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幕間 神喧嘩(かみげんか)

幕間 神喧嘩(かみげんか)


憂鬱(ゆううつ)だわ…」

 三回目に木臣がそう呟いた時、初めて水臣がそれに反応するように木臣にちらりと視線を(よこ)した。

 そこは摂理の壁の(そび)える近く。荒れる海と、地を圧するかのように鈍い鉛色をした低い天が広がる神域。

 摂理の壁を守る役割は理の姫と花守、そして老翁と称される古き神々たちの役目だった。

「どうしてよりによって水臣と、壁の監視をしなくてはならないの。金臣とか、明臣とか他にもいるじゃない。何ならいっそ黒臣でも良いわ、水臣に比べるとあの朴念仁(ぼくねんじん)のほうがまだしもましというものだわ……」

 言ってふう、と溜め息を吐く。

 およそ失礼な発言を並べ立てた木臣に、視線を向けた水臣が穏やかに応じる筈も無かった。

「私もお前に同じく憂鬱だ。…少しは口を閉じるという、基本的な能力さえ持ち合わせていない女が横に居座っているという事実は」

 木臣が半目になって水臣を睨む。

「言ってくれるものね。私が何も喋らなければ、この陰鬱(いんうつ)な空間はますます陰鬱になるじゃないの。そんな場所で時を過ごすなど御免だわ。解ってらっしゃる?水臣。私のこの、寛大な犠牲的精神が」

「ぬけぬけとよく言う。とどのつまりは己自身の為だろうが」

 木臣に冷ややかに言い放ったあと、水臣は再び沈黙した。

 しかしその沈黙は長引かない。必ず、木臣が壊すからだ。彼女は他人と共に在る時に押し黙るという行為が、何より苦手だった。

「ねえ、水臣?」

「―――――今度は何だ」

 水臣は頭の中で、木臣の口に猿轡(さるぐつわ)を噛ませるところを思い描きつつ、応えた。

 甘い声、甘い香り、それに合わせたような甘い美貌を持つ木臣に、興味を持たない異性はそうそういない。だが花守の男性陣は皆、その例外だった。

 水臣もまた、彼女の甘い空気に思うところは微塵(みじん)も無かった。

 甘く、密やかな呼びかけにも極めてそっけなく応じる。

「怒らないで聴いて頂戴な。もし、もしもよ?理の姫様に、水臣の他にお好きな殿方が出来たら、あなたどうなさる?」

 木臣が、可愛らしく小首を傾げる。

「有り得ないことには答えようも無いな」

 さらりと返した水臣に、木臣が呆れ顔で口を尖らせた。

「可愛げの無い反応だこと――――――予想はしてたけれど。だからもしものお話だと言っているじゃないの。真面目にその可能性について水臣が考えるまで、私は今から延々と喋り続けるわよ。それでも良いの?」

 効果的な脅迫ではあった。

 水臣は少し黙り込んだ。

「もしそんな時が来たなら―――――黒臣にでも殺してもらうか」

 木臣が待ち望んだ返答は物騒極まりないものだった。

 土の性質を持つ黒臣だからこそ、水の性質を持つ水臣を殺すことも可能だ。

「……姫様には何の危害も加えない、ということかしら?」

 慎重に問いかける木臣に、水臣は(かぶり)を振った。

「いや、その時には―――――――――」

 言いかけて、水臣は口を閉ざした。

 それを木臣に言ってはならないと気付いたからだ。

 案の定、彼女は氷のように冷たい眼で、水臣を見ている。

「――――――あなた、やっぱり危険だわ」

 軽く、水臣は笑った。

「今更だな、木臣。もう、とうに知っていたことではないのか?」

「……水臣。私たちは花守よ」

「それが?」

「理の姫様は摂理の壁の守り手。そして花守は姫様を守護し、お支えする為にある。恋慕の情に狂った輩がその中にいることを、私だけじゃない、他の花守とて危惧しているわ。…それを、当の本人であるあなただけがどこ吹く風と考えている。―――――花守として、少し怠慢が過ぎるのではなくて?」

「お前に説教されるとはな」

「……水臣。私は黒臣と違ってあなたを殺めることは出来ない。けれど、深手を負わせることくらいは出来るのよ?」

 水臣の目に、面白がるような光が宿った。

「ほう。大きく出たものだ。―――――今、ここで、お前のその認識の正否を問うても私は一向に構わないが」

 むしろそれを望むかのような口調の水臣に、木臣は、ややうんざりした顔をした。

 人差し指で、水臣の胸を強く三回つつく。

「だ・か・ら、駄目だと言うのよ、あなたは。ちっとも解ってないわ。それを本当に実行すれば、傷つかれるのは姫様だと言うのに」

「お前が挑発したのだろうに」

 不快そうに水臣の手を振り払った水臣が、不満げに言う。

「それに簡単に乗るようでどうするの?あなたは思慮深そうに見えて、内実は全くそうじゃないわ。深手を負わせるとしても、私はやらない。殺めることが可能でも、黒臣もやらない。あなたの為じゃないわ。姫様がどれ程嘆かれるか知れないからよ。あなた、解ってらっしゃるかしら?自分が姫様を楯に安全を得ていることを」

 水臣の顔色が変わった。

「私は―――――――――」

 言いかけた水臣を遮り、木臣は鼻で笑った。

「そんなつもりはない?そうでしょうとも。自覚があればもう少し、神妙に振る舞う筈ですものね。でもそんなこと、何の言い訳にもならなくてよ」

 沈黙した水臣を白けた目で見てから、木臣は身を翻した。

「私は、一足お先に神界の苑に戻るわ。こんなジメジメした暗い場所で、こんなお馬鹿さんの相手なんてしていられないもの。それでは水臣、御機嫌よう」

 言いたいだけ言うと、木臣の姿はふいと掻き消えた。

「………………」

 理の姫の、自分に対する想いに心変わりがあったならその時は、彼女を殺めて自らも死ぬ―――――――――。

 先程、木臣に向けて迂闊(うかつ)にも言いかけた言葉を、水臣は胸の内で反芻(はんすう)していた。

「……何がいけない?」

 花守の誰もが水臣に、理の姫への執心を過ぎたものとして忠告する。

 そのたびに思う。

(何がいけない)

 理の姫を一人残して死ぬのは忍びない。

 まして他の男に心を奪われた彼女など。

「何がいけない」

 水臣は口に出して再びそう言うと、赤く点滅する巌を一瞬見遣り、すぐに目を逸らした。

 摂理を犯す事態への警告を意味する赤の点滅に、自分の言葉と理の姫への想いを(とが)められた気がした―――――――――。


「――――――それで一人で戻って来たのか」

 木臣から話を聴いた金臣は、呆れ半分、驚き半分で目を丸くさせた。

 あなたの金の髪ってほんと綺麗ね、と金臣の長い髪の先をいじりながら、木臣は憤然と頷いて見せた。目が据わっている。

「ええ、もう、あの男ときたら、やっていられないわ。それでも私は、殴りも蹴りもしなかったわよ。褒めて頂戴な、金臣」

 胸をそらして言う木臣を、金臣はやや複雑な表情で見た。

「まあ、そこは、木臣にしては我慢したほうと言えるだろうが……。壁の番人は一人でも多いに越したことは無いのだがな」

 思案する風情で言葉を続けた金臣に、木臣は軽く肩を(すく)めた。

「姿は見せないけれど、どうせ御老翁(ごろうおう)たちだっているでしょう。水臣一人でも十分に務まるわよ。―――――――まさか、私をまた追い返すような真似はしないでしょう、金臣?」

 金臣は苦笑した。

「ああ、そんなことは言わないよ、木臣」

 (なだ)めるような声を出す。

 再度、木臣を摂理の壁に追いやれば、今度こそ暴力沙汰になるのは必至だろう。

 やれやれ、と思う。

「…私が行くか」

 途端、木臣が眉根を寄せた。

「ええ?それは嫌だわ。私のお話し相手になってくれないの、金臣?」

「姫様がお出でだと言っても、同じことを言うか?」

 横目で金臣が木臣を見た。笑いを含んだ声だった。

 パッと木臣の顔が晴れやかなものになった。

「まあ、本当?久しぶりにお会いするわ。どちらにいらっしゃるの?」

 うきうきしながら訊いてくる。

 その単純さに笑いながら、金臣は答えた。

「先程、黒臣の空間に入っていかれた。じき、戻られるだろう」

「あら、なぜ黒臣のところへ?」

 少し面白くなさそうな表情を木臣が浮かべた。

 金臣が軽く首を傾げる。

「さあ、なぜかな。恐らく御光(みひかり)で黒臣を癒して差し上げる為だろう。……黒臣は最近、疲れを溜めていたようだったからな」

 あれは苦労性だから、と続けた金臣に対して、木臣は曖昧(あいまい)に頷いた。彼女にも、黒臣に気苦労をかけた心当たりが無いでも無かった。

 その時、柔らかな光があたりに満ちた。

 やや憂いを含んだ、美しい顔で理の姫・光が何も無かった空間に出現した。

 ふわり、と衣と、長い黒髪を(なび)かせながら金臣と木臣の前に降り立つ。

 常と変わらず、物音一つ立てない流麗な動きだった。

 その出現の優美さを、木臣はいつも憧れの目で見ていた。目を輝かせて声をかける。

「姫様!」

「―――――――木臣?」

 理の姫が不思議そうな顔で木臣を見た。

「なぜここに?摂理の壁のもとに水臣といる筈では?」

「…………」

 当然の疑問を問うてきた理の姫に、明確な答えが返せず、木臣が多少気まずい表情で(うつむ)く。

喧嘩(けんか)です、姫様。いつものことでございます」

 金臣が唇に穏やかな笑みを刻み、代弁して言ってやった。

 理の姫の顔に苦笑いが浮かぶ。

「そうか……。喧嘩をしてしまったか。――――――金臣?」

「はい、私が参りましょう」

「すまないな」

「いえ」

 金臣は摂理の壁の番の代行をあっさり引き受けると、その場から姿を消した。

「……」

 ちら、と上目使いに自分を見た木臣に、理の姫が穏やかな声で尋ねた。

「どうした?」

「―――――呆れてらっしゃいません?」

「いや。木臣は意外に短気だが、怒る時は大抵は誰かの為だ。水臣相手に怒ったとなれば、さしずめその怒りは私の為のものだったのだろう。……呆れられる筈が無い」

「――――姫様がなぜ水臣を選ばれたのか、私には解りません」

「そうか。奇遇だ…木臣」

 唐突に疑問を発した木臣に、理の姫はあっさり同調した。

「え?」

「私にも、なぜ自分が水臣を選んでしまったのか解らない。恋い慕うには難しい相手だ。…けれどあれがまだ湖の形を取っていたころから、私は既に惹かれていた。……今更どうにも、仕様が無いのだ」

「ずるうございます、姫様。…そんなお顔をされては、木臣は何も言えなくなってしまいます」

 理の姫は木臣の顔を覗き込むようにして、笑いかけた。

「いや?木臣。何でも言って欲しい。どんな言葉でも私は聴くから。……私たちには長い時間がある。それは私たちに許された、数少ない、けれど貴重な特権の一つだ。だから何でも話して」

 優しい声で木臣を促す。

 木臣は水臣に応対した時とは別人のようにしおらしく頷く。けれど結局口には何も出さず、ただ理の姫の傍らに座って神界に吹く風の中、満ち足りた表情で目を閉ざしていた。お喋りな木臣は、理の姫の傍にいる時に限っては、穏やかに静まるのだった。


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