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桜屋敷 三 (後半部)

そして季節は春、桜咲く卯月を迎えた。

 桜屋敷が最も華やぐ時期である。

屋敷名の由来ともなった、樹齢三百年とも言われる桜の大樹の花が、町中の桜より遅れて盛りを迎える。花はまるでこの春を(よみ)するかのように、次々と咲きほころんでいった。

 毎年このころには桜屋敷で行われていた、宗久を主催者とした会合衆の集う茶会も、今年は無い。堺の商人衆の間では、若雪が病を得て桜屋敷で療養しており、嵐がそれを看病しているという事実が既に知れ渡っていた。中には見舞いに訪れる者もいたが、嵐は彼ら全てに自分一人で対応し、直接若雪に会わせようとはしなかった。

 尤も、中には例外の見舞客もいた。

 智真は暇を見つけては頻繁に桜屋敷を訪れたが、睦月に訪れた時以来二度と涙を見せることは無く、始終穏やかな佇まいを保った。

 若雪の病を知った茜も、ごくたまには市も顔を見せた。

 初めて桜屋敷を訪れた時、茜は若雪の夜具に()()して泣いた。

「嘘!嫌や!死なんといてよ若雪さん!!」

そう泣きながら叫ぶ茜を、嵐が無理やり引き剥がす、というひと騒動があった。

 市は涙を見せることこそ無かったが、若雪を見る目に宿る憂いは、茜に劣らず深かった。

 それから彼らは見舞いのたびに、必ずと言って良い程、滋養のある食べ物を土産に持参した。

 若雪は食が細くなっており、今では嵐の見張りもあまり功を奏していなかった。

 志野も嵐もそれぞれに趣向を凝らして、様々な料理をこしらえて何とか若雪に精をつけさせようと必死だった。彼らの尽力を知るだけに、ものを食べられない自分が、若雪にはひどく歯痒(はがゆ)くまた、申し訳なかった。

 そんな中で、咲きほころぶ桜が、若雪の目の慰めだった。

 嵐たちの目を盗んで、単衣を羽織り、そっと庭に下り立っては大樹の幹を愛おしむように撫でた。そんな若雪の頭上から、ひとひら、ふたひら、慰めるかのように桜の花びらが舞い落ちる。それを見上げてふ、と目を細める。

(私がこの世から消え失せても、お前は咲き続けるだろう。それは何の不思議でもない、残酷な程に(すこ)やかな、世の理だ。……けれど私は、未だ諦めるつもりは無い。来年も、再来年も、その次の年も、きっとお前が花開くところをこの目で見てみせよう―――きっと)

 春の日差しの中で、若雪は桜にそう誓った。


「若雪どの、なんか食べたいもんはないか。欲しいもんはないか」

 このところの嵐は、常にこの言葉を繰り返していた。若雪に少しでも栄養を()らせようと躍起(やっき)になっているのだ。それに対して困ったように若雪が微笑を浮かべるのも、また常のこととなっていた。

 食べることに関して大いに執着のある嵐に反して、若雪はあまり食に強い嗜好(しこう)を持たない。それでも強いて挙げるなら、と若雪は考えて答えた。

「――――白湯(さゆ)、でしょうか」

 ぼんやりと言ってから若雪はしまった、と思った。

 嵐から、それでは滋養が摂れない、と怒られそうな答えを口に出した自覚があった。

 案の定、嵐の眉間には皺が刻まれている。

 慌てて言い訳をする。

「滋養のあるものを拒んでいる訳ではありません。………初めて納屋を訪れた、あの春の日にいただいた白湯を思い出しただけです。あの白湯は…この世のものとは思えぬ程、甘露(かんろ)でした――――――」

 そう言う若雪の唇には笑みが浮かんでいる。

「あれ程に、何かを美味だと思ったことはありませんでした」

 それは、もう十年は昔の話だ。その言葉を聞いた嵐の顔からふと力が抜ける。

「あの白湯の温もりに、…自分はまだ生きているのだと、生きていて良いのだと、そう教えられたのです」

嵐が若雪の身を気遣い、差配(さはい)してくれた白湯だった。

 今日は比較的暖かいので、若雪の部屋の障子戸は開かれ、外の明るい陽射しと桜の淡く優しい(いろどり)垣間見(かいまみ)える。

 若雪の床の前に置かれた几帳には、(ひわ)(いろ)に花鳥文様の施された生絹(すずし)が掛けられている。

 (うぐいす)の鳴き声がどこからか聞こえ、微睡むような春の午後だった。

「…不思議なものです。――――――出会ったころから、私は随分と嵐どのに救われてきました。ですからその御恩を、返していきたかった。あなたを、私の手で守って差し上げたいと、そう思っていたのです。それなのに、嵐どのは昔よりも随分と大きくなられて――、私に守られてくださるような方ではなくなった。今では私のほうが庇護(ひご)を受ける身です。こんな筈では、無かったのですが――――――…」

「―――――ああ、ざまあないな。若雪どのにも、見立て違いはあんねや」

 外の景色に目を遣る若雪の、視線を追うように嵐も桜の大樹を見ていた。

「どうやらそのようです」

 そう言って若雪は薄く微笑んだ。


 嵐は火をおこし、小鍋に注いだ水をゆっくりと(あたた)めた。

 桜が咲いてから、ずっと以前に若雪と桜屋敷を訪れた際のことを、嵐は思い出していた。

(あわれ)むべし―――――)

(なんという(まがつ)(ほし)の下にお生まれか)

 鼓の音で自分たちを誘い、そう告げた口寄せ巫女がかつていた。

 あの時、巫女は確かに言ったのだ。

 若雪の身内は凶刃に(たお)れたが、若雪自身は病を得ることになるだろうと。

 そして更に。

〝絶望につぐ絶望が、あなた様を襲いまする〟

 その様は、さながら打ち寄せる波のごとくでありましょう―――――――――。

 そうも言っていた。あの託宣も、やはりその通りになってしまうのだろうか。

(―――――まだ判らん。言うたことの全部が必ず当たるとは、限らへん)

 嵐は彼女の言葉を途中で遮ったが、振り返ってみれば巫女の託宣(たくせん)の前半が、現実のものとなっている。

 あの巫女の行方を今、水恵と斑鳩に捜させているが、十年以上も前の話の為か(かんば)しい報告はまだ入ってきていない。老齢だったこともあり、既にこの世の人ではないと言うことも十分に有り得る話ではある。しかし、もし未だこの世に在り、あれ程に先の世を言い当てる巫女であれば、どこかで噂になっていてもおかしくはない。だが、ちらりともそれらしい巫女の話は聞かないのだ。

 例え存命だとして、世に名高い嵐下七忍の情報網に、これだけ引っかからないというのはどういうことか。やはり既に冥府へと旅立ったと考えるのが妥当なのか―――――――。

 取り留めの無い考えが、嵐の頭の中を(めぐ)った。

(来世がどうの、とも言いよったな)

 嵐の知る呪術には、未来を知る手立ても無いではない。

 また、嵐は未だに桜の舞い散る中、若雪がどこかへ過ぎ去ろうとする夢を、相変わらず見続けていた。若雪の病が発覚した時は、てっきりそのことを示唆する夢だったのだと思ったが、夢の訪れが絶えない今となっては、一体何を、あの雅な悪夢が告げようとするものなのか、見当もつかなかった。まさか病の果ての死までを予告するものとまでは、思いたくない。

 考えながら、出来上がった白湯に落雁(らくがん)を添えて若雪のもとに運んだ。

 それを見た若雪は顔をほころばせ、嵐に礼を言った。

 白湯が効いたのか、その晩は若雪は夕餉を全て平らげ、志野や蓬を喜ばせた。


 その夜、嵐は眠る前に呼召印(こしょういん)という印を結び、咒言を唱えた。

「オン・クチグチ・グヤリ・シャリシャリ・シャリレイ・ソワカ」

 これを百八遍唱えれば、未来に知りたいことが夢の中で知れるという、密教系の呪術だ。

 嵐は陰陽師ではあったが、この呪法に関しては胡散臭(うさんくさ)いものを感じて、これまでに行ったことは無かった。

 けれど今では、(わら)にも縋りたかった。

(若雪どのの、今後を知りたい)

 この呪法でめぼしい情報を得られれば、何か現状を改善させる方法も見えてくるかもしれない。

 春の宵、嵐は一人咒言を唱え続けた。


 気が付くと、白く四角い部屋がそこにあった。

 窓と思しき透明な壁の側近くに、寝台らしきものが置かれている。

 どうにも馴染みの無い雰囲気の、妙な部屋だ。寝台の脇の小さな台の上には、見たことも無いような果物らしき物の入った籠やら何やらが、所狭しと置いてある。

 一人の少女が、その寝台に横たわっていた。

 眠る面立ちは若雪に似ているが、髪は今よりもずっと短い。

「―――――まだ十五歳よ」

「スリップ事故で…かわいそうに」

「高校の入学式も、間近だったんですって。有名な進学校らしいわ」

「まあ……」

「早く目覚めると、良いわね。―――――ご両親を見るのも痛々しくって」

「そうね」

 そう話す、何人かの女たちの声が聞こえた。

 青白い顔をした少女は、来る日も来る日も眠り続け、ある日あっさり事切れた。

 まだ若い命が、あっと言う間に散る様を嵐は成す術も無く見ていた。


 目覚めた時、嵐は茫然としていた。

 見た夢は、若雪の来世ということになるのだろうか。

 では、今この時、病と戦う若雪はどうなるのか。

 まさか残された時間が少な過ぎて、夢にも現れなかったというのか。

 強く(かぶり)を振る。

(――――夢は所詮夢や)

 そうは思うものの、若雪に似た、横たわった少女の面影は、嵐の中でいつまでも消えなかった。



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