幕間 「誰が」
幕間 「誰が」
神々が、とりわけ花守たちが作り出す空間は、暗闇を意図するものでなければ、彼らの性質を反映することが多い。
金臣の創り出した空間は、仄かに明るい金色に光っていた。
その、柔らかくも明るい空間の中、ほろり、と理の姫が透き通った涙をこぼした時、金臣は驚いた。それは花弁に載った露が、地に落ちるような風情だった。
「いかがなされました、姫様」
「私は…、水臣と出会うべきではなかった…。恐らくは」
「なぜ――――――」
唐突な理の姫の言葉に目を見張る。
花を思わせる風情の顔が、潤んだ瞳で金臣を見た。
「誰もが、水臣の私に対する恋着の強過ぎることを、良からぬことと考えている。金臣、あなたとてそうだろう」
「…………」
「けれど、真実において彼を望むのは、この私もまた変わらないのだ。卑怯にも、水臣一人に責を負わせて、私にはただ成す術が無いと装っているだけ。彼の姿を見るたび、声を聴き、――――触れられるたびに私の心は歓喜に震える。例えようの無い喜びに。金臣、あなたはこんな私を、軽蔑するだろうか…」
「姫様…………」
金臣の胸には、痛ましい思いがあった。
この尊い女は、自らの心の動きを責め、傷ついている。
神に恋をするなとは、誰が決めたものでもないだろうに。
目を閉じ、ゆっくりと首を横に振る。
「致しません。そのように思われる姫様を、責め得る者などおりますまい。――――姫様、御自分を否定なさってはいけません。あなた様自身の御心を、お許しになってください。かほどに姫様に想われようとは、水臣は大層な果報者です」
「そうだろうか……。けれど私には、水臣を御しきれない。花守の長でありながら。これで理の姫などと名乗れようか」
金臣は理の姫の両腕をそっと掴んだ。その動きの拍子に、金臣の長い黄金の髪が肩より滑り落ちる。その内の一房が、ちらりと金に小さく輝く。
「―――――揺れられますな。姫様が嘆かれるような真似を、水臣が仕出かすと言うのなら、それを止めるのもまた我々花守の勤めでございます」
強く、真摯な金臣の言葉に、眉根を寄せた理の姫の双眼から、また一粒、二粒と涙が転がり出た。
「ええ―――――ええ、頼む、金臣。…不甲斐無い長で、済まない」
懇願と謝罪を最後に、理の姫は金臣の作った明るい空間から姿を消した。
それを見送り、金臣はふう、と息を吐いた。
「………だ、そうだぞ。水臣。盗み聞きとは、あまり感心しない」
密やかに姿を現した水臣は、金臣が考えていたよりは神妙な顔をしていた。
「……姫様を泣かせたのは、私か」
「当然だろう。今の話を、聴いていなかったのか?」
金臣は幾分冷たい眼差しで、水臣を観察するように見た。
水臣は珍しく当惑していた。
自らの想いに対し、理の姫もまた想いを返してくれたことを、今まではただの僥倖だと考えていた。
けれど―――――――。
「―――――――私が、傷つけているのか?」
「呆れたものだな。それも私に問わねば解らないのか、水臣?」
金臣の対応はあくまで水臣に冷たかった。
(木臣がいなくて幸いだったな)
ふんわりとした空気を持つ木臣だが、自分が腹立たしい、と思った時には既に手が出ている、と言うことが多い。見かけに反して、あれで中々乱暴なところがあることを、花守ならば誰もが知っていた。
「水臣はあまりに視野が狭い。姫様以外の物事や神、人にもっと目を向けろ。それがひいては姫様の御為にもなる」
金臣は、花守の証である薄青い瞳で、物憂げに諭した。
「――――――私の出自は、そもそも湖だ」
「知っている」
何を今更、という顔で金臣が答えた。
水臣の青みがかった黒髪も、嘗て湖だった名残りだ。
「姫様の光は、身動き一つ出来ずに微睡んでいた私に投げかけられた。昼には陽光を、そして夜には月光を。私は姫様の光に照らされ続けた。あのころから既に、私にとってあの方の存在は至上だった」
「…………」
「………私の姫様への恋着がどれ程強いものであろうと、不思議はあるまい。私は、今の私の在り様を変えることなど出来ない―――――」
「言い訳だな」
腕を組んで水臣の語りを聴いていた金臣が、一言のもとに斬って捨てた。
「今の水臣の、その、言い様を極めた行動こそを、姫様は恐れておられるのだとなぜ解らない?我ら花守は、水臣を弾劾するようなことにはしたくないのだ。何より、姫様がそれを嘆かれよう程に」
「――――自重はしよう。お前の言葉への配慮もしよう。だが畢竟、私は変わるまいよ……。金臣。己自身ですら、どうにもならないのだ。この、想いばかりは」
「開き直りか」
金臣が細めた目で水臣を見据えた。
「いや、事実だ」
そう言うと、水臣は少しだけ寂しげに笑った。