7. 帰郷の目的
「まあ、お帰りなさいリエナちゃん」
公爵家に戻ると、奥様が温かく出迎えてくれる。リエナをぎゅっと抱きしめ、その頭を優しく撫でた。
「ただいま帰りました、奥方様」
リエナも抱擁を返し、にこりと笑った。
「もう、お母さんて呼んでって言ってるのに」
口を尖らせてそう言う奥方様は、本当の家族のようにリエナに接してくれる。
異世界トリップ後、誰も信用できなくて荒れまくっていたリエナを当主が保護し、奥方様が世話をしてくださった。
奥方様は、リエナが使用人を警戒し近付けようとしないことを知ると、自らリエナの世話を買って出て一生懸命心を通わせようとした。あの時の恩は、一生かけても返せないくらいだ。
「ああ、久しぶりだなリエナ」
低くて心地の良い声にリエナが振り返ると、そこには綺麗な容姿の男性が立っていた。
「お久しぶりです、次期公爵家当主様」
彼は普段家にいないのであまり接したことがないが、リエナが養女として公爵家の一員になったときは心から喜んでくれた。彼は王城で働いているらしく、後宮にいるリエナをサポートしてくれる。
「せっかく家に帰ってきたのだから、ゆっくりしていけ」
「はい」
リエナは自然に笑みを漏らした。
「宰相、犯人の情報は?」
皇帝は、執務室に戻ってくるなり宰相に問う。
「ありません」
舌打ちした皇帝に、宰相は眉をひそめた。
そもそも後宮など放っておけと命令した皇帝が悪いのに、自分がこんな態度を取られる理由はない。
全く情報がない状況から、果てしない数の女性のことを調べろというのは、どんな優秀な者でも無理だ。せめて、後宮に入った貴族の令嬢の情報だけでも管理しておいて欲しかった。
「陛下こそ、茶会に犯人がいると仰って自信満々でいましたね?」
「いなかった。誰も主犯格らしき者は見つからなかったのだ」
皇帝は、イライラしながら机を叩く。
誰か率先して情報を提供している者がいたかと問われれば、否だ。茶会は確かに令嬢の情報交換の場ではあるものの、飛び交う情報に不審な点はない。
もしくは出席していなかったのか?だが、たまたま出席していないのか、それとも皇帝自ら茶会に来ると知って身を隠したのか。後者だとすれば非常に厄介だ。
「陛下、何か恨まれるようなことをした覚えは?」
宰相が何か思案する風にして顎に手を当てながら尋ねた。
「この地位にいる限り恨まれることなどいくらでもある」
馬鹿馬鹿しい問いだ、と言わんばかりに皇帝が答える。
「そうではなく、個人的に恨まれるようなことをしましたかと私は聞きたいのです」
「……何?」
「例えば、先日亡くなられた令嬢のご家族などは?」
――――あなたに娘を殺されたこと、とても怒っているかもしれませんよ?
「まさか……」
そんなはずは…。そもそも、死体処理もされたかどうかわからないのに、当家に令嬢の死亡が伝わっているだろうか?
「こんな後宮で情報が漏れない方がおかしいです。興味のない陛下はご存じないかもしれませんが、現在の後宮の管理体制はずさんなものです」
宰相が呆れたように言った。
「なぜ、それを早く言わない?」
皇帝がジロリと宰相を睨む。
「何度も進言しましたが、聞く耳を持たなかったのは陛下のほうでしょう」
完全に皇帝の管理下にある後宮だけは、宰相が干渉することはできない。政治ならある程度は皇帝に内緒で手を打つことも可能なのだが。後宮に何か問題があれば宰相は、皇帝に進言するしか方法はないのだ。
「まったく面倒な……。後宮を廃したいくらいだ」
「犯人が見つかるまで我慢して下さいね」
「それで……リエナちゃんは何で帰ってきたの?」
奥様がにこにこしながら尋ねてくる。
ここは、公爵邸の中庭だった。奥様に長男、さらに仕事を終えて合流した当主も加わってお茶会が開かれている。
「ちょっと……家族に会いたくなって」
「嘘だろう。いつからそんな可愛らしい性格になったんだ?」
「嘘ね。リエナちゃんは一刻も早くもとの世界に帰りたいと思ってるのに、余程の事がないと帰ってこないわ」
「リエナ、正直に言いなさい」
……すぐにバレてしまいました。何でわかるんだ?
「えっと、その……療養のための里帰りです」
「療養?どこか、悪いのか?」
当主様の厳しい視線に耐えられなくなり、リエナは俯いた。
「アリー、説明なさい」
「はい、えと、あの…ですね、……リエナ様が……」
いきなり話を振られ、アリーはあたふたする。口からでる言葉は、途切れ途切れで文章になっていない。
「父上と母上、二人が怯えてますよ。……で、結局どこが悪いんだ?」
追い詰められてうまく言葉の紡げないリエナとアリーに次期当主が助け船を出す。その瞳は優しげだ。
「頭です!頭が悪いんです!」
「「「……………………」」」
完全にテンパったアリーの発言のせいで、その場に何とも言えない空気が漂う。
「アリー、嘘つくなら、もっと上手くやりなさい」
奥さまから同情の視線。
「違います。そうではなくて……」
ふいに、長男が席を立った。
ぽすっ。
「……………………あ」
彼の手には、リエナの茶髪ウィッグが。彼女の艶やかな黒髪と、真っ白な包帯が現れた。包帯には血が滲んで非常に痛々しい。
「父上、魔術師の手配を…」
冷静沈着な息子は、治癒のために魔術師を呼ぼうとするのだが……。
「きゃー、リエナちゃん!!酷い怪我よ」
「大怪我じゃないか!!医師を、いややっぱり、領内で一番の腕の医師を」
茶会はあっという間に大騒ぎになってしまった。
「……で、結局どういうことなの?」
治療を終えたリエナに、奥方様が詰め寄ってきた。まるで肉食獣が獲物を狙うかのように、その目は鋭く光っている。
リエナはついに観念し、今までの経緯を洗いざらい話した。それはもう、何から何まで事細かに。
「ふ〜ん。皇帝陛下ってそんな性格なんだ」
お、奥様……目が怖いです。
「それにしても、女の子殺そうとするとはねぇ」
奥方様が怒っています。
このままだと、彼女が皇帝に逆襲するのは目に見えている。自分としては穏便に事を収めて、静かな後宮生活に戻りたい。このままでは、折角いないことになっていたはずのリエナの存在が知られてしまう。
「お、奥方様!その、私も皇帝陛下を怒らせるような真似をしたのが悪かったですし」
「リエナちゃんは心配しなくて良いのよ〜。ちゃんと被害が及ばないようにしてあげるから」
「そうではなく……」
「ちょっとお仕置きしてあげましょう」
にっこりと微笑んだ奥方様の顔は、美しくも怖かった。