41.目的のためには脇目は振りません
「リエナちゃん!久しぶり」
突然の抱擁に驚いたリナは、歩いていた足を止め、思わず身を固めた。
後方から抱きついてきた相手は、立ち止まったリナのせいで勢いを殺せなかったらしく、顔からリナに突っ込んだ。
「痛っ!」
「お、奥方様?」
リナが振り返るとそこには公爵家の奥方様がいた。
なぜここにいるのか、という疑問はなくもないが、奥方様のことだから、気まぐれに王宮に来たのかもしれない。
最近、奥方様に抱き締められることなんてなくなっていたから対処の仕方を忘れていた。いつもなら、振り返って優しく受け止められてあげていたはずだが、今回はうまくいかなかったようだ。もしかしたら、鍛練不足の可能性もなくはないのだが。
怪我がないかと慌てて奥方様の様子見ると、あまりの痛みにリナの目の前で座り込んでいる。
ど、どうしよう…。
体を鍛えているリナと違って、生粋のお嬢様な奥方様は見た目通りか弱い。手足なんてすぐに折れてしまいそうだし、柔らかい肌は何かに当たったらすぐに傷ついてしまいそうだ。
そんな奥方様がリエナにぶつかって転んだとあれば、ひどい怪我を負っている可能性もある。
「失礼しますね」
リナは奥方様を抱き上げると、執務に向かう。
奥方様は小柄で華奢なので、体を鍛えているリナには余裕で抱き上げられた。
「母上?………と、リエナ!?」
いや~ん、リエナちゃんのお姫様抱っこ、などと悶える奥方様を抱えたまま宰相補佐こと次期当主のところに行くと、驚いてペンを取り落とし、悲鳴のような声を上げる。
慌ててリエナの腕から奥方様を奪うと、綺麗な所作でソファに座らせた。
「何してるんだ、まったく………」
「いえ、私が、奥方様を転ばせてしまったようで………本当に申し訳ございません。如何様にも罰を与えてくださいませ」
床に手をついて謝るリエナに、皇帝は目を丸くする。
本当に家族なのか。まるでそれは、主と下僕の関係ではないか。皇帝の家ですら、身内が怪我をしたからといって理由もなく罰したりすることなどないのだ。
「おおかた、母上がリエナに勢いよく抱きついたからだろう?気にしなくていい………ほら、顔を上げて」
次期当主は、ため息を吐きながらリエナを強引に立ち上がらせる。
「リエナ、母上をありがとう。医者はこちらで呼んでおくから、書類を取ってきてくれないか。財務の者が呼んでいる」
申し訳なさそうに何度も頭を下げつつ、リエナは急ぎ足で執務室をあとにした。
「………なにか、言いたそうなお顔ですね」
次期当主はリエナを見送っていた扉から視線を外すと、不快とも言える表情で皇帝を見る。
「お前たちは………本当に家族なのか?」
「家族ですよ。これでも、あなた以上に家族全員リエナのことを可愛がっています。――――――ただ、リエナは違うのかもしれませんが」
「そうね、リエナちゃんは私たちに恩を感じるあまり、対等な関係になれないでいるの。もう家族の一員なのに、何度言っても未だに理解してもらえないわ」
寂しそうな表情を浮かべる公爵家の二人に、皇帝はなんと声をかけていいかわからなかった。………自身も、リエナとの距離に悩んでいたから。
「言ったでしょう、陛下。あの子はまだ心がこちらにはないのですよ」
「ここにいることは………彼女には苦痛なのだろうか」
「そうでしょうね。彼女は未だにこの世界での居場所を見つけられないでいる。それに、見つけたくないと思っている」
元の世界にもどりたい。
それが、彼女がただ一つ望むもの。それだけのために彼女は長い時間を捧げた。
「彼女を引き留めるために家族を呼んだのは無意味だったか………?」
皇帝はそう、ぽつりと漏らした。
「まあ、私たちは嬉しいけれどね」
奥さまはにっこり笑って答えた。
皇帝はリエナをひきとめるために、公爵家の人たちを呼んだ。自分では彼女を引き留めるには力不足だったが、家族ならばあるいは…と。
だが、先ほど気づいてしまった。この世界の住人である自分たちと、彼女との間には、想像以上に大きな溝があることに。
「リナは………あちらに帰りたい理由があるのか?」
突然ノックもせずに部屋に突撃してきた皇帝にそう聞かれ、里菜は困ってしまった。
「帰りたい、帰りたくないって次元の話じゃないような気がするんです。もともと、私はここの世界の住人ではありません」
「だが、皆リナのことを受け入れてくれているだろう?受け入れたら、帰れなくなるとでも思ったのか?」
「そんなことは………」
むしろ、受け入れてもらえたからこそ、協力してもらえたからこそ、唯一の帰還魔法を有する皇帝に出会えたのだ。
そこは里菜とて分かっている。
「じゃあ、なぜ誰も受け入れない?」
「今まで、親しい人なんてそんなにいなかったから。私はあちらの世界では、あまり人に接することなく育ったもので。――――その、受け入れ方とか、人との接し方とか、分からないんです」
「………は?それだけか?」
「いや、それだけって」
結構重要なことだと思うんですが。
コミュ障つらいよ、コミュ障。現代日本人の何割がこれで苦しんでると思ってるのだ。
日本人の奥ゆかしさ、慎ましさ………それは社会に出たら何の役にも立たない。
「俺たちを拒絶していたのではないのか」
「拒絶というか、そんな何年もここにいる訳じゃないし、だいたい知らない世界で覚えること多すぎだし、そんなことに構ってられなかったのが、そう見えてたのかも」
こちらの人間は人との関係が日本より深いのかもしれない。
公爵家の人も、皇帝も宰相も、皆あまりにも短期間で里菜に心を開き受け入れてくれるから驚いたものだ。
「じゃあ、名前を覚えていないのは?」
「だって、知る機会なんてなかったですから」
誰も彼もが名乗るのを忘れていたから、たまたま覚えられなかっただけだ。
里菜は公爵家でそんなに家族と関わっていなかった。勉強することがたくさんあったし、ギルドで仕事はやっているし………結構忙しかったのだ。
しかも、こっちの名前は馴染みがないから一度聞いたくらいでは覚えられない。人一人の名前を覚えるにも、かなりの時間が必要だ。ましてやコミュニケーション能力のない里菜では、いくら時間があってもなかなか覚えられないだろう。
もっとファンタジー耐性をつけるべきだった、と、こちらに来て日が経つにつれ後悔したのは言うまでもない。日頃からファンタジー小説とか、RPGゲームとかやっていたならば、順応力が違ったのかもしれない。
そんなこんなで今も名前を覚えることには苦労している。
「だからむしろ、かなり時間が経って名前を知らないことに気づいたときには、今更名前なんて聞けず………」
「そんな理由か」
がっくりと肩を落とす皇帝。
これでもこっちは困ってたというのに、とぶつぶつ言っているが、知っているだろうという前提で誰もかれもが身近な人の名前を教えてくれないのはどうかと思う。
「まあいい、一つ聞きたいことがあるのだ」
「なんでしょうか?」
「この世界のことは――――――現実だとは思えないか?」
ファンタジー………そう呼ぶに相応しいこの世界。
「もちろん、夢みたいですよ。こんな優しい家族に愛されて、自分が色々な才能に恵まれてるのが分かって、いろんな人と手を貸し合って生きていける」
この世界で自分は恵まれ過ぎている。
ただの学生だった里菜にとっては、ある意味幸福な時間だった。
本当にこんなに恵まれてよいのかと思うくらいに。
本来ならば、身元も分からない浮浪者同然の自分は、異世界でもっと不幸な目に遭ってもおかしくなかった。お世辞にも治安が良いとは言えない世界で、殺されたって、奴隷として売られたって、文句は言えなかった。
だが、そんなことにもならず、公爵家という国でトップクラスの生活をしている家族に拾われ、何も困ることのない生活を送らせてもらえて。
だからこそ、非現実だと感じてしまう。いつか目が覚めたら地球の自分の部屋にいて、楽しい夢でも見ていたんだって思ってしまうのではないかと。
里菜はでも、と付け加える。
「この世界に何かしてあげたいと思うくらいには恩は感じているんですよ」
その夜、里菜はこっそり城を抜け出した。
城の抜け道なんて皇帝より知っているから、脱走なんてお手のものだ。
久しぶりの脱出に心が踊る。
今日の服装は、簡素なナツの服。こっそりクローゼットに隠してあったのを持ってきた。
暗い脱出用通路を通っているうちに、里菜は別れを実感していた。
通路から抜け出すと、城から遠く離れた丘の上にでた。
振り返ると、美しい城の明かりがよく見える。
今日でこの城ともお別れだ。いや、城だけでなく、この世界とも、この世界で出会った皆とも。
「さて、行きますか」
里菜はそこから振り返りもせず、まっすぐに駆け出した。
目指す先はただ一つ――――――――。
お久しぶりです。
活字を読まなくなって久しい作者です。
字数少ないし文章がたがただし、小説のクオリティが下がってて悲しい…ですが、そこに関しては突っこまないでくださいませ。
とりあえず、いつか完結させられると嬉しいです。今のところ次話投稿の目途は立っておりません。