5
「デューク様」
聖地入口に着いて馬から降りると早々にアルベルトに呼ばれるデューク。
出発前の件だと予想して優菜と離れた所で立つアルベルトの方へと足を運ぶ。
「昨日から気にはなっていましたが、先程のアレは見過ごせません。本当に二人で大丈夫なのですか?」
「・・・ああ、問題ない。」
デュークにしては少しだけ歯切れが悪かった。他の人間は気付かないだろうが、長く一緒にいるアルベルトはそれを見逃さない。
「私の忠誠心はいつ如何なる時も貴方様にあります。それはデューク様も知っている筈です。それを分かっていながら私に嫉妬し、理性が一瞬飛んだ様に見えました。」
「それで、何が言いたい。」
一瞬とはいえ、欲に負けた姿を指摘され小さく子供じみた怒りの感情が沸き上がる。
自分でも分かっているのだ。もうすぐ王になるものが、女一人に感情を揺さぶられる等あってはならないと。
「愚見ではありますが、ユウナが何者か分からぬ以上、下手に手を出すのが不味いのはデューク様が一番分かっておいでだと思います。それに彼女の心を望むなら欲に身を任せぬ様お気を付け下さい。」
「ああ、分かっている。」
アルベルトから釘を刺されてから、優菜と共に聖地へと足を踏み入れる。
「お二人共お気を付けて下さい。」
「はい、ありがとうございます、アルベルトさん」
しっかりと礼をしてデュークの後に続く優菜は少し小走りで追っている。
どこか抜けた所のある彼女は不完全で脆く、酷く儚い印象を受ける、アルベルトはそう感じていた。
しかし儚さの中に何か芯がある様に思えて僅かながら強さも感じる。
そのアンバランスな危うさは、守らなけばと思うと同時に壊したくもなるだろうと理解した。
デュークは本来精神面でも揺れる事は少ない。国を統べる者としてそう教育され、鍛錬を重ねてきた。
その彼が一瞬崩れかけたのだ。
アルベルトは自身も気を引き締めなければと思いながら二人の背を見送った。
「あの、所でデュークさんは何故旅をしているんですか?」
「儀式の為だ。聖地にある社を俺自身の足で探し、儀式を済ませなければ王にはなれない。」
「聖地ってそんなに広いんですか?」
探さなけば見つからない程広いなんて、馬を降りたのに体力に自信のない優菜はまたも足を引っ張らないか不安になった。
「ああ、とりあえずお前のいた聖地の中心辺りへ向かう。そこから少し行くとまだ探していない場所に出る。」
「中心までは、どれ位掛かります?」
「一時間程だな」
4キロから5キロ位歩くのかぁと優菜はげんなりした。
今の所草原ではあるが、小高い丘があったりするのが見える。最初に自分のいた所付近は鬱蒼としている訳ではないが木々も多かった記憶がある。
山道を一時間は自信が本当になかった。
けれども、デュークにそんな事を言ってはまた怒らせてしまいそうで、優菜は気合いを入れ直す。
恐れ多いが途中で休憩を提案してみる位は許される筈と前向きに考えて一人呟く。
「大丈夫、大丈夫」
それに、顔を上げて周りを見渡し深呼吸をする。
空気が澄んでいて気持ち良い。青々とした草の匂いが心を落ち着かせてくれる。
こんなに自然に囲まれた事等ないのだから、贅沢なお散歩と思えば気も楽になった。
「そういえば、この世界って季節が変わったりするんですか?」
「地域による。ガレティア王国は今の気候が続いた後、徐々に冬を迎える。ちなみに聖地はずっとこのまま変わらないそうだ。」
今は優菜からすると春の様な感じだ。
ガレティア王国は過ごしやすい国なのだろうと思う。
「へぇ、冬には雪が降ります?」
「ガレティアでは滅多に雪は降らないがルトブルク王国では冬が長く雪も降ると聞く。そこに近い所ではやはり雪も首都に比べて多く降る様だ。」
「じゃあ、ルトブルク王国はガレティア王国よりも北にあるんですか?」
「ああ、そうだな。」
本当に地球とそんなに変わらないんだなぁと優菜は思った。
時間も食べ物も季節もほぼ一緒である。
魔法がある事を除いては。
そんな他愛もない話をしながら歩き続けて聖地中心辺りに着いた。
「此処がお前のいた場所だ。」
ここまでは平坦な地だったので、口数は減りつつも優菜も何とか歩く事が出来た。
「あの、少し休んでも良いですか?」
息を整えてからそう言う。見た感じデュークは全く疲れていなさそうだったので、"休みませんか?"とは聞けなかった。
「ああ、構わない。」
そう言われて、ホッとしながらその場に座り込む。
正直、慣れない馬と長い徒歩移動で膝が笑っていて、本当は寝転びたい気分だった。
少し離れた場所でデュークも座り、ジッと優菜を見つめた。
「体力がないな。」
「・・・すみません。」
言われても仕方のない言葉に若干引きつりながらも素直に謝る。
「いや、そんなに体力がなくて不自由はなかったのか?」
「え?ええ、あちらでは乗り物に乗る事が多くて普段は殆ど歩く必要がなかったので。」
「皆が乗り物で移動する様な世界なのか?」
「そうですね。沢山の乗り物で溢れていたので、基本的に徒歩だけで移動する事はないと思います。」
沢山とはどんな乗り物だ?と聞かれ、車や新幹線、飛行機の話をすれば、純粋に知識を望む幼子の様に疑問をぶつけられて少し困る。
漠然とした知識しか持ち合わせていない優菜には、彼の好奇心を満足させる程の回答が難しかったからだ。
「何か、ちゃんと説明出来なくてすみません。」
苦笑いしてそう言う優菜に、デュークは僅かに首を振って微笑む。
「いや、専門の知識がなければ説明も理解も難しいのだろう?ユウナのいた世界を想像する事が出来て楽しかった。」
「そうですか、なら良かったです。」
微笑む彼が眩しくてどきりと一つ胸が鳴る。
感情を表に出そうとしないデュークの自然な微笑みは確か二度目だったと思う。
一度目は"迎えに来た"と言った時、あの時のは自然な笑顔かどうかは分からないが、こうして胸が鳴った。
ふわりと穏やかな風が吹いてデュークの髪が揺れている。その一コマさえ美しい絵画の様で、優菜は目を奪われるってこういう事なんだろう、と思いながら勤めて冷静を保っていた。
「そろそろ行きましょうか?もう大丈夫です。」
「そうか。此処からは足元が悪くなるから気を付けろ。」
はい、と返事をして立ち上がる。
疎らに生えた木々の先を見れば森になっているのが分かった。
森に入るのだと分かったのは、デュークがそちらを指指しながら、言ったからだ。
「ユウナ」
彼女が立ち上がるのを待ってからデュークは呼び掛けた。
森から視線を外し、彼を見る。
「またお前の世界の話を聞かせてくれ。お前の世界は不思議な事に溢れていて興味が尽きない。」
「はい。」
満面の笑みで優菜は返事をした。
あんな拙い説明でも楽しかったと言って笑ってくれた彼が嬉しかった。
胸がじんわりと温かくなる感覚が心地よく感じた。
森に入ってしばらくすると、木々の密集率が上がり、本当に足元が悪い細い獣道になっている。
「きゃっ!」
先を歩いていたデュークはその声に振り返えると、優菜は躓いて木に手を着いて身体を支えていた。しかし、その手も滑りそうで彼は彼女の腕を引き上げる。
「あ、あの、ごめんなさい。ありがとうございます。」
「慣れていないのだろう?気にするな。」
デュークはそう言って優菜の頭を撫ぜて先に進む。
それから暫くして少し平坦な場所に出ると、デュークに周りを散策するから休む様に言われ、優菜は少し大きめの岩に腰掛けていた。
ふと上を見上げる。ここは本当に不思議な場所だった。人の手が入っていない割に陰湿な様子はなく、どこまでも穏やかで今も木漏れ日が心地良い。
ガサガサと草の揺れる音がして、デュークが戻ったのかとそちらを見ると、ふわふわとした毛並みの黒い猿の様な動物がいて、優菜はハッと息を呑んだ。
「猿?なのかな?可愛い」
思わずそちらに手を伸ばす。
すると猿もゆっくりと優菜に近づいて手に鼻を近づけて匂いを嗅いでからその手に頬を摺り寄せた。
「ふふ、何処から来たの?」
猿が頬を摺り寄せたので、頭を撫ぜてみる。薄く目を閉じて気持ち良さそうで、優菜はまた笑みを零したが、猿はすぐにその場から離れ草むらの中に消え、その先で木から木へと飛び移っていなくなってしました。
「あっ」
何か驚かしてしまったのかな?とそちらを眺めていると、後ろからまたガサガサと音がした。
「ユウナ、大丈夫か?」
今度こそ現れたのはデュークで、彼の気配を感じて逃げてしまったのかなと思いながら答える。
「はい、何か見つかりましたか?」
「向こうから水の音がした。多分滝の音だと思う。確認はしていないがそちらに向かう。」
優菜の返事を聞いてから、デュークは来た方向へと足を向けた。
歩きながらふと周りを見て気付く。膝程まである草が彼の歩いたであろう場所だけ踏み倒されていて、優菜が歩きやすいようにしてあった。
獣道をひたすら歩くのでは恐らく滝を見つけるには時間がかかっただろう。
時間がかかればそれだけ優菜は体力を消耗するし、足場の悪い道でもそれは同じで、デュークが気を遣ってくれた事に気付き、優菜は彼の背中を見て声をかける。
「あの、ありがとうございます。」
「ああ」
感情は読み取り難いし、無駄な話もあまりしないデュークは取っつきにくそうではあるのだが、本当は優しい人なんだろうなと優菜は思った。
少しだけ歩く速度が落ちたと思ったら、先程散策を中断した地点だろう辺りからまた草を踏んでくれている。
ここで遠慮して躓いて怪我をしては、余計に迷惑になると思い優菜は黙ってその後に続く。
耳を澄まさずとも水の流れる音が聞こえていて、優菜は少しホッとする。
「近づいて来たみたいですね」
「ああ、水辺まで出たらまた周りを散策するから、その間に休むといい。」
5分程して開けた場所出た。その先には少し低めの幅の広い階段状の滝がある。
「わぁーー・・、綺麗・・・」
滝の水しぶきで虹が見え、優菜は思わず声を漏らした。
「・・美しいな」
岩に腰掛け水を手で掬ってみると、ひんやりと冷たく、優菜は袖を捲って限界まで水の中に腕を浸してみた。
長く歩いて熱くなった身体から、すうっと熱が引いて気持ち良い。
リラックスしていると、後ろでクスクスと笑う声が聞こえて、優菜はしまったと思う。
デュークの存在を完全に忘れてしまっていた。
「お前は本当に30歳なのか?年上には見えないな。」
岩に腹這いになってバシャバシャと手を浸けている優菜は、デュークの言葉に反論出来ない。
何とか言わなきゃと思い、顔を赤くしながら座り直してデュークを誘った。
「ほ、本当に気持ちいいんですよ。デュークさんも少しだけ触ってみて下さい。」
そう言われて一つ頷き、デュークも川の水を手で掬う。
「ああ、気持ち良いな。お前が飛び込みそうな勢いで水遊びするのも頷ける。」
「うっ・・・!飛び込んだりは流石にしませんよ。」
項垂れてそう答え、居た堪れなくなった優菜は立ち上がり周りを見渡す。
「デュークさん、あそこ裏に回れないですか?」
優菜は滝を指差しそう言う。滝の脇に人が歩けそうな段があるのだ。
「向こう岸に渡った方が良さそうだな。」
デュークの言う通り、此方側の滝の脇には足場は見えないので、向こう岸からしか滝の裏には行けないだろうと優菜も思う。
しかし、川幅は広く、ぱっと見は浅く見える水位も、中心がどうなっているかは分からないので、安易に川の中を歩く訳にもいかなそうだった。
優菜がどうにかならないかと、川の流れの先を見ていると、デュークがよく分からない言葉を紡ぎ始めた。すると、淡く光りながら3メートル幅位に水面が凍ってゆく。
「ユウナ、手を。」
「あ、はい。」
川縁から氷の橋に一歩踏み出しで手を差し伸べるデューク。凄いなぁと思いながら優菜はその手を取って恐る恐る歩き出した。
意外にも滑り難くなっていて、渡り終わって暫くすると胡散した。
キラキラとした氷の粒が舞い上がる様が綺麗でわぁっと声を上げると、またデュークに笑われてしまう。
「すみません。初めて見るものばかりで新鮮で・・・」
「いや、俺もユウナのいた世界に行けば同じ反応をするのだろうな。」
「んー、どうかな?あっちは此処程綺麗な所ではないんですよ。」
此方でも首都に行けばまた違うのだろうか、と考えている所で、デュークに手を引かれて先を促される。
「そんなに荒れた世界なのか?」
「荒れているって訳では・・・、日本に限って言えば、自然の豊かな場所もありますが、人工的な物が多くて、こんなに自然に触れる機会はなかなか無かったんです。」
一瞬砂漠等を思い浮かべたが、話が地球全体に及ぶと理解も説明も大変そうなので頭から搔き消した。
滝の脇から洞窟が見えそこに伸びる通路までは階段状に岩があり、それを登りながらデュークはまた尋ねる。
「人工的な物とは、さっき言っていた乗り物の事か?」
「はいっ・・」
必死に登る優菜は話ながら登る事は出来ず、乱れた息と共に返事だけ返し、登りきった所で、息を整えてから話始めた。
「乗り物だけじゃなくて、建物や道路でいっぱいで、私の住んでいた街から2、30分離れた位でこんなに綺麗な草原や川や森はなかったんですよ。」
それにと優菜は続ける。
「私のいた世界では魔法はお伽話の中の物だったので、実際に目の前で見たら凄くキラキラして綺麗で興奮しちゃって・・・」
申し訳なさそうに笑う優菜にデュークは小さく笑って言う。。
「この世界に触れる事が初めてなのだからそれは仕方のない事だと理解している。お披露目が済むまでは今のままで構わないから思う存分楽しむといい。」
洞窟に入り、デュークは魔法で明かりを灯す。
「・・はい、ありがとうございます。」
お披露目までと言われたが、お城へ行ったらやっぱりこれ迄の様にはいかないのだろうと視線を落とした。
ドロドロの世界になんて飛び込みたくないのにと優菜の気は重くなる。
「お前は頭が良いし、ある程度教養がある様に見えるから、少し学べば大丈夫だろう。そう気を落とすな。」
「・・・自信はないですが、精一杯頑張ります。」
それしか言えなかった。彼は自分を守る為に連れて行ってくれるのだ。感謝こそすれ、迷惑だなんて思ってはいけない。
それに戸籍があるのかは定かではないが、身元の分からない者を雇ったり、家を貸したりなんて多分無理だろう。
何の意味があるのか分からないが、生きているのだから生活していかなければならないのだ。
今はデュークを頼るより他は無かった。