プロローグ
深い眠りから意識が浮上し、まどろみの中を漂う思考に雑音が混ざる。
『第xxxx番Λ世界ゲート解放――』
音の遠近が分からない。
耳元で囁いているのか、遠くで叫んでいるのかもわからない。
『時間軸――固定。事象変動値――安定域を確保』
音質は中性的……いや、機械的な合成音のような感じだ。
『第xxxx番Λ世界ゲート解放を確認――第三期素体投入準備完了』
「……?」
まどろみの思考が不確かな音の意味を捉え始め、それと同時に視界も周囲の景色を認識し始めた。
それまで瞼を閉じていたということさえ理解できていなかった自分の思考は、いまだに目覚めきっていない。
『――目覚めたか?』
「うおっ!?」
ゆっくりとした覚醒のまどろみから突如として驚愕へと移行する。
開けた視界には、見たこともない形状の文字列に埋め尽くされた世界が映り込んだ。
理解を越える光景に飛び起きそうになった身体が強引な力で押さえつけられるのを感じる。
「な、なんだ……コレ?」
動かない身体、見慣れぬ光景――そして、理解を越えた声の主。
拘束されているらしい身体では動けず、視界のみを移動させて傍らに佇む存在を見上げる。
『この段階で私を認識するか。視認領域は、概念認識クラス――特異な素体だな』
見上げた俺の視線に対し、声の主は無感情な機械音声で周囲の文字列に指を伸ばしながら言う。
声の主が触れた文字列は、爆発したかのように新たな文字列を生み出しながら世界を流動する。
「アナタは……何なんですか?」
誰、とは問わない。
世界を多い尽くす文字列と似通った、しかし、絶対的な違いを本能的に感じさせる文字で構成された人型。
人間であろうはずがない。
『人にとって、誰何の問いは規定事項なのか?』
呆れたような色を見せつつもこちらに視線?を向けることのない人型は、世界の文字列を操りながら規定事項に応える。
『人間種価値観及び当素体の認識概念から算出――。私を定義する単語は、【神】若しくは【システム】であると解答する』
「神? アナタは神さまなんですか?」
『素体の理解を否定する。素体の認識概念でいうところの【神のシステム】である』
単純に驚きを示すための言葉を律儀に訂正する自称【神のシステム】。
「それなら……現状に対する説明を貰っても?」
理解を超えた状況に困惑する内心とは裏腹に口から出るのは、冷静な現状把握。
そんな不自然なこちらの反応をいぶかしむことなく声の主は、問いに答える。
『要求を受諾。素体は、第xxxx番Λ世界第三期時象改変因子として当該世界へ投入されることが上位存在の選定により決定。現在、当該世界への投入準備中である』
頭が痛くなるような言語を並べる【神のシステム】に俺は唖然とする。
要約すると神様による異世界転送。
在り来たりだ。
在り来たりすぎて欠伸が出てしまう。
「ひとつ確認しますけど、私に選択権は?」
『第一期及び第二期改変因子の系譜である素体に拒否権はない』
これもまた在り来たりだ。
なにやらそれらしい言語を並べて説明されるのは、知らない過去の設定と変わらない未来、止まることのない現状。
ついでに言えば、この流れを落ち着いて受け入れている自分にも失笑を禁じえない。
それも仕方がない。
現実味の感じられない状況で何を難しく考える必要がある。
理解できないことは、理解しなくて良い。
変えられないことは、受け入れるしかない。
『因子投入準備完了――最終調整に移行』
現状に対して諦観を決め込んだ俺の思考に再び【神のシステム】が声を掛けてくる。
『これより、素体への天恵技能入力を開始する。素体には、三種までの天恵技能が認められている。――欲する天恵技能の入力せよ』
なるほど。着の身着たまま別世界に放り出すわけではないわけか。
非常に良心的な【神のシステム】だ。
しかし、こういった場合の技能選びは重要だ。
貰ったは良いが、後々役に立たなくなってしまうような技能を得ても意味がない。
こういう場合の典型で言えば、戦闘特化型技能は人生において必ず不要になる時期が来る。
自分が持っている現状の技能を把握した上で、生涯に渡って有効に作用するような技能を得ることが望ましい。
「その天恵技能とやらを入力する前にΛ世界ってのが、どういった世界観なのか教えてもらいたいんですけど?」
『その問いに対する解答は制限される。当該世界は、素体認識から算定した場合、文明レベルは低位ある』
「それだけですか」
文明レベルが低いってのも漠然とし過ぎているし、在り来たりだ。
しかも、俺の認識から考えて文明レベルが低いとか言われても近代・中世・古代とかあるだろう。
「えっと入力した天恵技能とやらは、Λ世界とやらで後天的に習得可能な技能なんですか? もし習得可能なら後からでも勉強や訓練なんかで覚えられますか?」
『通常は後天的に習得不可能な技能が入力される。後天的に習得可能な技能も入力可。この場合、修練及び経験による到達不可の領域まで初期設定で入力可である』
ここでしか習得できない技能と習得はできるが常人では到達できないレベルの技能。
どちらも一長一短だな。
先天的な特殊技能はおそらく悪目立ちする。
何もないところから何でも創造できる能力とか、その最たるものだろう。
創造系の技能は、後天的に習得可能なものもあるだろうから後々覚えた方が良い。
習得可能な技能の上位レベルも通常では不可能な域の技能を保有しているというのは目立つだろう。
見知らぬ世界に行くというのであれば、その世界のレベルを逸脱する技能は、どこかで足枷となる。
「アナタが俺に望むことってのは、あるんですか?」
こういう展開でありがちな突発的な死を経て神の手違いだったために償いとして特別な能力を与えて生まれ変わらせるとかいう状況ではない。
前例があるような話なので何某かの任務を言い渡されるかもしれない。
その場合、その任務を効率よく勧めるための技能を得ていた方が良い。
『素体に要求する事象はない。素体は、世界改変因子であり、それ以上でも以下でもない。素体は、一定期間当該世界において生存し続ければ何を為そうとも容認される』
一定期間生存し続けること。
要求がないという割りに難しい注文が入っているな。
「世界改変因子というのは?」
『世界改変因子は、当該世界の綻びを修復するための因子。一定期間当該世界において生存することで効果が得られる』
世界の薬みたいなものだろうか。
生き続けることが条件というのも不可解だ。
もしかすると生存するという条件を達成させるために天恵技能を与えるのかもしれない。
「最後にもうひとつ。俺の前例、というか第一期二期の人たちは、どうなったんですか?」
これは、Λ世界とやらで俺が今後どのように生きていくかを決定する重要な問いだ。
『第一期及び第二期投入素体は、全個体当該世界において一定期間生存していた。以後、当該世界において生涯を終えている』
「終えているということは、俺が前の人たちに会うことはないってことですか?」
『前例者の生存は不明。改変因子としての機能を終了した素体は監視対象外。しかし、第二期~第三期間は、人間種が生存可能な期間を大幅に越えた時間軸になる』
人間なら死んでいるくらいには歳月が過ぎているのか。
しかし、前任者が『永遠の命』とか入力してたら鉢合わせする可能性もあるということ。
それにしても一定期間生きれば不干渉とか、神のシステムとやらもずいぶんいい加減なことをする。
特別な力を持った人間を野放しにすることほど厄介なことはないと思うけどな。
「まあ、とりあえず分かりまし。技能の入力をお願いします」
『では、これより入力を開始する』
システムの声と同時に三つの光が頭上に輝きだす。
『汝が欲する天恵を入力せよ』
システムの声とはまた別の声が命令してくる。
わざわざ別の声を使用する必要があるのか?
それとも天恵技能を付与する作業は、別のシステムが管理しているのだろうか。
どちらでも俺には関係ないか。
「一つ目は、あらゆる事柄を数値で捉える感覚をお願いします。これは外的干渉を受ける場合、事前に予測できるような感じで」
『入力内容確認。――当該要求技能は、単一技能に該当。――当該能力の付与を開始する』
補足はそれだけですか。
決定の可否も確認されないのか。
しかし、これははずせないだろう。
何が起こるか分からない別の世界で生きるというのであれば、絶対の基準点というものが必要だ。
この能力があれば、新しい環境での体調管理や未知の事象に対する危険度判定も可能になる生存特化型技能だ。
「二つ目は、Λ世界で使用可能なあらゆる治癒術を知識込みでお願いします。魔法系は、魔力消費とか詠唱破棄とかできれば嬉しいんですけど?」
『入力内容確認。――当該要求技能は、習得可能技能に該当。代償破棄を限定承認。――当該能力の付与を開始する』
これも生存に特化した技能だ。
未知の環境に足を踏み入れるのに自分が負傷した際に回復する術を持たないことほど怖いことはない。
しかし、代償破棄の限定承認というところが不安にさせる。
当たり前のように限定の部分に対する説明はされない。
まあモノによっては代償そのものが効果に直結するような魔法や技術があるのかもしれないから我慢しておこう。
「最後にΛ世界の全存在と会話したり触ったり干渉できるようにしてください。ちなみに干渉するときにこちらが不利になるようなモノをキャンセルするような感じでお願いします」
『入力内容確認。――当該要求技能は、複合天恵技能に該当。――当該能力の付与を開始する』
意思を持つ者が存在する世界において言語が通じないのは言語道断だ。
これを意思を持つ者に限定せず、全存在としたのは、意思を持たない物質からでも情報を引き出したり、調査したりすることを可能にするためだ。
しかし、複合天恵技能とやらが気になる。
意思疎通は生命が生きている世界なら当たり前のように存在するはずだし、習得可能技能の上位くらいな感じのはずだが。
システム側で俺の要求を何某か別の解釈をしてるのだろうか?
まあ、会話と接触は文言に入れているからこちらが求める最低限の効果は得られるはずだ。
『天恵技能付与完了。――これより第xxxx番Λ世界へ第三期世界改変因子投入を開始する』
システムの声と同時に拘束されていた身体が解放される。
「のあ?」
浮遊するような感覚で宙に身体が投げ出されると周囲の文字列世界が徐々に命の色を表し始める。
その過程は、3Dポリゴンにテクスチャを貼り付けていくような感じだ。
不自然な世界の変化に俺は最初の神のシステムを見る。
『第三期世界改変因子の効果的な作用を期待する』
最初から変わらぬ機械音声のような声で言うシステムの姿は、世界と同じく色付いている。
その姿は、声からは想像もできないモノだった。
徐々にその姿が遠くへと流れていく。
いや、流れているのは俺の方か。
世界が色づき始めるにつれて、俺の身体は世界の上をすごい勢いで横滑りしている。
どこに落とされるかわからないが、痛い落され方は嫌だぞ。
Λ世界とやらに落とされる前に自分の身体を確認する。
幸いなことに素っ裸ではなかった。
纏っている衣服は見慣れないものだ。
少なくとも現代人が街中で身に纏っているようなものではない。
なんとも用意が良いと思っていると思考に視認しているモノ以上の情報が流れ込んできた。
トウマ・ササキベ/治癒術士/19歳(32歳)
体力:32 筋力:35 走力:47 魔力:0
驚いた。
これは最初の数値化技能の効果だな。
今の自分がどれだけの力があるか分からなければ何も比べられないからな。
この数値が高いのか低いのかは、おいおい比べていかなければいけない。
魔力は確実に最底辺なようだけどな。
そもそも魔法なんてない世界に暮らしている人間に魔力があることの方が例外だと思うのであきらめよう。
というか、回復に消費なしをつけてもらっといてよかった。
そうでなければ、せっかくの技能が死にスキルになるところだった。
それにしても年齢の横にある括弧は何だろう。
もしかして、寿命じゃないだろうな。
「……ま、いいか」
いまでも十分に生きてきたと思っている。
満足のいく生き方をしていたわけではないが、これまでの人生の倍以上残っているというのなら十分だ。
異世界に行くには少しばかり利便性を追求しすぎた技能を貰ったが変な能力を得るよりもこういった技能の方が生き抜くのには適しているだろう。
文明レベルが低い世界ということならば医療術は十分な職業になるだろう。
たとえ資格制度だったとしても知識も含めて付与されているので問題ないはずだ。
俺には見えない症状を見ることができる感覚があり、干渉することまで可能なのだ。
これで一定期間生きれば神さまからの監視とやらもなくなるらしいし、少しばかり遠くまで家出してきたと思えばいいさ。
淡白に過ぎるかもしれないが、俺がこうなることは系譜とやらで決まっていたらしいし、そういう精神も受け継いでいたのかもしれない。
「さて、在り来たりな出だしだけど、落ちる場所も在り来たりな環境だと助かるんだけどな」
個人的には、【始まりの街】的な場所を希望したい!