6
洞窟はそんなに長くはなく、直ぐに出る事が出来た。
洞窟を抜けると一面花畑で、その端に神殿が立っている。その周りは岩壁に囲まれていて、今来た洞窟からでないと入る事ができない様に見えた。
「此処、ですかね?」
「その様だ」
一通り感動した後、優菜はデュークに尋ねる。
デュークが社と言っていたので、和風なものを想像していた優菜だったが、昨日から見ていた街並みを思い出しそんな訳ないか、と思い直した。
「綺麗過ぎて前に進み辛いですね。」
「どうした?」
一歩踏み出したデュークは、振り返り優菜を見る。
「草の時には何とも思わなかったんですが、花になると踏むのが申し訳ない気がして。私って現金ですね。」
周りを見渡しても道はなく、花を踏まずに神殿まで行くのは不可能だった。
「ごめんなさい、気にしないで下さい。行きましょう。」
言われても困る事を口走ってしまった事が申し訳なくなった。
彼は進まない訳にはいかないし、帰りの事もある。自分のエゴで余計な時間を取らせる訳にはいかないのだ。
「ああ」
その証拠にデュークは困った様に笑いながら頷いた。
優菜の胸の高さ位まである花を掻き分けながら進む。二人共出来るだけ花を踏まない様に気を付けながら歩いていると、円形に開けた場所に出て、そこから先は神殿まで道があった。
「此処って誰かいるんですか?」
首を傾げて優菜は問う。今迄の獣道とは違う、人がゆったり通れる位の幅の道だった。
「さあな、聖地の情報は口外してはいけない決まりになっている。俺も何も聞いていないが、神殿に何かいる様だな。」
神殿に向かう足跡を見付け、デュークの表情が引き締まる。
それを見て優菜も一度深く息を吸って吐き出した。
思えば聖地に入ってから今迄、デュークは自然に感情を出している様に感じた。
宿で感じたピリッとした雰囲気も薄れていた様に思うが、今また彼からその空気を感じる。
周りの目がない事がそうさせていたのだろうと気付き、何者かも分からない自分を信用してくれているのだなと嬉しく思った。
「何かいてもデュークさんなら大丈夫ですよ。行きましょうか?」
にこりと微笑み歩き出す優菜にデュークは眉をひそめて僅かに笑う。
「随分と根拠のない言葉だな。」
「え?そんな事ないですよ?だってデュークさんはこんなに旅慣れてない私を連れて此処まで安全に来たじゃないですか。本当は一人ならもっと早く辿り着いて儀式も終わらせられてるんじゃないですか?」
デュークと一緒の間は動物に一度も出会わなかったし、少し優菜一人になった時に来た猿っぽい動物もデュークが近づくと逃げてしまった。
彼が自分の安全を考えて動物を避けたり、近付かない様に何か対策をしていたのかもしれないな、と優菜は思っていたし、彼一人ならもっと険しい道でも最短距離を選んで進む様な気もした。
「それはそうだが、早く辿り着いたからと言って儀式が滞りなく終わるとは限らないと思うが・・・」
「そうじゃなくて、思い遣りのあるデュークさんが王様になれない訳がないので大丈夫なんじゃないかと思って。」
あれ?儀式って失敗する事があったんだっけ?と自分の言ってる事がズレている様な気がしたが、優菜はまあいいかと足を進める。
するとデュークが優菜の手を引いて彼の後ろを歩かせた。
「何がいるかも分からないのに前を歩くな。お前は本当に、しっかりしているのか抜けているのか分からないな。」
「あ、ごめんなさい。何だか気が緩んじゃって・・・。さっき気を付けなきゃって思ったばっかりだった筈なのに・・・」
最後の方は自分を戒める為に小さな声で呟いた。
大きな石造りの門をくぐり、その先にある扉の前で一度立ち止まる。
すると、その扉はキィッと金属音を立てて勝手に開いてゆく。
「え?」
驚いてデュークの方を見ると、彼も僅かに驚いた様子だったので、彼がした訳ではないのだと思い優菜にも緊張が走る。
デュークは優菜を更に数歩下がらせた。
彼の背から中を窺うとそこには白いドラゴンがいる。
「ドラゴン?」
「知っているのか?」
優菜の呟きにデュークが尋ねるが優菜は否定する。
「いえ、私の世界ではドラゴンは架空の生き物なので、初めて見ました。」
「そうか、此方では太古の昔に姿を消したとされていたから俺も初めて見る。・・・ユウナ、近付き過ぎない様後ろから出るな。」
二人が中へ入ると扉はまた勝手に閉まった。それを一瞥してからデュークはドラゴンの様子を窺いながら進む。
天井の高い石造りの神殿の中は少しだけひんやりとしていた。
緊張がそう感じさせているのかもしれない。
「ガレティア王国、デューク ウェイン レガラドだね。」
神殿の半分程迄進むと、ゆったりと涼しげな声でドラゴンが語りかける。
音の低さから雄だと分かった。
「!」
二人は思わず立ち止まる。
「そう警戒しなくても良いよ。食べたりはしないから。」
ふふふと笑うドラゴンの声に、デュークは少し眉を寄せる。
「ユウナ、此処で待て。」
「え?は、はい。」
デュークはそう言って歩みを進め、ドラゴンの前迄行くと、そこに膝を着いた。
「ガレティア王国、デューク ウェイン レガラド、王位を継承すべく儀式に参った。私見では此処が社と印象を受けたのだが、古の時を生きる貴殿にご教授頂きたい。」
「うん。じゃあ少しだけ血を貰うよ。そこに立って腕を出して。」
デュークは言われた通り、その場に立って腕を出す。
その腕に大きな爪が掛かりプツリと傷を付ける。
次にドラゴンは呪文を唱えて空中に金色の魔法陣を作り出し、デュークの血をそれに垂らした。
血は床へ落ちる事なく、魔法陣に吸い込まれその色を銀に変える。
ドラゴンが視線をデュークへ向けると、魔法陣はデュークの頭の上に移動し、眩く輝きながら彼の足元迄通過して消えた。
「はい、終わったよ。ところで・・・」
ドラゴンはデュークからその後ろにいる優菜へ視線を動かす。
「君、昨日聖地に降りた迷い子かな?」
「え?」
眩しさにぼうっとしていた優菜は、突然話し掛けられた事に驚く。
「こっちへおいで。」
「は、はい。」
優菜は恐る恐る歩みを進め、デュークの少し後ろに立った。
「もっと近くに。」
「・・はい。」
デュークの後ろから横へ一歩出て止まる。それ以上は不安からか足が進まなかった。
すると、ドラゴンの方が近付いて来て、思わず優菜は後ずさる。
「ふふ、そうか、怖いんだね。」
「あの、・・・ごめんなさい、大きいので少しだけー・・」
食べたりしないと言っていたのに、何だか申し訳なくて、歯切れ悪く優菜は答える。
デュークの腕をチラリと見ると、その血はもう止まっていて、彼は袖を直していた。
「これなら大丈夫かな?」
そう言うとドラゴンがキラキラと光り、収束してゆく。
眩しさにまた目を瞑って顔を背けると暖かいものに包まれて、ゆっくり目を開けると薄い金髪の超絶イケメンがにっこりと微笑んでいた。
「なっ!」
声を上げたのはデュークで、優菜は驚き過ぎて声も出ない。
包まれた感覚はいつの間にかしっかりと抱き抱えられている感覚に変わっていて、超絶イケメンはデュークと距離を取る。
「ふふ、邪魔しないでね。」
優菜は地面に降ろされたものの、腰に腕は回されたままで、不安げにデュークを見る。
「ユウナ!」
デュークはそちらに行こうとするが、見えない壁に阻まれていて不可能だった。
「彼はちょっとほっといて、こっちを向いて。」
デュークの方を見る優菜の顎を掴み視線を合わせる彼は、彼女の瞳をみて微笑みを深めた。
「やっぱり。不完全な状態で此方に来てしまったんだね。」
「え?」
「目を閉じて。」
腰に手を回し、顎を掴み上げたまま彼は言う。
「・・・えっと、このままですか?」
「うん、このまま。」
僅かに距離を取ろうとしたが、彼は腰を掴む腕の力を強めてそれをさせない。
「でもちょっと、近いー・・・」
「このまま、ね。」
優菜の言葉を遮り"このまま"と言った彼は目を少し細めて、その瞳は剣呑な光を宿す。
有無を言わせないそれに、優菜はデュークへと意識を向ける。
顎を掴まれて首を動かせないので、彼を見る事は出来ないが、近くに存在を感じて少しだけ安心して、目を閉じた。
「ふーん、たった一日で随分仲良くなったんだね。嫉妬するなー。」
「え?」
その言葉に目を開けたのと、彼と唇が重なるのは同時だった。
え、と声を出した優菜の口の中へ舌を入れ、彼女の舌を絡め取る。
「んっー・・・!」
胸を押しても彼はビクともしない。
舌を吸い上げた後、一度唇は離れるが息を吸う間もなく今度は下唇に吸い付かれる。
唇がふやけそうな程に口付けられた頃、ちゅっと音を立てゆっくり離れる彼と優菜の唇に銀糸が掛かりプツリと切れた。
「おっと・・」
ハッとして優菜は彼を押し離れようとしてまた彼の腕の中に収められる。
「・・ーっ離して!」
抗議する優菜の耳元で彼はクスクスと笑って囁く。
「いいの?脚に力入らないみたいだけど。」
カアッと顔に熱が集まる。
「気持ち良かった?君の甘い香りが強くなってる。」
恥ずかしいやら、悔しいやら、色々な感情がごちゃ混ぜになってジワリと涙が溢れそうになるが、奥歯を噛み締めて我慢する。
「何がしたいのか分かりません。意味がないのなら離して下さい。」
「意味ならあるんだけど、君を僕のモノにしたいって。」
「ふざけないでーー・・ぃやっ!」
抱き締める彼の大きな手がウエストから太腿まですうっ下がり、優菜は彼の手を掴み引き剥がそうとした。
「ふふふ、そろそろ離れないと彼が神殿ごと壊しそうだね。」
そう言って彼がパッと身体を離すと、優菜はその場にへたり込んで、デュークへ目を向けるが、今のを見られていたと思うと恥ずかしさや気まずさから目を逸らしてしまう。
「ユウナ アユカワ、髪を見てごらん。」
「・・ーえ?」
纏めていた髪は解かれていて、毛先を掬って見ると黒く戻っていた。
「いらっしゃい、漆黒の女神。」
「しっこくのめが、みー・・?」
何を言っているのか分からなくておうむ返しをしてしまう。
「世界は君を従える事は出来ない、君が選ぶんだよ。」
「・・選ぶ?何を選ぶんですか?」
「君の純粋な魂の輝きを誰に捧げるか選ぶんだ。君が正しく選べば平穏が訪れる。」
「そんなのー・・」
平穏なんて自分の力でどうにかなる筈がないと否定しようとすると彼は言葉を被せて尋ねる。
「じゃあ何故君は此処に来たの?」
「・・分かりません。」
「迷い子なんてそう簡単に出るものじゃないんだよ。僕は人が文明を持ち始めた頃からこの世界を見守っているけど、迷い子は君で七人目。僕もその内の一人だよ。」
「え?」
「後の五人はこの世界の初代の王。」
彼はチラリとデュークを見てそう言った。
「僕にはね、迷い子が現れると啓示が降りる様になっているんだ。でも不思議だね、今迄の迷い子は強力な魔力の持ち主だったけど、君には全く魔力がない。」
「あ・・」
へたり込んでいる優菜の前に膝を着いて指で髪を梳く。
そこでガシャンとガラスの割れる様な大きな音がして、彼の作った見えない壁がキラキラと胡散して消え、デュークが彼の胸倉を掴んだ。
「貴様、何のつもりだ?」
デュークの怒りを物ともせず、彼はクスクスと笑って言い返す。
「君こそ、儀式が終わったら掌返しちゃって。それにユウナは君のモノじゃないでしょ?」
「ふざけるな!ユウナの意思を無視して横暴な事を!!」
そうデュークが言うと、クスクス笑っていた彼はスッと目を細めてまた剣呑な光を宿す。
「ふーん、君がそれを言うの?ユウナの中に君の魔力の断片があったけど、あれって奴隷の契約魔法だよね。他にも操りの魔力も感じたけど、それは同意の上なの?」
「・・っ!それはー・・」
「見逃してあげようと思ったのに、墓穴掘るなんて王族らしくないね。」
胸倉を掴む手が緩み、彼はそれを払うと優菜へ振り返り、彼女を立ち上がらせる。
「僕はグレン。ユウナ、僕を選んでよ。」
「あの、選ぶって、選んだらどうなるんですか?」
「平穏?」
さあ?と、いう風に返されて優菜は、首を振る。
「そうじゃなくて、選ぶだけで、平穏がもたらされるなら一人じゃなくて沢山選んだ方が良いじゃないですか。」
優菜がそう言うとグレンは一瞬目を丸くして、ケラケラと笑い始めた。
おかしな事は言っていない筈なのに、こんなにも笑われると少しムッとする。
「ユウナって大胆。一妻多夫制がいいのかな?」
「え!?いえ、あの、そう言う意味だと思ってなくて、そのー・・」
優菜が慌てていると、繋がれたままだった手をデュークにパッと取られて、彼は優菜とグレンの間に割り込む。
「あまりからかわないで貰いたい。」
「もう少し余裕を持てないのかな?そんなのでこれから先君、狂わないでいられるの?」
鋭いデュークの視線に、グレンは微笑んでそう言うが、その目は笑っていない。咎める様な目つきだった。
「まぁ、人間には難しいのかな?」
今度はケラケラと笑って付け加える。
「貴様・・・!ユウナ、帰るぞ。」
「え、は、はい。」
デュークに手を引かれたまま、引き摺られる様に歩き出す優菜。
「そっか、じゃあ僕も行かなきゃね。」
「え?」
グレンは引っ張られながら歩く優菜の腰に手を添えて着いて来る。
「何故、貴様が着いて来る?」
グッと優菜を強く引き、今度はデュークの胸の中に閉じ込められる。
「きゃっ・・!」
余りの勢いにデュークに突進する様な形になったが、彼は何ともなしに受け止めていた。
「何故って、ユウナを一人には出来ないし。」
「ユウナを一人に等しない。俺がいる。」
「君じゃあ、ね?」
「俺はもう直ぐ王だ。ユウナに危害を加える事等しないし、させるつもりもない。」
「僕はドラゴンだよ?君よりよっぽど精神的にも、魔力も上だけど。それに王って忙しいよね。」
自分の頭上でポンポンと子供じみた言い合いと、バチバチと火花が散りそうな睨み合いが始まって、優菜は少しうんざりし始める。
「あのっ!さっきから本人差し置いて恥ずかしい事ばっかり言わないで下さい!」
「僕全然恥ずかしくないけど?」
「こっちが恥ずかしくなります!それに、喧嘩なんかしても意味ないじゃないですか。私喧嘩は嫌いです!」
優菜はデュークの胸の中から這い出てそう言うと、二人を置いて歩き出す。
取り残された二人は顔を見合わせた。
「だって。あんまり怒らせない方が良いんじゃない?」
「それなら貴様がベタベタしなければいい。」
「君だってどさくさに紛れてユウナを抱き締めてた癖に。」
また言争いが始まると、歩いていた優菜がくるりと振り返る。
「まだ喧嘩するならこのままいなくなりますよ!」
大きな声でそう言ってスタスタと歩き始める優菜を先に追い掛けたのはグレンだった。
「じゃ、お先。」
「チッ・・!」
神殿出て花畑迄出る頃には二人共優菜に追い付いていて、円形に開けた所で優菜はグレンに待ったと声を掛けられる。
「ユウナは僕が連れて行ってあげるよ。城に行けばいいんでしょ?」
「ユウナは俺と行く。貴様は先に行って一人で待っていろ。」
またも勃発する小競り合いを優菜は遮る。
「聖地の入り口でアルベルトさんが待っています。何処に行くにしろ、誰かを置いて行く様な冷たい人とは一緒にいれません。」
「えー、じゃあ仕方ないけど君も連れて入り口迄行って、城に行くよ。」
冷たく言う優菜に、グレンは渋々承諾する。デュークはそれを見て、ふっと吹き出す。
笑われたグレンはジトリとデュークへ目をやった。
「言っとくけど、ユウナの為だからね。」
「ああ、助かる。お前と二人には出来ないが、ユウナの体力では帰りの道は厳しいからな。」
「へぇ、感謝出来るんだ。それで、僕がいなかったらどうやって帰るつもりだったの?」
「人が素直に礼を言っているのに一々癪に障る事を。・・・飛べないのなら抱くなり背負うなりして連れて行く。昨日もそうして連れ帰った。」
「そう、じゃあやっぱり君とおまけ乗っける方が良いや。」
そう言ってグレンは開けた場所の真ん中迄歩き、姿を変える。
「どうぞ。」
頭を低くして乗りやすい体制になってグレンは言った。
乗せてくれるとは言われたものの、優菜はさっき迄話していた人を踏む事に躊躇う。
するとデュークが優菜の脇を抱えて持ち上げた。
「大丈夫か?」
「はい、ありがとうございます。」
その後デュークも背に乗ってグレンは身体を起こした。
「しっかり掴まってね。」
「はい、すみません。お願いします。」
ブワリと羽が動いて風が舞う。その風で花びらも舞い上がり優菜はわぁっと声を上げた。
「ふふ、ユウナ喜んでくれて嬉しいけど、ちゃんと掴まっててね。」
「はい!」
そう言ってグレンは飛び立ち、一時間もしない内に入り口へと着いて、驚くアルベルトを乗せて経緯を話しながら城へと向かう。
「所で、何故こんなに低く飛んでいる?」
デュークがグレンに問う。
聖地を出てからは速度も遅くなった気がした。
「グレンさん、無理してませんか?降りて普通に行きましょう?」
デュークの疑問に優菜がそう言うとグレンは笑って否定する。
「ふふ、ユウナは優しいね。大丈夫、そうじゃないよ。下を見てごらん。人が見上げているのが分かる?」
そう言われて下を見ると、人々は立ち止まり上を指差していた。
「わざと見せているんだよ。なるべく多くの人にね。これから僕はユウナの守護役として側にいる事にするから。」
「成る程、確かにそれなら無粋な輩が手を出す心配が減りますね。」
アルベルトがそう言うと、グレンは一つ頷いて続ける。
「そう、いくら漆黒の女神と祭り上げたってユウナは魔力を持たないから自衛の手段がないよね?でもそんなユウナが僕を従えていたら下手な事は出来ないでしょう?人は結局目に見える力に平伏すからね。」
「はぁ・・・」
そんなものなのかなと、優菜は気の抜けた返事をしてしまう。
「ふふふ、ユウナには分からないかな?身に覚えがあると思うんだけど。」
「え?」
何の事だろうとキョトンとしてデュークを見ると不機嫌そうに顔をしかめていた。
「グレン、ユウナをからかうな。」
「ふふふ、だって本当の事でしょう?ユウナの唇は甘くて美味しかったよ。」
「っ!!グレンさんっ!!!」
あれは平伏したじゃなく捩じ伏せたじゃないのかと思い出してカッと一気に顔を熱くしながら抗議の声を上げると、優菜はバランスを崩し、ずり落ちそうになる。
「きゃ・・!」
それをデュークが掴まえて、グレンはふうと息を吐き出した。
「グレン、だからからかうなと言っている。ユウナ、お前は隙が多すぎる。気を付けろ。」
「・・はい。」
「ユウナ、大丈夫?」
落ち込んで返事をする優菜にグレンが声を掛けると、更に小さい返事を返した。
「見えて来ましたよ。」
そうこうする内に大きな城が見えて、アルベルトが声を掛ける。
「城じゃなくて、街に降りようか?」
「ああ、人の目に触れさせたいならそれが良いだろう。」
グレンはすぐには降りずに城に近い街を一周する。
「・・・ねぇ、君の所の兵士攻撃してくるけど?」
「何か問題があるか?不測の事態への対処だ、仕方がないだろう。」
心なしかデュークの声が軽い。
「別に問題はないけど、イラッとするよね。焼いてもいい?」
「ダメです!」
サラリと物騒な事を言うグレンにすかさず優菜が反対する。
アルベルトの顔からは血の気が引いていた。
「まぁ少し待て、その内王が辞めさせるだろう。」
聖地の事を口外しない決まりはきっちり守られている為、グレンの存在を知っているのは儀式を受けた歴代の王のみなんだそうだ。
「ユウナが言うならしないであげるけど。」
グレンは防御壁を張りながら飛んでいるらしく、彼に当たる前に魔法は胡散し、銃弾は爆ぜ、矢は落ちていく。
「下の人に被害はないんですか?」
「そこまで面倒見なきゃダメなの?」
優菜が下の人々を心配すると、グレンが不満そうに言う。
「この辺りは身分の高い者が住む場所なので自分で防御壁を張れます。落ちる矢位は防げるでしょう。」
「そうですか。」
アルベルトの返答に優菜はホッと安心すると、グレンは益々拗ねる。
「ユウナ、僕の心配はしてくれないの?」
「え?だってグレンさんは大丈夫そうじゃないですか?」
変わらず攻撃を受けながら飛び続ける彼を心配するのは、逆に失礼に思える程力の差を感じた。
「大丈夫だけどさ、僕、結構頑張ってるのになー」
「はい。もの凄く感謝してますよ。グレンさん、ありがとう。」
子供の様なグレンがおかしくて、優菜は笑みを零しながら宥める。
「攻撃が止んだな。」
「そうみたいだね。さっき君の父上が血相を変えて走ってるのが見えたよ。」
溜息を吐くデュークを余所にクスクスと機嫌の治ったグレンは笑って続ける。
「じゃもう一周位してから降りようか。一国の王が慌てて駆けつける姿なんて良い宣伝材料でしょ?」
グレンは防御壁を外してゆっくりと街を回った。
「ユウナは何があっても黙って笑っていればいいからね。」
そう言って下降し始め、広場へと降り立つ。
グレンは人の形に戻る事なく優菜を翼で包む様にしている。
「殿下!?」
デュークを見つけ声を上げるのは中年の男性で近衛隊長だ。彼を先頭に隊員が王を囲んで広場に到着した。
馬を降りた王が近衛隊の先頭に立ち膝を着く。デュークは王に並び、アルベルトはその後に下がって膝を着いた。
周囲は何事かと驚き、王達よりも一呼吸遅れて膝を着き始める。
優菜とグレンの周りの衛兵、民衆全てが膝を着くという光景は、彼女には異常に見え狼狽えるのを、グレンが翼でそっと支える。
「この度は弊国までご足労頂きー・・・」
「いいよ、堅苦しい挨拶は。顔を上げて。」
王の言葉を遮ってグレンが言葉を発する。王は言われた通り顔を上げる。
「昨日漆黒の女神が降りた事を伝えに来たんだ。君達の祖先と同じ迷い子だよ。」
一度言葉を区切った。王は優菜へと視線を移す。
「汝時空の迷い子にして浮世を象る者なり。世界が女神を愛す時、女神は世界を愛す。世界が女神を蝕む時、女神も世界を蝕む。闇を纏いし漆黒の女神の選定によりて世界は転機を迎える。世界は女神を従えない。女神は世界のものであって世界のものでない。」
啓示だよ、と言っているグレンを見て優菜は疑問に思う。
今の啓示の何処に夫を選べと言う意味があるのか分からなかった。
それに、魂の輝きが何たらという一節も出て来ない。
「漆黒の女神にはこの世界を知ってもらう必要があるからね。僕も守護役として暫くこの国に滞在させてもらうよ。」
グレンがそう言うと、王は上げていた頭を深く下げた。
「神の思し召しのままに。」
王の返答を待ってグレンは優菜に背に乗る様に促して、優菜がしっかりと背に乗った事確認すると飛び立つ。
「暫く回遊したら城に行くからまた後でね。」
空高く舞うドラゴンを見届けて、王は立ち上がり、民衆へ語る。
「先のドラゴンは預言者である。預言者を従えた少女は漆黒の女神。神が新たに遣わした世界を変える者。この世界に降りて初めての訪問がこの国である事を喜び祝おう。」
優菜達は上空で王が城へ帰り、民衆が騒ぎ立てる様子を見届けてからガレティア王国を飛び回っていた。
「あの、色々疑問はあるんですが、まずさっきの啓示に夫を選ぶとかなかったですよね?」
「ふふふ、ユウナは皆の前で夫探しに来ましたって言って欲しかったの?」
何処までもふざけるグレンに優菜は少しムッとする。
「そういう訳じゃなくてー・・・!」
「ユウナは平和な世界で育ったんだね。ダメだよ。馬鹿正直ばかりが良いとは限らないからね。」
グレンは更に上昇しながら続ける。
「女神の純粋なる魂の輝きは闇を浄化し、選定されし者に平穏が訪れる。・・強欲な人間が聞けば死ぬ迄監禁されて、二度と日の光を浴びる事も出来ないかもしれないよ?」
「まさか、そんな事・・。」
苦笑いして否定する優菜に、グレンは声を落とす。
「残念だけど、此処はそういう世界だ。聖地が何故、王と王位継承者しか入れない様にしているか、聖地の情報を口外しない様にしているか分かる?」
「何故ですか?」
首を傾げて優菜は問う。
「聖地はね、一年中殆ど気候が変わらず災害も少ないんだ。肥えた土地で災害も少なければ農作物も沢山作れるでしょう?それで聖地を奪い合う戦争が起きた。だから聖地への進入を禁止したんだ。」
「そんな事で戦争なんてー・・・でも、進入を禁止しても戦争は無くならないんじゃないですか?」
優菜の質問にグレンは頷く。
「うん、そうだね。根本的な解決じゃないから。仕方がないから聖地に進入した人には力で以って対処した。それが今の弱肉強食の礎になってしまったのかもね。」
「そんな・・・」
「もうずっと昔の話だけど、人の本質はそう簡単には変わらない。それが生死に関わる事であればある程、ね。人が聖地に入らなくなって何百年も経って情報の信憑性が薄れてやっと今の状態になったんだよ。」
視線を落とせばお世辞にも綺麗とは言えない建物もチラホラ見えてきて、貧富の差がある事が伺えた。
「グレンさん、やっぱり選ぶのは夫じゃないですよね?」
選定の一節を聞いてもそれらしい解釈は全く出来ない。
「・・・ユウナは騙されていてはくれないんだね。」
そうだよ、とグレンは頷く。
「君が何かを選んで助けたいと願う度に魂が削られる。」
すると突然グレンは空の上で人の姿に戻った。
「きゃっー・・!!」
優菜が真っ逆さまに下へと落ちてゆくのを、グレンが捕まえ横抱きにする。彼はそのままゆっくりとのガレティア王国の城の屋上へと降りた。
「君が完全な状態だったなら、本来なら僕の前に降りた筈なんだ。」
「えー・・・?」
横抱きのまま優しく床に降ろすと、グレンは肩を押して脚を跨いだ。
どきりと聖地でのキスを思い出し、逃げ様とするがそれは叶わない。
「グレンさんっ!やめて下さいっ!!」
「君が僕の前に降りていたら、そのまま誰の目にも触れさせずにいたのに、神はそれに気付いて彼の前に落としたのかな?」
ふわりと微笑みながらグレンの顔が近づく。
「グレンさんっー・・!」
顔を背けて逃れても、両手で顔を正面に戻される。
「嫌なら僕の舌を噛めばいい。」
そう言ってグレンは容赦なく唇を奪った。下唇を吸い、柔らかなそれを舌先でなぞる。
「出来ないんでしょう?」
唇が触れる距離のままそう言って今度は舌を差し入れ、奥に引っ込む優菜の舌を絡め取る。
「んんっ・・!」
無理矢理押さえつけているのに、その口付けは残酷な程に優しく、何も考えられなくなりそうになり、余計に怖いと思う。
グレンの胸を押し返している腕は限界を訴え、プルプルと震えていた。
力では彼に敵わないのだから、言われた通り舌を噛めば離れるのだろうが、それもまた怖い。
なすがままの優菜の唇を貪って、グレンは彼女の頬を伝う口角から溢れた唾液を舐め取って離れた。
「君は他人を傷付ける事が出来ない、例え自分が犠牲になろうとも。このまま僕が止めずに最後迄進んでも、僕を傷付ける事は選ばなかったでしょう?」
「そんな事・・・」
「ないって言い切れる?本当に?じゃあ、試してみる?」
離れたグレンがジリッと近づき、優菜はビクリと身を固くする。
「ゃー・・!」
慌てて身体を起こそうとしたが腕に力が入らずにべしゃりと胸を打つ。
「・・・嘘だよ。ごめんね。」
グレンは優菜を抱き締め、頭を撫ぜた。
「しないよ、君のそんな顔は見たくない。でもね、覚えておいて、君が犠牲になる事で傷付く人がいる事を。選定の時には必ず思い出して。」
そう言ったグレンの言葉は切ない位に優しい声だった。