当もつかなかった……。



◆ ◆ ◆



志穂さんと買い物に出掛ける事は何度もあった。夏休みでも、週末でも。

けれど、それ等は大体、書店だったり雑貨店だったりだった。

志穂さんのお勧めの本を教えてもらったり、私のお勧めの本を教えてあげたり、志穂さんの使っている化粧水や乳液も教えてもらって、それを買ったりもした。志穂さんと同じ物を使えるというのが嬉しかったし、志穂さんの勧めてくれたシャンプーやコンディショナーが少しだけ甘い桃の香りで、そういう些細な事が凄く嬉しかった。


一緒に洋服屋さんを巡った事は一度もない。

まだ志穂さんに出会って半年程しか経っていないのだけれど、その間にでも色々な場所には行った。それでも、洋服を見に行こうという案は私からも志穂さんからも発された事はなかった。


「雉鶴はさぁ、カーデとかワンピとかはどんな色のを持ってるの?」


問われ、私は少し思案しながら指折りしてみる。そうやって考えはしたものの、私の持っている服はどれも、モノトーンとかの色合いをあまり強調しない物が多いと思い知らされた……。


「……カーデとかに限らず、モノトーンとかが多い気がしますね」


「そっか。雉鶴は普段はそうだね、少し落ち着いた色の服が多いよね。そしたら、少し明るい色のを選んでみようか」


「はい」


連れて来てもらったのは、志穂さんのお気に入りだというブランドのお店。

可愛いや綺麗にとらわれず、強いて言えば『素敵』が似合いそうな、そんな洋服が沢山並んでいて、私は各所に目を奪われていた。

どれも素敵なデザインなのに、値段もそんなに高くない。

きっと私一人だったらこういうお店には絶対来なかったし、来たとしても、もっと先の事だっただろうと思う。

好きなブランドなんて考えもしなかった。


「別にね、服はブランドとかで選ぶものでも無いからさ。それに自分が気に入った服を着るのが一番楽しいしね」

言って、志穂さんは私の反応を少しだけ見てから、追言する。


「だけど、今日は雉鶴が私に服を選んで欲しいって言ったから、私も雉鶴のお願いに応えられる様に、一生懸命選ぶからね」


そうやって、志穂さんは何処か嬉しそうにニッコリと笑みを浮かべた。


そこからは本当に漫画みたいなファッションショーが始まってしまった。


志穂さんの選ぶ服、ワンピース、ロングスカート、シャツ、カーディガン、等々。色合いも明るい色のものをいくつものパターンで試着した。

そのどれを着ても志穂さんは「うん! 可愛い」とか「こっちも素敵だね」といくつもの声を掛けてくれる。

普段着ない様な色の服やお洒落な服に袖を通すのは少し気恥ずかしかったけれど、そのいくつもの言葉が私に勇気とか自信とかを与えてくれるし、そうすると自然と恥ずかしさの中から笑顔が溢れ出てしまった。


けれど、そうしていると、少しお店に長居し過ぎているのではと感じ始める。

店員さんは特にどうという感じでも無く、ニコニコと笑顔を浮かべて、言うなれば微笑ましげな感じで私達を伺ってはいたけれど、流石にそろそろと思い「……あの、志穂さん」と控え目に言いを向ける。すると、「あぁ、そうだね。そろそろ良い頃合いかな」と、何故だか少し得意げに片眉を上げた。


「…………?」


意味が分からないでいると、「はい、じゃあコレ」と、志穂さんからブランドロゴの入ったショップバッグを渡される。


「……へ?」


「お会計は済ませてるから。開けて見て?」


塞がれていた口のシールを綺麗に剥がすと、入っていたのはオレンジの色の厚手のカーディガン。それに、ブラウンが基調のジャンパースカート。


「……素敵。……可愛い。ーーっじゃなくて! あの、お金、……あれ? 値段?」


「秋っぽい色だし、雉鶴に凄く似合うと思うの。実はね、ここ、私の友達のブランドなのね。あぁ、友達っていっても私達より少し上なんだけど。それで、色々少しお安くしてもらえるからさ」


「それでも、ちゃんとお金出します! 私ーー」


「それなら、この後行くライトオレンジで、雉鶴は私にケーキをご馳走してくれたら嬉しいな。それでどう?」


「……でも」


こんなに素敵な、可愛い服を貰ってしまって……。私は志穂さんに何をお返しすれば良いのか……。


「……重かったかな?」

そう言って志穂さんは少し困った様に頰へ手を当てるので、私は「ーーっそんな事無いです!」と少し声を大きく発してしまった。


「ーーっあの、……すみません。凄く嬉しいです。志穂さんにお洋服を選んで貰って、プレゼントまでして頂いて、私、凄く嬉しいんです! ーーだから、……えっと、あの、ケーキ沢山食べて下さい! 志穂さんに美味しいケーキ沢山食べて欲しいです!」


言うと、志穂さんは一瞬だけ目を丸くして、かと思うと、直ぐに「っははは」と破顔して笑って見せた。

私の言いに対して声を出して笑っているのに、そういう志穂さんも可愛くて、私はそれを少しも不快に思わなかった。それどころか、そうやって志穂さんが笑ってくれるのが、なんだかとても嬉しかったのだ。



◆ ◆ ◆



ライトオレンジでケーキセットを頼むと、志穂さんは美味しそうにマロンのタルトを食んだ。

甘い物、ケーキやパフェを食べる時、志穂さんはふにゃっと目を細めて笑んで見せてくれる。

いつもは綺麗なのに、時折見せてくれるそれがとても可愛いので、私は志穂さんとケーキとかパフェとか、そういった甘い物を食べるのが好きなのだ。


お会計を済ませてライトオレンジを出ると、志穂さんは丁寧に「ご馳走様でした」と笑顔で両の手の平を合わせてシナを作る。

ライトオレンジのケーキセットは800円。

対して、私が頂いてしまったカーディガンとジャンパースカートは、一体いくらだったのだろうか?

それでも、きっとそれは今考えても詮無い事。

だから、私は志穂さんに「お粗末様でした」と薄く笑んで返してあげる。


ほぼ半日志穂さんに付き合って頂いた形になるので、陽はもう夕暮れの位置へと降りてきていた。遠くの空を眺めてみると、そこではもう一番星が自身を煌々と輝かせようとしている。


「今日は色々とありがとうございました」

街灯が灯り始めた帰り道でそう言うと、隣を歩く志穂さんは「別に、そんなにかしこまる事無いのにな」と、言葉とは裏腹に何だか嬉しそうだった。


並んで歩ける帰り道。

手には志穂さんに選んで貰ったお洋服。


「今度頂いたお洋服を着るので、その時は一緒にお出掛けしてくれますか?」


「うん、デートしよっか」


「これで、志穂さんの隣に並んで歩けます」


溢したその言葉に、志穂さんは少しだけ首を傾げる。そうして、「雉鶴は、なんでそんな事を気にするの?」と、私にそうやって言葉を投げてきた。


これは私の問題なので、溢れて吐き出されてしまった言葉に少しだけ不味かったかともおもったけれど、志穂さんにそう問われてしまっては仕様がなかった。


意を決する、と、そこまで気を張る事ではない。

私は一つ間を空けてから、志穂さんへと言いを返す。


「志穂さんみたいな女性になりたいんです。有り体に言うと憧れています。……私も、志穂さんみたいに大人っぽくなりたいです……」


「どうして?」


「……白海坂で、志穂さんの隣にいる私の事を良く思わない人がいるって、知ってるんです。視線を感じる事もあるし、今だって視線を感じる気がするし……。なんとなく、良くない噂を聞いた事もあります……」


「……雉鶴」


「だから、私が志穂さんに見合う様に、ちゃんと大人っぽくなる事が出来れば……。そういう、なんていうか…………」


言いを進める内に、何故だか志穂さんと目を合わせられなくなってしまった。

子供の様に唇を尖らせ、整理出来ない思考がグルグルと回ってしまい、私は言葉に詰まってしまう……。



「ねぇ、雉鶴?」

それでも、志穂さんの声は優しかった。

一度足を止め、子供の様にワガママを言うような私に対して向き合うと、志穂さんは諭す様に私の頬を撫で、先の言いを続けた。


「大人になるのって、きっと難しいわよね」


「……どう言う、意味ですか?」


「早く大人になりたくても、都合良く自分の望むタイミングで大人になれる訳でもない。きっと誰もがいつの間にか大人になってるし、そうなれない人もいるし。自分が大人になったっと気付ける人って、きっとそう多くないわ」


私も、雉鶴も、きっとそうだよ。


そう言って、志穂さんは薄く肩を竦める。


「大人になった時なんて、私もきっと自覚出来ないわ。私だってまだ大人じゃないし、背伸びした服を着ても、髪を染めても、綺麗にお化粧しても、私達はきっと、まだまだ大人になれないわよ」


……それじゃあーー。


「……それじゃあ、私はいつまで経っても志穂さんの隣に並べません……」


「そんなこと無いわよ」


言い淀んで視線を下げた私の言いに、志穂さんは間髪入れる事なくそうやって返してくれた。

頰に触れてくれて、視線を上へと正してくれて、私の目を見て話してくれる。


「言ったでしょ? わたしもまだまだ子供なの」

志穂さんの笑みは優しかった。

私は志穂さんの笑みで安心を貰えるし、それが私の為だときっと分かっているからだ。


志穂さんは言葉を続ける。


「雉鶴。私も貴女もまだ子供。だから、背伸びなんてしても良い事なんて無いわ。きっと自分が傷付くか、自分の大切な人が傷付くか。傷付く事でなれる大人になんて、何の価値も無いと思わない?」


「志穂さん私はーー」


「子供のままするセックスは刺激があるかも知れないけれど、良くない事になりかねない。急ぐ必要なんて何も無いし、子供のままの私の隣を、可愛い雉鶴に歩いて欲しいの。だからーー」



志穂さんは、私の首筋に手を這わせると、そのまま顔を近づけてくる。


そうして、ゆっくりと抱き寄せられ、私は志穂さんに唇を奪われてしまった……。


柔らかい唇。

過敏になる神経。

伝わる体温が嬉しい。

そして、志穂さんの身体も、私の身体も、少しだけ震えているのが分かる……。


唇を離されると、ほんのりと離れていく志穂さんの体温を名残惜しく感じた。

もう少しだけ……。

もう少しだけそうしていて欲しかったと、そう願ってしまった……。


「雉鶴、今はこれで許して? きっと私もまだ、大人にはなれないわ」


「……はい」


顔が熱くなる感覚。

耳まで熱い感覚。

心臓のドキドキが止まらなくて、唇の感覚を忘れたくなくて、指先で自身の唇に触れてみると、薄く志穂さんを感じる事が出来た気がした。


「そういえば私、口付けするの、初めてです……」


「……あぁ、ごめんね」


「……いぇ、嬉しいです。初めてが志穂さんで、その、……嬉しいです」


「雉鶴は、優しいね」


そう言った志穂さんも顔を赤くしてくれたから、私にはそれが特別なのだろうと思えた。

そういう顔は、他の人には見せて欲しくない。

そういう顔を、私だけが見ていたい。


それは私のワガママだ。

私だけの、志穂さんに対するワガママ……。


帰り道。胸に抱えるお洋服の入ったショップバッグの重みと、隣を歩いてくれる志穂さんの歩幅が、今の私にはとても心地良いものだった。




最寄りの駅まで同行し、そこで電車に乗る志穂さんとは別れる。

「今日はありがとうございました」

言うと、「うぅん、私も今日は楽しかったよ。ありがとう」と、志穂さんはそうやって笑みで返してくれるのだが、それと同時に少しだけ思案する様にして、「それにしても、『視線』ねぇーー」と、そう呟いた。


「……志穂さん?」


問うけれど、やはり考える様にして自身の頰へと手の平を当てる志穂さん。そこから数瞬だけ頭を捻っていたけれど、志穂さんはどうやら何かを思い付いた様に「ーーえっと、ちょっと待ってて」と私に断りを入れた。そうして志穂さんは自身のスマートフォンを取り出して、「少しだけ電話掛けて良い?」と、再度私に断りを入れる。

何事かと思いはしたけれど、私はそれを一度の首肯で受け入れた。


志穂さんは何処かの誰かへと電話を掛ける。







「あぁ、もしもし? 八木沢? あのね、週明けのやつさ、八木沢一回目ぇ通すでしょ? ーーうん。それでね、不備があるから差し止めて? うん。ーーいや、違う違う。不備が『あるかも』じゃなくて、絶対不備が『ある』から。うん。迷惑だから。あとね、後輩にもよく言って聴かせておいてね。『私の事も、他の娘の事も、絶対に邪魔しないで』って。ーーうん。それじゃあ、よろしくね」








通話を切ると、志穂さんは私に薄く笑みを向けてくれて、「うん。大体これで大丈夫だから」と、そう言って髪を撫でてくれた。


私にはその言葉の意味が分からないし、今し方志穂さんのしていた電話の意味も分からなかった。頭にはクエスチョンマークを浮かべて首を傾げるしか出来なかったけれど、それでも、志穂さんが『大丈夫』だと言うのなら、何かが大丈夫なのだろうと、なんとなくそう思えた。



◆ ◆ ◆



週明け。


白海坂に登校すると、毎回定期的に掲示されている筈の新聞部の紙面が、この日は掲示されていなかった。そのかわりに、『本日の新聞部の掲示は、当学園内では適切ではない内容だった為に、掲示を破棄、差し替えしました』といった意味合いの、簡素なA4紙だけが張り出されていた。



その日を境にして、なんとなく、変な噂を聞く事は極端に減ったし、何処からかの視線を感じる事も無くなった。








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