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短編 春嫁談話

書きたかったお話パート2です。

盛大なネタバレとなりますので、本編を読了後にお読みになることをお薦めします。

短編 春嫁談話(はるよめだんわ)


 それは陽だまりで猫が微睡(まどろ)むような春の日だった。

桜屋敷の中を、軽やかな足音がパタパタパタと駆け回る音がする。

「お母様!お母様―!?」

 高く、まだ幼い声で母を呼びながら、鮮やかな黄の着物を着た()(わらわ)が廊下を走っていた。

 それを後ろからひょい、と抱き上げる大きな手があった。

「きゃあっ…、あ、お父様!」

 嵐は抱き上げた娘にこら、と言った。

「廊下を騒々しゅう走るんやない。行儀悪いで?小雨(こさめ)

「………だってお母様がいらっしゃらないんだもの」

 むくれる小雨に、嵐は説明してやった。

「お母様は今、山のほうに屋敷に飾る花を摘みに出かけとるんや。大人しゅう待っとれ」

「いつもは志野が行ってるのに――――――」

「志野は今、腰を痛めとるさかい、無理や」

「……(よもぎ)は?」

「蓬は朝市に買い出しに行っとる。佐吉らに任せるのも不安やから、お母様が行かはったんや」

 解るな?と言うように嵐に目を覗き込まれた小雨は、それでも納得出来ない様子だった。

 全く、人の言葉を容易に聞き入れないこの強情は誰に似たのだ、と思い、ああ、俺か、と嵐は思い当たった。

「―――――それなら、小雨も一緒に行きたかった」

「お前はまだ寝てたやろ。起こすのが可哀そうや言うて、お母様は一人で行かはったんや。お父様も、お前一人残してお母様と一緒に行く訳にいかんしな」

 項垂(うなだ)れた娘の頭をポンポン、と柔らかく叩いた。

 時は天正十五(1587)年、若雪と嵐の間に生まれた娘の小雨は、五歳になっていた。

 中々に口も達者で、そろそろ生意気盛りになるころだ。

 その兆候は、父である嵐に対しては既に現れつつある。

 反対に、小雨は母の若雪にはべったりと甘える。

 嵐としては面白い筈も無く、不服に思うところだった。

「……斑鳩(いかるが)は?」

 こいつまだ言うか、と半ば呆れつつ、それでも嵐は辛抱強く答えた。

「斑鳩は昨日から旅に出とる。長旅やさかい、戻るのはずっと先や。昨日話したやろ」

 乱下七忍の一人である斑鳩は、豊臣秀吉の九州征伐の様子を探りに行ったのだ。

「せやからな、今はお父様で我慢しとけ」

「…はあい」

 かなり譲歩した嵐の物言いに、それでも小雨は不満そうな返事を返した。

 嵐はそれに目くじらを立てるでもなく、溜め息を吐く。

(俺も丸うなったもんやな…)

 嵐は昔からあまり子供が好きではなかったし、人に対してもどこか冷たく割り切るところがあった。

 だが、若雪が自分との間に産んだ子、となると、さすがに可愛い。

 若雪程に甘やかしはしないが、自分ではそれなりに小雨を可愛がっているつもりだ。

 但し、若雪があまりに小雨を構うのを見ると、嫉妬(しっと)する気持ちが湧いてくる。

 小雨に対して、である。

 もう少し俺にも構え、と言う言葉を何度も若雪に言いそうになり、そのたびに呑み込んでいる。

(若雪どのは小雨に甘過ぎる)

 そうも思っていた。

 それは、(かつ)て自分が救えなかった、同じ名前の少女に対する負い目の分も含まれているのかもしれないが。

 若雪が、生まれた子供を小雨と名付けたい、と言った時、嵐はどうしたものかと考えた。

 彼にとって小雨とは、あまり縁起の良い名前ではない。早世した子であり、意図的でないとは言え、若雪に労咳(ろうがい)をうつした子の名前だ。

 けれど若雪は嵐に懇願した。

 どうしても、幸せにならなければならない子供の名前なのだ、と言った。折しも小雨の産まれた朝方には、柔らかな春雨が降っていた。

 結局、嵐が折れた。

 幸い小雨は大病もせずすくすくと成長し、五歳にまで育った。幼くして端整な顔立ちは母親譲りだが、頑固で気が強い割に優しげにも見える面立ちの印象は、父親譲りだった。

「お父様、お父様」

「うん?」

 嵐が回想に(ふけ)っていると、小雨が嵐の上衣の襟元(えりもと)を引っ張り、嬉しそうな声で呼んだ。

 着付けが乱れるやろ、と注意しながら彼女の小さな指が差す先を見ると、花びらの舞う桜の大樹の向こうから、若雪が姿を現したところだった。淡い藍色の小袖を着ている。一見地味にも見える小袖の色が、桜の淡く優しい彩りの中で浮き出るような存在感を表わして、絵のように美しい。

「…桜の精みたい」

 うっとりと言う小雨に、嵐も心の中で同意した。

「収穫はどうやった、若雪どの?」

 小雨を抱いたまま嵐が問いかけると、若雪が苦笑を()らしながら首を横に振った。

 その拍子に、髪についていた桜の花びらが、はらはら、と落ちる。

「あまり大振りな花は見つけられませんでした。(すみれ)や、蒲公英(たんぽぽ)や山菜を少々摘んで参りました」

 そう言って手にした竹籠を掲げて見せる。

 嵐がそれを覗き込み、穏やかな微笑を唇に刻んだ。

「ささやかな野の花もええ。あとで活けたってくれ。山菜は夕餉(ゆうげ)のおかずやな」

 はい、と嵐の言葉に相槌(あいづち)を打ちながら、若雪は手にした菫の一本を、小雨の耳元に飾った。

「春の精ですね」

 そう言って、若雪は愛娘(まなむすめ)を前ににっこり笑った。小雨は先程までとは打って変わって、嬉しそうにはにかみ、もじもじしている。

(……こいつ)

 自分相手の時とはえらく態度が違うではないか、と嵐は憮然とした。

 そんな嵐のむっつりとした顔に気付いた若雪が、そろっと訊いて来る。

「…嵐どのも、蒲公英を飾ってみますか?」

 ひどく的外れな質問に、小雨が嵐の腕の中から意見した。

「お父様には似合わないと思う」

 至極当然のことだが、なぜか嵐はカチンときた。

「やかましい。解っとるわ。……似合うてたまるか」

 そう言うと嵐は、若雪の手にした竹籠から菫と蒲公英を二、三本ずつ取ると、若雪の黒髪に挿した。

 黄と紫の、春の色に彩られた若雪は可憐で、さっき本人が口にしたまま、春の精のようだった。

「うん、よう似合うとる」

 満足そうに目を細めて笑う嵐と、頬を染めた若雪を、小雨が交互に見ていた。


「美味しい…」

 そう言ったのは、嵐ではなく、若雪だ。

 夕餉の席のことである。

 箸を止めた嵐がにんまり笑う。

「せやろ。俺は山菜の味付けは得意なんや。山椒(さんしょう)の辛味がよう効いとるやろ?」

 通常とは逆に、嵐と若雪の夫婦では、嵐が家事を専ら担当していた。若雪は着物を商う手伝いと育児をするだけでよく、あとはくるくると嵐が良く働いた。さすがに負い目を感じた若雪が家事に手を出そうとすると、かえって手順が狂う、と言って怒られた。その為に以後は、家事は若雪には不可侵の領域と改めて認識させられたのだった。

 但し嵐は、小雨には、小さいころから家事のいろはを叩き込もうとしているようであった。

 一人前にして嫁がせねば、という使命感に早くも燃えているのだ。うるさがる小雨を()()って、料理から掃除からあれやこれやを教え込んでいた。それに我慢出来なくなった時、小雨は若雪の懐を避難場所として逃げ込んだ。嵐も若雪がたしなめる言葉にはあまり反論出来ない、と知ってのことだ。

「この(しじみ)のお味噌汁も美味しいですね」

 これを聞いた小雨の顔がパアッと明るくなった。

「それは私が作ったの、お母様!」

 手を挙げて主張せんばかりの勢いの小雨に、若雪が目を細める。

「そうでしたか。大したものですね、小雨は」

「…まあ、まだちいとばかし雑味が残っとるけどな。俺が作ったらそんなことは無いけどな」

 相好を崩した若雪の顔を見て、嵐がぼそぼそと言う。

「それは、嵐どのは手慣れてらっしゃいますから。年季も違います。小雨の年でこの味は、十分料理上手と言えますよ。小雨は良い嫁御になれます」

 取り成すように、若雪が微笑みながら言った。

 この言葉に既視感(きしかん)を覚えた嵐は、随分前、まだ納屋にいたころに自分も同じ言葉を若雪に言われたことがあったのだ、と思い出した。

〝嵐どのは良い嫁御になられたでしょうね〟と。

 父と娘、共に若雪に〝良い嫁御〟の太鼓判(たいこばん)を押された訳だが、嵐は些か複雑な心境だった。

 ところが若雪の賛辞を受けて、小雨の顔色が少し変わった。硬い表情で、口を開く。

「……小雨は、お嫁にはいかないもの。ずっとこのお屋敷にいる」

 この発言には、両親揃って慌てた。

 嵐と若雪、図らずも二人して一瞬顔を見合わせてから、口々に娘に言う。

「どうしてですか、小雨の旦那様には、きっとお父様が良いお方を選んでくださいますよ?もちろん、小雨自身が良いと思うお方を連れて来ても良いのですよ」

 嵐が力強く頷く。

「せや、俺の目利きに狂いは無いで。お前を泣かすような男は選ばん。きっちり、甲斐性(かいしょう)ある奴を見定めたる。百姓でも商人でも侍でもな」

「嵐どの…。甲斐性は確かに大事ではございますが、殿方の値打ちはそれだけではありますまい」

「いーや、まずはそれが一番や。小雨を喰うに困らせへんこと。あとは目と鼻が適当にくっついとればええんや」

 嵐の乱暴な言葉に呆れる若雪に、小雨が小さな声で言った。

「だって……、お母様と離れたくない」

 まあ、と目を丸くした若雪は、少し思案したあと、嵐に言った。

「………やはり相手の方に、入り婿になっていただいたらいかがでしょう、嵐どの?」

 この先、嵐と若雪の間に子が生まれるかは判らず、生まれるとしても男児が生まれるとは限らない。生まれなければ、小雨が嫁いだのち、この桜屋敷はいずれ空になる――――――。将来、小雨に婿養子を迎えてはどうか、という考えは、実はかなり前から若雪と嵐の間にあった。

 だが今は、論点がずれている。母親恋しの一念で、小雨に婿を取らせる訳ではない。

「そう言う問題ちゃうやろ――――――――。このままやとこいつ、いつまで経っても母離れ出来へんぞ。あんたも大概、娘離れせえ」

 嵐が渋面で突っ込む。

 小雨がちら、と上目遣いに、そんな嵐を見て続けた。

「それに…、」

「それに?」

「お父様の選んだ人が、お父様みたいに細かいことにうるさかったら嫌」

 この言葉には、給仕をしていた志野と蓬が二人揃って噴き出した。

 いけないとは思うものの、笑いが(こら)えられない様子だ。

 そんな二人を横目で睨みつつ、嵐が(なだ)めるように言う。

 父親の威厳が(おろそ)かにされている気がする、と思いながら。

「―――――――お父様は、お母様の選んだ男やで。言うてもそない細かいことはないやろ。なあ、若雪どの?」

「え、…あ、はあ、……それは、」

 細かい点も含めて嵐を好いたのだとは言いにくく、若雪は目を左右に泳がせ、膳にあった(なまず)のかまぼこを一切れ口にした。

「…小雨が得心するような方が現れるまで、待ってあげれば良いではないですか、嵐どの」

 口に含んだ物が無くなると、さりげなく話をすり替える。

「そない悠長なこと言うてたら、行かず後家になってまうで、こいつ」

 若雪はクスリと笑って言った。

「……嵐どのも、本当はそのほうがよろしいのでは?」

 珍しく、からかうような口調だった。その、柔らかな声に嵐が反論する。

「………阿呆抜かせ。女子はちゃんと嫁に行ってこそ一人前や。小雨かて例外やない」

「――――――男親は、いざ娘が嫁ぐとなると、途端に涙もろくなるそうですよ。…あの養父上(ちちうえ)でさえ、私が祝言の時に御挨拶した際、少し涙ぐんでおられました」

 養父上とは今井宗久のことである。戦国武将とも対等に渡り合い、泣く子も黙る豪商が、養女の嫁入りには目を潤ませたのだ。

 この言葉を受けて嵐がふん、と鼻息も荒く言い放った。

「俺は絶対泣かん。そもそも、小雨がいつどんな粗相(そそう)を仕出かすか解らへんのに、泣いとるような暇無いわ」

 これには、五歳と言えど小雨の自尊心が傷ついたらしい。

 元々大きな目を更に大きく見開いて、握り拳を作り言う。

「ひどい、お父様。私は旦那様になる方の前で粗相なんてしないわ!」

「まあな。口では皆そう言うけどな。大概皆、祝言の時なんかにボロ出しよんねん」

 そう言って嵐は、大きな口を開けて鮒鮨(ふなずし)を頬張った。

「お母様もそうだったの?」

 半信半疑の問いかけに、嵐が白い眼になる。もぐもぐと口の中の物を咀嚼(そしゃく)して、ごくんと呑み込むと口を開いた。

「あーほう。お前は阿呆か。お母様は特別や。お前のお母様やで?それはお前、見事な花嫁御寮(はなよめごりょう)やったで。あれはな、もう天女や、天女。手本としてお前に見せてやりたかったくらいや」

「………嵐どの、もう、そのへんで」

 真っ赤になった若雪が、閉じることを知らないような嵐の口を小さな声で止めた。

 しかしその後も花嫁論議は夕餉の間中、賑やかに続いたのだった。


「小雨、じっとしていないと髪が()けませんよ」

「はあい」

 言いながらも、小雨はくすぐったそうに笑う。

 寝る前に、若雪に髪を梳いてもらうことが、小雨の大事な日課だった。

 柔らかな春の空気が、昼間の陽の余韻(よいん)を残しつつまったりと漂う中、若雪の母の形見の柘植櫛(つげぐし)が、肩を越すくらいの長さの小雨の髪を優しく()かしていく。

 若雪の手つきは、まるで宝を愛おしむかのようだ。

 小雨の髪は見事に黒々として、色白な頬とは対照的で、若雪との血の繋がりを感じさせる容貌だった。

 小雨と若雪、そして嵐が集うこの寝所(しんじょ)の床の間には、信楽焼きの小さな壺に菫が活けてある。楚々とした風情が、空間に更なる優しさを加えていた。

 二人の様子を頬杖(ほおづえ)をついて見るともなしに見ていた嵐は、何を思ったか、自らも櫛を取り出して来た。それは洒落者の嵐らしい、艶のある漆塗りの螺鈿(らでん)の櫛だった。灯を受けて、貝の細工がきらりと光る。

 そうして、正座した小雨の後ろに座っていた若雪の、更に後ろに足を広げて座り、何も言わずに若雪の髪をまとめていた組紐を解くと、せっせと髪を梳き始めた。

 急に髪に触れて来た櫛の感触に、若雪がやや戸惑う。

「嵐どの?」

「んー?」

「私には不要ですよ?」

 若雪程の髪の長さがあれば、自分で梳かすことも容易だ。

「まあ、そない言うなや。俺が、梳きたいだけや」

 嵐が髪を梳く櫛から目を上げずに言う。

 若雪のさらさらとした黒髪を(くしけず)る顔には、楽しげな表情が浮かんでいる。

「……はい」

 自らも小雨の髪を梳きながら、若雪は一瞬、心地良さそうに目を閉じた。

「…では、お返しに、あとで私が嵐どのの髪を梳いて差し上げますね」

 嵐が破顔した。

「そら嬉しいな。おおきに」

 優しい春の宵だった。

 庭では屋敷の住人たちの幸を喜ぶかのように、桜の花びらが舞い遊んでいた。



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