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桜屋敷 二 (後半部)

 師走も暮れが迫って来て、嵐は焦っていた。

 若雪が咳き込む回数が増えた。

 本人は隠そうとしているようだが、隠しきれるものではない。

 微熱が続く日も多い。

 病が呈する症状による焦りは、若雪当人より先に、むしろ嵐を(むしば)んでいた。

(回春湯、通聖散、防己湯、人参養衛湯、人参清神湯、調気散、助気湯…)

 嵐は、急ぎ早に人々が行き過ぎる大小路(おおしょうじ)通を歩きながら、頭の中で数え上げた。

 これまで治療の為に調合した薬湯の名前だ。

 一見、労咳には直接の効果が無いように思える薬湯でも、少しでも可能性のあるものは全て試してみた。

 高価で希少な朝鮮人参は嵐一人では入手困難で、宗久に頼み用意してもらった。しかし試みた薬湯は、どれも目覚ましい効果を発揮してはくれなかった。

 宗久が懇意にしている医者も頻繁に若雪を診に来てくれたが、やはり嵐同様、どうにも手を打ちあぐねている様子だった。


「手立てが限られているというのは、辛いことだね」

 この寒い中にも賑わいを見せている、茶屋の横を通り過ぎようとした時に誰かが言った。最初にその言葉が聞こえた時、嵐はそれが自分に向けてのものだとは思わなかった。

 ただ軽やかな風のような声に、覚えがあると思い足を止めた。

 振り返る。

 若い男がにこやかに嵐を見ている。

 紅の上衣、紅の袴、南蛮人のような赤毛はやたら短く、束ねられてもいない。顔立ちは柔和に整った日本人のそれだが、その全身が人目を引くことこの上無い見かけをしている。

 だがなぜか、彼に注目する人は少ない。南蛮人に慣れた堺の人間と言えど、彼の異相(いそう)はそれとはまた種類が違うものだ。

 まるで何かの術でもかけられているかのように、人々の目は派手な身なりの男を素通りしていく。茶屋の者を含め、誰一人気に留める様子が無い。

 ――――術――――――――。

 聞き覚えのある軽やかな声――――――。

「あんたまさか――――――――…。あん時の神霊、か……?明慶寺で、俺らを閉じ込めた――――――」

 もう五年も前のことだ。

 信じられない思いで、嵐は問いかけた。

 にこり、と彼が笑う。

「その節はどうも」


「立ったままでいないで座りなよ、嵐。通りを行く人の、邪魔になるよ?」

 そう言って男は、自分が座る茶屋の腰掛(こしか)けの隣を指差した。

「……男の隣に座る趣味は無いんで」

 嵐が固い表情で言うと、彼は面白そうに笑った。

「まあ、解らないでもないけど―――――。ほら、これでも僕は、神の端くれだ。それなりに敬意は払ってもらわないと。ね?」

 言いながら、愛嬌のある様子で小首を傾げる。

 それでも動かない頑固(がんこ)な嵐に呆れた目をして、有無を言わさない口調で命じた。

「良いからお座り、君に話がある。僕だって、こうして現身を取れるようになるまで少しばかり時がかかったんだ。君も多少の譲歩はして、それに報いるべきだろう」

「少しばかり?」

 渋々(しぶしぶ)その隣に腰を下ろした嵐は、警戒した顔つきだった。

 今、自分の横にいるのは、人の形を取りながら、人ならざるものだ。

 その気配は人でないことの証のように清浄だが、ひんやりとして冷たくもあった。

「百年くらいかな」

 さらりと返って来た答えに、言葉を失う。

「僕はそれでも、早いほうだ。―――――…そもそもが人だったからね。現身にも、そのぶん馴染(なじ)みが早い。僕がこうして君に会う役割を仰せつかるのは、花守の中でも最も人の心を(かい)し、人語に()けているからだ」

 茶の入った椀を左手に持ち、右手は握ったり開いたりして、何かを確かめるようにそれを見つめながら、神霊と思しき男は自らの出自をことも無げに明かした。

「人―――――?」

「うん。僕のことは、明臣と呼んでよ。神の位を賜った時に、同じく頂戴した名前だ」

「明臣……様?」

 相手が神であるにしろ、変わった名前だ。名前一つをとっても、神道で崇める神々とはまた別種の存在であるように感じられる。

 くすり、と明臣が笑う。

「意外に律儀だね。様はいらない」

「――――そんなら明臣。話っていうんは、吹雪となれば、いうあの言葉のことですか」

 嵐は率直に切り込んだ。

「そう。今回は、この間よりは話せる。既に現象の一端は起きてしまっているから」

(この間よりは)

 つまり、まだ全ては話せない、ということだ。なんとも勿体付(もったいつ)けた話だ、というのが嵐の正直な感想だった。神の身でありながら、一体どれだけの制約があると言うのか。

 明臣がまた少し笑った。

「そんなに不満そうな顔をするものじゃないよ。人には人の、神には神の、それぞれ事情があるということさ。―――――雪に嵐では吹雪となろう。吹雪となれば、荷が重かろう。この言葉はね、――――端的に言うならば、君と彼女が共に在ることで起こり得る力のうねり、ひいては災厄(さいやく)を指し示す符牒(ふちょう)なんだよ。……尤も、必ずしも災厄となるとも限らない…―――大きな(かみ)(ちから)顕現(けんげん)として、これを捉える見方もある。吹雪が避けられないものであるならば、そこにこそ姫様と僕らは活路(かつろ)を見出そうとも考えている」

 拍子抜(ひょうしぬ)けする程にあっさりと長年の謎だった言葉が解き明かされたが、それはそれでまた別の多くの疑問を生じさせるものだった。何より明臣は、まだ謎の言葉の全てを明瞭にしてはいない。何も解らずにいたこれまでに比べると、多くの情報を得られたと言って良いのだろうが、明臣の言葉は聞く者にとって決して親切なものではなく、嵐の理解を置き去りにしていた。

 耳慣れない言葉も多い。

 明臣は自らを人語に長けていると言ったが、彼の語る言葉はどこか風変りで、まるで異国の言葉を無理に日本の言葉に置き換えたかのようだ。そこは嵐なりに解釈していくしかないのだろう。

 惑わされず慎重に、自分の知りたいことを、求める答えを、明臣から引き出さねばならない。

 嵐は商談に臨むような思いで明臣と対峙した。

「なんで、こないだはそれを教えてくれなかったんですか」

「兼久がいたから」

 嵐が、解らない、という顔をする。

「兼久は、吹雪を招く鍵となる者の一人だった。それを、僕の作った領域に入れてしまった。僕は君のみに限り、符牒を明かすつもりでいた。先の世を知らせることの出来る時、場所、相手は極めて限られる。あの場に兼久を入れたのは、僕の失敗だった。おまけに智真までいただろう。あれでは、僕は君に何を教えてやることも出来ない」

 嵐は何とか意識を切り替え、吹雪の一連の言葉が指し示す符牒に、話を戻そうとした。

「俺と彼女が共におることで起こる災厄……。彼女―――は、若雪どののことですよね。力のうねり?災厄て、なんの話ですか。俺と若雪どのが一緒におったら、一体何が起こるて言うんですか。俺らは、ただの人間ですよ?」

 ここは肝心なところだ、と思いつつ嵐は矢継(やつ)(ばや)に尋ねた。

「……………」

 唇を笑みに形作ったまま、明臣はこの問いかけを、吟味(ぎんみ)するように目を細めた。

「ただの人間、ね…」

 意味ありげにそう呟くと、持っていた茶碗を脇に置く。

「…―――――少し前までは、僕もただの人間だったんだよ、嵐。けれどそれも、人の世においては遠い昔の物語だ。…………君には良い教訓(きょうくん)になるかもしれないな。昔話を、してあげようか」

 そう言うと明臣は、嵐の返事も待たずに語り始めた。

 空に向けられたその薄青(うすあお)い瞳は、はるか時の彼方を見ているようだ。

 つられるように、嵐も冬の空を見上げた。空気は澄んでいるが雲は低く、どこか寂しい灰色の空だった。

「昔々、まだ京の都が、応仁の大乱で荒れていたころの話だ。当時、管領家(かんれいけ)の家督争いについで起こった室町幕府将軍家の後継争いは、実に迷惑な代物(しろもの)だった。それぞれの将軍候補に有力者がつき、守護大名を従えて膨大(ぼうだい)な兵力をぶつけ合い、戦いは泥沼化した。――――――それは君も知っているだろう?」

 確認するように明臣に目を向けられ、嵐は頷く。

 随分と話が(さかのぼ)ったな、とも思う。

 応仁の乱は、今ある戦国乱世の発端となったとも言える権力闘争だ。

「僕は山城国の地侍(じざむらい)の一人として、現世に生きていた。国人(こくじん)、とも言うね。仲間と共に一揆(いっき)を組み、僕らが被る被害もお構いなしに戦をしようとする東軍も西軍も、自分たちの土地から締め出そうとして戦った」

 嵐の脳裏に在りし日の明臣が浮かんだ。この顔立ちだ。緋威(ひおどし)の武具を身に着け、太刀を手にした明臣の姿は、さぞ見栄えがしたことだろう。

 語る明臣の目に、柔らかなものが漂う。

「……僕には許嫁(いいなずけ)がいてね。(とみ)という名前の、とても愛らしい娘だった。その、時の足利将軍の正室と同じ名前と、容貌が、仲間の一人の気を引いた。そいつは僕らを裏切り、秘密裡(ひみつり)に管領家家臣に僕らの土地を明け渡そうと企んでいた。……そいつはね、―――――――あろうことか富も一緒にその家臣に差し出そうとしたんだよ。土地を売り渡そうとする相手に、更に取り入る為にね」

 予想だにしない昔の話に気を取られていた嵐だったが、明臣の声が暗いものになったことは敏感に悟った。世が終わるような、絶望を知る者が抱える闇の暗さだ。嵐は引き摺られないよう、その暗さに心構えをしなければならなかった。幼いころ、自らも味わった闇の暗さだったからだ。まして明臣の抱えた深淵は、それ以上の暗さであったように思える。

「…富はそれを拒んだ。僕が戦いから引き揚げて帰った時には、もう彼女は自害して果てたあとだった」

「――――――――」

 その時に明臣が浮かべた笑みは、嵐にも理解出来ない暗いものを、奥深く孕んでいるように思えた。絶望すらやすやすと突き抜けた、そのはるか先にある笑みだ。それは見る者を震撼(しんかん)させるような微笑で、出来ればそれを生じさせるような感情を、理解する時などが今後訪れないように嵐は祈る思いだった。その瞬間は、目の前にいるのが神だということさえも忘れた。

「僕は絶望し――――――怒り狂って、我を失くした。裏切り者を殺してその家に火を放ち、自らも焼け死んだ。闇夜に赤々と燃え上がる炎は、そこら一帯を照らすようだった。―――――僕の名前にある、明るいという一字の由来だ。神と言えど、かつて犯した罪を忘れてはならない、という(いまし)めを兼ねた名前を頂いたんだ。死んだのちも僕は怨霊となって、富を殺した一族に(たた)りを成した。……見かねた姫様が僕の魂を救い上げ、神の位に封じてくださるまで。そして僕は、花守の末席(まっせき)に名を(つら)ねた」

 凄まじい話だ、と嵐は思った。

 この神霊は、元来は荒ぶる御霊(みたま)だったのだ。

 怒りと嘆きと憎しみに(たけ)り狂った、一つの魂の辿り着いた末が、今目の前にいる明臣なのだ。先程のぞっとするような微笑の所以を、嵐は思い知った気がした。

「………姫様いうんは、以前言うてはった、俺らが会ったことあるていう方のことですか。花守って何なんです」

 明臣は嵐を流し目で見遣ったが、何も答えなかった。

 代わりに空を見上げて一首の歌を詠んだ。

「――――(なれ)や知る 都は野辺(のべ)の 夕雲雀(ゆうひばり) 上がるを見ても 落つる涙は――――……」

 風のように軽やかで、透き通るような儚さをも含んだ声だった。それを聞いた嵐の胸が、なぜか少し痛んだ。

明臣は、詠み終えると嵐に笑いかけた。

 その笑いは和やかさと悲しみが微妙に入り混じっていた。

「…美しい歌だと思わないかい。これは、()の大乱で荒れ果てた都の有り様を嘆いて詠まれた歌だ。雲雀が空に舞い上がる光景は、本来心躍るものの筈なのに、それを喜ぶことさえ出来ない。それ程の悲嘆が、この歌には込められている…。美しいけれど、悲しい歌だ。けれど実際に、そういう時代だったんだよ―――――あのころは。それは今も、乱世という点では同じなんだろうけどね……」

 どこか物思うように明臣は語尾を濁した。

 それから彼は、少し口調を切り替えた。

「ねえ嵐、君は陰陽師でもあるよね。陰陽師とは、天地の(ことわり)を弁えた存在だ。それが本分(ほんぶん)というものだろう。そうであれば、超えてはならない線を、他の誰より心得ている筈だ。彼女が、大事だろう――――?それなら決して、人の分を超えた術などに手を出してはいけないよ」

 思い()るような光をその目に宿して、真摯な声で明臣が嵐に告げた。

「………どういうことですか」

「……人は簡単に堕ちるものだ。兼久を愚かと思うなら、君も軽はずみな真似を慎むようにと、そう言ってるんだよ。僕はこれでも、もう随分と踏み込んだことまで言ってしまった」

 言いながら後悔するかのような口振りだった。

 そして、ああ、と気が付いたように言い添える。

(みず)(おみ)には気をつけて。花守の中でも、姫様と共に長く在る者だけどね。彼は姫様のことしか頭に無い――――――ちょっと危険な奴だ。君は以前、姫様に大層な無礼を働いたしね。水臣がそれを面白く思っている筈も無いんだ」

(水臣?…大層な無礼?)

 やはり何のことか解らない。解らない上では気をつけようも無い。なぜこう情報が小出しなのか。これが神の流儀(りゅうぎ)とでも言うのか、と焦れながらも、嵐はかろうじて思ったことを口にした。軽い意趣返(いしゅがえ)しのつもりもあった。 

「………あなたの話を聞いてると、神も人も、そう大差(たいさ)()いような気がしてきますね」

 うっすらと、明臣が微笑む。

「神には心が無いとでも?それは君たちの、考え違いというものだ。案外、僕たちと君たちの存在は、薄皮一枚隔てた程度のものなのかもしれないよ?」

 それじゃあね、と立ち去ろうとした明臣を嵐は引き留めた。

「待ってください!」

 ん?と明臣が振り返る。

 次に神霊に会ったら訊きたいと思っていたことは多くあった。自分たちに同じ言葉を伝えた信長と神霊は、どういう間柄なのか。自分が再三見る夢に、神霊は関与しているのか。未だに知り得ないことだらけだ。しかし嵐が口にした問いは、訊きたいと考えていたことのどれでもなかった。

「………明臣。あなたは、神とならはって、富さんのことをもう忘れることが出来たんですか」

 明臣が意表を突かれた顔をする。

 空白の時が流れたあと、見開いた瞳のまま、明臣の唇だけが動いた。

「………………………僕は今でも、彼女の転生した姿を探し求めている」

 それが答えだった。

 今度こそ、明臣はその場をあとにした。

 茶屋の人間が今になって思い出したように嵐に注文を尋ね、その脇に置かれた空の茶碗を目にして首をひねった。


 派手な装いを誰の目にも留まらせること無く、緩やかな足取りでぶらぶらと堺の雑踏(ざっとう)を歩きながら、明臣は胸の内で、未だ再会の叶わないかつての許嫁の笑顔を思い浮かべていた。

 忘れるどころか、胸に留まる彼女の面影は、年月を追うごとにますます鮮やかなものになっていく。神である身は忘却(ぼうきゃく)とは無縁なのだろうか、と我ながら考えた。

 その面影に、そっと優しく語りかける。

(ねえ、富―――――…どうして、死んでしまったの?自ら命を絶つなんて――――――、そんな悲しい選択を、お前がする必要は無かったのに。生きてさえいてくれたら、僕は何をどうしたって、きっとお前を取り戻していただろうに。どうして死んでしまったの……)

 嵐はこの話を、どのように受け取っただろうか。

 このまま事態が進めば、恐らく若雪もまた自ら命を絶つことになる。

 そうなればきっと――――。明臣はピタリと立ち止まり、視線を落とす。

「…吹雪はもう、止められない」

 神の呟きを聞いた者は、誰もいなかった。

 


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