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第2話 奥海桜子の場合

何だか落ち着かないんだ。

あの子を見てると。



◆ ◆ ◆



白海坂女学園は憧れだった。

例えば、舞台を観に行ったり映画を観に行ったり、そういう時、『凄いなぁ』『素敵だなぁ』と思う女優の人達は殆ど白海坂の卒業生だったからだ。

特に演劇とか芸能とか、そういう世界への憧れなんかがあった訳では無いのだけれど、そういう『凄いな』とか『素敵だな』とか、そう思った人達に自分が少しでも近付ける為にはどうすれば良いのかと考えた結果が白海坂だった。

模倣とか言われて仕舞えばそれまでだけれど、いつの時代もどんな事でも、何か憧れに近付く為にはまずやるべき事は模倣、真似っこだと思ってる。

演劇や芸能ではなく、人として、立ち居振る舞いとして、どういった人物に成りたいかと思った時に、やる事や出来る事は真似っこなのだ。


沢山勉強して、白海坂を受験して、合格して、入学式の日、憧れの白海坂へ続く桜並木が私を迎えてくれている様で、凄く嬉しかった。

舞い上がっていた。


だからかどうかは分からないけれど、私には彼女が一際輝かしく見えたのだと思う。


校門付近で一人、不安そうにキョロキョロと視線を泳がせる女の子がいた。

彼女は小柄で、見るからに高等部の生徒ではなく、中等部の新入生が高等部側に迷い込んできたのだろうと簡単に察しはついた。

如何せん自分も新入生だけれど、中等部校舎まで案内する事くらいは出来るだろうと声を掛けようとしたその時、だ。


「中等部の子?」

「……はい」

「新入生の子?」

「…………はい」


新入生だろうその子に声を掛けたのは、その子と同じくらい小柄で可愛らしい女の子だった。


「最初分かんないよね。私も中等部の入学式の時に迷っちゃったし。それで泣いちゃったし。でもまぁ、これはもう白海坂の造りが悪いよ。中等部と高等部で校門分かれてるとか知らないもんね。だから、一緒に行こ? 私案内してあげるから。まだまだ時間あるもん。ゆっくり行って、貴女の事聞かせて」


肩口までの綺麗な黒髪に、小柄な体躯。

細い手足に、白い肌。

大きな瞳。

唇だけが際立って紅い。

そんな小さな彼女は、人知れず誰の目にも気にされる事なく、ただ、新入生の女の子を手助けしただけだった。

私には出来なかったし、周りで登校して来ている他の高等部の人達にも出来なかった。

恰も、彼女だけがそれを出来たかの様に、そして、彼女にだけそれをする権利があったかの様に…………。


私の中で、彼女が『トクベツ』になるのには、そう長い時間は掛からなかった。


花見坂上沙耶。


彼女は可愛かった。

よく言葉を噛むし、何もないところで躓くし。

最初は仔猫を愛しむ様な気持ちで見ていた。


だけど違った。


彼女は聡明だった。

学はあるし、苦手だろう運動にも紳士に取り組んでいるし、美術でも音楽でも、何にでも真剣だった。


そして、彼女は優しかった。

空きカンは拾うしお年寄りと一緒に信号を渡るし、困っている新入生の手を引いていた。

何処か偽善的に見えてしまう行為でも、彼女は何の躊躇いもなく、そしてそれが当然だと言う様に……。


そういう彼女を目で追っている内に、私に芽生えたのは、『尊敬』や『憧れ』にも似ているが、其れ等では到底追い付く事の出来ない、只々走り続けるだけの本能の様な……。



要するに、私は彼女に恋をした。

花見坂上沙耶に恋をした。



白海坂女学園。

この場所で私は自分が凄い人だったり素敵な人だったりに成ろうとしていたし、事実成れると思っていた。根拠は無いが、そういう不確実な確信だけはあったのだ。


花見坂上さんは凄く素敵な人だった。

自身のそういった目標とか指針とかがどうでもよくなる位に。何故私は白海坂を中学受験しなかったのかと後悔する位に。


日に日に彼女への想いは強くなっていった。

寝ても覚めても彼女の事を考えていて、彼女を視界に捉えるだけで嬉しくて、彼女が此方に目を向けただけで気恥ずかしくなり、彼女の声が聞こえただけで心臓が跳ね上がった。

日を増す毎に、私の中の花見坂上さんが確かなものになっていくのを感じていた。

溺れると抜け出せないって分かってたのに、私は自分で抜け出す事が出来なかったし抜け出そうともしなかった。


花見坂上さんとお喋りがしたかった。

花見坂上さんに触れたかった。

花見坂上さんと手を繋ぎたかった。

花見坂上さんと見つめ合いたかった。

花見坂上さんと抱き合いたかった。

花見坂上さんと。

花見坂上さんと。





だから、こうして彼女を前にして、静謐な保健室という場所で、ベッドの上に押し倒し、真っ白なシーツに彼女を沈めると、もう自分を抑え付ける事が出来なかった。

今この場で彼女と安らかに死ねるなら、私はそれを選んでいただろう。


尊敬や憧れとして見ていた花見坂上さんを私は好きになったけれど、それを感情の起伏の変容として要するに勘違いだと言う人もいるかも知れない。

事実私もそうだと思っていた。

尊敬や憧れが私にそう錯覚させていると思っていた。


だけど、やっぱり違ったのだ。


一目で尊敬し、二目で憧れ、三目めには私の心が選んでいたのだ。


花見坂上さんが好き。

花見坂上さんに好かれたい。

花見坂上さんを好きでい続けたい。

花見坂上さんから好かれ続けたい。



私はこんなに我儘だっただろうか?



…………まぁ、いいか。




今こうして、彼女に抱かれて眠れるなら。

花見坂上さんの唇が柔らかくて触れる肌が温かいなら、今この時は、そんな色々なんてものはどうでもいい。




私達が相思でいられる事を偶然とか必然とか、そんな言葉で片付けたくは無い。



私が選んだのだ。



私が自分で選んだのだ。



そして彼女も選んでくれた。



私の事を好いてくれた。




奥海桜子。



高校に入学して新しい生活が始まったその年の春、私は女の子の唇を奪った。



ファーストキスだった。









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