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幕間 願う言葉

幕間 願う言葉


 柔らかな光を(まぶた)の裏に感じて、黒臣は閉ざしていた目を開けた。

 すると眼前には、理の姫の姿があった。

 美しい顔ばかりでなく、その総身に、慈しみの気配が柔柔(やわやわ)と広がっている。

 それまで彼女を覆っていたと思しき光の波が、黒臣の目覚めと共に穏やかに消えていった。

「姫様……。なにゆえ、こちらに」

 黒臣は自分の空間で微睡(まどろ)んでいた筈だ。ここに今、理の姫がいる理由が思い当たらなかった。彼は軽く混乱していた。

 理の姫は、黒臣が持つものと同じ、澄んだ薄青い瞳で彼の顔をじっと見て答えた。

「……あなたが、疲れていたようだったから」

 そう言われて初めて、身体が微睡む前よりはるかに楽になっていることに気付く。

御光(みひかり)を、当てられましたか―――――。私などの為にそのような行為は、無用です」

 理の姫は眉根を寄せて微笑んだ。

「私は花守の皆に助けられているが、中でもあなたにはとりわけ世話をかけている。苦労も。それを多少癒すくらいは、私の当然の報いだ。そう、責めるように言わないで」

 少しばかり慌てて黒臣は首を横に振った

「責めるなど。そのようなつもりでは。勿体無いと、思ったまでです」

 理の姫は呆れたように苦笑した。軽く顔を傾けながら言う。

謙遜(けんそん)が過ぎるのも考え物だ…。このくらいの罪滅ぼしはさせて欲しい。あなたが花守の責務にとても忠実でありながら、私の為に水臣の逸脱した行為にも、目を背けてくれる時があることくらい、私も知っている。水臣を許せとは言わないけれど、彼ばかりを責めないでやって欲しい」

 そこまで言うと理の姫は躊躇(ためら)うように言葉を止め、そして続けた。

「なぜなら私も、私にも――――――――」

「姫様、それ以上は口になさらないでください」

 理の姫の言葉を、黒臣は苦く、静かに遮った。

「…そうだな。黒臣にそれを言うのは、卑怯だな。すまない」

 理の姫は、笑んだ顔のまま、そう言った。

「……………」

 黒臣はいくばくかの逡巡(しゅんじゅん)の末、口を開いた。

「いえ、―――――いえ、卑怯なのは恐らく私なのです。事実として解っていることであっても、それをあなた御自身から聴かされてしまうと、私はどうすれば良いのか解らなくなる。水臣を許すべきなのか―――――。姫様のお傍にあれがいることを、このまま容認し続けて良いのかどうか―――――――、それを考えねばならなくなることを、私は避けたいのです」

 理の姫の顔が微かに青ざめたのが判った。

(―――――やはり)

 黒臣は諦めのような思いと共に確信する。

(水臣は、姫様がおられなければ生きてはいけまい…しかし)

 恐らくその逆もまた然り、なのだ。

 理の姫も、水臣がいなければ生きていけない。

 神にも死という現象は存在し、多くの場合、それは消滅に直結する。

 それでは水臣の行為が、花守として許せる範疇(はんちゅう)を超えた時、自分はどうすれば良いのか。他の花守たちはどうすれば良いのか。

(――――卑怯者め―――)

 黒臣が水臣に対して怒りを覚えるのは、こういう時だ。

 他の花守に対しては、呆れや苛立ちはしても、これ程の怒りは抱かない

 黒臣の目には、水臣が、理の姫の存在を質にして放埓(ほうらつ)な振る舞いをしているように映るのだ。

 無論、水臣とて他の誰より理の姫大事であり、意図してそのような行為をする筈もないが、結果的にそうなっている時があることを、彼は解っていない。

(愚かだ………)

 黒臣にとっても、理の姫は敬愛すべき大切な存在だ。

 目の前にいる理の姫の、憂いを含んだ顔を見て思う。

 だからこそ、水臣の勝手な行為には誰より厳しく臨むつもりでいる。

 今までも、これからも。

(俺にお前を殺させるな…水臣)

 土剋水(どこくすい)。土は水を濁し、打ち滅ぼす。

 土の性質を持つ黒臣には、水の性質を持つ水臣に死を与えることも可能だ。

 けれど黒臣は、それだけはしたくなかった。


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