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第35話 黒宮桃の星空

大切なものを探そう。きみを見付けよう。



◆ ◆ ◆



浜辺で見上げる空には、名前の知らない星々が端から端まで広がっていた。

黒塗りの中に浮かぶ小さな明かりの一粒一粒が控え目に私と冬乃を照らしてくれているので、日の落ちたこの時間帯でも互いの表情はなんとなく分かった。


「さっきは私、取り乱しちゃって、ごめんね」


「……ううん、私こそごめん。それに、私は良かった。嬉しいとかじゃなくてね、冬乃の気持ちが聞けて良かったの。私だって、冬乃にずっと真っ白の病室には居て欲しく無い。……私だって、冬乃に会いたい」


繋いだ手の平から伝わる熱は、いつもの様にほんのりと温かい。だから、私は自分の温度を沢山彼女に分けてあげる。


19時。


九月半ばの夜の海には少しだけ風が凪いでいた。まだそれは肌寒いと感じる程でもない気温。けれど、きっとこれから深夜に掛けて、ゆったりと気温は低くなって行くのだろう。

防波堤と浜辺のどちらが良いかと冬乃に問うと、彼女は「浜辺が良いな」と柔らかく笑んだので、途中で少し大き目のシートを買った。同じ様に、沢山のお菓子と、飲み物を買った。炭酸が飲めないと私が言うと、冬乃は「私もだよ」と気持ち驚いた様に目を丸くする。

そういえば、そういう話はしていなかった気がした。

冬乃の事ならもう何でも知ってる様な気がしていたけれど、まだまだ知らない事は沢山ある。

これからもまだまだ沢山冬乃の事を知れる。私の事を知ってもらえる。それが何だか無性に嬉しかった。


「流れ星、いくつ流れるかな?」

そう言って夜空に視線を泳がせる冬乃の表情は子供の様にキラキラと楽しそうなものだったから、私は胸の中のザワつきを意図して押さえ込む。そうして、自身を強いて平常を装い、「いくつでも流れるよ。……きっと、沢山流れる」と冬乃に返した。




◆ ◆ ◆




「…………流れ星を、100個?」


「そう、流れ星を100個」


「……明日の、日の出までに?」


「そう、明日の日の出までに」


「……100個見付ければ、冬乃は助かるんですか?」


「見付けられれば助かるよ。そういう風にするんだから」


「ーーッ何処に、何処に行けば良いんですか⁉︎ 流れ星100個!」


「知らないよそんなの。それは流石に自分で見付けて欲しい。一晩で100個の流れ星。それが三月場冬乃に対する触媒、条件だよ。何処でいくつ流れるか分からない流れ星を可能な限り探してみな。でも、たった1つでも99個でもその時は終わりさ。一晩で100個、まぁ、要するに『100個以上』ならいくつだって良いんだけど。兎に角、100個より多くの流れ星が、今の貴女と三月場冬乃に必要なのよ。理解してくれた?」


「…………」



理解はした。

けれど、それがどれ程困難かという事も、同時に理解出来てしまった。

当てのない空を眺めて、そこに流れる星を求めなければならない。

粗100パーセントを運に頼る様な、それこそ奇跡にでも縋らなければならない様なものだ。

これまで生きてきて、一晩でどれだけ多くの流れ星を見た事があるだろうか?

そもそも、私はそんなに頻繁に流れ星に出逢えていただろうか……?




今夜、流れ星を100個見付けなければ……。




…………。




…………。





…………あぁ、違う。





何となくだけど、私は『違う』気がした。



本当に、何処をどう掠めたのか分からないけれども、頭の中の、その隅のほんの末端の末端を何かが掠めたのだ。



夜。



一晩。



探すのは、流れ星……。



「……朧さん」


「んん?」


「それって、100個以上っていうのの他に、条件って無いですよね?」


「そうね。無いわね」


「私一人で空を眺めなきゃいけない分けじゃないですよね?」


「そうね。誰と眺めても良いんじゃない?」


「もう、日が暮れますか?」


「あと20分ってところね」


私は差し出された二杯目のコーヒーに一度だけ口を付けた。

何処と無く、少しだけ甘い。

そんな気がした。


「ありがとうございます。ちょっと行ってきます」


「はい行ってらっしゃい。100個見付かっても100個見付からなくても、二度と来なくて良いから」


朧さんの方はもう見なかった。

背中に意地の悪い彼女の声を受けて、私はライトオレンジの扉を開ける。

ドア上部に付いたベルが『チリン』と鳴り、それが私の退店の合図となった。

そうして、私は駆け出した。

それは意識的にか、無意識的にか。




校外学習。


修学旅行。


体育祭。


文化祭。




……そういうイベント事に、参加したかった?


体育祭なんてつまらないよ。

ただ走って何かわちゃわちゃしてさ、一位だか二位だかなんて決めてさ、別に、そんなの面白くないよ。


校外学習だってそうだよ。

どっか郷土資料館みたいなところに行って、文献とか出土した壺とか見て説明されるだけだしさ。


文化祭も修学旅行も面白くなかったよ。

あんなのは、ただのお祭り騒ぎみたいなさ、そういう……。そういうので、別に、多分冬乃は、きっと引け目とか、そういうのは感じてないと思うけどさ、だから、大丈夫だよ。

冬乃はきっと大丈夫。


学校行事なんて、参加しなくても、別に、なんでもないんだから……。



だから、今日、私と行こう?



お願い、冬乃。



私と一緒に、流れ星を探して……。





◆ ◆ ◆





病院の、冬乃の担当のお医者さんは大層困っていたけれど、外出を許可してくれたのは冬乃のお母さんだったし、お医者さんも無理強いて冬乃を止める様な事は無かった。

薄笑みを浮かべるお医者さん。そして、電話越しで少しだけ話しをした冬乃のお母さん。

理由は言わなかったし、ただ明日の朝まで外出したいと言っただけだった。

それでも冬乃のお母さんは、数瞬だけ困った様にしてから『冬乃をよろしくね』と言ってくれた。

それは、もしかしたら本当は冬乃の病気は大した事ないという事なのだろうか?


……と、そんな薄明かりに照らされる儚い希望に期待して、私は『ありがとうございます』と返した。


何もかも知ってしまった私にとっては、そんな自身の浅はかな考えなど気休めにもならない。


少し厚手のブランケット二枚を二人で被り、シートを敷いて砂浜に腰を下ろす。シート越しに感じる砂浜はまだ日中の熱を少しだけ残していたけれど、それもきっと、次第に夜の冷たさへと変わってくるだろう。


潮の匂いと少しだけ湿った風が私達に夜の海を感じさせる。

まだ日は暮れて全然時間は経っていないのに、辺りには人影が一つも無い。

遥か背後に灯る街灯の明かりですら此処まで届かないのではないかというその場所で、星明かりだけが私達の道標だった。

それは恰も、この場に私と冬乃しか、今この世界に、私と冬乃しか存在していないのではないだろうかという。考え様によっては恐ろしさにも喜びにも似た感覚が自身の内側で右往左往していた。


「桃、最近、学校の方はどう? 楽しい?」


問われ、私は少しだけ間を開けて「楽しいよ」と返し、「だけど、冬乃が居ないから、寂しいかな」と続けて吐いた。


「そっか。うん、私も桃に会えないから、少し寂しいかな」


だから、早く退院しなくちゃね。


冬乃はそう言ってうんうんと二度首肯する。

海に来てから継続して浮かべている薄笑みを星空に向けると、冬乃はその眼前に数多の光を一身で受け止めてみせた。


私は、それが不安で仕方がないのかも知れない。

笑みを浮かべる冬乃も、どこか強がって見せる冬乃も、私と居る冬乃も私と居ない冬乃も、私の知らない冬乃の事も……。


「……冬乃はさ」


「うん?」


「……自分の病気の事、どれくらい聞かされてるの……?」


私の問いは残酷だろうか……。

私の問いは冬乃を傷付けるだろうか……。


「……多分、全部は聞いてないかな。っふふ、専門的な事は、聞いても分からないからね。私が聞いてるのは、もう退院出来ないかも知れないって、殆どそれくらい」


冬乃は続ける。


「調子の良くない日もあれば、調子の良い日、もあるのね。その辺りは、いつもマチマチ。次の日、朝起きるまで、自分の調子は、分からなくて、もしかしたら、明日凄く調子が良くて、そのまま退院出来るかもって、そう思う事もあるし、逆に、……逆にね、調子が凄く悪くて、……そのまま、誰にも、桃に、何も言えないままって、そう思う事も、あってね…………」


「……良いよ、大丈夫。もう良いから。……私、また冬乃にバカな事聞いたから」


一番辛いのは冬乃だ。

ただ待って励まして、そうやって勇気付けるだけしか出来ない自分は、所詮無力で矮小で……。

それでも、冬乃は薄笑みを絶やさなかった。


「……何で、今日、流れ星を探そうって、言ってくれたの?」


視線だけを此方に向けて、冬乃は私にそう問うてきた。

流れ星がいつ流れるかは分からないけれど、本当なら一つだって逃す事は許されないけれど、私は首ごと向けてそれを受ける。


冬乃は、自分の病気の全てを知らされてはいない。そして、担当のお医者さんも、その全てを冬乃に伝える事は出来ない。……私だって、全てを理解してる訳じゃない。だけど今、この時とこの場でなら、私は冬乃を助ける方法を知っている……。


「……私ね、願い事があるんだ。だから、冬乃と一緒に、流れ星を探したかった。……沢山の流れ星をさ」


すると冬乃も、「私もあるよ、願い事」と言って、少しだけ私に体重を預けてきた。

互いに互いの握る手を確かめ、互いに握り返し、二人で包まるブランケットで身を寄せ合う。


「修学旅行って、こんな感じだったのかな?」


「……なぁに、急に」


「夜遅くまで起きて、友達とこうやってお話しして、特別でもない事で笑って、誰が好きとか、秘密を共有しあったりとか、そういう、特別と普通の間にある様な、……何て言うか、こういうのが、私の行きたかった修学旅行だったら良いなって、なんとなく思った」


「……冬乃は、修学旅行に、行きたかった?」


「うーん、……わかんない、かな。例えば、その修学旅行に行くってなった時に、桃が一緒に行ってくれるなら、私は行きたい。だけど、誰とも分からない、別に仲良くもなくて、割り当てだけで入れられたグループと一緒に行くっていうなら、私は別に行かなくても良いかなって思う。結局は、何処に行くかじゃなくて、誰と行くかって、そういうのなんだよね」


だから今、桃とこうして流れ星を探してるのが、私は凄く嬉しいし、楽しいよ。


そう言って、冬乃は私の髪を撫でた。

細い指と薄い皮膚が私の髪をゆっくりと弄る。

私はそうされるのが好きで、そうしてくれる冬乃の事が好きで、だから、返す言葉を咄嗟に吐けなかった。

私の顔が赤くて、熱くて、耳がなんだかこそばゆい。


「……私ね、冬乃の事が好きよ」


「私も、桃の事が好き」


「だからね、冬乃の事を、沢山教えて」


「……もう、沢山知ってもらってるよ」


「でも、もっと沢山。何でも教えて欲しいの。私の事も、もっと沢山知って欲しい。何でも良いの。どんな小さな事でも、些細な事でも……。冬乃の事を、何でも知りたい。全部。私に教えて」


きっと、私は気持ち悪いやつだ。

固執して執着して、側から見たらただの気持ち悪いやつ。

だけど、ここには私と冬乃の二人しかいない。

側から見てる人なんて居やしないし、冬乃は私を軽視しない。


だから、冬乃は頷いてくれる。

私の唇に、触れてくれる……。


それから、冬乃と沢山話をした。


何でも、どんな些細な事でも。


眼に映る星の数ほど話をした。


好きな言葉、好きなひみつ道具、好きなポケモン、好きなブランド、好きな作家、好きな絵画、好きな昆虫、好きな必殺技、好きな漫画の好きなシーン、好きなアイドル、好きな手塚治虫作品、好きな音楽のジャンル、好きな匂い、好きな味、行きたい国、行きたい場所、行きたい世界、行きたい星、観たい舞台、観たい演劇、観たい映画、観たいドラマ、着たい服、知りたい秘密、靴のサイズ、視力、身長、体重、指輪の号数ーー。



「ーー今光った!」



言った冬乃のその言葉で彼女の指差した空を視線で追ってみるも、そこには既に星の尻尾の跡すら残っていなかった。


「桃! 見れた⁉︎」

「……ううん、私は見れなかったよ」

「う〜、そっかぁ……」


爛々と瞳を輝かせていた冬乃。私は申し訳なく控え目に肩を落としてしまったけれど、そうした私に冬乃は「大丈夫だよ。まだまだ沢山流れるもん。きっと」と肩を抱いてくれた。


話は細かければ細かい程盛り上がったし進んだ。

互いの知らなかった部分に惹かれていき、知っていた部分にはより惹かれて、そうやって話をしながら、お菓子を食べて、流れ星を探して、いつの間にか時間は0時を跨いでいた。


明日の日の出は大体5時半。


単純に、それが私に残された時間。


20時辺りから粘って流れた星はたった1つ。

それも、冬乃が見付けてくれたけれど、私は結局視認すら出来ていない。恐らくこれはカウントされないだろう。




「沢山お話しして、少し疲れちゃったね」


「……冬乃、大丈夫?」


「うん、大丈夫だよ」


入院してからこっち、日をまたぐ時間まで起きている事が無かったらしい冬乃は、深夜の一時にもう瞼が重くなってしまった様だ。


それは、仕様の無い事だ。


「少しだけ、眠っても良い?」


「……良いよ。私が起こすから。ちゃんと」


私の肩にしっかりと体重を掛けて、冬乃はその双眸を閉じる。


冬乃の髪を撫で、肩を抱き締め、ブランケットで暖かさを逃がさないよう、冬乃が逃げてしまわないよう、私は必死だった。


冬乃との永遠が欲しかった。

冬乃には時間が無かったし、今の私にも時間が無い。

このまま朝になってしまうのが怖いのだ。

今日の日が昇ってしまうのが私は怖いのだ。


冬乃の寝息が聞こえる。

寝息が聞こえる。

こんなに近くで。

冬乃は呼吸をしている。

息を吸って、息を吐いて。

そうやって、冬乃は今、生きている。


今日の日が昇ってしまったら、私はその時どちらであるだろうか。


『愛する人を守れたやつ』か、

『愛する人を守れなかったやつ』か……。


我儘だって良いじゃないか。

たった一つのお願いくらい、聞いてくれたって良いじゃないか。

叶えてくれたって良いじゃないか。


神様なんていないって知ってるんだ。

悪魔だってきっといない。


朧さんってなんなんだろう?


結局私には分からないけれど、そういう不確かな何かに縋らなければ、私は不安に殺されてしまう。


私は不安なのか?

冬乃が居なくなってしまう事が?

去年まで冬乃の事なんて何も知らなかったのに?

たった一年そこらで、ここまで互いの何かに食い込んで、それでなくてはならない存在として彼女は確立してしまった。


居ない事が不安。

居ない事が恐怖。


不必要なものは何も要らない。

けれど、この絶対に、私の人生において確固として必要な彼女だけは、どうあっても手放してはならない。

そう思う。

手放してはいけない。

居なくなってはいけない。


取捨選択だ。


他の何も要らないのに、このままでは彼女だけが私の手の平から零れ落ちてしまう……。


流れ星。

今この場に、三月場冬乃と、彼女を救えるだけの流れ星が欲しい。



綺麗な空も要らない。

輝く太陽も要らない。

心揺さぶる曲も、一目で感動する絵画も、何度も観たい映画も、美味しい食べ物も、楽しい遊びも、何も要らない。


視覚も触覚も、味覚も聴覚も嗅覚も、全部要らない。


……だから、どうか私に。

私から、冬乃を奪わないで……。

持って行かないで……。

他の何も要らないの……。

冬乃だけ、三月場冬乃だけを感じられれば良いの……。

たったそれだけで良いの……。

お願いだよ……。

居るか居ないかなんて分かんないけど、もし、仮にもし居るとしたら……。

お願いだよ、神様……。


頼むよ……。








その瞬間、視界の端で光が尾を引くのを捉えた。


「ーーッ!!」


あれは間違い無く流れ星だった。


流れてくれた。

私の為に。

……いや、私の為じゃなくても良い。

他の誰かの為でも良い。

そして、それが冬乃の為であったら、私はどれだけ救われるか……。


確かに捉えた、たった一つの流れ星。


日の出までは、もう三時間を切っている。


お願い……。


お願いします……。


もっと、もっと沢山の流れ星を……。















すると、また、視界の端で、星の光が尾を引いた。













「ーーまた流れたッ!」








叶えたい願いがある。


叶えて欲しい望みがある。


尾を引く星の光が消える前に、三度の願いを口ずさむ。


けれど、それは容易い事ではない。


ほんの一瞬の光が流れる内に望みを三度言葉にするのがなんと難しい事か。


それでも、星は確かに流れてくれた。


あと数時間で太陽が昇ってしまうこの海に、この空に、確かに星は流れてくれた。


それだけで希望が湧いてくるし、隣にいる大切な人の寝息が私に勇気を与えてくれる。





お願い。





私は、





私は冬乃に、





私は冬乃に生きてて欲しい。





ただ、それだけなんだ……。






















「………………ぅわぁぁ……」






私の口から溢れたのは、そんな間の抜けた音で、それがこの空に似つかわしくない事なんて分かり切っていたけれど、そんな事を考える余裕すら私には無かった。


この光景は、誰の為のものなのだろうか……?


この光は、誰の為のものなのだろうか……?


これは、私は……。




開いた口が塞がらないとは、正にこの事なのだと思った。
















光が流れた。



また流れた。



右でも、左でも。



前でも、後ろでも。



尾を引く光が消えない内に、また星の光が尾を引いて流れる。



いくつも。



いくつもの。



無数の星が。



光が。



一面の空を埋め尽くす様に……。


















…………流星群だ。



















「ーーッ冬乃、起きて冬乃!」


隣で眠る冬乃の肩をさすり、声を掛け、寝息を立てていた冬乃は寝ぼけ眼を擦って頭を少しずつ覚醒させる。


そうして、空を見上げた冬乃は、少しだけ、……いや、何故だか、何処か誇らしげに、笑んで見せた。


「冬乃、凄いよ……。流星群だよ、冬乃」


「うん、凄いね。桃……」


星明かりが眩しいくらい、冬乃の顔が照らされて、ハッキリと分かるくらいに。


星は、流星群は……。



「桃、良かったよ。今日、桃と一緒に、流れ星が見れて」



「……うん」



無数の流れ星は縦横無尽に飛び回る。

引かれた尾が道標となり、それを目掛けてまた星が流れた。

そんな夢みたいな光景が眼前に広がり、本当に夢なんじゃないかと不安にすらなる。

けれど、これは間違いではなく、紛れも無く本当で、現実で、空の色を反射して映し出した海の色が綺麗で、とても、凄く綺麗で……。


少しだけ、本当に少しだけ、私も冬乃も無言だった。

言葉を発せず、何も言えず、ただこの星の流れる空を見つめて、目が離せなかった。


どのくらいだろうか。

3分か、5分か、それとも10分か、眺め続けていたその星空から漸く視線を外すと、冬乃が此方に目を向けていた。


冬乃の視線に視線を合わせると、冬乃は何処か、少しだけ気恥ずかしそうにはにかみ、そうして、眉をハの字にしてみせる。



「……どうしたの?」



問うと、冬乃は困った様に笑む。



そうして、意を決した様に口を開いた。




「桃、聞いて?」



「……うん」



「あの、……あのね?」



「……うん」



「私ね、もう、あんまり長く生きられないから」



「…………うん」



「私が居なくなっても、健やかでいてね」



「…………」



「私、応援してるから、演劇も続けてね」



「…………」



「みんなと、仲良くね」



「…………」



「私、桃が他の人を、他の誰かを好きになっても、怒らないから」



「…………」



「私じゃない誰かを、ちゃんと好きになって」



「…………」



「いつも、笑顔でいてね」



「…………」






「私ね、最初の流れ星に、お願い出来なかったから、だから、こんなに沢山の流れ星なら、どれか一つくらい、私のお願い、きっと、聞いてくれるよね……」



「…………冬乃?」














「『黒宮桃が、幸せになりますように』……」














「…………ッ」











……冬乃。




…………冬乃。




…………三月場冬乃。





ぼやけて見える冬乃の顔と、星空の輝き。





頰を伝うコレは何だろう?




熱いよ、冬乃。




……嫌だよ、冬乃。




泣くのも嫌だし、泣かれるのも嫌だし、そんな事言われて泣く自分も嫌だし、そんな事言いながら冬乃に泣いて欲しくない……。




泣きたくない……。




泣かないで冬乃……。





嫌だよ……。





私だって、嫌だ…………。





















「………………助けて」




「…………?」




「…………助けてください」




「……桃?」













「ーーーーッ助けてください! 冬乃を助けてください!」












流れ星でも! 神様でも! 悪魔でも! 何でも良いから!!














「ーーーーお願いしますッ! 助けてくださいッ!」














冬乃を助けてくださいッ!!



助けてくださいッ!



冬乃を助けてくださいッ!



お願い! お願いします!



冬乃を助けてください!



冬乃を助けてください!



お願いします!



お願いしますッ!



冬乃を! 三月場冬乃を助けてください!



お願いします!



お願いします!



助けてください!



助けてくだざいッ!



おね……、お願いします!

お願いしますッ!



冬乃を……ーーッ!



冬乃を助けてください!



冬乃を! 三月場冬乃をッ!



助けてください!



どうか! どうかお願いします!!







「冬乃をッ! 三月場冬乃をッ! お願いしますッ! 助けてくださいッ!!」










今、喉が枯れる程、喉が潰れる程、この流星群にそうやって投げ掛ければ、朧さんとかライトオレンジとかに関係無く、私の願いが叶う気がした。










本当に、そんな気がした。


















◆第35.5話 朧扉のため息◆




「トビラ、また怖い顔してるよ」


言われ、私は両の手の平で自身の頰を揉み解して見せる。そうすると、雅はいつも何故だか満足そうに首肯して見せるのだ。


「そういう怖い顔っていうか、不服そうな顔するなら、素直に助けてあげれば良いのに」


「簡単に言うけど、そうやって簡単にはいかない事ミヤビも知ってるでしょ。そんな事したら私が怒られるんだから」


「怒られるって誰に?」


「私に」


答えると、雅は呆れた様に肩を竦めてみせる。

そうしてキッチンへと向かうと、程なくしてこちらに戻ってくる時には二つのマグカップを手にしていた。


「珍しい」


「まぁ、たまにはね」


雅はソファの私の隣に腰を落ち着けると、マグカップの内の一つを私に手渡してくれる。黒々としたインスタントコーヒーには砂糖もミルクも入っていない。

コーヒーなら何でも好きだ。

雅が淹れてくれるものなら尚の事。


「もう少し肩でも持ってあげたら? 知らない人より知ってる人の方が話も聞いてあげやすいでしょうに」


「知ってる人の方が気ぃ使うのよ。朧扉とライトオレンジは常に中立であり続ける必要があるのよ。特定の誰かに必要以上に肩入れするのはルール違反。ミヤビだって分かってるでしょ?」


「分からなくはないけど、それもトビラとライトオレンジのルールだからねぇ。私のルールでは無いわ。残念だけど」


「そう言って、別に興味も無いんでしょう?」


少し意地悪みたいに問い掛けるけれど、雅はそれを受けて「んー、興味無い訳じゃないよ?」と、テレビのリモコンを手にして適当にザッピングを始める。そうして止めたチャンネルはニュースを流していて、今日一日の出来事を振り返る様にアナウンサーが淡々と記事を読み上げていた。


雅は言いを続ける。


「黒宮さんは一年の時受け持ってたし、三月場さんも保健室で何度も会ってたし。二人とも可愛い子だよ。変に捻くれてないしさ」


「分かってるよ」


そんな事、私も分かっている。

だから私も手を焼いたのだ。


「あの子達はね、とーっても面倒臭いのよ」


「面倒臭い?」


そう、面倒臭い。


意外にも雅はこの話に、私の『面倒臭い』という語に食いついてきた。どうやら本当に興味が無い訳ではないらしい。

貰ったコーヒーに一度だけ口を付け、私は小さくため息を吐き出してみせた。


「例えばだけど、運命っていうのがあるとするじゃない?」


「まぁ、あるとするわねぇ」


「この運命っていうのは、宇宙の始まりと共に決定付けられるとするじゃない?」


「まぁ、そうするとしましょう」


「仮にAとBという人が運命的に出会って仲睦まじく一生を終えたとしても、次に始まった宇宙では必ずしもそうなる訳ではないの。その理由は、『運命』が『宇宙の始まり』と共に決定付けられるものだから。次の宇宙の始まりで決定付けられた運命では、AはCと結ばれるかも知れないし、BはDと結ばれるかも知れない。それは仕事や環境でも同じで、前の宇宙で教師だったAは次の宇宙で珈琲店のマスターをしてるかも知れない。必ずそういう差異はあるの」


「へー、そうなんだ。知らなかったよ」


「知ってる方がおかしいんだけどね」


「それで?」先を促す雅はどうやら興が乗ったらしい。

私は言いを続ける。


「でも、黒宮桃と三月場冬乃は違うのよ。何度宇宙が始まっても、どれだけ隣に同じ世界があっても、あの二人は絶対に出会うし、絶対に惹かれ合うし、絶対にどちらかが病気で若くして死ぬ」


「へー」


「喉の病気で演劇を出来なくなった黒宮がいたり、脳の腫瘍で手足の自由が効かなくなった三月場がいたり。それで、絶対黒宮か三月場のどちらかがライトオレンジに来る。代償を支払えなくて相手の死に目に泣いた三月場もいたし、1300年の幽閉に自らを捧げた黒宮もいたわ。どれだけ宇宙が始まっても、宇宙が終わっても、並行する別の宇宙でも、何処でもいつでも何度でも、あの子達は互いを助ける為にライトオレンジに来るの。必ず。絶対に」


「健気じゃない。漫画みたいな」


「漫画だったらどれだけ良かった事か」


「じゃあ何で今回はそうしなかったのよ?」


「もう面倒臭くなっちゃって」


「トビラの心が折れたのね」


「そう」


「珍しい」


「だからさぁ、もう助けてやろうと思って」


「なんだ、結局助けるんじゃない」


「私が直接助けるんじゃないわよ。ヒントだけあげて、後は自分達でどうにかしてもらうわ」


「それなら良いの?」


「それなら良い事にするわよ。私だって彼女達の事が嫌いな訳じゃないから」


だけどね。


「ただただ面倒臭いのよ。本当に。何回も何回も同じ事言わせるし、何回も何回も結局同じ結末迎えるし、ほとほと勘弁して欲しい。だったらもう私が手を出さないところで勝手に助かって勝手に幸せになって欲しい。なるべく私の手を煩わせない方向と場所で幸せになってくれって感じ」


「でも、結局手は貸したんでしょ?」


「多少はね。流れ星100個で彼女の心が折れるかどうかよ。もし可能性を少しでも見出してるなら、今頃空でも見てるでしょ。今日の深夜は明るいわよ。何せ、流星群としてデブリと星の欠片が5000個超えて尾を引くんだから」


「楽しそうね」


「そう見える?」


「素直じゃないんだから」


言われ、私は再度、強いて怠そうにため息を吐き出してみせた。


テレビを消し、コーヒーを飲み干し、ソファから立ち上がると少しだけ伸びをする。


「素直じゃ朧扉なんて出来ないよ」


言うと、雅は「そっか」と何かに納得してみせた。


「明日も早いしもう寝よう」

それを受けると、雅は少しだけ考える様な仕草をしてから私の腕を取り、片眉を上げて私への問いを吐く。





「この宇宙で私が死んだ後、トビラは誰と時間を過ごすの?」





「変な事を聞くんだね?」






生まれ変わったミヤビとだよ。







その答えに満足したのか、雅は照れたように両の口端を持ち上げて笑んでみせた。














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