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第10話 三月場冬乃の是迄

貴女の声を、聞いた気がした。


◆ ◆ ◆


小学校に上がる前から水泳を習っていた。

特に泳ぐのが速いとか、泳ぐのが上手いとか、そういう事は無かったけれど、なんとなく、水の中を進む浮遊感が好きだった。

脚で水を蹴り、腕で水を掻けばまえに進む。

そんな当たり前の事に、私は時たま高揚していた。


何かがおかしいと思い始めたのは、小学五年生の時。


運動するとやたら息が切れるし、泳いでいると、息継ぎをしていても、とても苦しい時があった。


ただ少し苦しい『だけ』。


運動をしない時は別段体調に変化は無かったので、特に誰かに相談するとかは一切無かった。

仮にこの時誰かに、例えば親とか保険医の先生とか、そういう人に相談していたとしても、今のこの結果は何も変わっていなかっただろう。


皮肉な結果、という訳ではない。

結局道筋が少し違っただけで、ココに到着する事は恐らく決まっていた事なのだ。



中学一年の時に倒れた。



貧血という事でその時は話しが付いたけれど、その日から頻繁に倒れる日が続いた。

何をしてもいないのに疲れる。

怠さ。

貧血を起こし、膝をついてしゃがみ込む事が多くなる。


保険医先生の勧めで母と少し大きな病院に行くと、血液の病気である事を聞かされた。

簡単に言うと、元から少し調子の悪かった血液が、成長と共に成分量等が全体的にまかなえていないという話だった。

この中学一年の時、私は身長が百六十センチ近くあった。

成長は他の子より早かった。

背の順では一番後ろで、手足も長く、水泳教室では羨ましいとさえ言われていたコノ身体を、私の血液は、『手に負えない』と、色々放棄してしまっていた様だ。


水泳教室は辞めた。


体育も全て見学になり、次第に教室にも近付き辛くなって、登校する理由も薄れてきた。

中学生の頃は、殆ど自分のクラスには行っていない。


白海坂の校風は有り難かった。


穿き違えていない自由さと、それに見合った制度と、学べる機会の多様性が、私にとって理想的に見えた。



『トモダチ』は現状望んでいない。



学べるだけで贅沢なのに、こんな私が友達まで望んでしまうと、それは欲が過ぎるというものだ。


欲しくない訳ではないし、教室に行きたくない訳でもない。


ただ、私は体育祭にも参加出来ないし、学園祭だってきっと迷惑を掛ける。校外での学習プログラムなんかも一緒に行く事は出来ないし、きっと修学旅行も私は一人保健室だ。


だから、私は学べるだけでいい。

この学校で、クラスの誰に迷惑を掛ける事もなく、こうやって、一人で。


……一人で?


……まぁ、それでも良いか。


だって、私はきっと…………。



◆ ◆ ◆


…………。


………………。



夢を、見ていた様だ。



内容は思い出せないけど、なんとなく、良い夢では無かった気がする。


五限目は、確か英語だった筈だ。


英語なら授業を受けられる。

身体を動かさないなら何でも良い。

座学なら好きだ。

じゃあ、座学以外はどうだろう。

小学生の時は体育も好きだった気はするけど、今となっては好きか嫌いかも分からない。


私が、今好きなものって、なんなんだろうか…………。





「おはよ」





…………。

「おはよ」



ベッドの端に、手を伸ばせば頬に触れられるだろう距離の、その位置に腰掛けた彼女が、私にそう声を掛けてきたので、私も同じ様に言いを返した。



「どうしたの? モモちゃん?」


「三月場さんと、話しがしたくて」



彼女の名前は黒宮桃。

彼女は苗字で呼ばれる事を嫌い、名前で呼ばれる事を好む。



「そっか。ごめんね、私寝ちゃってたから」


上半身を起こして目線の高さを合わせようとするが、元の身長差から、彼女は気持ち上目遣いの様になる。

モモちゃんは、私との距離感を確かめる様にしてから、二度首を横に振った。


「なんかね、三月場さんと話しがしたかったんだけど、……なんかね。三月場さんの顔見ただけで、満足しちゃった」


酷いなぁ。


ーーと、そう言って笑おうとしたけれど、私は、彼女のそれに気が付き、少しだけ言葉が詰まる。彼女もそれを隠そうとしていたのか、薄っすらと笑みを作って応えてはいたものの、その仕草がかえって、私にそれを気付かせた様にも感じた。






「……モモちゃん、泣いてるの?」






問うと、彼女は「ん? 泣いてないよ」と、やはり笑顔を浮かべた。

けれど、その笑顔は、何処か歪で、時折笑みを見せる、いつも会う彼女の笑みでは無いような…………。



「…………それは嘘だよ。どうしたのモモちゃん? 何かあったの?」


それでも、彼女は「別に、なんにも無いよ」と、歪な笑みを作り続けて。


「いつもは、そんな顔してないじゃない」


「そうかな? いつもこんな感じだよ」



……嘘だ。


……絶対に嘘だ。


いつもはそんな笑顔じゃない。


いつもはもっと元気で、可愛く笑って、頬も唇ももっと紅くて、それに……。




と、そこまで考えて、気付いた。



いつもは。

彼女は。

いつもの。

彼女の。



……そっか。



私、最近、いつもモモちゃんに会ってるんだ。



たった二週間とかそこらなのに、彼女の微細な表情の変化まで感じとる位に、私は、彼女と会ってるんだ…………。


まるで何年も前から彼女の事を知っていた様に、何年も彼女が側にいた様に。


そんな毎日が……。

私にもそんな毎日が……。


友達はいらないと思ってた。

学校で学べるだけで幸福だと。


それでも、彼女が泣いているのなら、私はそれを…………。




「……モモちゃん?」


「ん??」


「良いんだよ?」


「何がよ?」


「泣いても」


「っはは、だから私は」


「…………」


「別に、私は」


「…………」


「別に……」


「…………」


「っ別に……、私はさ」


「…………ね?」


「……っな、泣いて、っないってば……」



力無くも垂れたモモちゃんを、私は腕の中で受け止めた。

私の胸に顔を埋めた彼女は、そのまま声をしゃくり上げて涙をボロボロ流しだした。


「……別に、泣いて、っないよ……」


「うん、分かってる」


「……っ本当、っ……なんだ、っからね……」


「うん、分かってるよ」



「…………私、っ三月場さんの事が、……好きなのかも、知れない…………」




…………私も、モモちゃんの事が、好きなのかも知れない。




それは、言わないでおいた。


それを言う事で、わたしがどれだけ彼女を無用な枷で縛り付けるかが分からないから。


ただ、私は彼女の頭を撫でる事を、ずっと。

それこそ、ずっと……。



五限目開始の鐘が鳴るが、今はどうでも良かった。座学は好きだが彼女の方がその何倍も大事だからだ。


◆ ◆ ◆


「泣くのは好きじゃない。なるべくなら、笑って生きたいな」


「分かるな、その気持ちは。なんとなくだけど」


五分ほど泣かせ続けて、漸く落ち着いたモモちゃんは、やっといつも通りの元気な笑顔に戻ってくれた。


学園祭は参加するの?

モモちゃんにそう問われ、私は少し考えてから、「全行程は分からないけど、モモちゃんの出る演劇部の舞台は必ず観に行くよ」と、そう答えた。


彼女の笑顔が太陽の様に私を照らしてくれる気がしたので、その約束だけは守らなければならないと、そう思った。






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